第3話


『さほど深い意味はあるまいよ。だから、心配するには及ばない』

 

それが田楽屋敷に住み着く陰陽師の言葉だった。

 有雪(ありゆき)は、卜占(ぼくせん)はからっきしだが頭は働く。謎を読み解くのは巧みだと評判である。今までにも天下の検非遺使に協力して種々の難題を解き明かして来た、とか。

 だから、その男にこう言われて鳰(にお)は少し安心した。

 紙片を受け取って以来、黒い雲のように不気味な塊が胸の奥に凝(しこ)っていたから。

 有雪の言う通り、多分、何でもないこと──ちょっとした悪戯の類(たぐい)だろう。

 そう思うと逆に、今まで恐怖のせいで脇へ押しやられていた好奇心がむくむく頭をもたげて来た。積極的に自分でもこの文様の意味を読み解いてみたい気になった。

 粗末な住処の床の上に鳰は有雪がやったように三枚の紙片を並べた。


 一枚目……鳥が木に乗っている?

(〝鳥の宿る木〟ということだろうか? 〝鳥のたくさん留まっている木〟とか? しかも、この近所で……)

 思い当たらないでもない。

 鳰がその木のある場所に足を向けたのは翌日のことだった。


 



この辺りで有名な、椋鳥(ムクドリ)の多く集まる楡(にれ)の大木である。

 改めてその場所に佇(たたず)むと──

 真っ直ぐに伸びている道が見えた。

 二枚目……道の上を飛ぶ鳥?

(この道を行け、ということなのでは?)

 さほど深く考えるでもなく、鳰は目の前に続く道を歩き始めた。

 果たして。

 道の尽きる処に神社があった。その石段の下に屋台が出ている。

 神社の前によくある鳥占いの店だった。

 幾許(いくばく)か鳥目(ぜに)を払うと、よく飼い慣らされた小鳥が石段の上に据えられている御籤(みくじ)箱から嘴(くちばし)で籤を引いて戻って来る……

 普通はそれだけだが、この屋台には他にいくつも鳥籠をぶら下げて鳥を売っていた。

 どれも綺麗な声で囀る可愛らしい小鳥たちだ。

「鳥をお求めで?」

 鳥飼いらしい男が聞いて来た。まだ年若い。自分と同じくらいだろう、と鳰は見当づけた。

「どれもいい声でしょう?」

「あ!」

 三枚目の文様を思い出した。

 三枚目……あの絵柄は〝この場所〟に似ている!

 左側の文様は〝鳥居〟、その下の四角は〝御籤箱〟を表していて、右側がそこにいる鳥──

(つまり、だから、三枚目はそのもの〝鳥占いの屋台〟を意味しているのでは?)

 いったんそう思うとそのようにしか見えない。

「どれにしましょう? お安くしますよ!」

 佇んだまま真剣に鳥籠を見つめている巫女を鳥飼いは誤解したらしい。

「あ、いえ、いいの」

 我に返って鳰は手を振った。鳥を買うつもりはない。

「では、私が買おう」

「これは──精衛(せいえい)様! いつもありがとうございます!」

 いつの間にか背後に貴人と僧侶が立っていた。

 貴人は下げられた籠の中から一つ選ぶとそれを巫女へ差し出した。

「どうぞ、娘さん」

「いえ……」

「もらっておくれ。いらないのなら空へ放してやるといい。これは私のささやかな楽しみなのだから」

 傍らの僧も笑顔で言う。こちらは叡山辺りの学僧と見て取れた。

「お受けなさい、娘さん。この罪深い男を助けると思って」

 そういうことなら、と鳰は素直に鳥籠を受け取った。

「良かったら、名を聞かせてくれないか?」

「はい。鳰と申します」

 途端に明るい笑い声が沸き起こった。

「やあ! こんな鳰鳥になら……私は戸の外にどれほど待ちぼうけを食わされても平気だぞ!」

「同感だな!」

「?」

 貴人の若者たちが何を笑いさざめいているのか、鳰にはわからなかった。が、嫌な気はしなかった。

 それほど若者たちの笑い声は爽やかで、籠の中の小鳥の囀りと同じくらい耳に心地良かった。

(きっと、私が〈鳥の名〉だというのが面白かったのだろう……)

 それにしても──

 この世には夢のような暮らしをしている人たちもいるのだ。貴人の若者の狩衣(かりぎぬ)の若鶏冠木(わかかえで)色が青空によく映えて鳰の目裏に滲みた。

 残像はいつまでも残った。ちょうど虹を見た時のように。


 鳰は、文様の謎を全て解き明かした気分になった。

 鳥籠を下げて足取りも軽く家路に着く。

 だが、暫くして、突然足を止めた。

(……誰かがつけて来る?)

 一瞬で肌が粟立った。

 日は既に傾いて道は仄暗く、辺りに人影はない。まさに逢魔が時である。

「誰じゃ?」

 恐る恐る黄昏に誰何(すいか)すると、影が答えた。

「私です」

 それは先刻の鳥飼いだった。

「すみません。脅かすつもりはなかった。ただ、これを──」

 渡し忘れた、と言って手を差し伸ばす。草の束だ。

「鳥の餌です。あとは毎朝、新しい水を入れてやればいい。そいつはとても飼い易い鳥なんだ」

 若者は微笑んだ。八重歯が可愛らしい。童顔だと気がつく。

「空に逃がすのはいつだってできますからね?」

 歩き巫女が何も言わないので、更に鳥飼いは続けた。

「俺は飼い易い鳥しか売らないことにしてるんです。誰だって──可愛い鳥が死ぬのを見たくはないでしょう?」

「ええ」

「では」

 去ろうとする鳥飼いを今度は巫女が呼び止めた。

「待って」

 怪訝そうに振り向いた鳥飼いに、

「名は何じゃ?」

「名はつけていません。あなたが好きに呼べばいい」

 鳰は笑った。

「私が訊いたのはおまえ様の名じゃ」

 鳥飼いの若者は吃驚した顔をした。それから、頬を染めて、

「俺は鳶(とび)丸……」

   

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