『おじさんのかさ』結末捏造委員会(28000歩、-0.2 kg)
朝から結構な雨だった。風も吹いてた。傘を開く。歩きながらイアホンを耳に突っ込む。音楽を流すためにスマホをいじる。こうした操作をするとき、傘が邪魔くさい。だから傘を腕と首で挟みながら歩く。すると傘は風に対して何も対応してないどころか、完全に剛直した状態になる。風が吹く。傘が押されてる感じがする。ちょっと待ってな、今曲を選んでいるからよ。したら、ばずんッ、って傘が裏返った音がする。あー。まあ、でもなんか上手いことやれば元に戻るであろう。
これでやっと曲が決まったぜ。良し。って、スマホをポケットにしまって傘に目をやったら、もうなんか裏返るとか通り越してバキメコに折れてんのね。あわわわわ。で、もう地下鉄との中間点位にいるわけよ。まあ……行っちゃうか。って、地下鉄まで折れた傘を無理やり閉じて歩いた。
でさあ。傘持ってなくて走ってる人については、まあわかるじゃあないですか。壊れた、貸した、無くした、取られた、もっと早朝には降っていなかった。さまざまな事情があって、今傘持ってない。無い袖は振れぬと一緒。無い傘はさせぬ。そらそうよね。
俺は傘は持ってるわけだよ!!
いやまあこれもだから、想定してくれるだろうなとは思っているよ。「ああ、あの傘は壊れてるんだろうな」と思ってくれてると信じている。でもな〜って思って。そしたら突然思い出したんだが、1年生とかくらいの時に、国語の教科書に『おじさんのかさ』という話があったと思う。教科書じゃあなかったでしたっけ? どんな話かというとこう。
昔々……じゃないかも。今かもしれんが、まあ、俺が一年生の頃ってもう30年前だから昔々でいいな? とにかくそのとき、あるところにおじさんがいた。このおじさんは黒くてピカピカの傘を持ってた。雨の日のみならず晴れの日も持ち歩いて、いつも大事にしていた。どのくらい大事にしてたかと言うと、雨が降ってもささないほどに大事にしてた。なんぼ強い雨でも一向にささない。で、濡れた傘は大事に干してピカピカに磨いてまた持ち歩く。
みたいな話だったと思うんですよ。たぶん。今あらすじ書いて思ったが、これって童貞のメタファなんだろうか? だとしたら何が伝えたい話なんだよ。「おじさんになっても童貞でいることは、雨が降ってるのに傘をささないくらい稀有なことなんですよ」か? だとしたら古い話ですなあ。そんなん人の勝手でしょ。まあ現に古い話なんだけど。
勝手な憶測でめちゃくちゃ言うのはこの辺にしておきましょう、と言おうかと思ったが、残念ながら、こっからの話全て勝手な憶測です。助けてください。
というのはそのぉ、この設定は良く覚えてるんだが、結末が思い出せないんだよ。なんか多分だけど、最終傘さしてはいるはずなんだよね。なんでだっけ? ってのと、さしたからどうなるんだっけ? ってのが全然わからない。
……おじさんは、それほど傘を大事にしていました。なぜって、この傘は人間国宝の笠田次郎右衛門が作った最後の傘だったのです。そんな傘をさすなんてもってのほかです。この傘は、いわば宝石とか絵画のようなものなのです。だから肌身離さず持ち歩くが、雨の時にささないというのはこれ、おじさんにとっては全く矛盾しないことなのでした。
今日も美しい傘に見惚れながら歩いていると、また、ぽつり、ぽつりと雨が降り出しました。雨か、と思うが早いか、雨はざあざあとバケツをひっくり返したような強さになっていきます。はあ。おじさんは心の中でため息をついて、この宝石のような傘を体で覆い隠しながら、雨宿りができそうなところを探します。あたりを見渡すと、公園に小さな東屋を見つけました。ここで少し、雨を凌ぐとしよう。おじさんはそう思いました。
東屋の中には、1人の小さな女の子がいました。女の子はしくしく泣いています。おじさんはしばらく居心地悪そうにもぞもぞしていましたが、ついに観念したかのように女の子に
話しかけました。
「一体どうしたんだい」
「雨が降っていて、お家に帰れないの」
「そうかい。おじさんもだよ。大丈夫、今日は雨の予報じゃあなかったよ。こんなのはにわか雨さ。すぐやむに決まっているとも」
おじさんは自分にいい聞かせるようにそう言いました。それを聞いた女の子は、少しだけ安心したようで、おじさんの方を見ます。
「そうだったらいいわね。ところでおじさん、おじさんは傘を持ってるじゃない。どうして傘をさして帰らないの?」
おじさんは、またか、と思いましたが、自分から話しかけた手前、ぶっきらぼうにすることもできず、短く答えました。
「この傘は大事なものなんだ」
女の子はそれを聞くと、それ以上詮索することなく、「ふうん、そうなのね」と簡単に納得しました。おじさんは、あれこれ聞かれるのではないかと身構えていましたから、少し拍子抜けしたような気持ちになりました。だからついこう言いました。
「いくら大事だからと言ったって、傘はさすものだ、とは思わないのかい」
女の子は、小首を傾げてこう答えました。
「思わないわ。私はとっても大事な袋を持っているけど、それに何も入れようと思わないもの。袋は何かを入れるものって言うけど、何も入れなくても袋は袋だし、何も入ってなくてもその袋はとっても綺麗な色で、素敵なの。だから私はその袋を大事にしているわ。おじさんもそうなんでしょう?」
おじさんはそれを聞いて、なんだか救われたような気持ちになりました。そして、女の子に、その袋がどんなに素敵なのかを質問しました。女の子も、雨宿りをしていることを忘れて、素敵な袋や素敵な紙のことを滔々と話始めました。
しばらくして、あたりは真っ暗になりました。でも雨は全く止む気配がありません。それどころか、雷すら鳴り出す始末です。元気を取り戻していた女の子も、雷には不安そうです。それを見たおじさんは言いました。
「君の家はどの辺りなんだい」
「あの……ハートブレッドっていうパン屋さんの隣よ」
と女の子は言いました。おじさんも知っているパン屋さんでした。子供の足では小一時間かかる距離です。そんなに長い間、この強い雨に打たれてしまっては、この子は風邪をひいてしまうかもしれないな、とおじさんは思いました。それに、こんなに遅くなったなら、ご両親も心配しているかもしれない、とも。これが30年後だったらなあ。おじさんは思いました。もう30年もすれば、携帯型の電話機とかがあって、そこに電話以外の機能もついており、例えばタクシーを呼んで支払いもできるみたいな機能が存在したりするんだろうな。そういう機能がある携帯型の電話機があれば、それでタクシーを呼んで乗っていくところだが。
しかし、今はその30年前なのでした。大体、30年後おじさんが生きている保証はありませんでした。しかし、多分この子は30年後も生きているでしょう。そして、携帯型の電話機を弄りながら、あの時あの東屋でこの電話機があったらなあ、などと思うのかもしれません。
おじさんは意を決して立ち上がりました。そして、傘を開きました。
「お嬢さん。傘に入らないかな? この傘はとっても素敵な傘だから、こんな雨もへいちゃらになると思うんだ」
「ありがとう。でもいいの? 大事な、素敵な傘なのに」
「うん。今思ったんだけれど、この傘は、さしてみるともっと素敵になるみたいなんだ」
私もそう思うよ、おじさん。女の子はそう答えて、嬉しそうに傘の中に入りました。
雨はますます激しくなっていきます。でも、おじさんのかさは、そんな雨にもびくともしないのでありました。
だっけ? まあなんかこういう流れだったような気もする。でもなんか、子供に傘入れてくれって言われて無視するみたいなシーンがあったような気もしてるんだよな。じゃあこうか?
……おじさんは、ついに傘をさすことはありませんでした。おじさんの奥さんも、子供も、孫も、その子供ですら、おじさんに、「傘をささないの?」と尋ねましたが、おじさんはずっと首を振り続けました。
でも、それ以外は素敵なおじさんだったものですから、みんなはおじさんのことが大好きでした。雨が降ると、親しみを込めてみんなはおじさんに、「今日も傘をささないの? おじさん」と聞きました。おじさんはそれを聞くと、少し嬉しそうに、「ああ、さすもんかね。これは大事な傘なんだ」と首を振るのでした。
ざあざあと雨が降る日のことでした。おじさんの、孫の、そのまた子供は、おじさんに一生懸命話しかけています。ねえおじさん、雨だよ。傘をささないの。ねえってば。いつもみたいに言ってよ。傘なんて、さすもんかねって。これは大事な傘なんだ、って……。
しかし、棺の中のおじさんは、薄く微笑んで、目を閉じて、もう何も答えてはくれないのでした。
ざあざあと降り続く雨の中で、男の子はずっと空を見上げていました。その子のお母さん……おじさんの孫は、風邪を引くわよと言って、男の子の手を引いて、家に入れました。そして、奥の部屋から、黒くてピカピカの傘を持ってきて、男の子に渡したのでした。
「それって……もしかして、おじさんのかさ?」
「ええ、そうよ。おじいちゃん……おじさんのかさよ」
「それ……おじさんと一緒に、焼いてあげた方が良かったんじゃあ、ないのかな」
男の子がそういうと、お母さんは優しく笑って言いました。
「お母さんもそう思ったんだけどね。おじさんが遺言状……みんなに、最後のお手紙を残していてくれたのよ。それにはこう書いてあったわ。
『私の傘は、ひ孫の瑛太に譲る。あの子はいつも私の傘をさしたがっていた。考えてみるとあの傘は、もう60年も開かないままだった。もしかすると傘も使ってほしい頃合いかもしれない。好きなだけ、さすといい』
って。だからこれは、瑛太のものなのよ」
男の子は、傘を抱きしめて、わんわんと泣き出しました。その涙が、60年で初めて、傘を濡らしたのでした。
それから40年。傘も100歳になり、男の子もおじさんになりました。おじさんは晴れの日も、雨の日も傘を持ち歩いているのですが、雨が降っても傘をさそうとしないのです。周りの人は不思議がって、おじさんに尋ねます。「ねえ、素敵な傘じゃあないですか。どうして雨なのに、ささないんです?」
するとおじさんはこう答えるのです。
「傘なんて、さすものかね。これは大事な傘なんだ」
と。
の可能性もあるなってちょっと思うんですよね。こっちだったっけ。そもそも、ちょっと「晴れの日も傘を持ち歩いている」「雨の日も傘をささない」って、なんか怪異の感じもありますよね。じゃあこうか。
……おじさんは、迚も哀しそうな顔をして、ついに傘を開きました。
その傘の内側には、びっしりと人間の歯が生えています。傘で日は遮られているはずなのに、なぜだかその歯は白く輝いて見えました。
「おじさん……その……傘は」
震えながら僕が問いかけると、おじさんは、全く表情の無い顔でこう言いました。
「この傘は、生きているんです。生きていて、これをさした愚かな人間を喰らうんです。私はこれまで、この傘を使って何人もの人間を葬ってきました。この傘は、骨まで残さず人間を食い尽くしてくれますからね。いなくなってほしい人間にこの傘を手渡せばいい。いや、直接手渡す必要すらありませんでした。この傘は——魅力的だから。そっと傘立てにさして置くだけで、どうしても皆この傘をさしたくなるのです。君もそうだったでしょう?」
僕はまるでこの傘に呼ばれたような、あの時の感覚を思い出していた。自分の傘ではないことはわかっているのに、どうしても傘を握りたくなったあの時のことを。持ち手を握った時、人肌のように暖かく、まるで指が吸い付くようだったことを。僕は恐ろしくなった。傘そのものもだが、悍ましく蠢く歯を見ても——まだこの感覚が損なわれないことが。
「そう。この傘が何より恐ろしいのは——それでもなお、開きたくなってしまうことなんです。人間はこの傘にとっての供物に過ぎないのに、喜んで、生贄になりたがってしまう。私はね、思うんです。この傘は——その矛盾した感覚をこそを食らいたがっているのではないかと。何も知らずに食われる被害者ではなく、食われることを知っていて、なお、抗いきれずに傘を開いてしまう、その愚かな人間を求めているんじゃあないかと思うんですよ」
おじさんは、声を震わせながら、傘を自分の頭上に掲げた。おじさんの顔はすぐに見えなくなる。だから僕には、おじさんの声が震えているのは、悲しんでいるせいなのか、それとも、喜びのあまりなのかがわからない。
「ああ——もっと早く、こうするべき——」
そう言うとおじさんの躰は、みるみる傘に飲み込まれ、噛み砕かれていった。僕は呆然とそれを見守るしかできなかった。血の一滴、肉の一欠片も残さずおじさんは消えた。傘は満足したかのように自ら閉じて、あの美しい宝石のような姿に戻った。
そう。これが、その傘なんですよ。ええ、信じても信じなくてもいいですよ。はじめに言ったでしょう。開いてみますか? 僕は構いませんが。……やめておく。そうですか。まあ、もう一度言いますが、僕は構いません。これからですか。そうですね。
もしかすると、「おじさん」になるまでは、耐えられないかもしれないですね。
でしたっけ。そんな1年生の教科書があるか。そういえばそうか、教科書に載ってたかもって話でしたっけね。こんな話でしたよって覚えている方、よろしければ教えてください。
2022年06月25日 11時03分の測定結果
体重:103.40kg 体脂肪率:33.60% 筋肉量:65.10kg 体内年齢:50歳
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