普通の日々(4)

<10/10>

 昔体育の日だったり、十月十日で萌えの日だったり、ドラムの日だったり、

 ― ―

 ○ ○

 で眼鏡の日? だったりしたようだけど特に何もなく、眼鏡はややしばらくずっと新しいの欲しいんだけど、なんか踏ん切りがつかないまま痩せ論企画もあと1週間。はっえ。爆速。どうなってんの? 光陰。


一応これが開始で、

 2017年09月15日 21時03分の測定結果

 体重:88.30kg

 体脂肪率:26.50%

 筋肉量:61.55kg

 体内年齢:38歳


今がこれ。

 2017年10月10日 23時59分の測定結果

 体重:86.10kg

 体脂肪率:26.50%

 筋肉量:60.00kg

 体内年齢:39歳


 体重が1.8 kg落ちて、筋肉が1.55 kg落ちている。

 じゃあ筋肉だね。そうかあ……。


 まあでも体が軽くなることによって、運動も多少しやすくなるし、今ゼルダタイマーで意識的にやるようにはしている、これからだ。がんばるぞ。

 とにかく一瞬でいいから85 kg台を見てみたい。行ったら一年ぶりとかの記録になる(となると、この一年は一体なんだったのかという話にはなる)。


 朝、何しろ当日の5時までゲームしてたわけで、へっろへろになりながら家を出る、水くらいは飲んだ気もする。


 昼、ローソンでもうサラダチキン飽き飽きだなと思って、でもおでんも買っても食べるところないなって思って、悩んだ末にからあげ君を食べた。まあ炭水化物はあんまないでしょ。知らんけど。


 夜、8日まで賞味期限の豆腐が発掘されて、あーしまったって思って湯豆腐というか、お湯にねぎとかつおぶしと醤油とかぶっこんだやつに直で豆腐入れて、ちょっと鍋的な雰囲気だして汁も飲むみたいなものを食べる。うまい。


 で、ゼルダタイマー制があるとはいえ、家にいるといつゼルダはじめるか分からないんで、もっかい家でて、19日〆の仕事をやる。やるっていうか、実質やってない。一回上司に出したら、根底のところでダメ出しを受けて、よくよく見直したら確かにダメで、ちょっと一から考えないとダメだわって感じなんだけど、一からかーーーってなって辛い、つい領収書の整理などをしてしまう、そういう感じで日付が変わりそうになってしまったので帰ってきた。

 ただ本当にエライと思うのは、ちょいちょい両足をあげてタイマーを起動させたりしているのと、あとこの作業でチョコとかを入れていないところ。普段だったら入れてるからね。痩せ論だなーと思いながら我慢している。まあおなか空いたって思いそうになったら、ゼルダのことを考えているということもちょっとあるけど(今度は「味を想像するメソッド」(https://kakuyomu.jp/works/1177354054884047309/episodes/1177354054884222963 )やってみようかと思うけど、なんか破綻する気もすごいする)、やればできるんじゃん、とは思っている。いいタイミングでの痩せ論ではあった。


 そういえばラストスパートで痩せ論も増えている。

 華月蒼.ちゃん(何回も言いたくないのでもういい加減意地張るのやめようかなと思っている(しかも誰になんのために意地を張っているのかもわからない)けど、この「ちゃん」というのは最大多数の最大幸福を実現するための敬称です、舐めてるとかではありません)の、

「実家に戻されたら体重15キロ体脂肪率10%増えた」

( https://kakuyomu.jp/works/1177354054884213934 )

 である。


 「大学に入ると痩せる」という話で(ちがうよ)、俺も入学しようかなと思った。


「見られると痩せる」みたいな話は結構面白くて、「見られる」にもたぶんバリエがあって、俺が今やってるのをレコーディングダイエットに分類するとすれば(カロリーとかレコードしてないけど)、これはこの記録を「見られる」と思うからそうそう食えないぞ、の「見られる」だけど、これは若干後ろ向きの「見られる」かなとか。


 「見られる」ことが快感、だからもっと美に走る、みたいな精神性、前もなんか似たようなことを思ったけどすぐ忘れてしまうが、これは結構大事な気がして、応援コメントのところでコスプレイヤーは綺麗な人が多いって話が出ててはーそうだね確かにねって思った、というのはつまり、自分の外見だって自分であって、それを評価してもらえるのは自分を評価してもらうこと、だからうれしい、これは素直だしまあある意味正しいというか、健全な自己肯定のあり方だと思う。突き抜けすぎてなんか不健康な領域に突入しちゃうとアレって感じはあるが、一定の範囲では外見に気を使うというか、そういうことって実はとても大事なんだろうなと思う。人は見た目がn割みたいな話もしばしばあるし。


 どうも視覚処理が細分化される傾向があって、ネイヴォンという人は「木の前に森をまず見る」みたいなことを言っている。木を見て森を見ず、ということわざがあるが、そうではないよということで、我々は森を見てその特徴を理解するのは比較的得意だけども、そっから木を一本一本見ようというのは結構大変なんだよ、という話で、だからまあ、大多数の人間はそういうものの見方をする。そのほうがコストは安いとか、生存上なんか利得があったとか、そういうことがあるんでしょうな。

 

 ところがまあ、世の中は色々な人がいるもので、やっぱ木を見て森を見ず派の人間もいて、俺はどっちかというとそっちに属している。だから視覚処理全般が苦手というわけではなくて、たとえば文章で言うと誤字を見つけるとかはわりと得意、文脈理解はちょっと苦手みたいなそういうことになる。そのわりにここで公開している中には誤字まみれの文とか山ほどあるが、俺も「あるなー」とは思っている。直すのがめんどくて直してないだけで……話が逸れた。すでに逸れている感じはあるが。


 とにかくそういう見方になっちゃうと、一般的、多数派が美と認めるものって「ディティールまで美しい!」はあるけど、全体的な造形美がまずあって、そいでディティールまで美しい、になると思うんで、正直ちょっとピンとこないことがある。

 ラジオで本人も言ってたけど、エレキコミックやついいちろうがキムタクに目だけ似てるみたいな話があって、これはちょっと分かる。キムタクはハイパーイケメンということになってて、やついいちろうは面白い顔ということになっているけど、まあやついいちろうの場合は口というか歯並びが特徴的(今矯正しちゃいましたけど)ってのがあるのでまだ分かるけども、でもとにかくキムタクとやついいちろうは部分一致している。ところがその評価は真逆のようになっていて、じゃあその違いってどうやって検出すりゃあいいんだよっていうと、全体の中のバランスのよさを見るみたいなことになる。んだと思う。ここが狂ってると「面白い」になるわけで。これが地味に苦手なのである。


 日常的に困難を感じるほどではないが、さりとて大得意というわけではない。でちょっとそのせいもあって、感覚に微細なズレが生じている。という状況で外見を向上させようってはやっぱなかなかならないよね、みたいな部分はあるのかなあ、と思ったというのは若干のこじつけというか正当化で、単にだらしないだけ説は結構ある。その一文でよかったよな、ずいぶん長く語ってしまった。申し訳ない。


 しかしこういう、なんていうんですかね、「どうしようもないところのマイノリティ」ってどう振舞うべきというか、どうしたらいいんだろうかということでもあったりする。啓蒙する? それもねえ。なんか押し付けがましいような気もするよねえ。直で困ってはないし。でもちょっと、分かって欲しいような気もするし。

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