第15話 ショッピングモール その2


 風子を待っていると、携帯電話から着信音が流れ出す。誰かと思い見てみると兎莉からメールが届いていた。

 メールの内容は「さっきは一人でどっかに行っちゃってごめんなさい。今どこら辺にいる?」と言うようなものだった。

 僕が丁度これから風子と一緒に兎莉を探そうと考えていた矢先にこのメールだ。

 まさか兎莉は僕の心が読めるのか!?

 こんなやり取りを文化祭の時に兎莉とした覚えがある。

 まあもっとも、本当に兎莉が超能力か何かで僕の心を読んでメールを送ったのだったら、その能力で僕の居場所を読んでくれと非常に突っ込みたくなる。兎莉はやっぱり超能力は使えない。

 僕は自分の居場所を書いてメールを送った。随分と適当に場所を説明してしまったが兎莉のことだから大丈夫だろう。兎莉とは何度もこのショッピングモール来てるし。

 男子トイレ前の壁にもたれかかってしばらく経つと風子がトイレから戻ってきた。随分と遅い気がしたがそこは失礼だし聞くのは止めておこう。男子同士だとそう言うやり取りを割と抵抗なくしている気がするが、僕は一応そこら辺の分別はついているのだ。

 少し頬を火照らせた風子はごく自然に笑いかける。


「只今戻ったのです」

「おう、お疲れ。そう言えばさ」

「ん? 何ですです?」

「兎莉がこっちに向かってるって。風子、兎莉と気まずい感じになってたから、心の準備はしておきなよ」

「うっ……そう言えば。ありがとうございます。正直、気まずいですがきちんと謝ろうと思うです! 悪いのは私なのですから!」


 フンッと鼻息を荒くして気合を入れる風子。しっかり謝ろうとしてくれて良かったと思う。何故兎莉がそこまで怒ったのかはイマイチ分からないが、風子が言ったことで兎莉が怒ったことは彼女自身重々把握しているのだ。

 隣で風子が「緊張するのです~緊張するのです~」と繰り返すことおよそ五分。目前にある広い通りから兎莉が手を振ってこちらに歩いてきた。パッと見ただけだが、分かる。兎莉はもう怒っていない。不自然なまでに怒っていない。たぶん兎莉も気まずく思っているのだろう。こういう時は先輩の方から友好的な態度を取らないと後輩はどうにも切り出しづらい。兎莉はそう言うところを分かっている。中々出来る幼馴染だと思う。


「颯太くん、風子ちゃんお待たせ」

「おう。お帰り、兎莉」

「おかえりなさいなのです……」


 声のトーンを落とし小さく風子は呟いた。兎莉と風子はお互いの顔を見ること無く挨拶を交わす。暫し沈黙が続く。僕まで居心地が悪い感じがするが僕が話を切り出して仲直りさせるのでは意味がない。見るに、お互い仲直りしたいと考えているのだ。自然と上手くやってくれるだろう。

 僕の予想通り、沈黙はすぐに破られた。


「「あのっ!!」」


 二人の声が重なる。二人は驚きその場でワタワタと一踊りするとホッと胸を撫で下ろす。ここまで動きが一致していると面白くて思わず笑ってしまいそうであるが、ここは僕が笑うタイミングじゃない。ここはきっと……

 お互いの顔を見合わせてクスッと笑い出した。そして意を決した目をして風子が口を開く。


「兎莉センパイ!」

「あわわわわ……何かな?」

「さっきは本当にすいませんでしたなのです! 冷やかしが過ぎたと反省しているのです!!」


 直角に近い角度で風子がお辞儀をする。正しいお辞儀のやり方かは分からない。ただ、本気で申し訳ないと思っているということは伝わったようだ。

 兎莉は小さく微笑む。


「…………大丈夫だよ、そんなに気にしてないから。…………それより私もごめんね? その…………いきなり怒ったりして」


 兎莉がそう言うと、風子は「いえいえ、悪いのは私なのです」と言い、兎莉は兎莉で「そんな……私も悪いよ」と言う。手を開き両手を押し出しそうする姿は、なんだか中学の頃に流行った『押し合いゲーム』を連想させた。そして二人の台詞だけ見ると、三人組漫才師、ダ○ョウ倶楽部のネタのフリの様に聞こえてしまう。フリなのか?もしかして本当にフリなのか?僕に出て来いと言っているのか?たぶんフリだろう。僕は兎莉と一緒に彼らの出ているバラエティ番組を何度か見ている。知らないわけがない。

 僕は意を決して二人の間に入り込む。


「いやいやいや、じゃあ僕が悪いよ!」

「「…………えっ?」」


 二人の声が共鳴する。きょとんとして僕のことを見つめた。

 そして次の瞬間。


「そ、そんな……颯太くんは悪くないよ!」

「そうですです! センパイは悪くないですよ!?」


 また再び二人は額に汗かきながら忙しなく慌て、息ぴったりに両手を突き出してそう言った。

 上島さん…………どうやら僕の幼馴染と後輩は芸人には向いていないようです。僕は一人スベッてしまった悲しみに耽り、天を仰ぐのだった。ああ、ステンドガラスの光が眩しい。

 何はともあれ、二人が仲直りできたようで良かった。気まずいままショッピングモールを回ることを考えたら頭が痛くなりそうだったからね。

 不意に着信音が響く。

 先程兎莉がメールしてきたときとは違う音だ。つまりは電話。見ると綾菜先輩からの様だ。僕はポケットから携帯電話を取り出すとボタンを押し電話に出る。


「もしもし」

「もしもし、颯たん? そろそろそっちに着きそうなんだけど」

「そうなんですか。了解です。どこで集まりますか?」

「うーん、そうだね。そろそろお昼だからフードコートで集まるのでいい? 一階の」

「大丈夫ですよ」

「オッケー! それじゃフードコートで!」


 先輩はそう言うとすぐに電話を切ってしまった。最後に僕が言った「了解です」はきっと伝わっていないのだろう。

 突然電話を始めた僕を不審げに見る目の前の二人に事情を説明する。


「……そう言えば、もうそんな時間だね」

「そうでした! 仲直りしてホッとしたら風子も急にお腹がすいてきたのですよ!」


 大袈裟にお腹を抱えて風子が言う。二人を見ていたら僕までホッとしてお腹が空いてきた。僕たちは少し早めの昼食を食べるため、フードコートに足を運んだ。


  *


 尋常じゃないほど、手加減なしの日差しが真っ白な少女の肌を刺す。まだ幼きその体は未だ嘗てこれほどまでの日差しを受けたことが無かった。肌が悲鳴を上げるのを感じて少女は渋い顔をして太陽を見上げた。


「忌々しき太陽め……また童を邪魔するのか!?」


 厳つい眼差しを太陽に送り、手で日差しを遮った。そして少しの間その姿勢を維持すると、少女は急にわははと笑い出した。


「って、童は吸血鬼じゃないのじゃ、わはは! でも鬼? 鬼なのじゃよな……? ぐぬぬ」


 笑ったと思えば急に神妙な面持ちで首を傾げる。


「まあ、それは良い。それにしても、全くお兄様たちと来たら……」


 捲ってあった和服の裾を戻し、暑そうに額を拭く。はあ、と深くため息をつき困り果てた表情で続ける。


「童を置いて勝手にどっかに行かないで欲しいのう」


 少女は再び街路樹の生えた道を日陰伝いに歩い始めた。


  *


 僕たちがフードコートに行った時にはもうすでに綾菜先輩たちがそこにいた。遠くからでも見えるほど、それ以上にとても恥ずかしいからやめて欲しいのだが、大きく手を振ってジャンプする先輩は圧倒的な存在感を放っていた。ジャンプの高さは一メートルを超えているのではないかと思うほどであり、先輩はマサイ族とかそう言う人たちの末裔かなにかではないかと錯覚させる。隣を見ると兎莉がなんとも渋い顔で苦笑いしていた。僕も鏡を見たらそんな顔をしているんだと思う。

 僕は先輩に手を振り返し、取ってくれていた二人用の机を三つくっつけた席へと向かった。


「お待たせしました、先輩」

「うん…………じゃなくて『全然待ってないよ、今来たところ』」

「待ったんですね。遅れてすいません」

「ちょっと颯たん! 先輩の粋な演技を無視するのかい!?」


 綾菜先輩はそう言うと立ち位置から一番近い席をバンバンと両手で叩く。これが所謂『台パン』という奴だ。違う。

 綾菜先輩が台パンし始めると澄が少し大きめに咳ばらいをした。先輩は「ごめんごめん」と軽く会釈すると大人しく席に着いた。左で立つ風子が「浅間澄……まさか生徒会長さんを大人しくするほどの力を持っているとは、侮れないのです」とハンカチを噛みながら呟いていた。そんなところで対抗心を燃やさないでください。


「全員そろったことですし、そろそろお昼ご飯を買いに行くとしましょうか」

「……そうだね。私もうお腹すいちゃった…………」

「俺も腹ペコだぜ! たぶん今俺が一番疲れてお腹空いてる自信ある」


 昌平は席の上に置いてある大きな箱に目をやる。なるほど、あの箱の中身は午前中に澄たちが買いに行った温泉部の買い物の品なんだろう。そしてそれを昌平が運んできた、と。中々大変だったなと思いながらも、半分自業自得だと思ってしまう。

 昼食目前で若干浮かれ気味な僕たちだったが、不意に僕の顔の横らへんにスーっと手が出てきた。風子の手だ。見ると風子は手を挙げている。


「皆でお昼ご飯買いに行っちゃったら、荷物とか危ないのではないかです? ここには人がいっぱいなのです」


 風子の一言に一同ハッとして顔を見合わせた。

 そう言えばそうだ。ここは都会と言わないにしても、僕たちの地元よりも発展している。地元だったら家の鍵を掛けなくても問題ないレベルなのだが、ここではそうはいかない。きっと荷物なんて置いていたら、三秒でなくなってしまうだろう。三秒は少し盛ったかもしれない。

 兎に角、誰かを荷物番として待たせるのが賢明な判断だろう。皆もそれを理解したのか、視線が自然と昌平に集まる。昌平は皆の視線を感じ「えっ? 俺!? やだやだ!」みたいなジャスチャーで必死に訴えかけてくる。

 澄がスーッと昌平に近づき肩に手を乗せたその時だ。


「こんなところに居たのかえ、お兄様方」


 不意に後ろから聞き覚えのある声がかかる。視線を百八十度回転させるといつもと変りなく白く桃色の線が入った和服を着た白髪の愛くるしい幼女が立っていた。名前は確か、九重姫乃。ヒメと呼べと本人からは言われている。僕らの高校に迷い込んでしまったところで知り合った、恐らく中等部の先生のお子さんだ。

 姫乃は一歩、二歩と小さな歩幅で僕にすり寄ってくる。


「わはは! 来ちゃった……」

「久しぶり。何だよその恋人が夜這いに来たようなセリフは」

「ちょっと言ってみたかっただけじゃ。それより夜這いとは、やらしいの~お兄様は! えっちぃ、えっちぃのじゃ!」


 ヒメが声のボリュームを上げてそう言うと、フードコートにいた他の客が一斉に僕の方を向いた。向いたような気がした。後ろから突き刺すような視線を感じるけど、それはきっと澄のものだろう。

 思わず恥ずかしくなってヒメに弁解を求めた。するとヒメは不思議そうに首を傾げる。どうやら目の前の幼女は周りの視線をあまり気にしないみたいだ。そう言えば、周りの視線を気にし始めるのは思春期と保健体育で習った気がする。ヒメはまだ思春期じゃなく、僕は絶賛思春期中と言うことだろう。

 澄たちへの弁解は僕の方からまた後でするとして、まずは


「こんなところって言ったけど、僕からしたらどうしてヒメがこんなところに?と聞きたいんだけど」

「ああ、それはじゃな…………朝、偶然お兄様方が駅に向かうのを見つけてのう。あとをつけてきたという訳じゃ! しかしそこまで遠くに行ってなくて助かったのう」

「後をつけてきたって……すごい行動力だな。電車は大丈夫だったんだね。切符の買い方とか初めてなのに良く分かったな」


 僕は少々大袈裟に相槌を打つ。

 実を言うと僕は最初電車の乗り方がさっぱり分からなかった。他の町に行くことなんてなかったのだから仕方ないとは思うが、当時は少し電車というものを難しく考えすぎていた節がある。小学生の時の職場学習で隣駅に行かなければならなくなった際、そこで初めて乗り方を知ったのだった。僕と兎莉と澄で駅に向かったは良いが切符の買い方が分からず、泣く泣く駅員さんに聞いたのは良い思い出だ。

 兎莉と澄を見ると、恥ずかしそうに頬を微妙に赤らめていた。澄が恥ずかしがるなんて珍しい。どれくらい珍しいかと言えばスーパーレアぐらいだ。スーパーレアぐらいってなんだ?例えが雑だった。

 僕の一言に少しヒメは自信たっぷりの表情で答える。


「切符? そんなもの童には必要ないのじゃ。駅員さんが切符無くても入っていいと言っておってな。○Rは童の下僕も同然なのじゃ! わはは!」

「こら、大層なこと言うんじゃあない」


 ○Rの人が聞いていては怒りそうなことを堂々と言うヒメに僕は苦笑いせずにはいられなかった。なるほど、確かJ○は小学生未満は切符が必要ないんだった。都市伝説だと思っていたが本当だったみたいだな。

 兎に角、何故どのようにしてヒメがここに来たのかが明らかになった。ヒメが来てしまった以上、昼飯を買いに行く際席に置いておくのを昌平にするのは問題があると僕は知っている。


「ヒメも来ちゃったわけだし、僕が席取って待ってるよ。皆は先に昼ご飯買いに行ってきていいよ」

「あら良いのですか、颯太さん?」

「別に気を使うことはねえぜ! 今流れ的には俺が待つ感じになってたし、俺がヒメちゃんと席で待つぜ。安心して皆買いに行ってくれ!」


 ニヤニヤとしながら昌平がそう言う。全然安心じゃない。前科持ちの人の言うことは流石に説得力がある。悪い意味で。

 澄は昌平の真意にいち早く気付いたのか、昌平の襟元を捕まえて「分かりました。颯太さん留守番お願いします」とお店の方に歩いて行く。綾菜先輩、兎莉、風子も後に続いて続々と昼ご飯を買いに行った。これで一件落着で僕も一安心だ。

 残された僕たちは皆の荷物を椅子の上に乗せると余った椅子に座った。ちょこんと座る姿は着物の色合いと相まって牡丹の様。僕は先程少し気になったことをヒメに聞いてみる。


「そう言えば、ヒメはまだ小学生じゃなかったんだね。僕はてっきり小学生だと思ってたよ」

「小学生……ああ、あれのことか。確かに童は小学校に行っておらん」


 何故か自信なさそうにヒメはそう言った。小学校について良く分からないのかもしれない。懐かしいな。僕も幼稚園児の頃は小学校がどんなものか分からなかったし、小学生の頃は中学校がどんなものか分からなかった。こういう経験は誰しも一度は通るものだと思う。


「と言うことはヒメは五歳ぐらいなの? それにしては随分、いろんな言葉を知ってるね」

「お、童を褒めておるのかえ? 嬉しいのう。だがな、童は五歳では無い。体は七歳ぐらいなのじゃ」


 褒められたとヒメは嬉しそうに無い胸を張る。子供のこういう無邪気なところを見ると僕の心は浄化されるような気が…………ん?

 ヒメは今何と言った?僕の聞き間違いじゃなければ七歳と言っていた。そして小学校には行っていないとも…………先程小学校について触れた時に自信なさげに答えていたのはこういうことだったのか。僕の頭に過るのは『不登校』の文字。いじめ、病気……理由は分からないが、今目の前でこんなにも眩しい笑顔を見せる彼女も心に闇を抱えているのかもしれない。

 正直、僕はこういう状況に実際立ち会ったのは初めてだ。どうしたら良いのか、正解なんて分からない。デリケートな話題はすぐに踏み込まない方が良いとも聞いたことがある。だとしたら今彼女に対して僕がしてあげられることとしたら、変わらず友達でいることだと思う。友達として彼女の間違いを一つ正そう。


「ヒメ……」

「何じゃ、お兄様? 童をじっと見つめて」

「よく聞いてくれ、ヒメ。七歳はな…………電車に乗る時、切符が必要なんだ」


 僕は周りに聞こえないように声のボリュームを下げてそう言う。ほえ?とヒメは呆気にとられた表情でそれを返す。反応から察するに、小学生が切符必要だということ自体知らなかったのだと思う。

 おどおどと小さな白い手を目の前に出してヒメは答える。


「で、でも駅員さんは通って良いと言っておったのじゃ……」

「それはヒメが小さいから、幼稚園児と間違えられたんだと思う。幼稚園児までは電車賃は無料だから」

「ぐぬぬ……あの駅員さんめ、童を見くびっていたというのか! てっきり童の下僕になったものと……」


 ヒメは悔しそうに唇を噛んだ。戸惑ったり、悔しんだり、怒ったり全く忙しないやつだ。

 僕はヒメの肩に手を乗せこう続ける。


「帰りは電車賃払おうな」

「そ、そうしておくのじゃ…………」


 コクリと頷き、彼女は反省の色を見せるのだった。


  *


 昼ご飯を食べ終わり暫し休憩を入れた後、僕たちは本日の目的の一つである風子の歓迎会をすることになった。歓迎会とは言うが『会』などではなく、単純にショッピングモールで遊ぶということではあるが。

 初めにどこに行こうかと風子に聞いたところ、洋服を買いに行きたいと言う。荷物になるものを先に買いに行くのはどうなのかと一応聞いては見たが、そこは綾菜先輩が割り込んで「荷物持ちがいるから大丈夫っしょ~」とのこと。つまりは僕と昌平のことだろう。今日の主役は風子だから少しは我慢できるというものだ。

 風子は分かりやすく機嫌が良さそうで、通路を軽くスキップしながら進む。白いワンピースが風に吹かれたカーテンの様にたなびいた。


「さて、洋服売り場に到着! ここら辺一帯は全部服屋だからね!」

「それは凄いのです! 興奮してきたのですよ~!」


 風子はそう言うと、一目散に一番近いお店に入っていってしまった。風子はこのショッピングモールに来るのは初めてと言っていた。田舎者が少し都会に出てみたらああなるという模範解答みたいなのを見れて面白くもあり、僕も初めてここに来たときにはあんな感じだったのを思い出して恥ずかしさも感じる。仕方ない。結局、僕らは誰一人余すことなく田舎者なのだ。

 綾菜先輩が風子の後をついて行き、僕を含めた二年生メンバーとヒメが残された。


「颯太さん、私たちも後を追いましょうか」

「そうだな。特に見て回りたいところはこのフロアに無いし」

「あはは…………ウィンドウショッピングになっちゃうかもしれないけどね?」


 兎莉がいつものあどけない調子でそう言う。確かに兎莉の言う通りだ。買うものが特にないから、ウィンドウショッピングになってしまうのは必然だろう。店員さんに申し訳ないと思っていたその時、僕の頭に何か引っかかるものがあった。


「そういやヒメ。そんな服装でよくここまで来たな」

「そんなとは何じゃ、そんなとは。まあ、あれじゃな……来るときは大変であった」


 ヒメは表情を曇らせ、どこか遠いところを見る様に瞳を濁らせた。

 思った通りだ。今は冷房がガンガンに効いた室内にいるわけだけど、外は相当な気温だった。そんな中、ヒメは何枚も重ね着された着物でここまで来ていたわけで……想像するだけで熱くなってきた。


「ヒメ、そのままじゃ帰る時大変だろ? 何か一着買った方が良いんじゃないか」

「まあお兄様よ、心配するでない。童はいざとなれば……この着物脱ぎ捨てる覚悟なのじゃ」

「脱ぐ!?」


 ヒメは僕をたしなめるようにそう言うが、何故そこまで冷静なのか分からない!ヒメは結構な世間知らずだとは思うがまさか裸で帰ろうとしているだなんて。僕が混乱していると、兎莉が後ろからツンツンと僕の背中を突いた。


「……颯太くん。ヒメちゃんはあの下に肌着を着ていて、それになるって言ってるんだと思うよ?」


 僕が知りたいと思っていたことを先回りして兎莉が教えてくれる。なるほど、『脱ぐ』という単語に過剰に反応して頭が回っていなかった。ヒメの着ている肌着がどのようなものかは知らないが、帰りはそれほど心配しなくてもよさそうで一安心だ。

 突然、ヒメが何か思い出したかのように飛び跳ねた。


「そう言えば、童は下の物を履いておらんのだった……お兄様どうしたら良いかのう?」

「下を履いて無い……って、本当なの?」

「本当じゃ」

「本当に本当?」

「だから本当だと言っておろう。あ、パンツは履いておるぞ」


 ヒメの表情からは全く嘘の気配が感じられない。これはマズイことになった。女の子のそう言う事情は僕の手には負えない。僕は兎莉に視線を送ると彼女はそれに応えて前にでる。


「…………それじゃ、ヒメちゃんの……スカートでいいかな?」

「スカート、良いのう! 童一度履いてみたかったのじゃ!」

「スカートを選ぶという名目で…………」


 兎莉はヒメに確認を取りながら話を進める。ヒメはスカートを履いたことが無いらしく今まで以上にはしゃいでいた。

 今まで黙っていた澄が話の終着点を見つけて口を開く。


「私たちはウィンドウショッピングを楽しむとしましょう」


 澄の一言を皮切りに僕たちは風子たちが向かったお店に心置きなく向かった。

 お店に着くと澄と兎莉がヒメを連れて女性用服のコーナーに行くと言い、僕と昌平も特にやることが無いため彼女たちについて行くことになった。若干の疎外感、居辛さを昌平と共に感じながらも、ついにレディースコーナーへと到着する。

 周りを見渡すとピンクや黄色など如何にも女の子らしい色合いの服が乱雑に並べられた空間。レディースコーナーはこんな感じになっていたのか。全体的にパステルカラーでまとまった服たちは意外にも落ち着くもので、先程まで感じていた居辛さはあまり感じなくなっていた。


「割と落ち着くもんだな、昌平」

「ああ、俺ランジェリーショップの感じを想像しててな、それに比べれば拍子抜けって感じだな!」

「うーん……僕はランジェリーショップ入ったこと無いから良く分からないけど、僕も想像よりは良いなと思うよ」

「颯太、ランジェリーショップ入ったことねぇの? 俺らの地元の服屋にもコーナーあるぞ」


 すごく疑問な表情で昌平は聞いてくる。


「いや、見かけはするけど入りはしないだろ。どうしても入らなきゃいけない理由なんてないんだから、入る必要ないと思う」

「例えばだ」


 僕の言葉を遮り昌平は人差し指を顔の横に持っていき真剣な眼差しでそう言う。昌平が突然真面目に話に入る時は大抵真面目な話じゃない。真面目に話に入らなくても、真面目な話じゃないので、結局昌平の話は殆どが適当なものなのだ。僕はあまり期待せずに、目を細めて話に耳を傾ける。


「俺はあそこに用事があるとしよう」


 昌平は顔の横から人差し指を立てた状態を保ちつつ店奥にある試着室を指さした。次いで左手で兎莉たちが服を見ている場所を指さす。


「用事がある場所と現在地の間にランジェリーショップがあると思ってくれ。そう、今、澄とかがいるらへん」

「お、おう」

「こういう時、俺はとにかくせっかちだから、最短距離で目的地に着きたくてな……間にあるランジェリーショップを通るってわけだ。理由ならしっかりあるんだぜ!」


 昌平はそう言い切った後「完璧だ」などと呟く。しかし、彼の言っていることはやはりおかしい。昌平らしいと言えば昌平らしいのだが……


「でもさ、昌平。こういうお店って碁盤の目ほどじゃないけど、結構きっちりと洋服のコーナーが直角に並べられてるだろ」

「言われてみればそうだな」


 昌平はそう言って周りを見渡し、うんうんと頷く。


「だからさ、斜めに移動するってことが無いんだし、間のランジェリーショップに入った道のりと入らずに避けた道のり変わらなくないか?」

「ほえ?」

「数学の問題でやったと思うんだけど……確か確率のところ」

「あ、そんなのあったわ」


 僕が言っているのは碁盤の目の最短経路は何パターンありますかと言う問題だ。何だったっけかな……マンハッタン距離が何だとか数学の先生が言っていた覚えがある。兎に角、昌平結局のところ、ただランジェリーショップに入りたかっただけだということだった。

 僕たちがグダグダと話している間も、澄たちは洋服を取っては体に当てて、取っては当ててを繰り返す。ヒメも色々スカートを見て楽しんでいるようだった。

 そう言えば、風子たちはどこに行ったんだろう。たぶん同じお店にいると思うんだけど……僕は昌平に一言告げると風子たちを探しに行くことにした。残された昌平は僕と別れた後すぐにヒメの方に向かおうとするが澄がそれを制したのを目撃。グッジョブ澄。

 特にあてもなく歩いていると自然と先程話題に上がった試着室へとたどり着いた。しかし、ここにも風子たちはいない。また他のところ、それとも違うお店に行ってしまった可能性もある。このまま探し続けるのも不毛だし、僕もウィンドウショッピングをしようかなと思う。

 そう言えば僕は丁度、新しいズボンを買え買えと母から言われていたところだった。今日はお金が無いから買うことは無いが、下見をしておくのは良いだろう。

 僕は第一印象で良いと思ったズボンを手に取り試着室の扉を開ける。

 開けるとそこには、何故か先客が居て…………


「…………っ!! 風子!?」

「えっ、センパイ…………って、モゴモゴ」


 叫ぼうとする風子の口を僕は両手で塞ぐ。僕はすぐに靴を脱ぐと試着室の中に入った。頭が真っ白になりそうになるのをぐっと耐えて、冷静に今の状況を確認する。

 目の前には風子が涙目になりながらも僕の手で口を塞がれている。着ていた白いワンピースは試着室の床に落ちていて、今の彼女はブラとパンツだけを身にまとっていた。服の上から見た通り、有るか無いか良く分からないサイズの胸を隠すブラは黄色の花柄でパンツとおそろいの色をしていてなんとも風子らしいと感じる。彼女が苦しそうにしていたため手を口から話すとケホケホと小さく咳をして肩で息をしていた。

 って、冷静に考えて今の状況僕は完全に性犯罪者なんですけど!?どうしよう、これじゃあ歓迎会とは名ばかりの違うパーティーになっちゃうよ!大学生とかで問題になってる如何わしいやつになっちゃうよ!?

 僕の慌て加減とは裏腹に風子は案外冷静な様子で口を開いた。声を潜めて耳元で囁きかける。顔を寄せた瞬間風子の得も言われぬ女の子の匂いが鼻を撫でた。


「センパイ、どうしてここにいるのです? 風子だったから良いものを、他の人の所に入ったりなんかしたら通報ものですです」

「風子落ち着いてるな……僕なんて心臓バクバクで頭おかしくなりそうなのに。僕が入ってきたのは単純に中に誰もいないと思ったからだよ。決して風子がいると知ってやましい気持ちで入ったわけじゃないからね」

「そうだったのですか。ちょっと残念…………ではなく! 中に人がいるのは普通分かるものじゃないのですか?」


 風子は首を傾げ上目遣いでそう言った。確かに試着室は中に人がいるかどうか普通だったら分かる。そう、普通ならば。しかし今回は違ったのだ。


「風子、靴履いたまま試着室入ってるだろ。あれだと中に誰か入ってるなんて分からないよ」

「えっ?」


 彼女は目を見開き自分の足元を確認する。紛れもなく履いたままになっている自分の靴を見て心底後悔したような表情でうな垂れた。


「これは……私の方にも問題ありですね。本当にごめんなさいなのです!」

「いやいや、謝るのは僕の方だよ。こちらこそごめん! 不注意だった」


 お互いに小さくお辞儀をすると狭い個室であるため顔があまりにも近くなる。僕らは赤くなってすぐに顔を逸らした。

 黙ってしまうと風子の息遣いまでもが聞こえてきそうで、たまらず僕は会話を繋ぐ。


「それじゃあ風子、僕は出るからね。出た後ちゃんと靴は外に出しておくように」

「あはは……了解なのです」


 風子は流石に懲りたのか、苦笑いしてそう言った。

 そして僕が試着室を出ようとしたその時だった。不意にドアの向こうから聞き馴染みのある明るい声が響く。


「ふーうちゃん! おーわった?」


 小学生が友達の家に遊びに行くときの様な口調でそう言う。声の主は間違いなく綾菜先輩だった。

 綾菜先輩の声に風子がドキリとしながらも返事をしようとしたところを、僕が再び手で口を押え制す。「何するんです!」と風子は小声でそう言うが、当たり前だ。今試着室の前には僕の靴が置いてある。僕が出なかったらあまりにも不自然だ。

 僕は風子に耳元で少し黙っているように囁き、先輩の声に答えた。


「ん? もしかしてその声は先輩ですか?」

「あれ!? 颯たん? 颯たんなのかい?」

「はい。先輩の後輩の颯たんです」


 少し不自然な返しになったが先輩が気にしていないことを願おう。

 先輩は少し間を空けて再び続ける。


「へー、颯たんも服選んでたんだ! ちょっと意外~あまり服とか興味ないと思ってた」

「確かに服には興味ないですけどね。母がズボンぐらい買って来いってうるさいので、仕方なくです」

「へー、ズボンと言うことは、今颯たんはパンツなのかな? 覗いたら颯たんのお宝映像が……」

「ちょっとやめてください! 本当にパンツなんですから」


 僕はわざとらしく声を大きくしてそう言った、勿論僕は今パンツでは無い。しかし、お宝映像が見られてしまうことは間違いないのである。


「冗談、冗談。ところで颯たん…………」

「何ですか?」

「風子ちゃん知らないかな? さっきまでここの試着室入ってたと思うんだけど」


 声のトーンを一つ落としてそう語り掛ける。冷たいその声に僕の心臓は一瞬鷲掴みされたかのようにビクンと跳ねる。


「し、知らないですね。どこかに行ったんじゃないですか?」

「本当に?」

「本当です」

「本当に、本当?」

「本当ですってば」


 このやり取りさっきやったぞ!綾菜先輩さっきの見てたのか!?と心の中で突っ込みを入れるが、事態はあまり良いものでは無かった。何故かは知らないがものすごく疑われている。女の勘ってやつなのか。


「中には颯たんだけなんだよね?」

「中には、他に誰もいませんよ」

「嘘だっ!!!!」


 先輩が急に声を荒げてそう言った。僕は勿論、風子までもが恐怖で飛び上がり、お互いを抱くような格好になってしまう。風子は悶絶した後、混乱のあまり顔を赤くして目を回してしまった。僕は後から恥ずかしさが込み上げて回す手を緩めたが、最初全くの無意識に風子を抱いていた。それほどまでに綾菜先輩の声には迫力があったのだ。先輩は文化祭の時にも思ったけど、演技全般が上手い。体の捌き方もそうだけど、特に声が凄い。何故そんな音が出るんだという全然違う声質も平気で出せてしまう。扉の向こうで先輩がどんな顔してさっきの台詞を言ったのかは分からないが、声だけ聴けば少し病んだ人そのものの不気味さがあった。


「私には分かるの。颯たんが嘘ついてるのなんてすぐに分かっちゃうの。ねぇ? ねぇ!」


 そう言いながら扉をガンガンと叩く。幸い、風子は気絶してしまっているため僕が再び風子を抱きしめてしまったことを彼女は気付いていなかった。全身に柔らかい感触が広がった。

 興奮をそのままに綾菜先輩は続ける。


「颯たんあの女と一緒にいるんでしょ? 私には分かる。後輩だか何だか知らないけど色目使って颯たんに纏わりついて、あの女のそう言う匂いが試着室から染み出てるんだよ?」

「ちょっと先輩落ち着いてくださいよ。風子の事、あの女なんて先輩らしくない……」

「颯たんはあの女の子とかばうの……?」


 掠れそうな声でそう言った。声がなんだか近くなっているように感じる。扉にかなり近い位置で喋ってるのか?霊が段々近くなってくるホラー映画の様だ。


「いや、そういう訳じゃ……」

「颯たんはそんなこと言わない!!!!」

「ひえっ!」

「どうしてそんなこと言うの~? 今まで颯たんそんなこと言ったこと無かったのに!」


 再びドアを叩きだす。二回目ではあるが怖いものは怖いので僕の心臓は破裂しそうなほどに飛び跳ねた。

 もうだめかと思ったその時遠くから聞き覚えのない高く澄んだ声が聞こえる。


「お客様……他のお客様の迷惑になられますので……」

「あっ、すいません! ちょっと知り合いをからかってただけですので!」


 店員の声に綾菜先輩はいつもの声音で慌ててそう言った。うすうす感じてはいたが、先輩は僕をからかっていたんだと思う。大方、演劇部に病んだ演技をしてくれと頼まれただとかそんなのだろう。上手く僕は使われてしまったというわけだ。


「颯たんごめんね。驚いた?」

「驚きましたよ。そりゃあもう気絶するかと思いました」


 実際している人もいるし。


「それは大げさだよ~いやあ、昨日ヤンデレな女の子に関するドラマCDを聞いてね、つい真似したくなったんだよね~! 怖がってくれたみたいで満足、満足!」


 結構、適当な理由だった。と言うか、ヤンデレな女の子に関するドラマCDってなんだ?

 演劇部さん、次の路線はこれで行った方が良いかもしれないですよ。僕は心の中で雑に演劇部にアドバイスを入れると、肩の力を抜いた。

 何はともあれ、先輩に中を覗かれなくて助かった。腕の中の少女は未だ目を覚ましていないが、すぐに起きると思う。寧ろ今度の問題はこっちのような気がした。


「それじゃ、颯たん。試着邪魔しちゃってごめんね~!」

「あ、いえいえ。別に大したことは無いですよ」

「そう? ならよかった」


 そう言うと先輩は足音を遠くへと鳴らしつつ離れていく。4,5歩、歩いたところで先輩の声が再び聞こえた。


「言い忘れてたことがあった! 颯たん、試着室は土足厳禁だからね! それじゃ~!」


 先輩の一言が僕の頭に引っかかる。土足厳禁?僕の靴は外にあるわけだし……僕はふと目の前の少女の足元を見て、なるほどと一人納得した。

 はあ、と深くため息をつく。残念なことに、どうやら問題は思ったよりも多いみたいだ。


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