第59話 これくらい…させてくれ、な?

「あ~…疲れた…」


日も沈み始めている、放課後の夕方。

涼羽にとっては、もはやおなじみとなっている通学路。


これまで、ひたすらに孤独を貫いてきた涼羽が、初めてクラスメイトと目一杯交流した後…

今までろくに話したことすらなかったクラスメイトとの会話で、非常に精神的に消耗している様子。


くたびれた中年のような、とぼとぼとした歩調。

そんな歩調のまま、ぼそりと、その疲弊感を露わにする一言。


時間的に、学校帰りに寄り道をしたりしている学生が多く…

また、夕食の買出しに出かける主婦も目立つ。


そんな中、疲れきった感じの表情を隠せないでいるものの…

その前髪をハートの形に飾られたヘアピンでカーテンを開くように分け…

その前髪の下にある、童顔な美少女顔を惜しげもなく晒し…

しかし、それでいて男子の制服を着ているという…


そんな目立つ容姿の涼羽が、人の目を惹かないわけがなく…


周囲を歩く人々が、そんな涼羽の姿を目にしては、思わず立ち止まってじっと見てしまう。

それこそ、まるでTVの中でしか見られないようなアイドルを見るような目で。


しかし、今この時においてはよほど疲れているのだろうか。

そんな周囲の視線もまるで気にすることもなく…


ただただ、重い足取りで、自らの自宅である高宮家へと、歩を進めていく。


この日は冷蔵庫に十分に食材があるため、買い物をする必要もなく…

ましてや、買い物以外での寄り道をすることもない性質のため…


ただただ、まっすぐに帰宅していく涼羽であった。


そして、そんな時だった。


「おお!!涼羽!!涼羽じゃないか!!」


背後から、涼羽を呼ぶ陽気な声が聞こえたのは。


ハッとして、声のする方へと身体ごと振り向く涼羽。

そこにいたのは、つい最近、長い単身赴任から帰ってきたばかりの父、翔羽であった。


「あ…お父さん…」


精神的な疲弊に襲われているためか、どこか元気のない声になってしまう涼羽。

そんな涼羽を気遣うかのように、翔羽が息子である涼羽の元へと近づいてくる。


「どうした?えらく疲れているじゃないか」


自分の胸の辺りまでしかない、小柄な息子を見下ろしながら…

その華奢な肩に手をかけ、心配そうに覗き込む。


「大丈夫…今日はクラスメイトといっぱい会話しちゃったから…こういうの、慣れてなくて…ちょっと疲れただけ…」


たどたどしくも、今日学校であったことを端的に伝え、問題ないと言い張る涼羽。

そんな涼羽に、翔羽は…


「何!?それは大変だ!!」


大げさとも言えるリアクションを見せた後、すぐさま涼羽に背中を向け…

半ば強引にその華奢で軽い身体を背負い、両膝の裏を両腕で抱え込む。


いわゆる、おんぶだ。


「!ちょ、お父さん!だ、大丈夫だから!」


いきなりの父の行為に、当然ながら涼羽は慌てる。

自覚していない部分でも結構な疲弊度があるのだが、自分は大丈夫だと言い切り…

どうにか、降ろしてもらおうとする。


「うわ…涼羽、お前、ホントに軽いな。日頃、あんなに食ってるのに」


だが、父、翔羽はそんな息子の言葉などまるでなかったかのようにスルー。

その背中にかかる重みのなさに、驚いてしまう始末だ。


実家に帰ってきてから、息子である涼羽と、娘である羽月の食べっぷりを目の当たりにしていることもあって、余計に驚いているのかも知れない。


「!べ、別にいいじゃない!そんなこと!それよりも、早く降ろして…」

「なんだ?たまにはいいじゃないか」

「よくない!俺もうすぐ大人の仲間入りするんだから!」


自分が男である意識が強く、ましてやもうすぐ高校を卒業して大人の仲間入りをしていく年頃の涼羽。

そんな涼羽であるがゆえに、こうした小さい子供のような扱いは決して好まないのだろう。


そんな息子の言葉に、憂いを帯びた、寂しげな表情を見せる翔羽。


そんな父の顔を見て、どうにか降ろしてもらおうとわめきたてていた涼羽の勢いも止まる。


「お、お父さん?」

「…これくらい、させてくれ…な?」

「お父さん?」

「…お前達の小さい頃に、俺はずっといてやれなかったんだから…」

「!……」


そう。


初めて出来た自分の子供達…

娘である羽月が生まれてすぐに亡くなってしまった最愛の妻の忘れ形見で…

目に入れても痛くないと言い切れるほどに可愛い子供達…


そんな子供達と、ずっと離れて暮らさざるを得なかった日々…


生活の糧を得るためとはいえ、何一つ親らしいことをしてやれなかった、翔羽の想い。

今こうして、再び親子水入らずで暮らせるようになったとはいえ…


娘は幼さの色濃い容姿とはいえ、来年でもう高校生。

息子は驚くほどの美少女な容姿とはいえ、来年でもう大学、もしくは就職。


特に息子の方は、どこに出しても恥ずかしくないほどのしっかり者。

どこに出しても恥ずかしくないほどの、家庭的なできた子供なのだ。




――――むしろ、自分の方が面倒を見られている、とさえ思うほどに――――




こっちに戻ってからは、いつも昼食の弁当を涼羽が持たせてくれる。

その弁当の、なんと美味いことか。


仕事着であるスーツ、Yシャツも、常に洗いたてのものが用意されていて…

ハンカチ、ポケットティッシュも常に用意してくれており…

出かけた後に、あれがなかった、これがなかった、などと言う事は、この家に戻ってきてからは一度たりともない状態。


実家に戻ってきてからは、子供達のやりたいことをさせてやろう。

多少のおねだりくらいは、聞いてあげよう。


そう、思っていたのに。


わがままをいうどころか、いつもこうして家のことをちゃんとしてくれている息子に、我慢できずに聞いたことがある。




――――たまには、思いっきりわがまま言って、やりたいことやっていいんだぞ?――――




と。


その問いを向けられた、当の息子は…




――――俺のやりたいこと?…こうやって、家のことちゃんとして、みんなで仲良く暮らせること…かな?――――




と、さも当然と言わんばかりの表情で、そう言ってのけた。


その直後に、少し照れくさいのか…

困ったようにはにかむその顔が…

たまらなく可愛くて、思わず抱きしめてしまったほど。


甘えん坊な妹である羽月の相手だけでも大変なはずなのに…

下手をすれば、今時の主婦、もしくは労働者よりもずっと働き者で…

それでいて、成績も少しずつとはいえ右肩上がりに伸ばしていて…

さらには、今後の実益につながりそうな趣味まで持っていて…


こんなにいい子が、自分の子供だなんて。


子供達を間近で支えていくつもりだったのに…

逆に、いつも支えられていると気づくのに、時間はかからなかった。


だからこそ、せめてこのくらいのことはさせてほしい。


自分の収入は十分いいと言える方なので、多少の贅沢もさせてやれる。

でも、当の涼羽はそれを好まず、いつも倹約家として、家計のやりくりも頑張ってくれている。


だからこそ、『してあげる』ではなく…

『させてほしい』の想いで、最愛の息子を背に負ったのだ。


「…お父さん…」

「…いつもいつもありがとうな、涼羽。家のこと、ちゃんとしてくれて」

「………」

「お前がいてくれるから、俺はもっと仕事を頑張ることができるんだよ」

「………」

「だから、お前が辛いときは、俺や羽月が支えてあげるから…たまにはこうして、楽にしてくれ」

「………」

「な?」

「……うん」


父、翔羽のその想いに、感極まって何も言えなくなってしまった涼羽。

瞬間、張り詰めていたものが切れたのか、まるで支えを失った人形のように、だらりとその大きな背に、自分を預ける。


「?涼羽?」

「……すう…すう……」

「…寝ちゃったのか…」


可愛い息子の、静かな寝息。

その寝息が、翔羽の心に言いようのない満足感を、もたらしてくれる。


普段からずっと働き者で…

一人でやり切ることを当然としているため…

まるで誰かに頼ってくれない、頑張り屋の息子。


そんな息子が、今だけとはいえ…

こうして自分に甘えるように、その身を預けてくれていることが…

今の翔羽には、何よりも誇らしく…

その誇らしさから、思わず優しげな笑みが、その整った顔に、浮かんでいた。


「~~~~~~な、なんていい親子なの…」

「あんな可愛い顔して…すっごく頑張り屋な娘さんなのね…」

「お父さん…あんなに若くてかっこいいのに、しっかりお父さんしてるのね…」

「ウチの子供にも見習わせたいくらいだわ…」

「ウチの旦那にもよ…」


涼羽と翔羽のそんなやりとりを見守っていた通りすがりの主婦達からは…

まさに、そのやりとりに心打たれ…

思わず涙を流してしまっている者までいる。


涼羽の方はやはりその容姿ゆえに娘と思われてはいるのだが…


今この場に、その認識を改める存在がいるわけも、なかった。




――――




「ただいま~」


すれ違う通行人達の温かく微笑ましい視線の中、気疲れで眠ってしまっている涼羽をおぶって自宅まで帰ってきた翔羽。


涼羽の眠りを妨げまいと、声のトーンも落として、帰ってきた宣言をする。


「おかえり~!!」


その声に反応して飛び出してきたのは、この家の長女であり、涼羽の妹である羽月。


すでに部屋着である白のパーカーと紺のオーバーオールに着替え、今か今かと兄の帰りを待っていたようである。


「し~~…」


鈴の鳴るような可愛らしい…

それでいて、元気一杯の声。


それを抑えるように、翔羽がジェスチャーで静かに、と羽月に伝える。


「?………!」


そんな父の行為に疑問符が飛び出したが…

父、翔羽の背中におぶさられて静かに眠っている涼羽を見て、合点がいったようだ。


そこで父の意図に気づき、無言で首を縦に振る。


「さあ、羽月…まずは、涼羽を部屋に寝かせてから、な?」

「うん♪」


静かに眠り続ける涼羽を起こさないようにと、ひそひそと話を進めていく二人。


息子である涼羽を背負ったまま玄関から家に上がると、その足で涼羽の部屋へと進む。

そんな父の後を、羽月が足音を立てないように気づかいながら、続いていく。


そして、必要最低限で、殺風景な感じのする涼羽の部屋に入り…

整然と部屋の真ん中に敷かれている掛け布団をめくると…

眠ってしまった赤ん坊を布団に降ろすように、眠る涼羽を布団の上に静かに降ろす。


「さて…羽月、ちょっとの間、部屋から出ていてくれるか?」

「?なんで?」

「このままだと、寝づらいし制服にシワができるから、着替えさせるんだ」

「!それなら、わたしも…」

「羽月はいい子だな。…でも、涼羽は羽月に肌を見られるのを嫌がってるから…な?」

「…はーい…」


いくら妹であっても、異性に肌を見せることを極端に嫌う涼羽。

そんな涼羽の性格を考慮し、自分一人で着替えさせることにした翔羽。


自分も手伝うと言い張る羽月をなだめるようにして、部屋の外へと出させ…


「さて、と」


涼羽が普段部屋着としている、上下紺のジャージを箪笥から取り出すと…

布団に横たわって静かに眠る涼羽の制服を丁寧に脱がせ始める。


「…いつ見ても思うが、なんか、女の子を脱がせてるみたいだな」


同性である父に対しては、特に隠すこともなく、平然と着替えたりするため…

翔羽は、涼羽のその身体を目にする機会が多いのだ。


当然ながら胸などないのだが、そのくびれのある、細く美しいラインのウエスト…

女性としてはやや小ぶりだが、丸みを帯びた形のいいヒップライン…

無駄毛など皆無に等しく、適度な肉付きで形のいい脚線美。


見てるとたまに、本当に息子なのか、疑ってしまうほど。


今も、男子の制服を着ているとはいえ、その美少女然とした容姿の息子に対して、同性という感覚がどうしても発生しないのだ。


眠る涼羽を起こさないように、慎重にブレザーから脱がせ…

さらにブラウス…

そして、スラックスと靴下…


一通り脱がせて、インナーであるタンクトップとトランクスだけの状態にして…

そこからは、取り出した部屋着のジャージを着せていく。


無論、涼羽が起きないように、慎重に。


ジャージを着せ終えると、涼羽の背中まである長い髪を束ねるヘアゴムを取り去り…

まさにリラックスモードといえる状態にして、作業完了。


「…よし。羽月、もういいぞ」


そして、部屋の外で待たせていた羽月に一言。


「!は~い」


その声に反応し、静かに返事をして部屋に入ってくる羽月。


「えへへ…お兄ちゃんの寝顔、可愛い♪」

「ああ…涼羽は寝顔も可愛いな」


静かな寝息を立てて眠り続ける涼羽の寝顔…


父も、妹もその寝顔に首っ丈の状態となってしまう。


「羽月、今日の晩ご飯は、俺が作るから」

「!お父さん、料理できるの?」

「ああ、簡単なものならな」


転勤中は一人暮らしだったため、最低限の自炊はしていた翔羽。

今の涼羽のようなレベルから比べると格段に劣るものの、それでも普通に作ることはできる。


「じゃあ、わたしもお父さんのお手伝いする!」

「そうかそうか。羽月はいい子だな」

「お兄ちゃん、いっつも一人でしちゃうから、お手伝いさせてくれないもん」

「…そういえば…なあ、羽月」

「?なあに?お父さん?」

「羽月って、料理はできるのか?」

「…全然…」

「…そうか…」


いくらなんでも、普通に料理ができるなら、涼羽だって手伝ってもらおうとはするはず。

それがないということは、やはりこの娘がまるで料理ができないということ。


それも、一切手伝わせないということは、過去に手伝おうとして怪我でもしたのかもしれない。

今目の前で眠っている息子が、それを目の当たりにしたのなら…


本当に母親のようで、過保護な涼羽なら、もうそれをさせないようにしてもおかしくはない。


「…もしかして、羽月」

「?」

「以前に涼羽を手伝おうとして…怪我とか、したことあるのか?」

「!そう…なの」

「…そうか…」


やっぱり。

自分の考えが合っていたことを確認でき、少々複雑な気持ちで娘を見る翔羽。


だが、そんな娘も可愛いと思ってしまうのは、本当に子供激ラブな父親だからなのだろう。


「…じゃあ、羽月」

「?」

「俺と、ちょっとずつ練習しようか」

「!ほんと?」

「ああ、まずは簡単なことから始めていって、少しずつ、できるようになっていこうな」

「!うん!」


もちろん、最初は刃物や火の物などは扱わせない。


その手があればできることから。


羽月も女の子なのだから、料理の一つや二つ、できるようになっておきたいはず。


だから、最初は涼羽のようなベテランよりも、自分のようなあくまで駆け出しくらいのレベルが、ちょうどいいだろう。


そんな、父の娘に対する愛情からくる想いであった。




――――




「さて、冷蔵庫には何があるのかな…」


場所は変わって、普段は涼羽の城と化しているキッチン。


ここも日頃から涼羽に任せっぱなしなので、まずは冷蔵庫の中身の確認から始める翔羽。


中には、一通りの食材があり…


目に付いたのは、卵にキャベツ、もやしに豚肉の細切れ…

それと、大サイズのボウルに詰められた、冷ご飯。


あとは、豆腐と刻み終えてある葱に、普通の味噌。


「…今日は、焼き飯と味噌汁にするか」


目に付いた食材と、自分の中にあるレパートリーをマッチさせた結果…

本日の献立は、焼き飯と味噌汁に決定。


「お父さん、わたしは何すればいいの?」


横で、今すぐにでもやりたくて目を輝かせている羽月が、せかすように父に問いかける。

やはり羽月も女の子。


こういうことには興味深々なのだろう。


「そうだな…じゃあ、これらを、綺麗に水で洗ってくれるか?」


冷蔵庫から取り出した、キャベツともやしをシンクの横に置き…

それを洗うように羽月に促す翔羽。


まずは、こういった地味で簡単な作業からやっていくのがいいだろう。

そんな、翔羽の考えから出た指示である。


「うん、わかった!」

「キャベツは、全部剥いてから、な」

「は~い!」


今まで全然させてもらえなかったところを、させてもらえる喜び。

そんな喜びを、目一杯の笑顔で表している羽月。


そんな娘の可愛い笑顔に、父の顔もデレっと緩んでしまう。


「よしよし、羽月は可愛いな」

「えへへ~♪」


今時珍しいくらいに仲良しな一家である高宮家。


普段は涼羽を中心に…

涼羽からの愛情が欲しくて…

涼羽を愛してあげたくて…


そんな感じでいつも涼羽を可愛がっている二人。


そして、父、翔羽は涼羽はもちろんのこと、羽月にも目一杯の愛情を注ぎ込んでいる。

来年には高校生になる娘であるにも関わらず、その幼い容姿ゆえなのか…

小さな子供に接するような、愛し方なのだ。


もともと甘えん坊で子供っぽいところが多い羽月は、そんな父の愛情が嬉しくて…

そんな父の接し方も大好きなのだ。


最も、羽月はその可愛い容姿で、しかも母性に満ち溢れた涼羽の愛情が一番大好きで大好きでたまらないのだが。


翔羽にとっては、息子である涼羽も、娘である羽月も、今は亡き最愛の妻の忘れ形見で…

しかも、二人共その妻にそっくりな容姿。


だからこそ、余計に愛情が抑えられなくなってしまうのだろう。


愛情表現がストレートな翔羽と羽月は、本当に真っ直ぐな愛情表現をしてくる。

ただ、涼羽は逆にそういったことが苦手なのか、あまり表に出さないため…

さらには、そういう風に愛情を向けられるのも苦手なため…

ついつい、恥ずかしがってしまう。


そんな涼羽が可愛くて可愛くてたまらないからこそ、二人共余計に愛したくなってしまうのだが。


そんな愛情に満ち溢れた高宮家。

こうして、父娘で料理に勤しむという光景も、本来なら当たり前のように行なわれてしまう。


お互いがお互いを愛し…

お互いがお互いを支え…


現代社会において、非常に問題視されている、家庭内暴力や不和。

実の子供への虐待話すら、絶えることのないこの時代。


そんな時代の中、これほどに、そういった問題と無縁の家庭であること自体…

この高宮家は、幸せに包まれているのかも知れない。


鼻歌交じりで、お互いに談笑しながら、料理を進めていく父と娘。


いつも一人で、この家の家事をしてくれている涼羽。

その涼羽を、たまにはゆっくりさせてあげたい…


そんな想いを形に表すかのように…


父は息子のために…

妹は兄のために…


非常に仲良しな、愛情に満ち溢れた雰囲気の中、今日の夕食を作っていくのだった。

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