第4話


「田楽屋敷はこちらでしたよね? 遅くなって申し訳ありません」

「その通り、田楽屋敷は〝こちら〟だが──稚児を呼んだ憶えはないぞ?」

 玄関で狂乱(きょうらん)丸が言い放ったのを、声を聞きつけたらしく座敷から慌てて飛び出した来た検非遺使だった。

「おう! 迦陵(かりょう)丸! 待っていたぞ、上がってくれ」

「はい、成澄(なりずみ)様!」

 嬉々として迦陵丸は框(かまち)に跳んで上がった。その仕草が浅瀬を跳び歩く鶺鴒(セキレイ)を思わせる。自分が綺麗なのを十分に自覚していて、これ見よがしに綺羅綺羅しい長い尾を上下に振っているあの憎たらしい小鳥──

「ご無沙汰しております、成澄様。お変わりないようで喜ばしい限りです」

 面白くないのは狂乱丸である。噛み締めた唇が灰のように真っ白だ。

 だが、成澄は全く頓着していない。続いて玄関先へ出て来た婆沙(ばさら)丸が、ここは兄に代わって質した。

「こちらは?」

「おっと! おまえたちは初対面だったか? これは迦陵丸と言って、御室(おむろ)の稚児殿だ。舞童としても優れていて帝に召されて舞うのも一度ならずとか」

「迦陵丸です。以後、お見知りおきのほどを……」

 だが、目は笑っていない。視線は挑むように狂乱丸に向けられていた。狂乱丸も瞬きもせずに真っ向から稚児の視線を受け止める。美少年たちの炎の眼差しがぶつかり合って今にも煙が立ち昇りそうだ。

「この迦陵丸には、以前、力を貸してもらったことがある。それで、今度も……」

 例の囮の件である。狂乱丸が嫌がるので俺としても無理強いはしたくない。迦陵丸に事情を伝えたところ、自分でよければと快く引き受けてくれた、と検非遺使尉(けびいしのじょう)は嬉しそうに語った。

「俺が、いつ、嫌だと言った?」

「え? 違ったのか? 俺はてっきりおまえは拒否したのだとばかり──」

「おまえがきちんと頼めば俺は受け入れるつもりだった。それを別当なんぞの口を借りるから、水臭いと思って腹を立てたまでじゃ!」

「え? そうなのか?」

「こんな奴に頼むくらいなら俺がやるさ!」

「おい、こんな奴とは誰のことだ? 大体さっきから聞いていれば、田楽師風情(ふぜい)が天下の検非遺使に何て口の利き方だ! 成澄様、貴方ほどのお方が、こんな口の利き方も知らない下臈(げろう)と懇意だなんて情けない……」

「何だと! 聞き捨てならぬ! 田楽師風情とはどう言う意味だ? おまえこそ、たかが稚児の分際でいい態度じゃないか?」

 両者飛びついて組み討ちしかねない、まさにその時──

「では、そういうことで、お世話になりました、有雪(ありゆき)殿」

「フフン、まあ、自分で謎を解いたとあればそれに尽きる」

 連れ立って廊下をやって来た橋下(はしした)の陰陽師と歩き巫女だった。

「おや? 何を騒いでいるんだ、こんなところで?」

「あ! これは有雪様? その節はお世話になりました」

 有雪の姿を見止めて御室の稚児はピョコンと頭を下げる。

「や、迦陵丸か? 久しぶりだな!」

「……何やら皆様、お取り込みのご様子。それでは、私はこれにて」

 巫女は玄関に降りると丁寧に頭を下げた。その際、素早く狂乱丸の姿を目の端はしで捉えるのは忘れなかった。ほんのり頬を赤らめたように婆沙丸には思えた。

「おう、気をつけて帰れよ。また気になる謎が舞い込んだ時はいつでも聞きに来るが良い。この有雪が何でも答えてやるからな!」

 前回と違い、滅法親切な対応である。それもそのはず、世話になったお礼にと今日は、巫女は酒筒を下げて来たのだ。早いとこ自室に引っ込んで一人で楽しもうと気も漫(そぞ)ろの陰陽師。

「あ、謎と言えば──思い出した! あれはどういう意味でしょう?」

 帰りかけた巫女が振り返った。

「神社前の鳥占いの屋台で、貴人が鳥を買ってくれたのだけど、私の名を聞いて大層面白がるのじゃ。

 『こんな鳰鳥(におどり)になら、どれほど外に待ちぼうけさせられても構わない』とか言って……」

「アハハハハ……」

 またしても沸き起こる笑い声。

 今度笑ったのは御室の稚児だった。

「さては──〝鳰〟さんというのですか、貴女(あなた)の名は? なるほどな!」

 射千玉(ぬばたま)の垂髪を揺らして迦陵丸は歩き巫女の前へ進み出た。

「万葉という古い歌の中にあるんですよ。

 

《 鳰鳥の 葛飾早稲(かつしかわせ)を饗(にえ)すとも 

     その愛(かなし)きを外(と)に立てめやも 》

 

きっと、貴人は貴女の名をこの歌に重ねたのでしょう」

「そ、その通り! 俺も、ま、まさに今、それを言おうとしていた!」

 慌てて有雪が言う。歩き巫女は川底の琥珀のような瞳を輝かせた。

「まあ! ぜひ、歌の意味をお教えください、稚児様?」

「歌の意味ですか? ふふ、これはね、一年の収穫を感謝して、身を潔斎して神を供奉する聖なる祭りの日にさえ、通って来る恋人に向けて乙女が詠んだ歌なんです。

 『どうして愛しいあなたを私が拒むことができましょう? いいえ、戸の外に立たせっ放しになどできはしない。神様よりも大切な御方……』」

「流石だな、迦陵丸!」

 成澄は感嘆の声を上げた。満足げに頷きながら狂乱丸に目配せする。

「聞いたろ? この迦陵丸は可愛らしいだけでなく、歌に詳しいんだ! 前もそれで大いに俺の力になってくれたものさ!」

(ああ、よせばいいのに……)

 思わず口の中で呟く婆沙丸だった。

 美童の前でもう一人の美童を褒めるなんて──

 検非遺使はやはり〈容貌第一〉なのかと疑いたくなる場面ではあった。この精悍な美丈夫は、惜しいかな、あまりに人の心の襞に無頓着過ぎる。

 案の定、次の瞬間、狂乱丸は隼(ハヤブサ)よろしく身を翻すと自室へ駆け込んでしまった。

「あ? おい! 狂乱丸……」

 残った方の双子の片割れに、途方に暮れて尋ねる成澄。

「俺が何かまずいことでも言ったか? なあ、婆沙丸よ?」

 もう遅い。こういう手合いは永遠に戸の外に立ちっぱなしになる運命なのだ、と婆沙丸は憐れんだ。

(その愛しきを外とに立てめやも……か? 全く──)

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