第2話 文化祭に出られない


 それから一週間後。放課後の二年B教室。


「ってことになったけど、どうしようか」

「どうするって……どういうこと、颯太くん?」

「出し物のことだよ。温泉部の出し物」


 僕たちは今、先日の秋風さん率いる『温泉研究部』との勝負の話し合いをしていた。

 澄と秋風さんが話を持ちだし、部長である綾菜先輩が了承した。やると決まったはいいものの、一体何の出し物を出せばいいのだろうか?

 一年の頃は文化祭の出し物をクラスで出して、部活で出すことはなかったし、初めてこういうこと考えるから何が良い案なのかとかあまり分からない。

 きっとそれは僕だけじゃなくそれはみんな一緒だろう。放課後で誰もいなくなった教室の隅の方で、席を寄せ合う僕たちは皆困った顔をしていた。

 このままでは一向に話が進みそうにないので、僕は良い案かはさておき一番無難な案を提案してみることにした。


「売上勝負って言ってたしここは手堅く粉物で行くのはどうかな?」

「粉物か……粉物っていたらあれだよな。結構費用かかる感じするし売上勝負だったらだめなんじゃね?」


 昌平の反応に一同、頭上にクエスチョンマークが浮かんだ。粉物と言えば材料費が安く済む定番の出し物だ。どこもおかしい要素はない気がする。


「 昌平さんは粉物とはどのようなものだと思ってるのですか? 私の予想が正しければ意志の疎通ができていないと思うのですが?」

「だから、あれだろー? フーってするやつ」

「フー? 昌平、何と勘違いしてるの?」

「運動会でやるやつ。フーってして飴とるやつ。俺あれ好きだったんだよな!」

「昌平くん、それは障害物走……」

「げっ……?」


 昌平の額から冷汗が流れる。どうやら昌平は運動会の障害物走と勘違いしていたようだ。

 まあ昌平の気持ちは分かる。中学までの文化祭は実質的に合唱コンクールで、飲食を出すタイプの文化祭を行うところは稀なのではないだろうか。なので『粉』と言われて障害物走が真っ先に出てきてしまってもおかしくない。

 追い討ちとばかりに澄は呆れ顔で解説をする。 


「粉物というのはお好み焼きや、たこ焼きなどの小麦粉を使う料理のことです。原価が安いため売り上げを考えるのならばこれが最適でしょう。それよりフーって何ですか、フーって?」

「くあああああああああっ!!! 忘れてくれ、忘れてくれええええええ!」


 昌平はまるで悪役が倒れる時のように静かに倒れこんだ。

 倒れた拍子に机に頭を打ち、「バカになる」などと言っていたが昌平はもともとバカなので心配には及ばなかった。


「と、とにかく粉物にするとして、何を作るか決めようよ」

「そうですわね。それにしても、話し合いをする上で温泉部皆が同じクラスというのはとても助かりますね」


 澄が沈みゆく夕日を教室から眺め、一息つく。僕も同じ方を見るとオレンジに染まる夕日が目に眩しかった。


「…………そうだね。今年も一緒のクラスになれて本当に良かった」

「と言っても、クラスが二つしかないからキセキってほどでもないけどな」

「そんなことないぜ、颯太! これはキセキだ!」

「復活早いね!?」


 いつも通りハイテンションな昌平にめんどくささを感じつつも、ツッコミを入れる。昌平は、存在自体がボケなのだ。


「俺は、心の強さが売りだからな! サンドバックのように打たれ強い……」

「山崎さんは置いておいて、話を進めましょう」

「心、折れた」


 自分の発言に責任持ってください。


「と……とにかく話を進めよう……ほら、颯太くんは何が良いと思う?」

「そうだな……無難にお好み焼きとかどうだ? 作るの簡単だし」

「良いとは思いますが、いまいち普通すぎると思います。それに悔しいことに秋風さんは料理がかなり上手です。ああ見えて、『秋風』の厨房も担当していますからね」

「す、すごいな。ただのおバカちゃんかと思ってたよ」


 秋風さんは第一印象は小物感あふれる小動物って感じだったけど、実は大物だったようだ。

 ということは、昔家族で『秋風』に行ったときに食べた料理も秋風さんが作っていたのかもしれない。ぼんやりとしか思い出せないが『秋風』の料理は何を食べても美味しかった記憶がある。特にあそこの茶碗蒸しは絶品だった。秋風風子、恐るべし。


「おバカちゃんなのは大いに肯定です。彼女が私たちと同じく粉物で勝負するのならば、間違いなくお好み焼きやたこ焼きと言った料理で勝負してくるでしょう。料理対決になった時点で、私たちに勝ち目はありません」

「澄ちゃんがそういうなら……間違いないんだろうね。だったら…………どうするの? 粉物の料理以外だと何が正解なのかわからないよ……」


 兎莉が不安げな声を上げる。僕も若干の不安を感じていた。隣の昌平は……心折れたまま突っ伏してるので、きっと不安に思っているに違いない。

 そんな僕らの気持ちを汲んでか、澄はいつも以上に自信ありげに胸を叩いた。


「奥村さん。案ずることはありません。私たちは温泉部です。それを生かしましょう」

「温泉部だからこそ出来ること……?」


 兎莉のこの言葉に反応し、突っ伏した昌平がいきなり息を吹き返した。眼には生気が蘇っている。と言うよりこれは……性気?


「それは、ヌードだな! 温泉と言えば裸! 裸と言えば温泉! ラッキーなことにこの部には校内でも屈指の美少女たち、奥村兎莉、浅間澄がいる! この二人のヌード写真なら間違いなく売れるっ!! というか、俺が買ううううう!」

「手刀っ」

「うげっ!」


 最低な連想ゲームをした彼に、裁きの手刀が繰り出される。『温泉部』のおバカちゃんは『温泉研究部』のそれを遥かに凌駕していたようだ。もしかしたら部員勧誘のときに上裸にさせられたのを根に持っているのかもしれない。


「んっ! 答えは『温泉まんじゅう』です。温泉部が温泉まんじゅうを売る。とても様になっているではありませんか?」

「確かに! それなら『温泉研究部』と出し物が被ることもなさそうだし、いいかもね」

「私も賛成だよ。実は私……お菓子作り好きだからお饅頭も作ってみたかったんだ。ところで……お饅頭の作り方は誰か知ってるの?」


 兎莉が人差し指を眉間に当てて、首を傾げた。

 僕も御饅頭なんて作ったことないから分かんないな。一同困り果てていると、その質問を待ってましたとばかりに澄が手を上げる。


「私は知りませんが、お饅頭を作れる人なら知っています。その人に教えてもらうのが良いでしょう」

「その人って……」

「私のお婆様です」

「だよね……」


 途端に兎莉の表情が曇った。


「兎莉どうしたの? 澄のおばあちゃんになんか悪い事でもした?」

「ええっと……少し苦手なの。澄ちゃんのおばあちゃんはね、ここら辺では『鬼の女将』って呼ばれてて、すっごい恐いんだよ。ね、澄ちゃん?」


 何それ!? そんな二つ名持ちのお婆ちゃんが近隣にいたとは……『鬼の女将』とか異名がついているぐらいだ、相当恐れられているんだろう。名前からで鬼のお面に角と牙が生えたナマハゲちっくな存在が脳裏に浮かんだ。


「ええ、そうですわね。確かに恐いですが、お婆様以上にお饅頭作りに長けている者を私は知りません。厳しいでしょうが、我慢しましょう」

「う、うん……」


 どうやら、澄のおばあちゃんに教わる他なさそうだ。僕も覚悟を……決めるしかなさそうだ。

 文化祭の出し物の方向性があらかた決まったところで、僕に一つ疑問が浮かんできた。


「そうだ、ここまで話していうのもなんだけど……文化祭っていつだっけ?」

「六月ですよ。六月一日でしたね。」

「六月の初っ端か。今が四月の二週目だから、文化祭まで一ヵ月と二週間。結構余裕あるね」

「そうでもありませんよ。私たちがお饅頭作りをマスターするのにどれくらいかかるか分かりません。早いこと越したことは無いのではないでしょうか?」

「それもそうだな。よし、頑張ろう!」


 澄のおばあちゃんがどれくらい恐いのかわからないけど、温泉部存続のために一肌脱ぐぞ! 僕は固くそう決心した。


  *


 次の日の放課後。

 文化祭で作る饅頭の作り方を覚えるために、早速今日から練習だ! ……と言いたいところだが、まだ澄のおばあちゃんが作り方を教えてくれるか分からない。

 なので今日は、澄のお婆ちゃんに挨拶しに全員で顔を見せに行くことになった。相当恐いみたいだから、覚悟が必要だろうが、これも温泉部の存続のためだ。

 僕はそのことを綾菜先輩に伝えるように澄に言われていて、先輩を探しているのだけど……


「先輩……どこにも見当たらない!」


 風もなく静かな校舎裏で僕は叫んだ。

 白塗りの学校の壁に声が反響して聞こえる。

 まるで世界が自分一人になった気分だった。

 大声に驚いたのか、草むらの陰で寝ていた猫が脱兎のごとく僕から逃げて行った。

 猫が脱兎って不思議な感じがする。ごめんよ、猫さん。

 周りに学校の生徒がいなかったのは幸いかもしれない。

 クラスで変な噂が立ったら良くない。

 僕はクラスで浮いている訳ではないけど、そこまで友好関係が広い訳でもない。別のコミュニティーの人に変に思われるのはあまり嬉しくない。体育の授業とかで昌平が休んだら困っちゃうし。まあ、昌平は基本風邪とか引かないから大丈夫なんだけど。


 それにしても先輩、生徒会室にも居ないし、教室にも居ない。まさか帰っちゃったのか?

 僕は若干の不安を抱きつつ、ぐるぐると先輩がいそうな所をしらみ潰しに探していく。


「仕方ない。もう一回生徒会室行って、それでもいなかったら大人しく諦めるとするか……」


 僕が再び生徒会室に向かおうとした時だ。

 高く、顔を見上げなければ見えないほど高い校舎の屋上から声が聞こえた。


「颯たん! どうして君は颯たん何だ?」

「この声は、先輩……!」

「そうで~す! みんな大好き、生徒会長で~す! あと、温泉部部長でもある」


 先輩は学校校舎の屋上から俺を見下ろしていた。

 シャキーンと腕を伸ばし決めポーズをする様は、あたかも戦隊ヒーローや仮面を被ったライダーの様だ。


「温泉部部長の称号を、おまけみたいな感じに言わないで下さい」

「それはそうと、颯たん。私を探してるってクラスの子達から聞いたけど、どうかしたの?」


 情報早っ!? 驚きながらも、流石綾菜先輩と僕は内心感嘆の声を上げる。綾菜先輩は生徒たちからの信頼も厚く、学校内すべての生徒と友達なのではないかという噂もある。

 僕が綾菜先輩を探していたことはきっと綾菜先輩の友達ネットワークによってすぐ先輩の耳にまで届いたのだろう。


「そうでした。今日、澄たちと話し合って文化祭の出し物は饅頭にしようってことになりまして」

「ふむ、ふむ……」

「これから饅頭の作り方を教えてもらうために澄のおばあちゃんに会いに行くんですよ。ですから、先輩にもそのことを伝えようと思ってたんです」

「ふむ、ふむ……!」

「そう言うことなんで、先に部室で待ってますね」

「だが、断るっ!!」


 清々しいほど綺麗に、ドヤッとした顔で断られた。何を言ってるんだ、この生徒会長は!? 仮にもあなたの部活の話ですよ!?

 思わぬ返しをされた僕は狼狽し言葉を失った。


「ごめん、颯たん! 私は一緒に行くことはできない。何故なら……」


 大きく息を吸い込み、いつものように腕組をして言い放つ。


「私は、文化祭で温泉部として参加しないからなのだ~!」

「温泉部として参加しない……? どういうことですか!?」

「言葉の通りだよ~。だって勝敗が見えちゃうからね! 私が出たら『あさま荘』と『秋風』の戦いじゃなくなっちゃうよ? そんなのつまんない!」


 なるほど、言われてみればそうだ。

 先ほど言った通り、綾菜先輩は友達が非常に多い。

 綾菜先輩がもし『温泉部』として参加したとしたら、酷い話全校生徒の九割以上の票を『温泉部』が持っている状態で勝負することだって可能だろう。

 これじゃあ確かに勝負どころじゃない。


「それに、私は文化祭当日、会長の仕事と、クラスの出し物で忙しくなるからどちらにしても行けないのだ~ショボーン!」


 随分と張りのある声でしょぼくれる。全然ショボーンしてないです、先輩。


「そんな……」

「颯たん! そんなに私と離れ離れになるのが嫌か~そうかそうか!」

「違いますよ! まあ、先輩が参加できないのは分かりました。今から澄のおばあちゃんに会いに行ってきます。でも、先輩も温泉部なんですからたまには顔見せてくださいね!」

「照れてる颯たん可愛い~! それじゃあね! またの機会に会おうっ!」


 そう言って先輩は屋上の陰に消えていった。


  *


「はぁ……私も颯たんと一緒に行きたかったな……」


 腕を後ろで組み屋上に出た時の扉へと足を向ける。

 その声は誰に向けられたものでも無い。


「でも、自分で決めたことだし仕方ないよね」


 誰にも聞き取れないような声音で綾菜は一人呟いた。


  *


 温泉部部室。

 温泉部には部室がある。部室と言っても部屋の内装は普通の教室と大差はなく、茶色の木のタイルに黒板がついた見慣れた部屋だ。ただし、部屋のサイズは半分で黒板も一つしかない。

 ここで気がついてしまうかもしれないが、白結第一の部室棟は元々生徒が増えることを見越して建てられた別館をリフォームして作られたと噂されている。というか明らかにリフォームの跡があるので間違いない。

 先生たちは表向き「我が校は部活に力を入れているため全ての部活動に部室を与える」と言っているけど、単純に部室が余っているから使ってくれということだと思う。


 そんなワケアリな部室棟で、僕たちは本当ならば温泉部の部室で綾菜先輩を待っているはずだった。

 部室に戻るなり綾菜先輩の文化祭不参加について、僕は報告をした。


「……そうなりましたか。辻先輩が来られない、と」

「そうなんだ。どうする、澄?」

「どうするって、辻先輩が参加できないからと言って私が秋風さんとの勝負を降りると思っているのですか?」


 真剣な面持ちで僕のことを見つめてきた。深く黒い瞳の奥に燃える炎が浮かんでいるようだった。

 こんな真剣な澄を止めるのは中々に骨が折れそうだ。


「颯太さん、それは甘いです。私はそもそも辻先輩の力に頼って勝利を収めるつもりはありません。これは私の問題なのですから」


 澄が凛とした表情でそう告げる。あくまで正々堂々と、真っ向勝負でライバルに勝ちたい。澄らしい清く正しい真っ直ぐな考えだと思った。……しかしだ


「それもそうだな。でも私の問題とか言わないでくれ。確かに『あさま荘』対『秋風』って体をとってるけど部活存続の危機なわけだし、僕たちにはしっかり頼ってくれよ」

「ふふふ。颯太さんの言う通りです。共に温泉部を救いましょう」


 そう言って澄はすっと僕の手を握った。柔らかく、ひんやりとした感触に胸がドキッとする。サラサラすべすべしてて同じ人間と思えなかった。


「それじゃあ……もう行くのかな? 先輩は来ないし、これで皆そろったよね?」

「Yes! というかさりげなく皆の中に俺を入れてくれる、兎莉ちゃんマジ良い子だぜ!」

「昌平……皆の中に入っていない自覚あったのか……」

「あら、昌平さんいらしていたのですか?」

「澄ちゃんマジ悪い子……」


 昌平はがっくりと肩を落とした。昌平はいつもいつもこんな役回りばっかりだけど、大概自分自身に問題があることが多いので放っておこう。


「と、とにかく! しゅっぱーつ……?」


 自信なさげに兎莉が右手を掲げた。


             *


 いつもの帰り道を今日は少し早目に帰る。

 少し強めの風が周囲を囲む雑木林を揺らし、地面の砂利を踏むたびにザクザクと鳴き風の音を掻き消した。

 見慣れた風景ではあるが、普段部活が終わった後の夕暮れ時に帰っているからか、違った雰囲気を見せていた。

 それと、今日は帰るメンバーが違って昌平がいるってのもあるのかもしれない。

 いつもより……五月蠅い。

 というかウザかった。


「颯太はいっつもこんな感じなのか!? 美少女に囲まれて! 三人で! 帰ってるというのかー!?」

「昌平、五月蠅い。帰る方向が一緒なんだから仕方ないでしょ」

「否定しないだと……!」


 昌平は周りの目も気にせず砂利道の真ん中で膝をつき落胆した。

 周りの目と言ってもここ一帯にはあまり人が住んでいないので問題になることはなさそうだ。


「美少女ということも否定しないのですね。ふふふ」

「そ、そんなっ、颯太くん私たちのこと美少女なんて……恥ずかしいよ」

「うっ……確かに美少女なのは美少女なんだけど、そんな風に口にすると恥ずかしいな……」


 兎莉と同様に、僕まで顔が赤くなってしまう。

 今までごく自然に二人と帰っていたけど、そんなこと意識したことがなかっただけに、改めて確認するのは恥ずかしい。

 澄の方はあまり気にしてない様子だが兎莉の方は気にしてそうなので明日の登校が気まずくなりそうだ。


「颯太さんが恥ずかしがってどうするのですか? 面白い方ですね」

「お、お前ら青春しやがって……! 馬鹿やろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」


 昌平は滴り落ちる涙を振り撒きながら走り出した。

 悲しみの力か、今の昌平は綾菜先輩にも匹敵する脚力を発揮している。昌平の覚醒が近い


「ち、ちょっと昌平くんどこ行くの~?」

「昌平さん、そちらは道が違いますよ」

「ぐっ……。馬鹿やろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」


 そんなこんなで馬鹿しながらも僕たちは澄の実家『あさま荘』に到着した。

 外装は昔ながらの温泉旅館。

 まるでそこに帰ってきたかのような錯覚に陥る、故郷のような雰囲気に包まれている。

 そう言えば、地元民ってこともあって『あさま荘』に泊まったことない。

 練習ってのが結構厳しくて、泊まり込みの特訓とかになったりして。

 それは無いかと僕は内心一人突っ込みを入れた。


「颯太さん。ニヤニヤしてどうしたのですか? 美少女二人を見て発情するのはやめてください」

「違う違う。僕って澄の家の近くに住んでるのに一度も澄の家行ったことなかったでしょ? だから、今回の特訓で初めて入るなーと思って」

「あら、そんなことでしたか。家に入りたいならば、いつでも来れば良かったのに。格安の値段でお部屋をご提供して差し上げますよ」


 澄が振り向き、微笑みかける。全く、商売上手な旅館の娘だこと。


「金は取るのね……格安って言っても結構取るだろ? 『あさま荘』かなり高級温泉旅館なイメージあるし」

「ふふふ。冗談ですよ。お金は取りません。友達なのですから、気軽に来てもらって構いませんよ」

「そういうことなら、たまにお邪魔させてもらうよ」

「俺も行っていいのか~?」


 自然な流れで昌平が話に入ってくる。


「勿論です。昌平さんも友達ですから。きちんと全身消毒してから来てくださいね」

「俺は澄と友達……俺は澄と友達……俺は澄と友達……」

「昌平くん、何の自己暗示……?」

「さあ、入りましょう。中でお婆様が待っています」


 澄の号令で俺たちは旅館の中に入る。

 ガラガラと入り口を開けると、そこはとても静かな世界が広がっていた。

 扉を閉める音が、中に響くほどの静寂。

 それは決して、嫌な意味での緊張感の張りつめた静寂などではなく。

 従業員の活気が無いとかいうものではなく。

 もっと洗練された、体全体で『あさま荘』とは何たるかを感じ取ることが

 出来るものだった。

 とても心地良い。

 奥に続く木目の入った廊下は実際の距離は分からないが、かなりの奥行があるように感じる。錯覚だろうか。

 深呼吸すると、この空間と一体になるような錯覚を覚えた。


「す、すごいね。外の世界と隔離されて、まるで異世界に来たみたいだ」

「異世界ですか? 面白い表現ですね。確かに『あさま荘』はそういう風に錯覚するよう作られていますから、仕方がないでしょう」

「作ってる……?」

「旅館の構造と従業員の教育です。徹底した防音構造、足音を立てない歩行方法の習得。全てはこの雰囲気をお客様に感じてもらうために作られたものです」


 従業員の教育も行き届いているのか。相当な努力が見える。

 『あさま荘』はここ近隣ではかなりの高級旅館だが、高級なのにはしっかりと理由があったということか。


「お客様のために最善を尽くす。そうすることで、お客様はこの旅館に高いお金を出す意味を見出してくださるのです。どうも、それが『秋風』には伝わらないのですけど」


 澄はやれやれと言った様子で話す。どうやら『あさま荘』と『秋風』の間の亀裂は経営方針にまで入っているらしい。なるほど、仲良くできないわけだ。


「…………『秋風』はもっとワイワイした感じで、お客と従業員が溶け合うって感じ……だよね? 値段も安めだし……経営方針の違いが二つの旅館に亀裂を入れてるのかな?」

「そうですね。この旅館に対する考え方の違いは私の曾お婆様の代から続いていると聞いています」


 話もひと段落ついたところで、廊下を歩きはじめる。

 長く続く、実際にはそこまで長くないのだが、長く感じる廊下を僕たちは歩く。


「さあ、奥へどうぞ。お婆様には昨日皆さんのことを話していますが、実際の顔合わせをしていないので。今日はそれと台所等の案内をして終わりになると思います」


 足音を立てずに進む澄に案内され、俺たちは旅館の奥へと進む。澄も『あさま荘』の娘だけあって、歩く姿も様になってるな。

 しばらく進むと緑色の襖の前で澄が止まった。


「ここです。皆さん、心の準備は良いですか?」

「心の準備って……でも、澄のおばあちゃん恐いみたいだからしておいて損はないか」

「やべぇよ……やべぇよ……ちょっとトイレ行ってきていいか!?」

「開けますよ」

「慈悲は無いのかー!」


 膝をついて、某芸人の『下手こいた~』のようなポーズになる。昌平は見た目に寄らず意外とビビりだ。

 澄が扉を軽くノックすると口を開く。


「お婆様、私です。中に入ってもよろしいでしょうか?」

「入っておいで」


 抑揚のついた声が中から聞こえてくる。

 恐らく澄のおばあちゃんだろう。


「許可が出ました。入りますよ」


 行きます、と言わんばかりに澄はハンドサインで僕たちに伝えてくる。サバイバルゲームで使うようなものなのかもしれないが僕には分からなかった。

 澄に続き、ゆっくりと部屋に入る。


「お邪魔しまーす……」

「くらあああああああああっ!!」

「はひっ!?」


 澄のおばあちゃんは突然怒り始めたまだ、僕たち何もしてないよ!?中を覗くとおばあちゃんが目から赤いレーザーでも出しそうな勢いで睨んでいる。


「澄には入ってよいと言いましたが、貴方にはまだ許可を出していませんよ」

「す、すいません……!」


 早速、怒られた。『鬼の女将』の本領発揮と言うことか。

 僕たちは一度部屋から出ると、すぐに自己紹介をして中に入る許可をもらった。

 確かに、挨拶や自己紹介をしないで勝手に部屋に入るのは失礼だった。兎莉たちも一緒に挨拶を済まして中に入る。昌平は見た目あんなにチャラメガネなのに結構ビビりだ(二回目)。足がガクついてる。


「そう言うことで、お願いします。お婆様」

「教えてもらいたいということは分かったよ、澄。しかし、何のために温泉饅頭を作るんだい?」

「それは、今度の文化祭の出し物に温泉饅頭を選んだからです。私は温泉部の部員ですので」

「それと、『秋風』と温泉部が勝負することになっていて……」

「颯太さん……!」


 隣で綺麗に正座する澄から何か言われた気がする。しかし僕は気にせずに澄のお婆ちゃんに事情を説明する。こちらの事情を知ってもらわないとアンフェアだし、協力するにもしきれないだろう。


「負けたら廃部ってことになっていて、だから温泉饅頭作りが上手な澄のおばあちゃんに頼もうということになったんです」

「ほう……」

「颯太さん……!」


 澄は僕の肩を少し強めにポンポンと叩き、小声で話しかけてきた。

 俺もおばあちゃんに聞こえないぐらいの声音で言う。


「さっきからどうしたの、澄。僕なんか不味いことでもいった?」

「その通りです。お婆様は浅間の家系でも一番『秋風』を毛嫌いしているのです。ですから、私は『秋風』と戦うことになっていることを伏せて……」

「澄! 私は『秋風』と勝負をするだなんて聞いていなかったよ! どういうことだい!?」


 澄の言葉を遮っておばあちゃんが口を開く。澄はやってしまったと頭を抱えた。

 先程まで鬼のような形相だったおばあちゃんが何故か嬉しそうにニコニコしている。声音と表情が一致していない。

 その姿を見て澄は顔をしかめた。


「うっ! それは……」

「私が世界で一番嫌いなものは何か知っているね?」

「……『秋風』です」

「ならば、私が貴方たちに温泉饅頭作りを教えないことがあろうかね?」


 優しく微笑みかける。急に友好的になるおばあちゃんに少し不安は感じるが、協力してくれるのは良いことだ。


「教えてくれるってことですか!? ありがとうございます」

「勿論だよ! 文化祭まではあと一ヶ月以上あるねえ」


 指折り、何かを計算している。少しすると何か確信を得たのか、ポンッと掌を打ち結論を述べた。


「よし! 一ヵ月で貴方たちを立派な職人に生まれ変わらせてあげるよ!!」


 やった! これで饅頭作りは教えてもらえる。

 僕が心の中でガッツポーズをとっていると、またも澄が随分と顔色を悪くして小声で話しかけてきた。


「不味いですね……」

「教えてくれるみたいだから、これで良かったんじゃないの?」

「良くないです。お婆様は先程『職人』にすると言っていましたでしょう。饅頭職人になるには、早くて一年はかかると言われています。それを一ヵ月でとお婆様は言っているのです」

「えっ……それって、つまり……」


 澄の額の汗から、大体どれくらいマズイことになっているのかは分かる。普段からポーカーフェイスな彼女がここまで焦るのは異常事態なわけで……


「相当な厳しい鍛錬が私たちを待っていることでしょう……」

「さあ、貴方達すぐに修行を始めるよ! 言っておくけど私は厳しいからねえ。覚悟しておき!」


 その笑みは『秋風』と戦うということに対するものなのか、それとも高校生をしごくことに対するものなのか、どちらであっても不気味である。

 その日僕たちが家に帰ったのは十二時を回ったということは、温泉部の歴史に残ることになった。

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