第三話:猪崇講
二話に収録したKさんの話「天の御使い」を取材後、筆者が霧生ヶ谷の郷土史を渉猟していたおり、似た話を知っている、という古老に出会う機会に恵まれた。
諸事情により、お名前は割愛させていただく。語ってくださったのは、
式王子ヶ谷山地の中でもとりわけ峻嶮な
享和元年の頃、というから旧い。
あとほんのわずかで、という時候を襲い、収穫間近の作物をことごとく打ち枯らしてしまう獣がいた。
名を、
顕れるしるしはにわかに空を覆う強大な黒雲、烈しいいなびかり。
まがつぼしのように赤黒い光をまとって、天から落ちてくる。
一足、また一足。
猪崇が田畑を這う。
色彩のない水かきが足跡を残すと、
手塩にかけた稲穂はちぎれ、青菜は悪臭を四里四方にまき散らす。
また邪気に当てられた者は、
い、はー、い、はーと繰り返すばかり。
猪崇になぶられてからは諸々の魚を喰うこともままならなかった。
さて、里中の蔵をひっくり返したところで、皺腹を満足にくちくさせるものなど、争うほどにも残っておらん。
……血脈が絶えるより、口減らしも仕方あるまい。
いよいよ、老いた里民たちは覚悟し、山で入滅しようと参ろうと、
そんな時である。
山が噴火した。
なのに火柱が木肌を舐めることはついぞなく。
中腹が割け、でろでろと内臓物が吐瀉される。
燃え盛る噴煙や溶岩の代わりにまろび出でたのは、
いびつな螺旋を描きながらヤマカガシのように鎌首をもたげる、
極彩色に耀く長大な
さんざっぱら雷とともに村を蹂躙した猪崇を勧請縄が捕らえて曰く、
「村人を困らせるいたずら者め。次にこの地へ落ちたら天には二度と返さぬ」
そう言って飲み下してしまった。
感謝した里民はその地を菩薩の住まう地、補陀落と呼び、敬うようになった。
ここまで語ると、古老は茶碗の出涸らしを一息に干した。
補陀落というのはな、ただしく祀ろうことが出来んからそう呼ぶんだ。
わしらがいとしく親しんでいたおん名前は
おん名前は軽々しく口端に出してはならん決まりであってな。
補陀落山に坐しては時折、ぷいと猪崇を下賜くださる。
なにゆえさな?
里に落ちた猪崇はわしらを富ませた。
荒天に作物恵まれず、そんな時は猪崇講を開く。
琵琶材の笏拍子を打ち鳴らし、コンチキコンチキ。
なめした猪崇の革を張った団扇太鼓をドーンドーン。
老いも若きも白痴に狂いながら当主さまをたたえ補陀落に登る。
い、はー
い、はー
おんやま、あいし、ざすは、とうしゅさまよ
い、はー
い、はー
おんやま、あいし、ざすは、とうしゅさまよ
猪崇を腑分けいたして、痩せた土壌に撒く。里民がそれを耕す。
面白いように肥やしとなり、実りの穂が垂れる。
これを
肥やす作物がない時は、
植泥の正体?
さあて、
鉤爪のあるてのひらに握り潰され、破廉恥にも布きれ一つ纏わん、黒黒と焼け焦げた凍結屍体なんぞ、里の民であろうはずがない。なかろうとも。
いあ! あざとおおす!
菩薩さま……あれははたして神仏であったのかな。
【筆者註】
猪崇の姿、とされる文献は幾つかある。
享和元年、奥州会津の古井戸に落ちてきたとされる猪崇は、
鋭い牙と水かきのある4本脚を持つ姿で描かれた画が残されており、
体長1尺5,6寸(約46センチメートル)と記されている。
猪崇の多くが、タヌキ、ハクビシンのような姿で伝聞されているのに対して、
一方、なんとも奇怪な姿を遺している猪崇もいる。
芸州五日市村に落ちたとされる猪崇の画は、
カニまたはクモを思わせ、四肢の表面は鱗状のもので覆われ、その先端は大きなハサミ状なのだ。
体長3尺7寸5分(約95センチメートル)、体重7貫900目(約30キログラム)あまりだったという。
【参考】
雷獣:Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B7%E7%8D%A3
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