見つめるだけの恋

三井さくよし

第1話

僕はずっと君を見ていた。


黄色い鞄を肩から下げて、祖母に手を引かれながら幼稚園に通う姿


大き過ぎる真っ赤なランドセルをガチャガチャと鳴らしながら小学校へ走っていく姿


二つに結わえていた髪を短く切った日

友達と喧嘩して泣きながら帰る後ろ姿や、新しい傘を買って御機嫌で雨の中を歩く姿


どれもこれもとても可愛らしくて、僕は君を見ずにはいられなかった


知り合いは「またか」と怪訝そうな声で言う

彼等は僕を死神の様だと口々に零した

僕が好きになった子は、必ず死んでしまうからと


それでも僕は見つめる事をやめられない

僕は彼女がとても好きなのだ


何時だったか、彼女が僕に「おはよう」と声を掛けてくれた事があった

何も返せなかったけれど凄く嬉しかった

僕は彼女に恋をした


「やめときなよ。また死んじゃうよ」


「うるさい。彼女だけはきっと大丈夫だ」


「そんなの分からないだろ。また誰か死んだら、もう後は無いと思うけど」


まぁ気を付けて、とため息混じりにの忠告を残し知り合いは去っていく

余計なお世話だ


彼女が小学校へ入学して何年経っただろうか

暑い夏の日、彼女の白いTシャツに汗が滲んで、薄らと下着の線が浮かんでいた


僕は途端に彼女の成長を感じた

あんなに小さかった彼女の胸に少しばかりの膨らみ

スカートから伸びる足は細く長い


彼女は段々と女性へと変化しつつある

小さな子供のままでいればいいのに



ある日彼女は胸に作り物の花を付け、黒い筒を持って歩いていた

そうか、卒業式か

もうあの赤いランドセルを背負って走る彼女は見れないのだな


彼女の通っていた小学校は中学校と隣接している

恐らく彼女はそこに通うだろうから、登校のルートは変わらないだろう


「おはよう」


大きめのセーラー服に身を包んだ彼女は、柔らかな笑顔を浮かべながら言った

真っ赤なスカーフ

ちょっと大人ぶって下ろした黒く長い髪

風に揺れるスカートからは春の匂いがした


まだ幼さを残した彼女の表情は、期待に満ち満ちている


僕はまた何も言えず、只彼女の後ろ姿を見送った


部活は吹奏楽部で、パートはトランペット

華奢な体躯をした彼女にそんな肺活量があるのかと心配になる


ある雨の日、彼女は見慣れない男と一つの傘に入っていた

途端に湧いた憎しみと、諦めの感情

僕は彼女に声一つ掛けることが出来ない

只こっそりと見つめる事しか出来ないのだから、当然と言えば当然なのだ


それでも相変わらず僕は彼女が好きで、でも彼女は他の誰かに笑いかける

幼い子供のままでいればよかったのに


君を構成する世界が広がっていくにつれ、僕の世界は君だけになっていく


恋なんてしなくていい

傷付くだけじゃないか

僕を好きになってくれなんて言わない

君が悲しむ姿を見たくないんだ


友人との話を盗み聞きし、男は部活の先輩でとても女癖の悪い奴だと知った

でも僕は、どうしてやる事も出来ない


それを知った彼女はソイツを諦めたのか、見限ったのかは知らないがパッタリと男の話をしなくなった

ざまぁみろ


ふと、彼女の制服が体型に合っている事に気付いた

あぁ、もうそんな時期か

最初はあんなにぶかぶかだったのに

よく見れば袖口は擦れて、ピカピカだった鞄も汚れている

赤いスカーフは少し色褪せていた


三年など、あっという間だった


卒業式を終えた彼女が、珍しく立ち止まった

彼女は少女からすっかり大人の女性へと変わっていて、僕はそれをとても悲しく感じる

ここからしか彼女を見ることの出来ない自分が恨めしい

見つめあえなくても、触れ合えなくても

君はずっと僕の天使



「あんたまたここにいるの?」


「うん、ここも見納めかって思ってさ」


「でもここって・・・」


彼女の友人がそう言うと、彼女は顔を曇らせた

その理由を知っている僕は、彼女を見る事さえ出来ない


周りは僕が悪い訳では無いと言うけれど、やっぱり僕は君に対して僅かな責任を感じてしまっている


「もう行こ!」


「うん」



ゆっくりと背を向ける彼女に行かないで、と言ってしまえればどれ程楽だっただろう


「そうだ」


彼女はぱっとこちらを向き直した

僕の願いが届いたのかと思った


「卒業記念」


彼女は赤いスカーフを解き、その場所へ括りつける

丸で少女時代の自分を、そこに置き去りにするように

甘い匂いと、日向みたいな笑顔と、少女時代だけを置いて、彼女は行ってしまった



それからの僕は抜け殻同然で、来る日も来る日も彼女の赤いスカーフを見つめながら過ごした


「ねぇ、そんな落ち込む事無いよ。彼女は元気でやってるさ」


「そうかな?・・・そうだといいな・・・」


もう僕は彼女の幸せしか望まない

その為なら死んだっていい


この世界のどこかで生きて、笑っていてくれるなら死んでも構わない


「ほら、笑って」


「ありがとう・・・」


数少ない知り合いは優しい歌を歌ってくれた



それから何年経っただろう

彼女が去って、夏が来て、秋が来て、冬がきた

それを何度繰り返しただろう


衣擦れの音すら響きそうな静かな夜に、高い靴音を立てながら彼女は僕の前に立った


何時かの面影はすっかり消えて、派手な化粧に短いスカート、不自然な髪の色

一瞬彼女だと気付かなった程、彼女は様変わりしていた


「久しぶり」


どうしたの?何かあったの?

そう言いたいのに、声帯は機能しない


「ねぇお母さん、私もうだめみたい」


小さく、小さく空気を震わせた彼女の泣き言

けれど彼女は涙を流しはしなかった

悲しいかな、僕はこういう状況を何度も見てきた


涙すら流せなくなる程絶望した人間の顔


「ずっとここにいればよかった。都会になんて出なきゃよかった」


ここにいれば悪い男に騙される事も無かった

ここにいれば借金する事も無かった

ここにいれば体を売ることも無かった

毎日毎日暴力を受けて過ごす事も無かった


「もうダメなんだってさ。AVに出なきゃ、お金、返せないんだって」


力無く笑った彼女は、少しだけ日向の匂いがした

濃い化粧の下には、薄らと青あざが見て取れる

幸せであれ、と願った思いは少しも届いていなかったのだ


「だからね、お母さん。私もう生きていたくないの。連れてって」


だめだ!やめてくれ!と叫びたい

生きていて欲しい

どれだけ辛くてもどれだけ苦しくても

君には生きていて欲しいのに


「私、恨んだよ?お母さんの事。結婚してる男に騙されて、私を産んで、捨てられて。馬鹿みたいに借金作って」


彼女の母親は、良くも悪くも弱い人だった

誰かに依存しなくては生きていけない

でも、とても優しい人だった


「でも私もお母さんと一緒だった。血って怖いね」


彼女は淡々と静かに語る

聞き取りやすい、雲雀のような美しい声で



僕は、ずっと大切にしていた彼女の少女時代を彼女の前に落とした

最後の希望を託して

これでダメだったら、いいよ、一緒に行こう

最後が君となら悔いは無いさ


「これ、私のスカーフ?ずっと残ってたんだ」


色褪せた赤いスカーフ

君の思い出


「この頃に、戻りたいな」



彼女はあの日のように、そのスカーフをしっかりとある場所へ括る

丁度彼女の頭が通るくらいの輪を作って


もう止めはしない


大好きだよ

僕の永遠の少女












「またよ、あそこで首吊りですって」


「しかも親子で、でしょう?やっぱり呪われてるのよあそこ」


「もう撤去するらしいわよ。不気味だったものね」


それは昼下がりの、とても気持ちの良い日


チェーンソーの音と共に、古い大木が切り倒された

この町が出来る前からそこに居た大木は、首吊りの名所として有名でもあった


自治会はこの木の処遇を決めかねていたが、今回の自殺を機に切り倒してしまう事に決定する


「あーあ、休憩するには丁度良かったのにね、彼」


「仕方ないよ。それに、彼は幸せなんじゃないかな?最後は愛する人と一緒に死ねたんだから」


「彼女の母親が死んだ時も枯れるんじゃないかと思う程落ち込んでたのに、その娘もだものね。そろそろ死なせてあげても良かったのかもね」


また新しい止まり木を探さなきゃ、と二羽の鳥は羽ばたいて消えていった















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見つめるだけの恋 三井さくよし @marimero

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