マリトッツォを食べる夢を見て、「なんかそっかこういうことねー」と夢の中で思ったその味が現実のマリトッツォの味だったのだ!!!

 予告通り夢の話です。


 前後のストーリー全然覚えてない(悪夢寄りだった気がする)が、とにかく岩内かどっかに行くですよ。岩内というのは、なんていうんですか、北海道の虚無地帯の一つで、余市から仁木町の山道を抜けていった先にある「空間」のことを言う。なんで行ったかは本当に思い出せないが、祖母の地元なので、まあだからなんかそういうことだったのかな。


 とにかくその岩内に行って、ちょっと洒落たカフェイがあるのを見つける。おー、なんかこういうしゃらくせい店がオープンしとるんかい、ってチンピラみたいなことを思いながらそこに車止めて入ったら、ガラス張りのカウンター内に色々ケーキとかが並んでてさ。ソフトクリームとかも売ってて。で、店内飲食もできますけどテイクアウトもできますし、外で食ってもいいですよみたいな感じ。なるほどーつって、じゃあまあなんか食べよっか、ってカウンターを見たら、マリトッツォが置いてあるわけ。ほんで、いやー岩内にまでついにマリトッツォが!!! って思ったんだよね。岩内のこと嫌いなのか? いや別に嫌ってるわけではない。しかも夢の話だし。岩内だったかどうかも覚えてないんだ、正確には。「〇〇(地名)にまで来てるんだねえ、マリトッツォ」って話をしたと思うので、"マリトッツォが来そうにない地名"を夢の中で想定したことは確実。なんて差別的な人間なんでしょうか。夢ってのは怖いものですねえ。


 ほいで、じゃあせっかくだし食ってみるかマリトッツォ、って思って頼んだら、まずそのパン(ブリオッシュ)部分が、わりとフツーにパンなんすわ。あーなんか、ここにも工夫というか、ここもめっちゃ甘いとか、そういうことがあるのかと思ってたが、ここはパンなんだなーと思う。で、クリームもクリームで、そこまで激アマではないわけね。あーさっぱり系の感じね? で、別にクリームとパンに強く親和性とかシナジーがあるわけでもないんだな。まあ、もちろんマズイものではないが、ふーん、「なんかそっか、こういう感じね~」って思って、その後もなんかあった気がするが、とにかくそのシーンを強烈に覚えていて目が覚めたのであった。


 したら食いたくなりまさァな、マリトッツォ。前、「あんこマリトッツォ」ってのが出てて、それを食い逃がしていたことは記載した(https://kakuyomu.jp/my/works/1177354054881038781/episodes/16816452221189219149 )。爾来、いつでもマリトッツォなんて食えるやろって思っていたが、なんか別に食う機会がなかったのであった。


 これは今では? そう思って、セブンイレブンに行ったら、運命的にマリトッツォがあったんで、まあ買って食ったわけです。そしたらさあ。


 この夢の中で、「なんかそっか、こういう感じね~」と思ったその味がする!!!!!!!!!! ほぼほぼ!!!!!!!!!!!!! これには驚いた!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


 つまりこういうことなんですよ。意識の最も表層部分には、マリトッツォを見た瞬間に直観的に形成される「味」イメージがある。これはまあ基本的には現実より旨い。これはこういうもんです。しょうがない。

 次の層には、Twitterとか各種メディアでマリトッツォレビューを見かけるたびに形成される、"真の"マリトッツォ「味」イメージが存在する。これは最表層には存在しないので、マリトッツォを見たときとかマリトッツォのことを想像している時は想起されないが、その実、マリトッツォを実際に味わった人の言葉によって構築されたイメージなので、"真の"味に近くなる。

 最深部には、これをコントロールしている何者かがある(もしかしたら最上層なのかもしれないが、イメージとしては「底」)。この「何者か」は何をしているかというと、人々の言葉から形成される「本当はマリトッツォってこういう味なんだろうな~」という、ある種の諦念・失望・がっかりイメージを抑圧して、意識の表層に上がらないようにしている。なので、俺はマリトッツォのことを見たり考えたりするときは、このイメージを経由せず、ずっと"理想のマリトッツォ"のことを想像し続けることができる。

 しかし、フロイトが言ったように、我々の夢というのは無意識のこの軛から解き放たれている。解き放たれた結果、"真の"マリトッツォ味イメージが夢の中ではイメージされて、「なんかそっか、こういうことね~」と思う。そして現実で味わった結果、まったく同じ感覚を二度味わうことになったのだ!!!!!!


 分かるかこの構造の複雑さ。これには衝撃を受けたよ俺は。ロボットに心が実装可能かみたいな問があるが、これを見ると「できるかもしれないが、しない方がいい」という結論になりそうな気がする。無駄ですよね? かなり。エネルギー効率悪すぎると思う。


 理想化という防衛機制があって、ひとめぼれのメカニズムの一つだとされている。自分の心の中にある理想像を他人に投影してしまう機制だというのだが、今日まであんまりピンと来ていなかった。でも今は分かる。マリトッツォは本当はこういう味なのだろうということを俺は心底では理解しているのだが、それはやっぱり認めがたく、期待してしまうんだよね。だからその心底の理解の方を抑圧して、表層にある直観的な"期待""理想"の方を堅持し続けるのである。そうか~なるほどね~~。人間に対するこの気持ちはあんまり理解できていなかったが、こと食い物のことになると完全に分かった。大了解。しかしそう思うと、これが食欲で良かったよね~本当に。同じ欲望が猟奇殺人とか性的衝動に向いてたら、めちゃくちゃ生きにくかったことであろう。


 とにかく凄まじい"納得"を得たという話です。


 2021年08月11日 07時19分の測定結果

 体重:100.50kg 体脂肪率:33.10% 筋肉量:63.75kg 体内年齢:49歳


 ま、三桁に戻ったのはこの発見に比べれば些末なことです。昨日は夜会議やっちゃったんだよな。それに付随する飯がだめだった。サボれば良かったです。労働は悪。

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