錆び付いた鎖の先に

OSAMU

第1話

「はい、畏まりました。では、息子さんの課題は我々にお任せ下さい……」

 僕は丁重に電話を切ってから一息を吐いた。如何にも我が子を溺愛している、過保護な母親から依頼された学位論文の代行案件だ。その家庭からすれば、今後の趨勢を決定付ける様な試験に関しては専門家へ受注する安全策を取りたいのだろう。

 そして今日も周辺の席では、同僚達が引っ切り無しに鳴る仕事依頼の連絡対応に追われつつ、室内を所狭しと駆け回る光景が見受けられる。職場は息が詰まる様な独特の緊張感と喧騒に満ちていた。

 ――現代の代行業者サービスは複雑多岐に亘る発展を遂げている。現在では一般的な便利屋の範疇すら超え、依頼者の日常に於ける雑多な家事をも請け負う他、法律的な書類手続き、先祖の遺品整理や墓参り、宴会や同窓会の幹事、各種イベントチケット入手、ネットオークション代行等と業務形態は実に柔軟さを併せ持ちながら拡張されているのだ。

 多忙を極めた社会人のみならず、人生経験が希薄でマニュアル依存症的気質を肥大させている者達、一昔前では生まれ得なかった近代的社会問題に直面し特殊な家庭事情や人生背景を抱え込まざるを得ない苦労者達等は急増している。そんな一種退廃的とも言える社会情勢へ逸早く寄り添った業界人達は、慧眼の持ち主だったと評せるのかも知れない。

 発注側の需要を微に入り細に入り満たす様にと醸成された至れり尽くせりの業務内容は今や「進化系サービス」とすら呼称され、業界は類例を見ない活況を呈していた。

 特に、今回の様に本来は学校側から与えられた子供自身の課題を秘密裏に肩代わりして欲しいと言う親からの依頼は代表的事例として挙げられ、全国的な長期休暇期間中はどの代行会社も殺到するこの案件の対応で手一杯だ。

 依頼理由としては、「我が子には受験勉強へ専念させたいのが実情で、受験科目と関連性の薄い宿題は外注する事で効率を上げたい」と言う動機を主体とし、

「宿題が提出期限に間に合わない」「子供の苦手分野であり、親である自分達もどう手伝えば良いか解らない」「クラブ活動で多忙」「家族で長期旅行に出掛けたい」等と続く。

 

「『宿題を提出期限迄に仕上げたい』『宿題をどうこなせば良いか解らない』『宿題で良い点数や評価を取りたい』……。そんな悩みを我々代行サービス会社が全て解決致します! 是非当社へご相談を!!」


 この様に、切迫した家庭へ救いの手を差し伸べると請け負う煌びやかな広告の文言は街中やメディア上で過当競争の如き様相を見せながら氾濫している。

 しかし、飛躍する代行業者サービスの是非を巡って激論が戦わされている事もまた確かだった。

 曰く、「金権に頼れば良いと言う歪曲した価値観を植え付けてしまう」「学力低下の要因に成り得る」「子供達の経験を奪い誤魔化す事になってしまう。自分でやるべき宿題を業者に丸投げして、子供は一体何を学ぶのか」

 そんな金銭や代行業者の力で解決する他力本願な姿勢、自主性の芽が摘まれてしまう危険性が指摘され、旧来的な教育観を持った大人達からは矢張り難色を示されているのだ。

 ……だが、正直に告白するとプロの業者として活動する僕は世間の指弾を浴び様と一向に意に介する所は無い。教育評論家は「モラルの低下振りが世も末だ」と訳知り顔で首を大袈裟に振り、「近代テクノロジーの発展に於ける弊害」と言った陳腐な形容を持ち出して慨嘆するのだろう。

 只、貴方の学生時代にも身に覚えは無いだろうか? 提出期限が間近に迫った宿題を優等生へ必死に頼み込んで丸写しさせて貰う、試験範囲から出題の傾向を冗談半分に近付きつつ教師から事前に訊き出す、手近な物に重要な単語や計算式を書き留めカンニング紛いの行為をする……。

 自分自身の体験では無いかも知れないが、少なくともそんな風に姑息な態度で学生生活を凌いで世渡りしている学生達の姿等、日常的風景では無かったか。

 他人の知恵や得意分野を借りる……。人脈を拡げて物事の効率を上げる……。自分の短所や苦手分野、限界を見極める……。


 現実を知悉しそんな処世術を身に付ける事も、学校生活や教育に於ける裏面だと個人的には捉えている。代行サービスと銘打っていても本質的にはそんな連綿と続く学生生活の景色と大差は無い。寧ろ身銭を切って対価を支払っている分、依頼者は悪賢い学生達よりも実直だとさえ僕は評価しているのだ。

 ……さて、そんな物想いに耽るのも束の間、依頼を請け合ってから改めて若干の懸念が浮上して来てしまった。我々の会社内で今回の業務を得意分野としている担当者が不幸にも交通事故に遭い、静養を余儀無くされ長期間不在が続くと報告されたのだ……。


 無論、我々はプロ業者の責務として仕事は遂行しなければならないし、この程度の支障は今迄幾度と無く解決して来ている。


 僕の平常心は微塵も揺らいではいなかった。


 手慣れた動作で僕はもう一度受話器を掴み取り、当事者の番号へ繋ぐ。


「もしもし、仕事の代行を依頼したいのですが……」

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錆び付いた鎖の先に OSAMU @osum4141

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