第弐厨喰話:鳥猪屠の宴(前)

「煮焼くろう、煮焼く者たち、鳥猪屠、裏瀬谷放っとらーせ」

 ――式王子ヶ谷山地の虚空蔵山近辺に分布する山岳民謡――


 *

『キリューガヤではじめよぉー、ふかしきなまーいにっちをー♪

 濃霧情報からUMAまであなたのお傍に這い寄る霧生ヶ谷CATV』

 *


(ナレーション)

 前回までのあらすじ。

 マニトバの海峡、大いなる神秘オジブワ マニトバに由来するというカナダ、マニトバ州でアサバスカン・インディアンの壺に描かれた儀式は実在した?!

 ザトウカエデとおぼしき樹皮で編まれた壺には乙女の背骨が爆ぜ割れて蜘蛛の肢が飛び出ているさまが描かれている。現地では豊穣の招来儀式だと言い伝えられており、どこか二足歩行の狂猛な甲虫を想起させる胡散臭いのコーディネーターに儀式の場所まで撮影隊も目隠し、儀式自体も撮影禁止を条件に案内されたマットール語を話す古老のもと、巻き上げられたカナダドル以上の取れ高を回収すべく撮影隊隊長として言われるがままに黄金の蜂蜜酒を飲み干した密。

 つかのま背中がむずがゆくなりサファリジャケットを放り投げインナーのヒートテックシャツまで脱ぎ捨てて松明の火の粉降る地面に転がろうとする密であったが、

(ナレ:ああーっとこれはマズイ。事務所的にこの絵ははたして大丈夫なのかー?)

 まろび出ようとする純白の双丘を恥じらうさまは画角から外れている。視聴者が観たいのは羞恥ではない。未知なる恐怖だ。剝き出しの背中にカメラがズームで寄る。

 半裸になって背中を掻きむしろうと手を伸ばすが届かずに悶絶する密を撮影隊はマンゴーの葉を食べた牛の尿を煮詰めた魔術的塗料インディアン・イエローサインで囲われた結界の中から息を殺して見守るしかないのであった。古老が両手を掲げて叫ぶ。

ヤーア! トラナッ! チャー!アトラク=ナチャのむすめよ

 *

灰鷹密はいたかひそかの乙女ジャーナル』

 *

 壺。

 壺壺。

  壺壺。

 大小さまざまの壺が半ば埋もれるような形で目の前の畑に鎮座していた。一見すると壺というよりは円錐状の灰褐色をした法螺貝に近い。大きなもので二荷入り100リットルほどもある。大人一人が優に隠れられるほどだ。

「くだんの壺がこれらですか?」 

「ひゃっひゃ。ワシらが置いたもんではないがのう」

 トラクターを運転していた黒長谷くろはせ集落の老人が、日焼けてくしゃっとした皺に埋もれた冷たく膨らみのあるうるんだ瞳を細くすぼめる。

「それでは早速取材させていただきます」

 灰鷹密が居住まいを正し一礼した。折り目のぴしりとしたサファリジャケットは乙女である密にとっての誉。

 *

『戦慄怪奇! 虚空蔵山集落の畑にある謎の蛸壺を調査せよ!!』

 *

 霧生ヶ谷市に本拠を置く霧生ヶ谷CATV。25万世帯が加入している驚異的な局のコンテンツは「24時間定点観測濃霧情報」「補陀落山の佐治さん」「アナタノミシラナイセカイ」「漣玻璃窓からの景色」など多々あり、なかでも「灰鷹密の乙女ジャーナル」は地元スポンサー企業ミストマートによる一社協賛の大人気コンテンツだ。

 花も恥じらう乙女な外見とは裏腹に年季の入った怪奇趣味。丹念な取材に基づいて執筆されたデビュー作、明晰夢と現代都市伝説を絡めた『播種された吸精鬼』が世に出た時は狂信的な読者がこぞって眠りこけるという珍現象が話題となったほどだ。授賞式に登壇した密からは小説の行間からあふれ出ていた淫靡な気配はまるでなく、丸みのあるふんわりとしたマッシュショートの艶やかな暗髪に長い睫毛にくりっとした瞳が煙る。顔立ちは幼いが芯の通った鼻梁。楚々とした乙女がいかにあのような文章をと注目を集め、未知なる事象に体当たりで吶喊とっかんする取材姿勢がミストマート広報の目に止まり現在に至る。

 灰鷹密。

 星辰賞受賞作家でありながら彼女は探究者だった。


 *


 畑に蛸が出没するという。

 海岸近くの畑において蛸が夜な夜な出没して芋や大根を引き抜く、というような行動は実際に目撃もされており、理由としては磯蟹などの獲物を追っている最中に陸に上がってしまい時には一里(約4キロ)ほども移動する。蛸は光沢のある白いものに惹かれる習性があるので地上に露出した大根や芋の上を這うのだと。今でも蛸釣りにラッキョウを用いたりするのは習性を利用してのこと。

 とはいえ、とはいえそれは海近くの場合だ。

 密の目の前に広がる黒長谷家の畑は虚空蔵山の麓からゆうに1000メートルは登っている。

 そんな場所に蛸が果たしているものなのか。

 蛸は閉塞した空間を好む性質があり、例えば弥生時代からイイダコ漁に蛸壺が用いられており発見当時何に使っていたのかと考古学者が首を傾げたのは有名な話。畑に壺があれば習性的に壺の中に収まって畑の作物が荒らされることはない。

「今朝は確認しとらんからまだ這うておるやもしれん」

「それでは調査にいざやいざ……やー」

 にゅるにゅるしたものを前に正気が保たない。座学では平気だし怪奇なものには人百倍目がない密だがそこはその乙女だものと、ちらり後方で控えるADを見やると「」のにこにこと笑顔で容赦ないカンペ。この辺りの阿吽の呼吸が狂信者しちょうしゃをとりこにしているのだが密は気づいていない。(……これは取材これは取材……)正気度がマイナスになりながらも手を壺の淵に置く。湿度の高い虚空蔵山特有の露に濡れたひんやりした感触は駝鳥の大殻に似ている。想起していた磯の臭いはまるでしない。燃え尽きた人工衛星の残骸が発するかごときの臭気。人差し指をそおっと差し入れる。奇麗に整えられた爪先が何かを引っ掻く。可塑的な粘性を感じる。中指を伸ばす。ぬめる。のるんとした感触が動いた。

「ひぐぅっ」

「まったく乙女さんねぇ。こうしますわのよ」

 隣で密を見守っていた白衣がアヤシイ乙女語を発しながらずずっと動いた。

 むんずと鷲掴んだ手が壺から何かを引きずりだす。非難するかに口笛めいた鳴き声がきゅいいと漏斗から吐き出される。

「オクトパスシネンシス……んん違う」

 冷気で活動が鈍っているのか触手が胴体を覆うように吸着している。明滅する灰褐色は色素細胞が壺状のものに擬態しているからか。丸まった触手を白衣の狂気博士、もとい科学考証アドバイザーで撮影隊に同行していた真霧間キリコが一本一本ほどいていく。「先端に吸盤がないのは交接腕の特徴でこの仔は雄ね」密はぬめりの付着した指を刺繍の施されたハンカチで丹念に拭いながら遠巻きに見つめている。

「んん? 全部の足の先端に吸盤が欠如している。てことはすべて生殖器ってことなのかしら」     

 キリコがのべつくまなく観察している。全てが生殖腕である頭足類……密のニューロンが即座に発火する。「わたし、アケターブルム写本で読んだ記憶が」「へぇ、『水神クタアト』の一部を抜粋したと銘打っているあれかぁ。大した知識じゃない」キリコがあっさりと応じる。「ご存じなのですか」「」 

「触腕がひーふーぅの九本。可愛い隊長さん、蛸の足は何本?」

「八本です!?」可愛いに動揺してか食い気味に答える密。

「そーよねー。でもこの仔、九本あるのよね」

 何かの加減で足を失った蛸は足を再生することができる。その過程で何らかの異変が生じた場合、足の本数が増えてしまう事例があるが……ちなみに自食した足は生えないという。

エンネアパス九本足キリューガヤシス、でもないか」

 キリコが黒長谷老のしわ指からぶら下がった蛸を見て言った。足が七本しかない。

 好奇心よりもぬめり気に負けた密を尻目にキリコが次々と壺の中を確認していく。

 九本足、七本足、十本足、八本足。

 「なんじゃのう。学者さんみたいにワシらはむつかしいことは考えやせんで、蛸は蛸やゆうてな。ぶつ切りにして胡瓜のざくざくに酢を利かしてなあ」

 黒長谷老のくしゃっとした笑顔にキリコの喉が鳴る。

「芋や大根がのうなっても蛸がおれば食うに困らん。ここいらの者はうろほらさま、うろほらさまちゅうてありがたく頂戴しとるよ」黒長谷老がトレーラーに蛸めいたものを放り込んでいく。

「うろほらさま、虚ろなる法螺貝か、うろほらなのか」

「虚空蔵山一帯は未確認飛行物体の目撃例が多数報告されていますし。なるほど。古来からUFOのことを虚ろ船って言いますし」

 多少正気づいたのか学究の徒である密の瞳に輝きが戻る。壺、と言っていたものの形状は小型円錐型のUFOに思えなくもない。すると乗船員はこの蛸的なものなのか。山羊のような長方形の瞳からは知性を窺い知ることはできない。

「遺伝子解析法によるゲノムデータベースへの照合をすれば確実なのだけど頭足類には違いなさそうね。まぁ火星人って説はなし」

 陸地における頭足類の一例として、と前置きしたキリコが講義口調でハイチの呪術師ガンガンが招いた魔宴に突如出現した粘液滴る烏賊のごとき嘴のある擬足、というのがあるわねとディレクターに説明している。日程さえ都合がつけば密はハイチに送られるやもしれない。ああ、常夏の海、ブードゥー教、トゥッカターポクポン。烏賊のごとき嘴のある擬足……。

 それよりもと壺めいたものをどこから取り出したのか兇悪な形状の合金性ハンマーでかち割っているキリコ。「ずいぶん硬い」「真霧間先生……勝手に割っちゃって」「こんだけあるんだから気にするこたーないわよ」「遠慮せいでええ。どうせ裏瀬谷に放るだけじゃもん」

 土を捏ね上げて作ったというよりは繭、という表現が近い。キリコがM研仕様眼鏡サイバーグラスのマイクロスコープ機能で割れた欠片の表面や断面を眺めやる。

「菌糸束が網目状に密になったフェルト状態か。海外でも菌糸体を用いた人工衛星開発がされているくらいだし」とどこから取り出したのかガスバーナーで焙っている。煙が出るが燃える気配はなし。

「壺=虚ろ船説はあんがい良い線。

 とはいえ内部に発動機や操作機関が見当たらない。精神感応テレパシーは持ち帰って検討するとして、落下してくるだけの簡易装置なのかな」


 *


 黒長谷で古くから伝わるみごう茸の榾木ほだき栽培の桃色がかった冬虫夏草のごとき苗床を取材したあと、密はしっぽりとお風呂をいただいていた。蓮を思わせる黒い花弁が湯に浮き、眠りを誘うかの香気が溶け出している。汗の玉がじんわりと浮いた頬に朱が差す。ややぬるめの湯がかえって一日の疲れをほぐしてくれる。密の玉の肌が火照ってくる。じつに気持ち佳い。さすがにここまでは撮影隊のカメラは追ってこない。ご一緒にと誘ったキリコは畑の周囲にくくり罠を設置しにいった。を獲るのだと。 

「ちょうちょとってなんですの」

「鳥に猪をほふると書いて鳥猪屠」

「鳥猪屠は鳥猪屠さね。蟾蜍ひきがえるに似たホラアナグマみたいなものかな」

「肝が絶品なんよ。ひゃっひゃ」 

「ぶつ切りにして具足煮にするとダシがよう出て美味い」

「ほったらかすと鶏や四つ足を見境なしに食っちまうから間引かんとならん」

「いずれは知恵も働くだろうが、ワシたちと比べりゃ穴居人どもさ。ひゃっひゃ」

「里の食い扶持はワシらが自らおるんじゃ」

 密は黒長谷の家に集まった集落の人たちから鳥猪屠がどういうものか聞いて回ったが今一つ要領を得ない。蟾蜍に似ていてホラアナグマみたいで穴居人?

 土間にある炊事場から黒長谷の婦人方が肉切り包丁をふるっている。

「にゃくろうー(断)、にゃるくしゅた(断)、

 ちょうちょとぉー(断)、うらせたん(断)、ほうってらーせ(断)」

 断、断と音が聞こえる。婦人方の愉快そうな歌声に釣られて覗きにいこうとすると、お風呂でも使いなさいと追い出されたきり密は調理現場を確認できていない。郷土料理には興味津々なのだけど、乙女にはジビエ料理の解体作業を見せられないとの気遣いなのかしら。黒長谷集落の人々特有の冷たく膨らみのあるうるんだ瞳で見つめられると否やともいえず。

 思考がぼんやりと霞む。密が桶に冷水を汲み頭からざばーっとかぶる。鳥猪屠、すべてが性触腕の頭足類。虚ろ船、目星をつけたものを取材メモにまとめなくては。


(続く)

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