第92話 高宮部長…マジすげーよな…

「高宮部長、この書類はこの様式でよろしいでしょうか?」


「どれ……ふむ、問題ない。後はそれぞれの数字が合っているかを、ちゃんと確認しておいてくれ」


「分かりました」




「高宮部長、○×商事の△△様からお電話が入ってます」


「分かった。内線12番につないでくれ…もしもし、お電話代わりました。高宮です…」




「高宮部長、先程提出させて頂いた稟議ですが…」


「ああ、あれは訂正箇所が結構あるから君のデスクに返却してある。具体的な訂正内容を記したメモも添えているから、それを元に修正していってくれ」


「分かりました」




昼休みが終わり、再びビジネスマンとしての戦場に戻った翔羽。


そこで、淡々と自分の業務をこなしながら、部下達からの問い合わせや質問、はたまた先方からの電話対応…


見事と言えるほどの手際で、湯水のように湧いてくる仕事を次から次へとテキパキとこなしていく。




日頃から部下達は、そんな翔羽を当たり前のように見ていることもあり…


しかも、それでいて自身の立場や能力を誇示するような、上から目線の態度も決して取らない…


むしろ控えめとも言えるほど、同じ目線で自分達と向き合ってくれるこの部長を、常に尊敬している。




他部署の役職持ちや管理職クラスの人間は、やはり権力にものを言わせるだけの…


自分で何かをやり切れるだけの能力もない…


それでいて、自分のことを誇張して表現したがる見栄っ張りタイプが多いこの会社。




総じてそのタイプは、部下はもちろん、他部署の一般社員達からも煙たがられている。




そんな中、翔羽はこの会社では珍しいとさえ言える、非常に控えめで見栄を張ることを嫌うタイプ。


その社内全体で見ても有数と言えるほどの実務能力に加え、きっちりと部下の能力を管理して…


それぞれに合ったタスクを割り振ることのできる、管理能力。




部下の数倍は普通に業務をこなしているにも関わらず、それでいてきっちりと部下のタスク管理まで並行して実践しているという、極めて有能で稀な存在なのだ。




ましてや、自分の方が責任ある立場にいるのだから、それは当然、と言わんばかりの平然とした態度。


さすがに、やるべきことをやらずに、自分の主張だけを通そうとする者には、一切の容赦はないが。




他の管理職連中が、昇進、出世のために上に取り入って気に入られようと、本来の業務をそっちのけにしてまで上司のご機嫌取りをしている中…


翔羽は、出世や昇進にまるで興味もなく、上司とのやりとりも必要最低限でこなしている。




そして、本来やるべきである実務の方に、日々淡々と、それでいて精力的に取り組んでいる。




そんな翔羽を、役員クラスの人間は常に見ている。




以前は、完全に経営が傾いてさえいた拠点を立て直して…


今では、後任の責任者も非常にいい働きぶりを見せていることもあり、非常に安泰な状況となっている。




それほどの結果を出しており、また、今栄転で本社の方に戻ってからも…


こうして日々、やるべきことを当たり前のようにやってのけ…


さらには、その行動と背中で部下達の信頼を勝ち取り…


それでも、驕るどころか、常に自分に厳しく、まだまだだと言わんばかりに己を向上させていこうとするその姿勢。




ただただ、上の人間に媚を売ることしか能のない管理職連中と比べると、天と地ほどの差があるとまで言えてしまう。




実際、現状では翔羽を役員に抜擢する、という案が飛び出しており…


また、それに対して全員が満場一致で賛成という状態。




役員である自分達に対して、決して愛想がいいとは言えず…


それどころか、必要最低限の関わりしか持とうとしない。




しかし、ひたすらに結果で会社への貢献度を見せ続けている。




経営が傾いて、撤退確実の拠点を再建し、さらにはしっかりと後任も育てて経営を安定させ…


こちらに戻ってきてからは、湯水のように湧いてくる業務を見事としか言いようがないほどの手際で淡々とこなし…


さらには、そんな能力で部下を護りながらも、しっかりとその背中で部下達に教育を施し…




現在、翔羽の部署は他の部署から見れば精鋭揃いとまで言われているほど。


翔羽の部署のチームだけで独立しても、十分にやっていける、という評価まであるほどだ。




そんな翔羽に覚えをよくしてほしい、という狙いからか…


最近では、役員クラスの人間から、翔羽をちょっとした食事や飲みの席に誘うことも多くなっている。




ただ、非常に子煩悩で子供達が大好きな翔羽なだけに…


なかなかその誘いに首を縦に振ってもらえない、という状況ではあるのだが。




かつて、妻を失った直後に別拠点への単身赴任を会社の総意で命じたこともあり…


そのせいで翔羽自身、家族とろくに触れ合えない状況を作ってしまった、という負い目もある。




今やっと、こうして家族と共に暮らすことができるようになったところなのに…


その時間をまた奪うようなことがあってはならない。




というのも、翔羽を知る役員クラスの人間達の中で一致する認識。




もし下手に自分達の都合を優先して、彼の幸福とも言える家族との触れ合いの時間を奪うようなことがあれば…


最悪、この極めて優秀で稀な存在を、この会社から失ってしまうかも知れない。


それを恐れて、本当は自分達とももっと懇意になって欲しいとは思いながらも…


強引に話を進めて、無理に付き合わせることができないでいる状況なのだ。




翔羽だけでも非常に得がたい存在であるというのに…


この翔羽が率いる、精鋭揃いのチーム丸ごとこの会社から抜けられることとなってしまえば…


それこそ、取り返しのつかない、致命的と言えるほどの大打撃になってしまうだろう。




ゆえに、肝心の当人である翔羽の本意を探りたくても探れず…


なかなか、翔羽の役員への昇進に関して、話を進めることができずにいる、今日この頃なのだ。




「高宮部長…少し、一息つかれては、いかがですか?」


「さっきから、ずっと働きっぱなしですし」


「あまり根を詰め過ぎると、身体が持たなくなりますよ?」




昼休憩を終えてからすでに数時間が経過しているが…


一向に小休止どころか、ぶっつづけで業務に取り組む翔羽を見て…


彼の部下達がそれを気にして、声をかけてくる。




実際、この光景も普段から日常茶飯事となっている。




ただでさえ、普通の人間からすれば、間違いなく溺れてしまうと言える業務量なのだ。


それも、単調な作業もあれど、判断の難しいものもある。


いくらこのチームが精鋭揃いになっていっていると言っても、実際は翔羽の負担が圧倒的に大きいのだ。




翔羽としては、決して無理をしているわけではないのだが…


周囲から見れば、異常と言えるほどのハイペースで業務をこなしている姿を見てしまうと…


どうしても、身体を壊してしまうのではないかと、心配してしまうのだ。




「ん?ああ、ありがとう。俺は大丈夫だから、君達で一息ついてきなさい」




そんな部下達の声に、優しい口調で返す翔羽。


やはり翔羽自身にとって、決して無理のないペースであるがゆえに…


特に休む必要などないと、そのまま業務を続行してしまう。




かつて、転勤先の別拠点で働いていた頃は、今の状況とは比べ物にならないほど多忙だった翔羽。


転勤先の仮住まいに帰るのが、日付が変わってからになることなど当たり前。


それどころか、何日も何日も泊り込みで業務に取り組むことすら、ざらにあった。


自身の業務をこなすだけでなく、その拠点の人員の質を上げていくと同時に、後任の育成まで取り組んでいたのだ。


まさに、仕事に全てを捧げた十数年間だったと言えよう。




それほどの過酷な状況を乗り越えてきた翔羽からすれば…


今の状況など、まるで苦にならない、というのが本音であり…


実際、楽にこなせてしまう作業量ではあるのだ。




それに、きっちりと定時で業務を終わらせて、一刻も早く愛する子供達のいる自宅に帰りたい。


そんな想いが、翔羽に仕事に関する妥協を許さない。


一日のスケジューリングで、目標設定した分は全て終わらせたい。


ゆえに、別段疲れているわけでもないのに一息つくなど、時間の無駄。




部下達に返答を返すと、視線を再びデスクの上にあるPCのモニタに向け…


そのまま、業務を再開する翔羽。




息をするように当たり前に、驚くべき早さで業務をこなしていく翔羽に、部下達はそれ以上は何も言えなかった。




「分かりました」


「じゃあ、一息ついてきます」


「すぐに戻ります」




仕方がないので、自分達だけで一息つくため、その足で、ドリンクのサーバーがある休憩スペースに向かっていった。




「しかし、高宮部長って、本当にすげーよな…」


「通常の業務だけでも、俺らより多い量をこなしてるはずなのに…」


「疲れた様子なんかまるで見せないし…」


「それどころか、とても俺らにはできないようなペースで…」


「息するみたいに当然のように、次から次へとこなしちまうもんな」


「あの人、あの沈没確実だったあの拠点に単身赴任して、あそこを再建させたんだろ?」


「しかも、人材の質まで向上させて、後任までしっかりと育てて…」


「今じゃ、経営も安定して、業績も右肩上がりだって聞いたぜ?」


「そんだけの功績上げてるのに、えらぶった態度なんか全然ないし…」


「逆に、いつも控えめで、部下の俺らに絶対無理させないもんな」


「今じゃ役員が、高宮部長とどうにか懇意になろうとして、ずっとアプローチしてるって話だぜ?」


「役員への昇進も確実視されてるのに、本人がその気全然ないもんな」


「聞いた話じゃ、高宮部長、筋金入りの子煩悩で、子供大好きなお父さんらしいぜ?」


「え?そうなのか?」


「ああ」


「高宮部長、イレギュラー対応や月末の締め処理の時以外は、いっつも定時で帰ってるだろ?」


「あれ、とにかく子供に早く会いたいから、なんだって」


「うわ~、業務中のあの姿見てたら、そんなイメージ全然わかね~」


「だろ?で、その理由で、役員の人間のお誘いも袖にされることがほとんどなんだってさ」


「マジ!?でもそれ、評価に響くんじゃ…」


「それが、部長の奥さんが亡くなった直後くらいに、あんな単身赴任を強要したっていうのが負い目になってるらしくて…」


「むしろ、下手に事を強要してこの会社辞められるのが非常にまずいから、役員達も強く出られないんだってさ」


「うわ~、それスゲーな」


「だろ?」


「あの人、文字通り実力と結果だけで、それだけの存在になってるんだから…」


「マジカッケー」


「ホント、尊敬するよな~」


「だよな」




休憩スペースで、サーバーから注がれるドリンクを手に取り…


それを口にしながら、翔羽のことについて語り合う部下達。




他部署の同僚の話を聞く度に、自分達は翔羽の部下で本当によかったと…


常日頃から思えている状況。




実際、翔羽が彼らの部署の部長になってから、以前は月百時間を越えていた残業が、今では月三十時間以下にまで減っている。


その上、毎週のようにあった休日出勤もほぼ無くなっており…


加えて、翔羽が風通しのよい部署を心がけて、常日頃からきちんとした連絡体制と情報共有の体制を取るようにしているため、意識不足や認識相違による些細なミスも、それによるトラブルも、驚くほどに激減している。




そのおかげで、高稼働による体調不良で欠勤する社員も激減しており…


それどころか、突発の病欠に対してしか使えなかった有給休暇が、予定の休暇に使えるようになるほど、部署内の業務が安定するようになったのだ。




もともとの状況がひどすぎると言えばひどすぎたのもあるのだが…


それを踏まえても、この本社に栄転してからの短期間で、これほどの改善に成功している翔羽。




無論、その手腕が出したその結果も、上の人間の知るところとなり…


ますます、この会社にとってなくてはならない存在となっている。




それゆえに、その翔羽が倒れたり、いなくなったりしてしまったら…


それこそ、部署内の業務そのものが破綻してしまうという確信が持ててしまう。




「俺ら、もっともっと仕事できるようにしないとな」


「だな」


「うん。で、高宮部長の負担を少しでも減らして、部長にもっと楽してもらわないとな」


「部長のおかげで、俺ら仕事すんのがすっげー楽しくなったし…」


「仕事がすっげー楽になったんだから…」


「今度は俺らが部長に恩返ししねーとな」


「よっしゃ!」


「さあ、また頑張って仕事すっか!」


「さ、戻ろうぜ!」




空になった紙コップを潰して専用のゴミ箱に入れ…


気を引き締めるごとく、一度両の頬をパンと叩くと…


再び、業務に取り組むために、自らの作業場へと戻る彼ら。




自分達の職場をこれほどにまで改善してくれた翔羽を尊敬し…


この人になら、ずっとついて行く、とまで本気で思っている翔羽の部下達。




その翔羽を少しでも楽にしようと、自分達の向上心を奮い立たせ…


少しでも、翔羽の負担を減らそうと、日々努力を重ねている。




本当に少しずつではあるが、しかし確実に、日々こなせる仕事量が増えていっている彼ら。


それを実感するのが、本当に楽しいさえと思えている。




その楽しみを教えてくれた翔羽に報いる為にも…


彼らはまた、努力を重ねていくだろう。








――――








「……はあ……」




非常に有能で尊敬に値する長のもと、まるでお互いに比べあうかのように仕事をしている社員達の中…


一人、何かを思いつめたかのように沈んだ顔をしており…


傍から見ても、仕事がはかどっているようには見えない状態の人間がいた。




男性にしては少し小柄だが、顔立ちそのものは整っており…


普段なら、仕事に関しても十分な能力を持っていて、翔羽を除けばこの部署では上位に入るものがあり…


それでいて、少し気弱そうな雰囲気が、何ともいえないギャップを生んでおり…


この社内でも女性社員に結構な人気のある人物。




彼の名は、佐々木 修介。




以前、涼羽に迷子になった娘、香澄を保護してもらったその人である。




「……はあ……」




まるで、思いつめたものが行き場を求めるように飛び出す溜息。


この週明けの月曜、その思いつめたものの影響か、思うように仕事がはかどらない修介。




それを自覚しながらも、どうしてもその状態から抜け出せない。


それが、余計に彼の心を重くしてしまう。




「どうした?佐々木?今日はなんか、元気がないように見えるが?」




そんなところに、修介にかかる優しげな声。


声の主は、この部署の長である、高宮 翔羽その人。




自身の業務に励みながらも、決して部下への目配り気配りは忘れない翔羽。


そんな翔羽が、最近の修介の状態に気づかないはずもなく…


さすがにこのままの状態が続くのはマズいと思い、せめて相談に乗ってみようと、声をかけたのだ。




ちなみにこの日の翔羽のノルマは済んでいるため、残りの時間を部下の相談に乗るために使うのは、特に問題のない状態となっている。




「!た、高宮部長…すみません…」


「ああ、いや…別に怒っているわけではないんだ。ただ、普段から平静としながらもきっちりと仕事をこなしていくお前が、こんなにもはかどらないなんていうのは、何かあったのかな、と思ってな」


「……………」


「もしよかったら、俺が相談に乗ろうか?俺では、何ができるかは分からんが、話を聞くことくらいはできるぞ?」


「…しかし、それでは業務が…」


「心配するな、お前は普段から前倒し前倒しで作業しているから、まだ十分に余裕はあるし…俺の方も、今日は自分のノルマは終わっているから、特に問題はない」


「…部長…」


「それに、定時ももうすぐだしな」




根が真面目すぎるほどに真面目ゆえ、思い悩むと必要以上に心を重くしてしまう修介。


翔羽の部署でも貴重な戦力である修介を、いつまでもこんな状態にしてはおけないという打算と…


やはり、仕事に影響が出るほどに思い悩んでいる部下を放っては置けないという、情からと…


その二つの思いから、翔羽は修介の相談の場を設けようと思ったのだ。




それに、自分と同じで、子供が生まれて早々に妻を亡くしてしまっている、というところに、翔羽は修介を自分と重ねてしまっているところもある。


最愛の女性に先に逝かれてしまう…


あの、自分の中身をごっそりと抉られるかのような悲しみ…


それをこの身で味わっている者同士…


それもあって、翔羽は修介に妙な親近感すら覚えていた。




「…ありがとうございます、部長…話、聞いてもらっても、よろしいですか?」


「ああ、いいとも」




また、修介の方も、翔羽が自分と同じく、二人目の子供が生まれてすぐに妻と死に別れていることを聞いている。


自分と同じ悲しみを味わった人間が、こんなにも身近にいるということを知り…


しかも、その人間が、自分にとって尊敬に値する上司だということ…


ゆえに、修介の方も、翔羽に対して言いようの無い連帯感のようなものを感じていた。




早くに妻と死に別れた者同士。


それもあって、非常に子煩悩な者同士。


仕事に対して非常に真面目で、妥協を許さない者同士。




この三つの符号が、二人の波長を合わせているのかも知れない。




「ここではあれだな…お前にとっては他の人間には聞かれたくないだろうし…今ならC会議室が空いてるから、そこで少しミーティングという形式で話そうか」


「分かりました、ありがとうございます」




翔羽からの願っても無い提案に、頭を下げて感謝の意を述べる修介。


そんな修介に笑顔で応えながら、自身のデスクのPCから会議室の予約をする翔羽。




「よし…会議室の予約も取れた。じゃあ、佐々木…行こうか」


「はい!」




会議室の予約も完了し、準備は万端。


翔羽と修介の二人は、その足で会議室の方へと向かう。




そして、翔羽は修介が抱えているものをこの後、聞かせてもらうのだが…


それが、翔羽にとっては決して聞き捨てならない…


そして、決して見過ごせないものになることを…


この時の翔羽は、知る由も無かった。

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