肆ノ五、奈落の大渦

 橋が、斜めに傾いでゆく。

 崩れ落ちる音とともに、巨大一磨がさらに傾いた。足元が割れる。沈む。


「こっちに来るな、巻き込まれるぞ」

 一磨は、片手で操縦桿を握ったまま、もう一方の手をせわしなくあちらこちらへと走らせた。

 後背に背負った母衣ほろ状の物体から、猛然と回転する駆動音が吹け上がる。

「無理するな。もういい、戻れ!」

 兵之進は鎖を投げ捨てた。必死に手を伸ばす。


 その、刹那。橋が砕けた。

 鎧武者の巨体がのけぞる。

 一磨の、愕然とした表情と目が合った。


 巨大一磨の姿が消えた。音もなく、ふいに、遠ざかる。

 高速回転する真っ赤なちょんまげ提灯ライトが、危急の色に明滅した。はるか闇の底へと落ちてゆく。


「一磨!」


 兵之進は、壊れた欄干へと駆け寄った。

 水しぶきが黒く上がった。赤い光が飲み込まれる。

「一磨、返事しろ! 一磨……!」

 絶句する。

 橋の残骸が散らばって降るたび、黒ずんだ虹色の飛沫が飛び散った。巨大一磨は、どこからも浮かんでこない。


「逃げろ。ここも崩れるぞ。走れ! 早く!」

 怒鳴る恋町の声も耳に入らない。無理やり引きずられる。

 そのとき。

 橋全体がバラバラの木片に分解した。

 とっさに支えたつもりの手が、虚空を掴んだ。

 身体が宙に浮く。落ちる。

 気がつけば、眼前に闇の大渦が迫っていた。すり鉢状になった奈落の底が近づく。


 水面に叩きつけられた。

 一瞬、気を失う。無数の泡が立ちのぼった。らせんの渦が、ゴウゴウと音を立て、深海へとなだれ込んでゆく。


 恋町が、仰向けになって身をよじり、もがいているのが見えた。

 喉に何かが巻きついている。

 海の底から、黒い手が伸びていた。ゆらゆらと揺れながら、幾重にも絡みついている。

 兵之進は、足で水を蹴った。泳いで恋町に近づく。


 恋町は、片目をつぶった苦しげな顔で首を振った。背後を指差す。

「……!」

 いきなり、深い水の底へと引きずり込まれた。何本もの黒い手に、足首を掴まれている。逃げられない。

 沈む。無様にもがく。

 ごぼ、と、空気の塊を吐いた。


 息が、できない。


 深海の闇に。赤く瞬く一つ目が見えた。

 凄まじい泡が吹き上がってくる。

 蒸気と泡が噴出した。上昇する水流が、煮えたぎる突沸とっぷつの音に変わる。

 光が迫る。迫る。


「あっ、熱っつい! あちぃって! 茹だる!」


 熱湯状態に耐え切れず、じたばたともがく。

 ぎらりと燃える赤目が迫った。

 水流に引き寄せられる。巨大な腕が、兵之進の足を、がっしと掴んだ。そのまま黒い死者の手を引きちぎり、水面目指して上昇してゆく。

 目の前は散乱する赤い光と、泡と、水流の黒い虹。

 熱気で前が見えない。


 水中から、上空へ。黒い虹の水飛沫と、散乱する赤い警告灯の明滅とをまき散らしながら。

「ぎゃぁぁああああ……!」

「何じゃこりゃあああああああッ!!?」

 空中へと舞い上がった。さらに加速を増し、離昇リフトオフしてゆく。

「どうなってんだよ!」

 吹きしぶく排気音の突風にあおられ、逆さ吊りでのけぞる。


 威風堂々、後光を背負い。

 絡繰機動武士、大一磨神初号機は、まさに天翔ける風神雷神のごとく、光り輝いていた。

 背負った母衣ほろ状の機構から四本の突起が伸びて、金色に輝く光線ビーム状の蒸気を噴出している。


「はっはっは、こんなこともあろうかと思ってな!」

 操縦席コックピット円蓋キャノピーが観音開きに開いた。

「前もって対策しておいたのだ! これぞ世紀の大発明、蒸気噴射双発駆動すちーむじぇっと・だぶるすらすたぁーーーッ!」

 片足を操縦席の縁にかけ、腰に手を当て。

 ドヤ顔の一磨が、呵々大笑した。


 軽快なファンファーレとともに、巨大一磨は、飛んだ。

 崩れゆく橋を眼下に、まばゆいジェット噴流を背後へと吹き流して飛び続ける。

「……霞処かすがは?」

「大丈夫、恋町先生もご無事だ」


 横を見ると、恋町も、同じくコウモリみたいな逆さ吊りでぶらぶらしている。恋町は呑気に片足であぐらをかいて、手を振った。

「まったく、どうなることかと思ったわ」

「この野郎、心配させやがって」

「お互い、逆さ吊りで言うセリフじゃねえな」

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