視えない同心と岡っ引き(四)



 雁助は実に手際がよかった。

 朔次郎が善右衛門に文を書いて、うとうとと昼寝をしているうちに、大和屋久兵衛の身辺について粗方調べをつけてしまった。目を見張る朔次郎に、縁側に上がった雁助は照れ笑いながら、「うちの下っぴきにとりわけ足の速いのがいまして」と言った。


「戻ってすぐにそいつを亀戸の方へ走らせましたら、夕刻には戻ってきました」


 足も速いのですが、口もうまいのです。


「で、うちの下っぴきが言うには、大和屋久兵衛はずいぶんとお盛んだという噂が、そこかしこで飛んでいるそうでやすよ」


 ――――女か。


「まあ、確かに。実に気風の良い御仁に見えましたからねえ」

「へえ。旦那の言う通り、大和屋は土台がしっかりと固まったお店だ。金だってそれなりにあまっている。そして、大和屋という金のなる木に集まる女は後を絶たねえようです」


 認知されているだけでも、久兵衛には多くの隠し子がいるのだという。


「旦那は富岡八幡近くに店を構える、水茶屋みずちゃやを知っていますか? ほら、赤い前掛けを粋に締める看板娘が名物の店があるでしょう」

「ああ、前を通ったことはありますね」

「あの娘も実は久兵衛の隠し子のようですよ。それから――ああ、言い出したらキリがねえ。ともかく、久兵衛には両手では収まらねえほどの隠し子がいるんですけどね、厄介なことにお内儀ないぎは大変な悋気持りんきもちでして。久兵衛に囲い者や隠し子が見つかるたびに、そりゃあ大きな悶着が起きていたようですよ」


 だから、大和屋の中には久兵衛の隠し子は決していないとのことである。嫡子の佐吉は、間違いなく久兵衛とお内儀の子だ。


(悋気持ちねえ……)


 昨日訪ねた大和屋の、お内儀の部屋を思い出してみる。整然と並べられた、色鮮やかなぽっぴんの数々。きらきらしいぎやまんが、虚勢という鎧を身に纏ったお内儀の心のうちのように思えた。


「哀れな話です」

「そうですね。しかし、こればっかりはどうしようもありません。久兵衛の女狂いは、もはや一種の病気ですからね。タチの悪いしゃくのようなもんです」


 大和屋久兵衛の身辺はわかった。だが、朔次郎は今一つ釈然としていなかった。

 久兵衛が女狂いだとわかったところで、何になる? こたびの事件の結果は、モノノケ旧鼠が何らかの恨みを持ち、長助を焼き殺したというもの。その答えに辿り着くために、久兵衛の女狂いという材料は、あまり関係がないように思える。もし関係があるのなら、モノノケに狙われるのは長助ではなく久兵衛のはずだ。

 雁助が帰ると、辺りは春の宵にとっぷりと沈んでいた。いけない。大和屋に、明日必ず顔を出すと約束したのだった。それに、おちかの容態も気になる。

 慌てて支度をした朔次郎は、完全に暗くなる前にと、足早に亀戸を目指す。緩々と忍び寄る闇から逃げるように辿り着いた大和屋では、昨夜と同様、眩しいほどに煌々と明かりが焚かれていた。


「御影の旦那。お待ちしていました」

「久兵衛どの。おちかどのの様子はどうですか?」

「ああ。おちかなら昼過ぎには目が覚めましたよ。目が覚めるなりひどい怯えようでしてね。あんなことがあったから無理もありません。あまりにも気の毒だったので、おちかには暇を出して里へ下がらせたのですよ」


 これには朔次郎も驚いた。思わず咎めそうになった口を、ぐっと閉じる。

 モノノケがおちか個人を狙った場合、大和屋から離れたおちかを守りにくくなる。だが、モノノケが大和屋という身代に憑りついている場合、大和屋を出たおちかは安全なのかもしれない。どちらに転ぶかは、一種の賭けのように思えた。


(明日雁助どのにでも頼んで、おちかどのの様子を見て来てもらおうか……)


 思案する朔次郎を、久兵衛がしきりに呼びかけていることに気づいた。


「旦那に見ていただきたいものがあるのですよ」


 久兵衛が差し出したのは、表紙が黄色に染まった草双紙くさぞうし。どうやら中身は、いにしえより伝わるモノノケを、面白おかしく描いた絵本らしい。昨今の黄表紙は大人も楽しめる絵本が増えたと、思わず嬉しくなる朔次郎である。


「これがどうかしました?」

「したもなにも、この頁を見てください。ほら、ここ、旧鼠と書いてあるでしょう?」

「ああ、本当ですね」


 それは図解付きの、大変わかりやすいものだった。

 旧鼠。千年を生きた鼠が化ける、猫ほどの大きさの妖獣。出羽国でわのくにではうまやの猫と仲良くしていて、猫が死んだあと、その猫が生んだ子を育てたという逸話があるらしい。ほほう、人ひとりを焼き殺した姿からは想像もつかないが、なかなか慈愛深いモノノケのようだ。


「大和屋さんは、面白いものを持っていますね」


 素直な感想を口にした朔次郎に、久兵衛はきっと眉を吊り上げた。


「違います。私が言いたいのは、このモノノケのことではありません」

「え?」

「旦那、よおく目を凝らしてご覧になってください。旧鼠というモノノケの挿絵を描いた者の名を」


 目を細めてみて、あっと声を上げた。猫ほどの図体の、真っ黒な鼠の絵。その端っこには、見知った者の名があった。


「春冲。どこかで聞いた名だと思えば、モノノケの絵しか描かないと気味悪がられている、化物絵師ばけものえしの名ではありませんか」


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