第194話 涼羽ちゃんは、わたしのことほったらかしにしたりしない?

「美鈴ばっかり、ずるい!」


「え?」




美鈴が、涼羽に自分の家に来て欲しいとお願いし、それを受け入れてもらえた日の次の日。


いつものHRを終え、一時間目の授業を終えたその直後のタイミングで、昨日、美鈴と涼羽のやりとりをずっと微笑ましく、頬をゆるゆるにして見ていたものの、やはり心の中では羨ましく思っていた女子達が、ぞろぞろと涼羽の前に来て、開口一番にそんな台詞を声にしてしまう。




そんな、いつも自分のことを可愛がって、べったりとしてくる女子達の声に、涼羽は思わず素っ頓狂な声をあげてしまい、ぽかんとした表情をその顔に浮かべてしまう。




「ああ~…涼羽ちゃんったら、ほんとにどんなことしたって可愛い~…じゃなくて!」


「もお~…涼羽ちゃん可愛すぎ~…じゃなくて!」


「えへへ~…涼羽ちゃん何をどおしたって可愛い~…じゃなくて!」




そんな涼羽の顔に、女子達ははわ~と頬を緩めて、そのままいつも通り可愛がってしまいそうになるが、そんな自分達を一人でノリツッコミをしているかのようにこらえて、ギリギリのところでいつも通りに涼羽のことをもみくちゃにしてしまうところを回避する。




何をどんなにどうしたって可愛いと断言できる、涼羽の姿にいつもいつもその頬をゆるゆるにしてしまい、そのままなし崩しに涼羽のことをめっちゃくちゃに可愛がってしまっている女子達なのだが、この日はそんなことにならないようにと、どうにか堪えることができたようだ。




「??どうしたの?みんな?」




その頭の上に浮かべた疑問符が、女子達に本当に見えてしまいそうなきょとんとした表情を浮かべながら、一体どうしたんだろうと、目の前で自分を取り囲むようにしている女子達に問いかけの声を響かせる。




ここ最近から、その下降する一方となっている視力を矯正する目的でかけるようになった、シルバーフレームの眼鏡。


本来の目的である視力の矯正が一番ではあるものの、童顔で可愛らしく、本物の女子から見ても美少女にしか見えないその顔に、より可愛らしさを加えようと、眼鏡を買いに行ったその時の、涼羽以外のメンバー全員が、全力であーだこーだと言いながら、チョイスしたもの。




その顔にちょこんと乗っているかのような感じが、より涼羽の顔を可愛らしく見せるようになり、さらには元々の清楚で大人しく、健気な印象をさらに強調するかのようになっている。


さらに、涼羽の天然でふんわりとした感じに、勉強が好きな印象を加え、強調させるようにもなっている。


元々勉強自体は好きであるため、その勉強好きという印象は元々涼羽が持っていた、とも言えるのだが、眼鏡のおかげでそれをより強調させるようになっている。




眼鏡をかけるようになってから、印象自体は確かに変わって見えるようになったものの、それはその可愛らしさをより強調するという、いい方向での変化であるため、誰もがそんな涼羽のことを目の保養と言わんばかりに、頬を緩めながら見つめるようになってしまっている。




そんな涼羽のきょとんとした表情を見せられて、ますます女子達が涼羽のことを可愛がりたくなってしまうのは、言うまでもないことだろう。




「もお~!だからその顔がいけないんだってば~!」


「?え?え?」


「なんでそんなに可愛いの~!?そんなに可愛かったら、私達我慢できなくなっちゃうじゃない~!」


「な、なに?なんのこと?」


「涼羽ちゃんったら、ほんとにどんなことしたって可愛いんだから~!」


「!そ、そんなこと…ない…から…」




言葉そのものは、涼羽のことを非難しているものなのだが、口調にはまるでそんなことを感じさせるものなどなく、その顔ももうゆるゆるで、こんなにも可愛い涼羽を見られることに、言いようのない幸福感を感じてしまっているようである。




そんな女子達の声に、涼羽は最初は何が何だか分からなかったものの、ようやく自分がどこまでも可愛いと言われていると気づいたのか、急にその顔を赤らめて、俯きながらも、儚い抵抗の声をあげてしまう。




そんな自分の仕草や反応が、周囲の女子達の心をより掴んでしまっていることに、肝心の涼羽本人がいつまで経っても気づくことはなく、結局素の状態でこんな姿を見せてしまっているため、ますます女子達が涼羽のことを大好きになっていき、ますます涼羽のことをめちゃくちゃに可愛がってしまうのだ。




「ああ~!もうだめ!こんなに可愛い涼羽ちゃん、もうめっちゃくちゃに可愛がってあげないと無理~!!」


「!ひゃ、ひゃあっ!や、やめ…」




そうして、もう心のタガが外れてしまった女子の一人が、俯いて恥らっている涼羽のことをぎゅうっと抱きしめて、その露になっている左頬にすりすりと、自分の頬を摺り寄せてくる。


そして、その手で涼羽の絹のような手触りの髪の感触を堪能するように、涼羽の頭をなで始める。




もはや毎度のことであるにも関わらず、女子にいきなりこういうことをされて驚きの声をあげてしまい、さらにはますますその顔を染めている恥じらいの色を、より濃いものにしていってしまう。


いつまでもこういうことに慣れない涼羽の初々しさが、よりクラスの女子達の心を奪っていってしまっている。




「涼羽ちゃんったら、ほんとに可愛い~!」


「もお~!だから涼羽ちゃんのこと、大好きなんだもん~!」


「こんなに可愛い涼羽ちゃん、可愛がってあげないなんてありえな~い!」




一人が涼羽にべったりと抱きついて、めいっぱい可愛がりはじめたのを皮切りに、他の女子達も涼羽のことを、まるで初めて生まれた自分の子供のように可愛がりはじめてしまう。




その恥ずかしさと抵抗感に、儚い抵抗の声をあげる涼羽なのだが、結局のところされるがままとなってしまい、周囲にとってはまさにいつも通りの光景を展開したまま、休憩時間を終えることと、なってしまった。








――――








「で…一体なんなの?」


「?なんなのって?」


「どうしたの?涼羽ちゃん?」




午前中の授業を全て終え、腹ぺこ状態が早くから始まっていた男子生徒にとってはようやくといった感じで訪れた、お昼休みの時間。


そのお昼休みの開始を告げるチャイムが校舎内に鳴り響いたと同時に、そそくさと涼羽を取り囲むかのように涼羽のそばに座っている女子達に、涼羽が少しジト目で問いかけの言葉を声にする。




そんな涼羽の声と顔に、今度は女子達がきょとんとした表情で、思わず聞き返してしまう。


その表情が浮かぶ女子達の顔は、まるでずっと空いていた心の隙間が本当に満たされたかのような、つやつやとした感じになっている。




「…はあ…なんか、さっきから美鈴ちゃんばっかり、ずるいとか、なんとか言ってるような気がするんだけど…」




この日の一時間目終了後の休憩から、いきなり女子達がそんなことを言ってきたはずなのに、いざ聞いてみたら、一体何のことなの、と聞き返すかのような女子達の表情と声に、すっかり脱力感に襲われ、はあ、と一つ溜息をついてから、改めて、自分に対して何を言いたいのかを問いかける涼羽。




実際、一時間目終了後の休憩から、次の休憩の時も、その次の休憩の時も、全くと言っていいほど同じやりとりが繰り返されていたからだ。


そして、その度に、自分達にその可愛らしさを惜しげもなく見せてくれる涼羽のことが可愛くて可愛くてたまらなくなってしまい、結局その場でめちゃくちゃに可愛がってしまう、ということがずっと繰り返されてしまっていた。




結局、本題に入らないまま、なし崩しに可愛がられてしまい、さんざん恥ずかしい思いをしたあげくに、女子達が一体自分に何を言いたいのかが全く分からないまま昼休みまで来てしまったため、いい加減にそれをはっきりさせようと、涼羽の方から切り出すことにしたのだ。




「!そうそう!」


「!それそれ!」


「!わたし達なんで、そのことすっかり忘れてたんだろ!?」




休憩時間の度に、ひたすらに涼羽のことを可愛がっていて、いつの間にか自分達から切り出したはずの本題をすっかり忘れてしまっていた女子達。


涼羽のことを可愛がっているうちに、それで心が満たされてしまったのか、すっかりそのことが頭から抜け落ちてしまっていた。


それを、他でもない涼羽本人の一言で、ようやくそれを思い出すことができたようだ。




「?私ばっかり、ずるい?」




その言葉に、いつものごとくに涼羽のそばにべったりとくっついて、心底幸せそうな、嬉しそうな表情を浮かべていた美鈴が、きょとんとした表情を浮かべて、はて、と言った感じの声をあげてしまう。




「だって、美鈴ばっかり涼羽ちゃんのお家に遊びに行ったりできて!」


「美鈴ばっかり涼羽ちゃんにお料理教えてもらうことが出来て!」


「美鈴ばっかり涼羽ちゃんのお父さんや妹ちゃんと仲良くすることができて!」


「美鈴だけ、涼羽ちゃんの特別みたいな感じで、いつもいつもべったりして!」




これまで、美鈴ばかりが涼羽の家に遊びに行って、涼羽に料理を教えてもらえて、さらには涼羽の父である翔羽と、涼羽の妹である羽月と仲良くすることができて、本当に涼羽が美鈴のことを特別に扱っているようにしか見えない状態となっていたのだ。




涼羽のその顔と可愛らしさが発覚した当初は、それも仕方ないと思って、何も言わずにいたのだが、いつまで経ってもその関係性が変わらず、さすがに自分達も涼羽とそれなりに友好な関係を築くことができてきたと思っていることもあり、そんな関係性がもどかしくなってきてしまっている。


いつも涼羽にはこれでもかと言うほどによくしてもらっているのだが、それも涼羽からすれば、本当に当然のこととしてやっていることであり、特別なことではないと思っている。


それゆえに、涼羽とは学校でだけの関係になってしまっているのだが、女子達はもうそれだけでは足りなくなってきてしまっている。


他でもない美鈴が、涼羽とは学校以外での付き合いもしていることもあり、なおさら自分達も、涼羽と学校以外でも関係をもって、深めていきたいと、そう思っている。




加えて、涼羽が未だに美鈴以外の女子達のことを、苗字で呼んでいることも、また女子達のそんな思いを膨れ上がらせるものとなってしまっている。


自分達は、涼羽のことを本当に親しみを込めて名前で呼んでいるのに、その涼羽が未だに自分達のことを苗字で呼ぶから、どうしてもよそよそしさを感じてしまうのだ。


当の涼羽からすれば、女子の名前を気安く呼ぶなんて、という思いがあるからこそ、どうしてもそうなってしまっているのだが。




だが、それなら美鈴はなんで名前で呼んでいるんだ、と言われた時に、すんなりと返せる言葉を涼羽は持っていないため、どうしてもそこで言葉を噤んでしまう。


それが、女子達にとって、美鈴は特別なんだと言われているようで、余計に気に食わない状態となってしまう。




そんな状態が長く続いているからこそ、いい加減に涼羽ともっと親しくなりたいという思いが強くなってしまう。


さらには、高校最後の年ということもあり、今のままで、この幸せで楽しい高校生活が終わると、そのまま自然消滅してしまいそうな、そんな予感が、女子達の中で起こってしまっている。




「…………くすっ」




そんな女子達を見て、思わずと言った感じでくすりと笑ってしまう涼羽。


ジト目で女子達を見ていたその表情も、まるで自分の可愛いわが子を見るかのような、優しさに満ち溢れた表情となっている。




「!な、なんで笑うの?涼羽ちゃん?」


「私達、ほんとに羨ましくて仕方がないのに!」




そんな涼羽の含んでいるかのような笑いに、思わず女子達が身を乗り出して抗議を声をあげてくる。


まるで、自分達がそんなことを言うなんて、身の程知らずめ、と言われているかのようで、ついついムキになって反応してしまう。


もちろん、この目の前の可愛いの化身で、優しいの化身でもある涼羽がそんなことを本気で思うわけがないという確信はあるのだが、今の状態ではそんな些細なことにも、ついつい大げさに反応してしまっている。




「ご…ごめんね…みんなが可愛くて…つい…」


「?わたし達が?」


「可愛い?」


「だって…今のみんなを見てたら…」


「?見てたら?」


「なんだか…――――」








「――――大好きなお母さんを、後に生まれた兄弟に取られて、やきもち焼いてる子供みたいだな、って思っちゃって――――」








そう、涼羽はそんな女子達の姿を見て、まるで後に生まれた兄弟に大好きな母親を取られて、やきもちを焼いてしまっている幼子のように思えて、本当に可愛く見えてしまっていた。


そんな女子達の姿が、そうじゃないよ、みんな大好きなんだよ、と、ついつい言葉にしてあげたくなってしまうくらいに可愛く思えて、ついつい含むかのような笑いが漏れてしまっていたのだ。




普段から、保育園のアルバイトで幼い子供達と触れ合って、可愛がっている涼羽だからこそ、そんな風に思えたのだろう。




そんな涼羽の言葉を耳にした女子達は、まるで毒気を抜かれたかのように言葉を失い、そんな可愛らしい、それでいて全てを慈しんでくれる母親のような優しい笑顔の涼羽をただただ、見つめるだけとなっている。




「……む~……」




そんな涼羽と女子達のやりとりを見ていた美鈴は、何か自分がのけ者にされているような気がして面白くないのか、涼羽にべったりと抱きついている腕の力を強くして、涼羽は自分だけのものだとアピールするようにしてしまっている。




「…ねえ、涼羽ちゃん」




少しの間、沈黙を守ることとなっていた女子達だが、そのうちの、重力に従って真っ直ぐに伸びたセミロングの黒髪と、くりくりとした大きな瞳が可愛らしい女子が、それまでの、涼羽が自分の知らないどこかに行ってしまいそうで不安で不安でたまらない気持ちをそのままにしたかのような表情で、涼羽に呼びかけの声をかける。




「?なあに?」




そんな女子の呼びかけに、彼女のそんな不安を何もかも吹き飛ばしてくれそうな、慈愛と母性に満ち溢れた優しい笑顔を浮かべながら、反応の声を響かせる。




そんな涼羽の声を耳にして、その優しい笑顔を目にして、不安で不安でたまらなかった心がふんわりと軽くなったのか、美鈴に抱きつかれたままの涼羽に、まるで鼻と鼻がぶつかってしまいそうなくらいに近寄って、美鈴とは逆の方から抱きついてしまう。




「!!??え?え?」




いきなりそんなことをされて、いつものように慌てふためいてしまう涼羽。


いつまで経っても、こういったことに慣れない様子は、周囲の見ている者の顔を思わず緩ませてしまう。




「涼羽ちゃんは、わたしのことほったらかしにしたりしない?」


「え?」


「わたし、涼羽ちゃんのこと大好きで大好きでたまらないのに、この学校だけでしか会えないから…すっごく不安なの」


「………」


「お家でも、涼羽ちゃんがそばにいてくれたら、っていつも思ってて…でも、学校でしか会えなくて…もしかしたら、この学校卒業しちゃったら、もう会えないのかなって…そう思ったら、不安で不安でどうしようもなくなっちゃうの」


「………」




まるで、他の女子達の抱えている思いを、代表して話すかのごとく、ここのところいつも抱えている不安や、その思いをぽつりぽつりと言葉に、声にしていく女子。


その可愛らしさが勝っている顔に浮かんでいるのは、まさにその不安を形にしたかのような、そんな表情。




そんな彼女の顔を見ていると、涼羽はなんだか自分のせいでそんな顔をさせてしまっているようで、申し訳ないという思いと、そんな風に不安な思いをさらけ出して、自分にこうしてすがるかのように甘えてくる彼女がなんだか可愛らしく思えてくる。




そんな彼女の全てを包み込むかのような、優しい笑顔を向けると、涼羽は彼女の艶のいい黒髪の感触を堪能するかのように、優しくなで始める。




「!ふあ……」


「ごめんね…なんか、俺のせいでそんな気持ちにさせちゃって」


「涼羽ちゃん?」


「大丈夫だよ。こんなにも俺のこと、好きでいてくれるみんななんだから…どうでもいいなんて、ぜ~んぜん思ってないよ?」


「!ほんと?」


「うん、ほんと」




いつも、秋月保育園の園児達にそうしているように、本当にとろけてしまいそうなくらいの優しさと温かさで、その女子を包み込むように大切にしながら、自分のせいでそんな思いをさせてしまっていたことを素直に謝る涼羽。




そんな涼羽の声、言葉、そして自分にしてくれている行為全てが嬉しくてたまらなくなってきてしまう彼女。


そして、自分のことをその全てで包み込んでくれる母親のような涼羽に、もっともっとと言わんばかりの、可愛らしいわがままを、声にしてしまう。




「じゃあ、涼羽ちゃん…わたしのこと、名前で呼んでくれる?」


「!え…そ、それは…」


「だって、涼羽ちゃんわたしのこと、どうでもいいなんて思ってないって言ってくれたもん。だったら、わたしのこと、名前で呼んでくれるはずだもん」




女子達が抱えていた不安の要因の一つが、涼羽が自分達のことを名前で呼んでくれない、というもの。


自分達は、少しでも涼羽と親しくなりたくて、ずっと涼羽のことを名前で呼んでいるのに、涼羽の方はいつまで経っても苗字にさん付けのまま。


それが、普段から名前で呼んでもらえている美鈴と比べて、なんだかよそよそしさを感じてしまっていた。




だからこそ、今この時に、涼羽にちゃんと自分のことを名前で呼んでもらおうと、その思いを、可愛らしいわがままとして口にする。




「ね?わたしのこと、『沙羅』って呼んで?」


「え…え…さ、西条さん…」


「だあめ、『西条さん』なんて。ちゃんと『沙羅』って呼んで」


「え…あ…うう…」


「……だめ?」




その不安を払拭しようとせんがごとく、かつての美鈴のようにぐいぐいと、涼羽に名前を呼んで欲しいとねだってくる女子――――西条 沙羅(さいじょう さら)。


いつも涼羽のことが大好きで、いつも美鈴と同じように涼羽にべったりとしてくる、綺麗さよりも可愛らしさが勝っている、小柄で愛らしい女の子。




そんな沙羅に、ぐいぐいと押されておろおろとしてしまう涼羽。


だが、そんな涼羽を見て、やっぱり自分じゃだめなのかな、という思いが出てきてしまい、そのくりくりとした大きな目が潤んできてしまう。




そんな沙羅の悲しそうな表情を目にした涼羽は、自分のせいで、何も悪くない子供を泣かせてしまった母親のような罪悪感を感じてしまう。




「あ…ご、ごめんね……さ…沙羅…ちゃん…」




そして、その何かに縛り付けられているかのような抵抗感に必死に抗いながら、これ以上目の前の沙羅のことを悲しませたりしたくないという思いで、沙羅の望んでいる言葉を、たどたどしくも声にする。




その涼羽の声は、涼羽が思っていた以上の効果が沙羅にあり、沙羅自身も、涼羽にそう呼ばれることがこんなにも嬉しいことだとは、思っていなかった。




「!嬉しい!涼羽ちゃん、やっとわたしのこと、名前で呼んでくれた!」




それまで、本当にその心情を表すかのような、曇りに曇った表情が、一転してまさに夏の快晴を思わせるような、からっとした無邪気な笑顔が、浮かんでくる。


そして、その嬉しさが、沙羅に涼羽の身体をぎゅうっと抱きしめさせてしまう。




「さ、沙羅ちゃん…」


「!えへへ♪涼羽ちゃんがわたしのこと、名前で呼んでくれる!すっごく嬉しい!」


「お、お願いだから…は、離れて…」


「!もお!せっかく涼羽ちゃんに名前で呼んでもらえて嬉しいのに、なんでそんなこというの!?いけずな涼羽ちゃん!」


「だ、だって…女の子が気安く、男にこんなにべったりだなんて…」


「もお…涼羽ちゃんったらまだそんなこと言ってる!そんなこと言ったら、美鈴なんかいつ見たって涼羽ちゃんにべったりしてるじゃない!」


「そ、それは…」


「だから、だあめ♪わたし、涼羽ちゃんのこと大好きで大好きでたまんないんだもん!だから、もっとこうしちゃうんだから!」




よほど涼羽に名前で呼んでもらえて嬉しかったのか、自分の反対側で涼羽にべったりとしている美鈴に対抗するかのように、涼羽にべったりと甘えてくる沙羅。


そんな沙羅を見ていた美鈴は、それに対抗せんがごとくに、涼羽のことを目一杯抱きしめて、涼羽のことを自分だけのものだと、アピールをするかのようにしてしまう。




当然ながら、そんな沙羅と涼羽のやりとりを見ていた他の女子達が黙っているはずもなく、自分のことも名前で呼んでほしいと、先ほどまで沙羅が涼羽にしていたように、執拗におねだりをすることとなり、半ば強制的に呼ばせられるかのように、たどたどしくも自分のことを名前で呼んでくれる涼羽のことがますます大好きになってしまって、もうどうしようもない思いを抑えられずに涼羽のことを誰もが可愛がって、甘えてきてしまう。




おかげで、昼休み中に自分が作ってきた弁当を少しも口にすることができず、さらには他の女子達にまで、美鈴と同じようにめちゃくちゃに甘えられてしまい、ぐったりとしてしまう涼羽なので、あった。

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