いちばん好きなひと

西山香葉子

第1話

 あたしは今、あたしに肩を揉まれてた亜矢ちゃんが、寝落ちしてしまった時のことを思い出している。

 すーすー寝息を立ててる彼女の寝顔を見ると、なんだか辛くなる。

 無邪気な顔して寝ちゃってさ。

 あたしはあんたのことが好きだから、寝顔を見てるの辛いんだぞっと。

 今夜は一緒になんか寝たら心臓持たないから、亜矢ちゃんのベッドで寝よう。

 なんであたしのベッドで寝落ちするかな。

 あたしと亜矢ちゃんは、中2進級時にあたしの両親がロンドンに行って以来、ルームメイトになってもうすぐ4年だけど、まともに自分のベッドで寝たのって6割くらいじゃなかろうか。

 それくらい、マッサージ中の寝落ちが多いってことで、ちょっと寂しい。


 亜矢ちゃんが東北地方の実家に帰省してからも寂しい。

 亜矢ちゃんがいないので、ファンの娘たちがうるさいことを言わなくていいけどさ。

 あたしは生徒会役員だから、9月下旬の学祭の準備で登校しなきゃいけないけど。


 亜矢ちゃん実家でどうしているかな?

 ストレス溜めてるよね、きっと。

 毎回毎回、お休み帰省から寮に帰った後は、かわいそうなくらいに疲弊した顔をしていることが多い。

 そういう時は、夜の、マッサージ師としての出番になる。

 こうでもしないと好きなひとに触れられないってのは。

 片想いって辛いよなあ。


「ねえ透子、あんたこないだ初体験したって言ってたけど、どだった?」

亜矢ちゃんが帰省していていないので退屈だから、もひとりの親友・自宅通学の井沢透子の家にお邪魔している。

透子は飲んでたミルクティーを盛大に噴いた。

「ばっ……あんたとゆーヤツはっ……」

「あれ、あんたでも動揺するんだ」

 鎖骨や頬にお茶をかけられたが、とりあえず怒らない。

「ばか、親が聞いたらどーすんだ」

 小声でしゃべる透子は本格的に真っ赤になった。。

 数分経ってやっとこ落ち着いたのか、

「あんたは相手が亜矢だから、アタシの話なんて参考になるのかよ」

 と言いつつ頬の赤さは消えていない。

 しかし汚いな。

 透子と2人で紅茶の出た部分を拭く。


 結局、「絶対参考になるわけないから教えてやらん」と言い張る透子から聞き出せずに、スゴスゴ寮に帰るあたし。

 あー、退屈。

 実家帰らせない方がいいような子までなんで実家帰らせるんだろう。


 とりあえず夏休みの課題を片づけて。

 お盆の時期ははロンドンの両親が、都内の母の実家に帰ってくるので、基本冬休み以外は寮にいる私もそっちに泊まる(冬休みは、レートが安ければロンドンに行くし、高いと都内の母の実家にいる)。

 冬休みの最終日だけは亜矢ちゃんも母の実家に泊まるのにな。お盆の時期は家を手伝わされるみたい。

 だから彼女は、年に1回、うちの家族と東京で会ってるけど、うちの連中と会うときの方がリラックスしているんじゃないかと考える。

 彼女の実家に一度だけ泊まったことがあるけど、堅苦しくていい雰囲気じゃなかった中3の頃の記憶。

 亜矢ちゃんは2人姉妹の長女だが、2年下の妹さんを、両親が露骨に贔屓するような環境で育ったようで。

 なるべくうちにいた方が、とは、うちの母でさえ思うのだが、あちらのご両親が「あまりお邪魔してはご迷惑ですから」とやたらに固辞するし。

 そんな長期休み。


 高2の夏休みの、ある、とても暑い日。

 あたしは寮から徒歩3分の郵便局へ向かっていた。

「あれ、結花じゃない?」

「あ、沙希先輩?」

 あたしのファンだと言っていた3歳年上のバスケ部の先輩だ。あたしのファンは下級生が多いので、珍しいひとではあった。フルネームは上原沙希という。

 以前からボリューミーなひとだけど、ますます胸が目立つなあ。あと、メイクが濃いめ。

「久しぶりー」

「お久しぶりです」

 先輩は笑顔になった。

「元気ィ?}

「元気は元気ですけど」

 亜矢ちゃんがいないから、ね……

「珍しいね、ひとりなんて」

「亜矢ちゃん実家帰ってるんですよ」

「ああ、あの娘、実家遠いんだっけ?」

「ええ」

「ふうん。ところでさ、今からプール行くんだ。相方がいないから行こうかどうしようかと思ってたんだけど、ヒマなら来ない?」

「……郵便局の用事終わったら行きます」

 あたしは一瞬迷ったが、暇だし亜矢ちゃんいないし、透子はデートだと言ってたし、先輩についていくことにした。

「寮まで行っていい? 久しぶりに寮監に会いたいなー」

「先輩寮でしたっけ?」

「忘れてたな、この」

 そうだ、先輩もあたし同様帰国子女だ。


 寮では、久しぶりに表れた沙希先輩を、寮監の宮前佳恵さんが大喜びで出迎えた。あたしが中に水着を着込んで玄関に降りてきて数分経っても離そうとしない。

 10分経って、解放された。

 

 で、沙希先輩に誘われて、プールで泳いだ。

 いつも水泳の授業で使わせてもらってるスクールをやってる、古めのプールと違い、最新式のスポーツクラブのプールだった。 

 先輩曰く、親が金持ちだから入れられてると言っていた。

 先輩のボリューミーな水着姿は目の保養だったけど。

「ここ一緒に来ようと思ってたヤツがいたんだけど、別れちゃった」

 と言って、ちょっと寂しそうな顔。

 着替えて、

「ゴハン食べない? おごるよ?」

 と先輩。

 こちらも相方がいないのでついていく。

 お堀端のボートハウスを改造したイタリアンレストランへ行った。個室。

 ここも予約してあったんだな?

「乾杯」

 先輩はワイン、あたしは100%オレンジジュースで乾杯。一応未成年なので。

 ピッツァをシェア。

「あ、あんたシェア平気だよね?」

「ハイ」

 亜矢ちゃんがシェア苦手だからあまりやらないけど。

「口元にケチャップついてるよ」

 と言って先輩の手があたしの口元に……

 え!?

 唇にキスされた!

「へへっ」

 先輩は笑うと、

「今夜あたしの部屋、来ない?}

 と耳元で囁いた。


 はい、はっきり「お持ち帰り」されました。しました。全年齢向けなので具体的に何したかは書きませんけど笑 寮の門限を破って反省文描かされました。

 あんなに気持ちいいことだとは知らなかったな……

 先輩は体形が変わらないせいか亜矢ちゃんと触り心地が似てたけど。

 あたしはよく亜矢ちゃんに抱きついていて、本人は悲鳴をあげ、下級生が彼女に嫌がらせをする原因になっているのだけど、そうしてまでも彼女に振れたいという気持ちは、ある。


 それからあたしは、翌年の冬の終わりまで、先輩のセフレだった。

 週に1回逢って。

 寮の門限をよく破った。生徒会役員がそれでいいのかと言われもした。

 1回大雨で帰れなくなって、透子の家に泊まってることにしてもらったことがある。理由は黙秘したが、あいつも恋愛中の女だし、何らかの勘は働いているかもしれない。

 それでも、先輩と時間を過ごしていて、これが亜矢ちゃんだったらな、と思うことはたくさんあった。

 亜矢ちゃんには、何をやってるか言えなかった。知られたくもなかった。だからこの頃、亜矢ちゃんとの会話は上滑りだったかもしれない。

 そして、亜矢ちゃんが好きだと、改めて気づかされた。

 いちばん好きなのは亜矢ちゃんだ。

 先輩と亜矢ちゃんが、体型似ているだけに。

 冬の終わりに、先輩に新しい本命カノジョが出来たというので、あたしたちの関係は発展的解消となった。先輩はゲイ・タウンにも出入りしていて、そこで知り合った女性らしい。ちなみにそこで知り合った別の女性には、本命カノジョがいない時は何人セフレをつくってもいいけど、彼女ができたら彼女と向き合いなさい、と教わった、そうだ。


 先輩と別れて、あたしたちは高3になって、進路、というか志望校を決める。

「同じ大学に入れたらいいよね」

「行けるんじゃね? あたしら成績そんな離れてないし」

「いや、トップの田中亜矢様にはとてもとても」

「茶化すなよ」

「睨まないでよ。でもほんとじゃん」

 お互いに、部屋の勉強机用の椅子に掛けている。あたしは椅子の背もたれを前にするという、あまりお行儀のよくない座り方だから、生活指導の先生が見たら、生徒会副会長がなんですか!? と怒りそうだ。

「何を目指すからなに学部を目指す、というのが理想なんだよな、このマンガ読んでると」

 と言って亜矢ちゃんはとある漫画を1冊、本棚から出した。、文庫サイズの、アクの薄い絵柄の少女漫画。

 この漫画の女主人公は、映画の翻訳家になりたくて、英語の勉強には熱心だというキャラクターだ。彼氏は医者の息子だがバスケをしてて、バスケがやりたいのだったかな? 亜矢ちゃんがいちばん好きな漫画。

「理想だよねえ……」

 あたしはつぶやいた。

「新聞記者かあ……」

 亜矢ちゃんはつぶやいた。

「調べたところ、文学部行って、途中からダブルスクールかな……」

 亜矢ちゃんはベッドに寝転んでしまった。伸びた髪が枕に散る。少し明るめの色の、やわらかいくせっ毛。

「目標あっていいねえ……」

 あたしも自分のベッドに寝転んだ。


 翌日、透子も混ぜてお昼ご飯を学食にて。

「あ―あたしは編集者だね」

 透子はショートヘアを掻きながら言った。けっこう髪型を変える女で、半年前はロングだった。家に遊びに行くと、時々カーラー巻いてる。

「みんな決めてんのか」

 透子の当然のような発言に、あたしはため息をついた。

「2人とも数学出来るからいいよ。あたしなんか数学ダメだもん。国公立はダメじゃん」

 というか、透子は、洞察力は一番だが、成績はそうでもないのだ。

「今やってる部活が生かせるのを目指してるんだよね、2人とも」

 あたしは亜矢ちゃんと透子を交互に見て、言う。

「でもあんたは運動部だから、仮に教師になってうまく部活の顧問になるとかじゃないと生かせなくない?」

「バスケやってたことを思い出させてくれてありがとう」

 透子の発言は皮肉だろうか?

 バスケは、高1で生徒会会計に当選した時にやめた。両立できる自信がなかったから。

 時々、生徒会に立候補するんじゃなかったと思うことがあるけど。特に亜矢ちゃんが嫌がらせされることを考えると。

「生徒会やらないでバスケ続けときゃ良かったな……」

「今更何を言ってんの」

 亜矢ちゃんがやっと口を開いた。

「時計は巻き戻せないんだから」

「そうだね」

 納得せざるを得ない発言だった。


 とりあえず、亜矢ちゃんの志望大学の経済学部を第一志望にして書類を提出した。親には電話した。

 教育学部行って先生目指すのもいいかと思うけど。


 夏の始めのことだった。

 土曜日の午後イチ。

 亜矢ちゃんと透子と3人で、昼ごはんどうしようか相談しながら歩いてたら、何者かに背後から右肩を叩かれた。

「結ー花っ」

「わ! 沙希先輩!」

 あたしは全身で振り返る。

「お! 相変わらず3人で仲イイネー」

 先輩はあたしの左腕に腕を絡めた。

「離してくださいよ!」

 必死になって先輩の腕を振りほどく。

「彼女さんどうしたんですか?}

「別れた」

 シンプルな返事だった。

 亜矢ちゃんと透子を振り向くと、亜矢ちゃんは訳が分からないといった顔、透子は……読めない。

「行って来たら?」

 透子が言った。

「ありがとー、結花ちゃん借りるねー」

 あたしの意思はどっかに行っている。


                             続く

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