第93話 戦争映画
戦争映画(史実もの)が割と好きで、気になるものは映画館で、旧作はDVDをレンタルして観る。
戦争を扱っているので、国や街は焼かれ、兵士や市民はバタバタと死に、目を背けたくなるような残酷なシーンも沢山出てくるが、WW2にせよ内戦や紛争にせよ、遥か昔の戦争にせよ、日本以外を舞台にしているものは基本的に泣くことはない。
ヒューマンドラマに感動したり、考えさせられたりすることは多いが、涙は出ない。
あたかも対岸の火事を見るように、どこまでも冷静に観てしまう。心のどこかで「自分は関係ない」と思っているからだろう。
これが、日本を舞台にした近代の戦争になると違ってくる。
日本人同士が戦っている国内の戦(戦国、幕末ものなど)に悲観的な感情は涌かない。
日本軍が、他国の軍と戦って勝ったり負けたりというのも、それほど心を揺さぶられない。
だが、日本が他国の軍隊(アメリカ)に焼かれる空襲のシーンだけはどうしても耐えられない。焼夷弾を落とされ燃えている街や人を見るたび堰を切ったように涙が溢れてくる。
街が燃やされる。国が燃えている。何もかもが燃えて灰燼に帰す。
火の海が恐ろしい。他国に蹂躙されている(された)事実があまりに悲しい。やるせなくて悔しくて涙が出る。現場にいるわけでもないのに、同胞の悲痛な叫び声が聞こえるような気がする。
同時に泣ける自分にひどく安心する。
自分が帰属するところが一体どこなのかはっきりとわかる。
日本に生まれた日本人であるがゆえに、祖国が燃やされることには感情的になってしまう。その時代、その場にいなくても、自分と大いに関係がある。冷静に見れない。
自分のアイデンティティは、日本と、多くの日本人によって作り上げられたのだから、生まれながらの本能じみた愛国の感性に背くことはできないと感じる。
ひょっとしたら、この安心を味わいたくて戦争映画を観るのかもしれない。
自分の居場所が、帰るところがどこなのかわからなくなった時は特に――。
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