第二章:生徒会選挙のエトセトラ

第13話 微炭酸な始まり


 カコン。

 …………カコン。

 一定のリズムで、洗礼された竹の打つ音が浴場に澄み渡る。

 誰が置いたのか分からない鹿威しがそれを奏でる。

 北の山の麓にあるここは地域の人もよく訪れる人気の温泉。

 文化祭が終わったこともあり、久しぶりに温泉部の活動をしている。

 そして、新入部員が入って初めての部活動でもある。


「だ~か~ら!! ここは風子の家が近いんだから、風子が一番分かっているのですよ!!」

「そんなこと言われましても、指示薬の結果はこうなっています」


 竹の板に腰かける僕――山本颯太は、その向こう側から聞こえる声を傾聴していた。

 どうやら揉め事の様だ。

 しかし、いつものことなのでそこまで心配するような事態じゃない。

 一人称を『風子』と呼ぶ声の主は、秋風風子。

 温泉旅館『秋風』の娘であり、彼女こそ僕たち温泉部の新しい部員だ。

 文化祭では敵として温泉部と戦った彼女であるが、今ではこうして僕たちと共に温泉部の活動をする仲になっている。

 耳を貫くような高い声で土曜のまだ午前中だというのに秋風さんは叫んでいた。


「お湯の質が変わっていると言っているのですよ!浅間澄にはそれが分からないのですか!?」

「……確かに私も違和感は感じます。しかし部活動でやっている以上きちんとした数値で測定しなければなりませんよ。温泉部の後輩さん?」

「う~ん…………ちょっといいかな?」

「どうかしましたか、先輩?」


 一触即発の雰囲気を漂わせる中、2人とは違った声質の声が若干引き気味に言う。

 我が温泉部の部長兼、白結第一高等学校の生徒会長――辻綾菜だ。

 学年が3年生なので僕の1つ上の先輩と言うことになる。

 先輩は色々と輝かしい成績を多数収めていて、と言うか寧ろ輝かしい成績を収めているのは知っているんだけど具体的に何が凄かったのか、その全貌はよく分からない。

 知っているのと言えば去年の陸上大会、短距離走で全国大会に出たということだ。そんな話は今関係ない。

 彼女たちの話を僕は引き続き聴く。


「もしかしてだけどさ、この指示薬壊れてない?壊れるって言うと変だから、おかしくなってない?」

「その可能性がありましたか…………流石先輩です。失念していました」

「じゃあ、やっぱり風子の言ってることは間違ってなかったかもしれないです?」

「颯たん~! 指示薬について何か知ってることある~?」


 竹の板を挟んで綾菜先輩が問いかける。

 指示薬について聞かれたわけだけど、残念ながら僕には心当たりがない。

 知らないというのも重要な情報になることもあるようだし、一応そのことは伝えておこう。

 その前に僕は一緒に入っている金髪のツンツン頭をした友達――山崎昌平に心当たりがないかを聞いてみた。

 昌平はブルッと体を震わし、ゆっくりと首を回しこちらを向く。湯冷めでもしているのだろうか?


「…………いや、俺は何も知らねえぞ」


 何故か青ざめた表情で、小さくそう言った。

 山崎昌平と言う人間を一言で表すとしたらそれは阿保である。

 馬鹿でもある。

 そうであるから嘘をついているときそれを隠すことなんてできるわけが無かった。

 彼の反応から恐らく今回の指示薬の問題の原因が分かった。


「綾菜先輩。原因は昌平です。理由は分かりません。でも昌平です」

「何だって!? おいこら昌平、部の備品に何したんだ~!」

「うわああああ、颯太ばらすなよ! 何もしてない、何にもしてないですって!!」

「ばらすなよって言った時点で犯人はお前だ、馬鹿昌平がっ!!」


 バシャリと音を立てて昌平が立ち上がる。

 目の前に昌平のあれが現れて僕は顔を逸らした。

 壁の向こうから激怒する綾菜先輩の表情を想像しながら僕は斜め上を見る。

 綺麗な入道雲が6月の空に広がっていた。

 梅雨というものを感じられない、良い天気だった。

 犯人が分かったところで、今日の部活は普通に温泉に入ることにシフトする。

 温泉部は大抵こんな感じに温泉に入っているだけのような気もしなくもないが、一応部活と言う形をとっているためそれなりの活動をしなければならない。

 そしてその活動と言うのがさっきしていたような『温泉の管理』だ。

 僕らの住む地域には足湯や露天風呂など多くの温泉が至る所にあるため、その管理が大変である。地域の特色上、老人ばかりなので温泉部が温泉の清掃をしてくれるだけでもありがたいそうだ。それだけでは味気ないということで水質のチェックまで部活動の一環でやっていたりする。

 僕は温泉につかりながら昌平に何をやらかしたか聞いてみると、どうやら指示薬を不注意でこぼしてしまったらしい。

 いかにも昌平らしくてもっともな理由だった。


「それで今、あの中身はC○レモンなんだ」


 続けて昌平はそう言った。

 何故、ビタミンC豊富なレモン味の炭酸飲料を指示薬の代わりにしてしまったのか、果たして僕は彼をどのように擁護したらいいのか、そもそも擁護すべきじゃないんだろうか。

 友達としては何かしらの手助けをしてあげたいところだが、昌平の言い訳が思いつかない。

 温泉から出ると綾菜先輩に詰め寄られる。

 浴衣の胸元からうなじにかけてが妙にセクシーな装いを見せる彼女を「だらしないですよ」と注意するが「ごめんごめん」と軽く流された。頬が軽く染まっていたのは温泉上がりの所為か恥ずかしさの所為かは分からない。

 後ろに控える秋風さんは先輩を見ながら兎莉に何か話を振っているようで、兎莉は若葉色の浴衣の裾を掴み苦笑いしながらそれに応えていた。いつの間にか二人は仲良くなっていたらしい。

 余所見をしていると綾菜先輩は僕を催促する。僕は昌平を擁護しようと試みてはみたが、結局昌平は校庭10周という文化部あるまじき刑を受けることになるのであった。


  *


 6月だというのに相変わらず雨は降らない。

 異常気象だろうか。

 天気予報では梅雨はすでに通過したとかなんとか言っていたのを信用していなかった僕なわけだけど、ここまでくるといよいよ信じる他ないのではないかと思う。

 雲もなく、遮るものが無いためここぞとばかりに照り付ける太陽がコンクリートの反射とのコンビネーションで僕を攻めた。

 全身の汗腺が開いている。コンクリートとは何故ここまで暑いのか。ヒートアイランド現象とかいうやつは非常に困る。普段は田舎のことを自虐的に思っていたがこういう都合の悪い時は田舎のことが恋しくなる。僕らの町も中々やるじゃないか。

 高湿度も相まってあまりの暑さに僕はため息をつく。


「颯たん! ため息つくと幸せが逃げるよ!」


 綾菜先輩はオレンジ色のTシャツの襟元をパタパタとはためかせ暑苦しそうに言う。

 僕は口をすぼめて「暑いものは暑いんです」と文句を言うが、綾菜先輩の耳にはそれは届かなかった。

 僕らの前を先導し脇に整備された街路樹を囲むメインストリートを、先輩はてくてくと歩きながら「幸せは~歩いてこない~」と随分こぶしのかかった調子で歌った。先輩は一体何歳なんだ。


 僕たちは今、地元から少し離れた町に来ている。

 最寄り駅までバスで30分。そこから電車で20分かかった。

 何故車移動の方が長いんだ、と思わず自分で突っ込んでしまうが最寄り駅が遠いのだから仕方が無かった。

 こんなことになった発端は先日の部活の中で発覚した昌平の不注意だ。僕は勝手に『C○レモン事件』と呼んでいる。『○』が英語の『O』に見えなくもないが、レモンなんて役職は存在しないため勘違いする余地はないだろう。レモンは村人サイドなのか?そもそも口に出すときは商品名なんだから気にすることなんてなかった。

 冗談はさておき、そう言うことで使えなくなってしまった指示薬を買いに離れの市まで来たというわけだ。

 ただ買うだけなら、一人でもよさそうだがせっかくなので温泉部の新入部員である秋風さんの歓迎会を兼ねて遊びに出ているというのがもう一つの目的になっていた。

 そういう訳で、いつものメンバーの他に秋風さんも一緒にメインストリートを歩く。

 白いワンピースなのは分かるのだが、何故か麦わら帽子をかぶる彼女は少し俯き加減に歩いていた。

 いくつかのメインストリートの行きつく場所となる少し開けた広場までくると綾菜先輩はぴたりと足を止め、振り返った。


「よーし、到着!! 大した距離無かったね!」

「そうですわね。学校までの通学路の半分もありません」


 澄は胸を張ってそう言う。

 学校から家が遠いなんて自慢になるのか知らないが、僕たちは普段から結構な距離の通学路を歩いているので、今歩いたぐらいの距離ではへこたれることは無かった。道も舗装されていて歩きやすいのもある。


「ここから二手に分かれましょう。一つは温泉部の買い物に行く班、もう一つは先にショッピングモールに行く班です」


 澄は僕たちを見回すと、迷いなく口を開く。

 何故二手に分かれるのかと聞いてみたら、どうやら指示薬を売っているお店はそこまで広くないらしく全員で押しかけても何人かは待つだけになってしまうそうだ。

 だから二手に分かれて一つの班は先にショッピングモールでぶらぶらしてた方がいいということだ。

 「じゃあ俺はショッピングモールに」と言う昌平のツンツン頭を押さえつけ澄は強引に引き寄せる。


「部の買い物は、私とこの猿と辻先輩で行きます。颯太さんたちは先に遊んでいて下さい。あとで合流しますので」

「ちょっとすみすみ~! 何で私も部の買い物に行かなきゃダメなのさ! 不公平だ~!」


 保健体育の教科書の防衛機構の欄にある幼児退行のポーズを取りながら綾菜先輩は抗議した。先輩の演技は妙にうまくて思わず頬が緩んでまう。

 抗議する先輩に澄は申し訳なさというものを感じさせないほどすっぱりと呆れながら言う。


「部費は辻先輩が持っているのですよね? 辻先輩が来てくれなければ買い物が出来ません」

「あっ! そうだった、ごめんごめん忘れてたよ~! 今日の私は財布係だった」


 なんとも意味深な発言をしながら先輩は笑い飛ばす。瞳は澄を向き、何故か笑っていないような気がしたが僕の思い違いだと思われる。

 僕らの関係を知らない人がこの話を聞いたら、先輩にたかるクズのような後輩たち、だったり、学校内の力関係がめちゃくちゃな世紀末な学校の生徒たち、のような印象を受けるのかもしれない。教育員会に問題として取り上げられるのは間違いないだろう。


「じゃあ俺は財布係じゃないし……」

「昌平さん」

「…………はい」

「言葉と言うのは、己の思いを相手に伝える際完全な形で伝わらないことがあります。それがきっかけで喧嘩になったりすることも多々あるでしょう」


 突然澄は諭すような声音で昌平に語り掛ける。

 優しい口調だったが、なんか紫色のオーラみたいなものが見えなくもないのでたぶん内心怒ってるのは間違いない。


「ですから、言葉には注意しなければなりません。もしかしたら自分が言った何気ない言葉が相手を怒らせてしまうかもしれません。怒る以上のことになるかもしれません。それは悲しいことです」

「…………」

「ところで、昌平さん。先程は何とおっしゃろうとしていたのですか?」

「……俺は財布係じゃないけど、澄さんについて行こうと思います」

「あら、昌平さん。なんて優しい雄だこと」

「せめて男にしてくれよ!?」


 昌平は周りを歩く一般客を気にすることなく広場に響くほどに叫んだ。

 澄たちが部の買い物に行ってしまい、残された僕たちはショッピングモールへと足を運ぶ。少し気まずい雰囲気を感じるが、それは僕がまだ秋風さんと仲良くなっていないからだと思う。


「さ、行くのですよ。と言ってもショッピングモールがどこにあるのか分からないから案内してほしいのです」

「秋風さん、ここに来るのは初めてなんだ。僕と兎莉は来たことあるから案内するよ」

「……そうだね。頼ってくれてもいいかも……ってなんだか先輩みたいで恥ずかしいな?」


 兎莉が俯き加減でそう言うと、顔を見られたくなかったのか歩幅は小さく、しかし振りは速くてくてくと先に行ってしまった。僕たちは兎莉の後ろについてゆく。

 必然的に秋風さんと並行して歩くことになったわけだが、喋ることが見つからなかった。

 後輩から先輩に話しかけづらいのは分かっているから僕の方から話を振っていかないといけないのだと思うのだけど、なんともこちらからも話しかけられずにいた。

 秋風さんのつんけんしていて自信家な性格を知っているため、彼女は後輩なのに後輩と言う気がしないのだ。見た目はこまくて、愛くるしい彼女であるが根底には澄と同じ『温泉娘』なのだと確信を持てる。

 こんなこと言ったところで、ただ秋風さんに話しかけられない言い訳にしかならないか。

 グダグダと、綾菜先輩が聞いたら「乙女かっ!?」と突っ込まれそうなことを考えていると、秋風さんの方から声がかかった。麦わら帽子で隠れてはっきりは分からないが目線は斜め下を向いていた。


「山本……センパイは、風子の事嫌いですか?」


 不意を突かれた言葉が耳を通り抜ける。

 どう答えるべきか一瞬迷ったが、出来るだけ秋風さんが不安にならないように気を付けて答えた。


「嫌いじゃないけど、どうかしたの?」

「風子、初めてセンパイに会ったとき部外者は黙れなんて言ってしまったから、きっと怒っていると思うのです……」

「ああ、そんなことか」


 二ヶ月ほど前、今年の入学式のことが思い出される。

 確か、澄と秋風さんが揉めていて、そこに口を出した僕がそんなこと言われたんだと思う。

 正直あまり覚えていない。僕にとってはそんな些細なことだったのだ。

 だけど、秋風さんはそんなことを根に持っていたらしい。やった本人が忘れてやられた方が覚えているという場合は多いと思うが今回は逆だったようだ。


「全然気にしてないから別にいいよ。と言うか、秋風さんに言われるまで忘れてた」

「そうですか……忘れてたですか。ちょっと気にしすぎだったのかもしれないです」


 そう言うと秋風さんはホッと胸を撫で下ろした。

 暗い雰囲気だった秋風さんの足取りが軽くなり、小刻みにスキップなどしている。

 分かりやすく、気分が晴れたように見えた。

 機嫌が良くなった秋風さんはスキップをしたままクルリと回る。

 透けるような金の髪が舞い、眩しい太陽が乱反射した。


「ふう! 何だか自分が馬鹿だったみたいです!」


 落ちそうになった麦わら帽子を右手で押さえつつ満面の笑顔でそう言った。

 秋風さんは感情表現が豊かな方だとは思っていたが、温泉部にが入ってから僕が見た中で一番の笑顔だった。

 嬉しそうにはにかむ彼女は何か思い出したように手を打つ。


「そうです! センパイ! 風子のことは『風子』と呼んで欲しいのです」

「別にいいけど……どうして?」

「どうして? って、こっちがどうしてなのですよ? センパイにさん付けで呼ばれるのは抵抗があるのです」


 首を傾げ不思議そうに秋風さんはそう言う。

 女の子、いや、男でも下の名前で呼ばれるのが嫌だと言う人はいると思うがどうやら秋風さんはそうではないらしい。


「そう言うことなら、分かったよ」


 僕はそう言って頷く。

 頷くと秋風さん、いや風子ちゃんは嬉しそうに笑った。

 

「風子ちゃん」

「………………ちゃん付けは止めてほしいのですが」

「そう?」


 あからさまに渋い顔をして風子ちゃんが嫌がる。

 どうやら名前で呼ばれるのは良いけど、ちゃん付けはダメらしい。

 そう言えば、風子ちゃんは家で『ふーちゃん』と呼ばれていて、それを嫌がっていた。

 子供っぽい容姿だからこそ子供っぽい呼ばれ方は嫌なんだと思う。

 風子ちゃんのコンプレックスというやつだ。

 僕は子供っぽい見た目は彼女のいいところだと思うんだけど(昌平は相当お気に入りみたい)本人が嫌だというなら仕方がない。


「了解。今度からは『風子』って呼ぶね」

「ふう、それでいいのです」


 鼻からふんと吹き出して満足げにそう言った。

 その仕草がなんとも可愛らしく、思わず可愛いと心の中で呟いてしまうほどだ。

 その瞬間、風子の頬が赤く染まり始める。

 どうしたんだと疑問に思っていると視線がおぼつかないまま彼女は口を開く。


「風子が可愛いのは当然のことですけど、そんなに面と向かって言われると恥ずかしいのですよ…………センパイ」

「えっ!?」


 声に出てた!?

 見ると先を歩いていた兎莉もこちらを振り返り、優しい目で僕を見ていた。


「兎莉、違うんだ。これは」


 何故弁解しているんだ僕は。

 前にもこんなことがあった。

 雨の降る日、兎莉と一緒に通学路を歩いていた時、ヒメが出てきて一悶着あった時のことだったと思う。ロリコンの容疑をかけられたんだった。

 僕の弁解を聞くと、兎莉は再び優しくはにかんで答える。


「…………分かってるよ。颯太くんはロリコンじゃないよね」

「……おう、勿論だ」

「なんだか、酷く不名誉なことを言われている気がするのです」


 風子がぷくっと頬を膨らませそう言った。

 彼女の反応に再び僕は可愛いと思ってしまいそうになるが、さっきの失敗からそんな気持ちを押しとどめた。

 なんとも微妙な雰囲気になってしまったが、風子の持ち前のコミュニケーション能力の高さからすぐに会話が膨らんでいって僕たちは退屈することなくショッピングモールに到着することが出来た。

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