壱ノ三、赤ちゃん背負いすぎ

「兄上! ひよ兄さま! どこにいらっしゃるの!?」

 双子の、綺乃の声がした。


「は、はい、こちらにおります……綺乃さん……」

 声に逆らうこともできず。かといって二刀流で湧出するおしっこになすすべもなく。

 兵之進は声を失い立ち尽くした。

 みるみる、足元に、ほっかほかの水たまりが広がってゆく。


「どうぞ一磨さま、こちらへ。ひよ兄さまのことですから、たぶん庭で稽古していると思いますけど。どこかしら。兄さま? ひよ兄さまったら」

「あいや、突然お邪魔いたし申し訳ござらん。どうぞお構いなく」

「いいえ、一磨さまでしたら、いつでも大歓迎ですわ」


 綺乃の声に加え、聞き慣れた友人、横井一磨の声がする。子ども達の歓声が入り乱れた。


「わーはっちょぼりだー」

「八丁堀ー! お相撲しよー相撲ー」

「からくり人形ロボ作ってー!」


「よしよし、後で。今は仕事で訪ねておるのでな。用事が済んだら、後で全員まとめて人間大車輪ヘリコプターしてやる」

 気の良い声がする。

「まあ、そんな」

 綺乃は、裏返ったしらじらしい恐縮の声で愛想笑い。

「子どもたちがとんだご無礼を。申し訳ございません」


「い、いや、はや、そんな、滅相もござらん。綺乃どのの教え子たちの頼みとあらば、拙者、野となれ山となれ、ではなく火のにゃか水のにゃか……」

「うへーはっちょぼりカミカミー」

「真っ赤っ赤ーー!」

「っこっくはく! こっくはく!」

「こらあっ、おとなをからかってはいけません!」

「うわー綺乃せんせーが怒ったー!」

「逃げろー!」


 やんちゃ盛りの子供らは、蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。

 その歓声をかき分け、黒羽織の巨体がやって来た。重たい足音に濡れ縁が軋む。

「おう、邪魔するぞ、兵之進」

 

 黒紋の巻羽織に雀色の着流し。赤い房を垂らした十手に裏白の紺足袋。

 上背があるせいで、腰に差した大小二本がやたら寸詰りの小刀に見える。

 手には、何やら訳ありらしき辻売りの紙。

 ついでに、やけに大きなを背負っている。


 定町廻じょうまちまわりの横井一磨だ。このとおり、見てくれは強面だが、案外、気のいい男である。例えば、

 西に迷子のこねこがいれば、懐にいれて飼い主を捜し歩く。

「みゃーみゃー」

「みーちゃんのおうちはどこですかにゃあ?」

 東に重荷に疲れた婆があれば、おぶって送り届ける。

「わざわざすまんのう重たかろうに」

「何のこれしき。どうということはありませんでござる」

 おもちゃが壊れたと泣きじゃくる子を見れば、落ちている枝と糸を組み合わせ、謎の合体変形からくり人形ロボットを削り出す。切り出しの小刀をあやつる手先の技ときたら、十手持ちにはとうてい思えぬ繊細さ。

「ふぇぇんオラの竹トンボが壊れただー」

「すわ一大事! この歯車の接触が! この関節の駆動部が! よし修繕完了! 巨大自動羽ばたき型飛行からくり装置、発進!!」

 とまあ、そんな感じの好漢ナイスガイである。


「稽古中すまんが、実はおぬしに頼みたいことが」

 ある、と。

 おそらくは言うつもりだったのだろう。だが。

 最後まで言い終えることなく横井一磨は足を止める。

 じいいいい。何やらまじまじと見入っている。


 兵之進の背中からは、ちょろちょろと人肌の温水が流れ落ちている。

 全身を包んで立ちのぼる黄金の陽炎。神々しくも儚く、ゆら、ゆら、朝ぼらけの淡き影に似た金の光炎がゆらめく。

 足元の水たまりからは、ほんのりおしっこの香り。


「や、やあ、こんにちはです」

 兵之進は、一磨の背後を見やりながら、直角にぎごちなく手を振った。

 どうやら、お互い、背負ったものに気を取られているの図だ。もっとも、一磨は自分が何を背負っているのからしいが。


「……」

 さすがに、正視できなくなったらしい。

 横井一磨は、そぞろに上空を仰いだ。

 むらすずめがちゅんちゅくと竹垣の上で戯れている。うららかな日だまり。朝日が眩しい。


「ヤアコンニチワゲンキソウダナヒョウノシン」

「カズマコソアイカワラズゲンキソウデナニヨリデスネ」


 二人は、互いに目をあわさず、感情のこもらない片言の挨拶を交わした。

 竹馬の友どうし、ここは互いに以心伝心と行きたいところであるが、そうは問屋が卸さない。

 何はともあれ、この場はまず釈明せねばならぬ。

 兵之進が口火を切った。


「つかぬ事を聞きますが」

「うむ、聞こう」

「まさかホントに誤解してるわけではないですよね?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る