まれびと信仰の発生

 まれびと概念は全然正確理解していないので適当に言っています。


 水曜日、北海道奥地(札幌から車で5時間圏内)で仕事があり、火曜日13時からの労働をして、その後出発する予定だった。それで、火曜の朝、SNOWという品薄商法スレスレみたいなデパ地下菓子屋に1時間並んで菓子を買い、六花亭でまた菓子を買い、一回家に帰って菓子を整理したのち労働に行って労働して、奥地へと向かった。


 この「奥地」には何年かに1回行っている。最初は2018年7月。次が2022年7月か8月。で今回で3回目。2018年の時は、もうちょっと責任のない立場だったのでただフラフラ着いてっただけだが、2022年にはお土産を指示に従って準備する立場となり、2024年に至っては俺が全体を主導する位置になってしまった。

 それはいいんだが、現地に住まう人々、のうち、直接関係がある人々は、まあ、何を目的に来ているか知ってて、その言わば「対価」としてお土産持ってきているというのを知っているから、そこまで変な感じはしないと思うけど、直接関係ないけど近くにいる人にも「お前らは食うなッ!!」とは言えないので、お菓子食わせたりするわけですよ。さらに言えば、ご家族にどうぞとか言って持って帰ってもらったりさえする。


 最後の例の場合、つまり、なんかお父さんが珍しいお菓子持ってきたと思ったら、「札幌から来た雅島さんって人がくれたんだよ〜」とか言う場合を考えよう。「誰だか知らんがそうなんだ」と納得する。4年後に、また同じようにお菓子を持ってきた。昔なんかこういうことあったな? って思ってたら、「札幌から来た雅島さんって人がくれたんだよ〜」と言う。あー。その人誰? なんでうちにお菓子をくれるの? って思っても、なんだったら「いやあ、お父さんも良くわからないんだ……」って言われる。ちょっと不思議に思う。2年後に、また同じようにお菓子が来て、「札幌から来た雅島さんって人がくれたんだよ〜」と言う。この辺まで来たら、もう、「なんだか知らんが時々来て富(菓子)を齎す存在」と認識するよりほかなくないですか。このようにして「まれびと」という概念が生まれるのかもしれないなあ。って、そうだとしたらどうなんだと言われても困るですが、ちょっと思ったということでした。


 体重の記録はありませんが、朝風呂入りに行ったら103.2 kgとかだったので、信じています。それではまた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る