1ヶ月――その2――

 だんだんと民家が多くなる地域に足を踏み入れたわけですが、家屋があった土台だけが剥き出しで、建物なんか残っちゃいません。

 瓦礫が端に寄せられた道路とは言っても、やはり尖った木材やガラスの破片なども落ちているので厚底のスニーカーは正解だったと思います。

 何かを踏み締める度に、何かを壊しているようで、やりきれない気持ちになった気がしますね。


 道路から顔を上げれば、鉄塔や電柱など高いものは残っているんですよね。高いが故に丈夫に作られていたのか、まあ、面積も小さいので津波の影響を逃していたのでしょうけど。


 ああ、一枚の印象的な画像を見つけました。

 私が海側を背に、山の方を向いて撮った写真ですね。

 まっさらにされた大地、土台だけが残った家、その脇に並ぶ黒い車が二台。そこに並ぶ、白い船が二隻。

 なんというか……シュールささえ漂う廃れた風景です。だって、普通、車と船が並んで停まるなんて、有り得ないでしょう?

 しかも、山側に船?


 漁港側の、商店や民家が建ち並んでいた場所に足を踏み入れて、一瞬、立ち尽くしました。


 方向感覚に、皆さんはどの程度、自信をお持ちでしょうか?


 私は、割と自信ある方です。

 車の運転で遠出をしても、ジョギングで適当に道を決めても、地図がなくても『迷う』という経験をした覚えはありません。

 しかし、ですね。

 目に見える風景と記憶とのズレ、というのは、方向感覚をおかしくします。


 勝手知ったる土地で、私は一瞬『迷い』ました。

 この場所にいる、という俯瞰的な地図は勿論、頭に思い浮かべましたよ。でも、道が分からなくなるんです。

 おそらく、目印にしていた建物や標識、記憶の中の風景が何もかも壊されていた為でしょう。

 加えて、道路に傾き、今にも倒壊しそうな建物が、圧迫感を伴って私の視線を塞いでいます。


 何を目印にしたらいいんだ? 何を見ているんだ? 私は?


 そんな薄ら寒い恐怖の足取りで、何度か同じ場所をぐるぐる回ってしまいました。皮肉に思えたのは、新しく目印にしたのが『解体OK』と青いスプレーで壁に書かれた傾いた建物だったからでしょうか。


 解体OK。こう書くのは、安全面から必要な措置だったらしいですね。

 勿論、分かります。分かりますよ。

 でも。そんな、わけないよ。壊していい、なんて、そんなことあっちゃいけないんだ。

 物には思い出が宿るもの。それが、家なら……ねえ? 切ないだろ?


 瓦礫を両端に山のように寄せられた一本道を歩きます。

 視線の先に、とぼとぼと歩く中年女性の後ろ姿。

 どこに向かうんでしょうか。

 どう生きていくのでしょうか。

 かけられる言葉など、私の中にはありません。


 ここから続く三枚の瓦礫の山を撮った写真は、ピントがぼけてました。

 手が震えていたのかもしれません。

 何故?

 恐怖から? 絶望から? 怒りから? ただ雪降る寒さから?

 怒りは、ありました。

 雪が降ることに理不尽に怒りを覚えました。

 なんでよりによって、こんな大変なときに降る! って怒りですね。


 さて。

 この場面は、写真がありません。

 でも、とても鮮明に、感動と共に、私の記憶の中にあります。

 いつまでも、きっといつまでも残り続けるでしょう。


 自衛隊の方々による解体作業が、行われていました。

 解体作業によって綺麗に片付けられた土地に、一本の国旗。

 日の丸。その先に――

 開けた風景で、海を臨むこの場所から、朝日が昇りつつありました。


 ライジング・サン。


 世界を、オレンジ色に染め、黙々と作業を進める自衛隊の方々の姿の影を伸ばします。

 靄がかかっていたような視界が、一気に開いた気がしました。

 鬱屈と感じていた世界が明るくなった気がしました、これを希望と呼んでも差し支えないと思います。

 この光景を決して忘れません。朝陽に照らされた日の丸の国旗を。

 この感情を決して忘れません。頭を下げて、手を合わせたくなるような気持ちを。

 思いましたよ! こんな、感動的な光景を写真に撮らないなんて! でも! だって、撮れるはずがないんだもの! 有り難くて! 申し訳なくって!


 恐らく、この先、自衛隊を馬鹿にするような人と出会ったら、私はきっと軽蔑することでしょう。


 心が軽くなった気がしたら、周囲の民家からも生活の音が響いていることに気が付きました。

 包丁がまな板を叩く音、水が流れる音、そんな、朝食を作る音でしょう。

 生きているから、食べる。当たり前のことです。

 信じていても、いいのかもしれない。こんな、頑張ってくれている人がいるから。

 大丈夫なのかもしれない、生きて生活している人だっているんだもの。


 私の心にも、太陽が昇ったような気がして、足取りもしっかり力強くなりましたか。歩を進めます。


 ああ、このへんは、鮮明に風景の記憶があります。

 幼少の頃、祖母や母に連れられて買い物に来たスーパーマーケットがあった場所ですね。交番も近くにあったかな? 中学までは世話になった老夫婦の床屋、

もう少し行けば、銭湯や信用金庫があったっけ。学習塾は、建物だけは残っていたか。ふと視線を横に向ければ、美容院に突っ込んだ軽自動車。

 商店街みたいな場所でしたから、当然、建物も多く、その数の分だけ壊れ、瓦礫もあるのですが。もう、壁でした。山、ではなく、瓦礫の壁。向こう側の路地なんか見えませんもの。みっしりと積み上げられて、RPGのダンジョンに足を踏み入れたような異界の風景みたい。


 魚市場跡と工場跡、本当はいけないんでしょうけど、入り込んじゃいました。もう完全に、廃墟でした。それ以上の言葉なんて必要が無いくらい。廃墟と書いて思い浮かべる光景そのものが、そこにありました。


 ここから高台に向かう坂道が続くのですが、一枚の写真を撮った場所があります。

 道路に描かれた、これは標識って言ってもいいのかな? 緑の枠で黄色に黒字で「津波避難経路」と書かれてあります。

 この道路が、ひび割れて、何とも皮肉なことに標識を真っ二つに切り裂いているんですね。

 この皮肉さは、画像じゃないと伝えづらいかな?

 この辺の道路は、コンクリートがひび割れたり、めくれてしまっていたりで、段差が所々に出来ていて歩きにくい場所でした。さすがに海に近い場所ですね。津波の衝撃を物語ります。


 だんだんと私を通り越す車両が増えてきました。瓦礫を運ぶトラックの他に、一般車両も見受けられたので、やはり安心というか。

 こんな中でも、日常に戻ろうとする活気といいますか、感じられたのでした。


 高台から、従姉妹が住んでいた場所に近付きます。

 山を登る階段の先には神社がありますね。

 お祭りの夜、従姉妹のオヤジさんと一緒に見物に行ったなあ。記憶は曖昧だけど、将来のこととか話して、励まされたっけ。何で、あんな話したのかな? もしかしたら、もう自分の体調が良くないこと悟っていたのかな? 今にして思えば。実は、私、父親の記憶が無いものですから、はい、父代わりでした。


 従姉妹と良く遊んで駆け回った場所は、もう無茶苦茶でしたね。粉々。瓦礫の山。古い家屋も多かったから、津波にはひとたまりもなかったんでしょう。

 従姉妹の家は、左右の瓦礫の山に埋もれていました。

 その一本道には、青い空と白く光る雲、そこに伸びる少し傾いた電柱だけ。

 姉みたいに世話してもらった従姉妹は結婚して、旦那さんが建てた新居に移っていたので、幸いにして無事でした。巡り合わせに感謝です。


 一本道を抜けると、角にはガソリンスタンド。

 ええ、酷い有様ですね。目の前、海ですから。

 そこから歩道橋の上から、防波堤の先の海を眺めます。

 海は、どこまでも穏やかで、空も海も清々しいほどに青かった。

 こんな海が、こんな惨状を引き起こすのだから、海と共に生きるということの意味を考えさせられます。


 そこには勿論、恵みもあります。漁業で成り立つ場所なら尚のこと。

 しかし、与えるばかりが海でもないのでしょう。

 昔の人々が、そこに神を見出しても何ら不思議はありません。


 歩道橋を渡って、歩き回った場所は、私の小学校の近くなので、まあ、主に幼少期の思い出でしかないので、特に書くようなこともございません。

 小学校は、避難所とされ、校庭には車が並んでいました。

 ここは今はもう廃校になってますね。

 ちなみに、実家の近所の方の中学校は子供の減少から廃校。校舎は無く、校庭だった場所にはやはり仮設住宅が並んでます。

 これで、高校が無くなったら、私、母校無くなっちゃうなあと。

 まあ、高校は地元の普通科だし、大学は国立なんで、さすがにこのへんは無くならんだろうとは思いますけど。


 次の写真は、車の運転席から撮ってますね。

 ってことは、親友の家に行ったのかな? 震災当日から、しばらく連絡の取れなかった親友の一人ですね。


 彼との話は、次にいたしましょう。

 私も、ここまで書いて疲れてしまいましたので。


 ちなみに、紹介していいものかどうか。

 今回、KOKIAさんの「I believe~海の底から~」を聴きながら書きました。

 とてもいい曲ですよ、ご存じなかったら、是非。

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