コントロールできるものなんて何一つないのに

 昨日はがっつり寝た。LINEの会話履歴から推察するに、20時半くらいにはもう寝てる。目覚ましかけてなかったので、起きたときヤバって思って跳ね起きたが、全然3時とかだった。そこからはうとうとしたりゲームしたりして、7時くらいに布団から出て一応なんか出勤っていうか、これをなんと呼ぶのが一番適切なのかはわからない。


 体重は95.90 kg、体内年齢は46歳なので、最悪の状況は脱しているのかな。晩御飯を食べないというのが一番でかい気がする。普段体重を測ると自動でツイッターにアップされるのだが、今回なんか不機嫌だったのか、アップしてくれてなかったので手動で書いてます。


 ところで昨日眠れなかったのはまあ事実で、もちろん背景にはわりと終わっている生活があったので自業自得と言えば自業自得ではあるのだが、自業自得とは言ってももしもそういう眠れない状態が続けばこれ睡眠障害ということになる。で、いざそういう状態になったときに、もちろん投薬や心理的なセラピーなんかで改善を目指すわけではあるけれども、そういう投薬や心理的セラピーが短期的には功を奏さなかった場合、眠れないんだよネ~という話をしたときに、諸賢は決して「眠れないのは甘え」とか言うまい。言うのは「つらいねくるしいね」という共感であるとか、まあせいぜい気休めのような提案、例えば、ホットミルクを飲んだらいかがかとか、日中走ってみたらどうかとか、そんなくらいで、この時ホットミルクとかランにそんな強烈な効能は想像していない。ま、有害ではなかろうくらいのもので、ちょっとプラセボも期待するみたいな、その程度のものであろう。なんでかって言うと、「眠れない」状態というのが明らかアンコントローラブルであるからである。アンコントローラブルに見えるこの障害に対して、医療従事者でない我々が眠れない人間に対してできることは何かと言ったら、ほとんど祈りしかないのだ。ガチガチの睡眠研究者が聞いたらめちゃくちゃ怒るかもしれないが、まあしかし、素朴な直観としてはそういう感じがありませんか。


 ところが一方で、「飯を食いたい」という欲求については、一見コントローラブルに見えるせいか、「食うのは甘え」とか言われやすい傾向があると思う。でも実感としては、そんなに大きく変わらないと思うんだよね。「今日は久しぶりに早起きして、日中活動していて、昼寝もしておらず、翌日も朝それなりに早いのでちゃんと寝ようと思っているにも関わらず、なんか眠れない」については皆さんおそらく「まあそういうこともありますよ、分かるわかる、大変だったね」ってなもんだと思うが、「ダイエットをしているのだが、道を歩いていたらスープカレーの強烈なにおいがしてふらふら~っと入ってしまい、角煮スープカレーを頼んで、あーしまったせめてライス抜きにすれば良かったなーと思ったが、今さら注文の取り直しもどうかと思うし(もう米を炊き始めているかもしれない!!)、角煮なんだからコメはあったほうがいいやろと思い、そのまま食べた」については、「何食ってんだよ」ってなるじゃあないですか。「何食ってんだよ」とは言わないまでも、それは「ダイエットをしている」という状態ではないのでは? くらいは思うだろう。


 しかしですよ。睡眠の障害がある。で、一応日中体を動かしてみる。そんで、眠る前にはホットミルクかなんか飲んで、風呂入ってストレッチして布団に入る。それでもどうしても目が冴えて、気ばかり焦るので、スマホを開いてしまった。Switchを起動してゼルダの伝説を始めてしまった。っていう人間に、「それは眠る気ないのでは?」とは言わんでしょ。だってがんばってんじゃん日中とか。寝る直前とか。精神的にはやってるわけよ、寝ようと思って。ただ実際にはそんな効能がなかっただけで。少なくとも日中じぃっとうずくまっていて、寝る直前にエナジードリンクがぶ飲みしているよりは、結果が同じであっても、対策しているなって思うでしょ。


 これと同様に、そら確かに食ったよコメをね。この場合はね。でも、その時に「あーしまったライス抜きにすれば良かったな」とか「角煮じゃあなくて野菜のススメとかにすれば良かったな」とか、そういうことを考えている時点で、もうこれは十分にダイエットですよ。そうでしょ? 何も考えず、罪悪感もなく、にこにこしながら角煮スープカレー、ライス大盛りを食ってるよりは頑張ってんじゃん。


 にも関わらずそうは思われないのは、やっぱ皆さん「食欲はコントローラブルだ」ってどっかに思い込みがあるんでしょうね。そんなわけなくない? 食欲がコントローラブルだったら、もっともっと苦労は少ないですよ。なんで宗教的行事で断食するかっていうと、苦しいからですよ。アンコントローラブルな欲求に振り回されないようにしようね、とか、アンコントローラブルに、不可避の苦しさがやってくるけど、それを耐えることが主の苦しみを知ることである、とか、とにかくそういうことでやるわけでしょ。


 俺らが俺ら自身をコントロールできる領域なんて相当限られてると思いますよ。コントロールできるものなんて何一つないのに、は言い過ぎにしても、かなり少ないのに、できると思って暮らしている。そのことが肥満を批判させている。怒りって、そもそも自身でコントロールできてますか? 自分がコントロールできない怒りを、コントロールできないデブにぶつけるのは果たして正しい行いか? よく考えてみてくださいね。何この終わり方? 


 あまりにもなのでもうちょっと書くと、一応来週から4月になるわけですが、そしたらジムの一時休会は終了になるんですよね。で、まあまあの人が3月休会していると思うんですよ。まあ混むでしょ、4月1日。俺たちは愚かな群衆なので、安易に行くと思うんだけど、それはやっぱあんま良くなさそうだなと思うので、どうしたもんですかね。リングフィットをやればいいんだよ。そうですね。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る