第112話 自己完結できる人、反応がないと書けない人
絵や作曲、造形、デザインなどもそうかもしれないが、物書きには2つのタイプがあって、書くことそのものの行為に満足して自己完結(満足)できる人間と、他者の反応がないと承認欲求が満たされず意欲をなくす人間がいるように思う。
書くこと自体は、何にしても大変孤独な作業。
精神的には、前者の方が圧倒的に強いように思う。基本的に趣味嗜好、欲望のまま自家発電でき、勢いのまま書きまくり、他人の力を必要としないのでタフである。その分、人の意見を聞かず一人よがりになってしまうかもしれないが……。
後者は反応がないと執筆のモチベーションが保てない(時もある)が、その分気性が素直で交流に長け、人気作品の動向をよく見ていて世間の流行に上手く迎合できる人が多い。
流行に乗って人気ジャンルの人気設定で小説を書いてみたら、読者が沢山ついて、反応も多くもらえて、更なる意欲が涌いてくる。作者は承認欲求が満たされ、読者は読んで楽しいというWINWIN関係が築きやすい。そのことはとても良いことだと思う。手先が器用で、思考が柔軟であるに越したことはない。
自分はいうと、作品や媒体によって前者にも後者にもなる。
何も考えずに書き殴ったものをポンと放り出して、「読みたきゃ読めばいい。好きに感じてくれ。あとは知らん!」と勝手に満足している時もあれば、「これでいいのか? これは本当に面白いのか? 大丈夫なのか? いや、大丈夫じゃない」と不安で不安で仕方なく、ガクガクと怯えながら反応を待っていることもある。こういう時の心中は荒れ狂う嵐であり、強風大雨に弄ばれる木の葉の気分。情けないし、惨めだし、つまらぬところにこだわってうじうじしている自分が本当に嫌になる。
ただその想いを外に出すのは恥ずかしい気がして、ひたすら悶々とするしかない。
なので、素直に「感想くれ~!」と叫んでいる人を見ると、ちょっと羨ましい。
要するに自信がないのだ。
書き連ねた文章の、一字一句に至るまで、己への不満が滲む。
誰かのせいにできたら楽なのに、それができないのがもどかしい。
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