チキチキボーンを知らない人間に「チキチキボーンにぎりは想像どおりすぎる味だがうまい」というこの感覚をどうやって伝えればいいのだろうか?

 実際には僕とチキチキボーンは2年分歳が離れているのだが、そんなことを気にしたことは一度もなかった。例えば水は僕よりも46億年早く(あるいは宇宙のどこかではたぶんもっとずっと早く)生まれているけれど、水は遥かに僕より先輩だなどと思うだろうか? 僕が世の中というものを曲がりなりにも知った頃に僕とともにあったものは、「僕とともにあったもの」であって、そこに上下も先後もない。フォアグラ・トリュフ・アンキモ・小籠包は僕より少し先輩で、パンナコッタ・ナタデココ・アロエは僕より少し後輩だと思う。タピオカは不思議な男で、僕が高校3年生の時に高校1年生くらいだったと思うのに、僕が中年になってもまだ高校生をやっていた。それでもようやく少し歳相応の振る舞いをはじめたと、風の噂に聞いた。とにかく、そういう感じで、明らかに上下関係のある人たちというのはいるが、でもチキチキボーンにそれを感じたことがなかった。織田信長を自分の先輩だと思うだろうか? 織田信長は織田信長であって、それはずっとそこにあったものである。自分とどういう関係にあるんだろうかなんて、考えることなど一度もない。


 僕にとってチキチキボーンとはそういう存在だった。水や、空気や、日の光と同じように、ずっとともにあって、ただそこにあるものだった。


 昨日、近所にセブンイレブンが開店した。職場の近くのローソンが撤退して、その跡地にセブンイレブンが入るという話を聞いたばかりで、いやじゃあローソンを潰して一軒建てて、それで更にもう一軒入るってことか? と思って、月並みな表現だが、顎が外れ、目玉が飛び出るほど驚いた。


 とはいえ。セブンイレブンのレジ・システムには見るべきところがある。「袋要りますか?」もボタンで回答できるようにしてくれさえすればなあ、と思うが、それは最初に聞かれることが分かっているので、「袋要りません」とさえ言えば、あとは店員と基本的に会話しなくていいので、コンビニのあるべき姿の一つの「極」という感じがする。だから、nanacoこそ作っていないものの、時々はセブンイレブンで買い物をすることもあった(このセブンイレブンをカウントすると、半径300 mくらいの円の中にセブンイレブンが3店あることになる)。


 そんなわけで、疎ましいとは全く思わなかった。そうか、そこにセブンイレブンが出来るのだ、と、歴史の教科書を読むような気持ちでただ静かに僕は受け入れた。


 そのセブンイレブンを横目に見て出勤した後、僕はかなり労働に勤しんでいた。昨日の15時からずっとそうだ。一般社会人相当に労働していたと思う。それで16時の打ち合わせ前にもう腹が減りすぎて腹の虫がぐうぐう鳴いていた。いやはや。もちろん業務終了までは我慢して、その後家に帰って鳥胸肉とブロッコリーを焼いて食べるのが最善だということは分かっている。でも、せっかく通り道にセブンイレブンが出来たし、聞くところによるとセブンコーヒーかなんかを無償配布しているという。ちょっと覗いてみようかな、と思ってセブンイレブンに入った。


 まず目を引いたのは、入口の営業時間だ。7時から9時まで営業と書いてある。


 いやその。セブンイレブンっていうのはもともと午前7時から午後11時まで(出来た当時にしては)長時間営業してる! というのをウリにした名称であって、実際は有名無実化してもはやゼロ-ゼロあるいはインフィニティが正しい名称であるというのは良く知られたことだが、短い側に有名無実化することあるんかと思って驚いた。セブンナインじゃんよお前。


 あまりの驚きに普段の口調を取り戻しそうになりながら、店内を物色する。セブンコーヒーの無償配布というのは、どうも29日のプレオープンの情報らしい。そうかあ、と思いながら、ゼロカロリーファイバーを手に取る。そんなに本気ではなく、おにぎり棚を見たところ、そこにそれはあった。「チキチキボーンにぎり」だ。


 チキチキボーンにぎり。もちろん今の僕は、これを思い浮かべられない「あなた」がいることを知っているが、敢えてこの言葉を使う。あなたが思った通りの味がする。ただそれでもうまい。うまいけど、百パーセント、まったくぶれなく「思った通りの味」がする。ほぐしたチキチキボーンを具にしたおにぎりの味だ。それ以上でも以下でもない、という言葉はこの時のためにあるのだと思った。。当たり前のことだ。当たり前のことだが、世の中に本当の意味で当たり前のことなんてあるだろうか? 「当たり前の生き方」とは一体なんだ。「当たり前のことだろう」というのは何の説明にもなっていない。でも、ここには、確かな「当たり前」があった。僕は一種悟りを啓いたような気持ちになった。


 それで職場に戻って、僕は半ば熱でうかされたようにこの「真実」を語った。

「聞いてくださいよ。今セブンイレブンでチキチキボーンにぎりが売ってたんですが、これ、チキチキボーンを具にしたおにぎりの味がするんです。本当に一切ブレなく完全に思った通りの味なんです」

 するとそれを聞いた上司は言った。

「チキチキボーンってなんですか?」


 えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ?

えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?


 おるんか? 現代日本に、チキチキボーンの味知らんやつ。


 それで慌てて検索をしてみたところ、チキチキボーンの発売年は1987年。上司は今45歳。「ああ、僕が小学校高学年の頃に出たのかあ。いや、家では出たことないですね。でも美味しいなら今度食べてみますよ」と言った。


 僕はなんだかさっき得た真理―—「この世でただ一つの当たり前」——ががらがらと崩れ落ちたような気持ちになって、金魚のように口をぱくぱくさせていたが、なんとか絞り出すように言った。

「いや。チキチキボーンを食べたことが無かったら、たぶん僕の感覚は味わえないと思います」と。


 この出来事は僕を徹底的に打ちのめした。チキチキボーン。僕にとっては水や、空気や、太陽の光と同じように、いつでもそこにあったものを、まったく知らない人がいる。この感覚は何度か味わったことがあった。たとえば「みよしの」を知らない人間に合ったとき。「大根抜き」という遊び、微塵も北海道要素ないのにわりと地方限定の遊びだと知ったとき。「甘納豆赤飯~!? そんなのうまいの?」と疑義を示す日村勇紀の声をラジオで聴いたとき。でも大体こういうのは、生まれ育った地域の違いによるものだったりして、だから、理由が分かる違いなのだった。でも、チキチキボーンはそうじゃあないと思っていた。アメリカで生まれ育った人間が「たまごかけごはんを食べたことがありません」というのは分かっても、日本で生まれ育った人間が「たまごかけごはんを食べたことがありません」と言ったらちょっと驚く。それと同じ感覚でいた。

 しかしそんな「当たり前」というのはただの幻想にすぎないのだった。日本で生まれ育っても「たまごかけごはんを食べたことがない」という人はいる。何を隠そう、僕だって、18歳になるまで、「ハヤシライスは牛肉を使ったカレーライスのこと」だと信じて生きてきたのである(そういえばこのことを家庭で伝達したかどうか記憶にないので、もしかすると老いた母は今でもそう信じているのかもしれない)。僕はそのことを理解したつもりで、シニカルに微笑み、暗闇を抱きとったつもりでいた。でも全然理解なんてしていなかったのだ。あまつさえ、「これが、これこそが唯一の『当たり前』だ」と思ったものが、直後に打ち砕かれ、そして、そのことにショックを受けている。が、僕を打ちのめしたのだった。


 人間はどこまで行っても、「自分」という檻から抜け出すことはできないのだ。差別的な目をせずに世の中を見ることというのは不可能なんだ。そう突きつけられた気がしたからである。。それはまさに烙印だった。差別主義者の豚の烙印。誰でもない、自分自身が、自分の魂に対してその烙印を捺してしまったのだった。


 2023年04月01日 10時23分の測定結果

 体重:106.30kg 体脂肪率:34.70% 筋肉量:65.80kg 体内年齢:52歳


 チキチキボーンにぎりで1kg増えたわけではなく、一応この低時給労働の終了と、知人の誕生日を祝う会を開催してしまったのが敗着です。4月からは頑張るぞ。チキチキボーンにぎり情報ですが、まあ、自作できる人は自作した方が絶対コスパはいいと思うのだが、それはそれとして、思ったよりちゃんとチキチキボーンが具として入っていて、そんで食べたことある人にとっては完全に「想像通り」の味でうまいので、チキチキボーンを買ってコメを炊いて握るのは面倒くさいけどチキチキボーン久々に一口だけ食いたいな、という人にはお勧めです。ただし痩せの効果はありません。それではまた。

 

 

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