三つの指輪【完結】
永才頌乃
この世界
第1話・失ったものは
──少女は突然、愛する両親を失った──。
少女の父は、世界大会でも賞を獲得する程の腕の良いパティシエで、自宅の一階に構えた店舗で、妻と二人で小さな洋菓子店を営んでいた。
購入した物をその場で味わう事も出来る小さいカフェスペースも設けられた雰囲気の良い店内は、両親の穏やかな人柄と、父の生み出す菓子を愛してくれる人々でいつも賑わい、少女は、自分の大切な人達の笑顔が溢れる店が大好きだった。
──だが、そんな大切な場所も、少女の愛する人達と共に脆くも崩れ去ってしまう。
その日、少女は母方の祖父の
幾つもの会社を経営する祖父は気難しい人物だったが、いつも笑顔を欠かさず、両親の人柄を受け継ぎ
少女もまた、厳しくも優しい祖父を好いていて、月に二、三度ある外泊は少女の楽しみの一つとなっていた。
何でも良く知っている祖父は、少女に様々な事を教えた。
雲の名前や星の名前。庭に咲く花や樹々の事。
まだ五つにも満たなかった少女には難しい事も多かったが、それでも祖父は分かり易く、理解し易いようにと言葉を選んで話して聞かせた。
何かを教わる事に楽しみを見出していた少女は、夢中で祖父の話を聴いた。
夜になり、祖父の部屋で一日の楽しかった思い出を胸にうつらうつらとし始めると、そんな少女を祖父は大切に、宝物のように抱き締めてくれ。
祖父の温もりに、護られていると強く感じながら酷く安心して、優しい夢へと導かれるのはいつもの事。
──けれども深夜、少女の眠りは騒音と共に破られる。
廊下を慌ただしく駆ける人の足音が近付いて来たかと思うと、二人が休む部屋の扉が荒々しく叩かれた。
「失礼致します!!」
返事も待たずに慌てた様子で扉を開けたのは、長年邸で働く
何事かと警戒した祖父は少女を庇うように背後へと隠しながら、眉を顰めた。
しかし、直後に告げられた言葉に、さっと
「
「──何……!?」
報告を受けた祖父は、慌てた様子でバルコニーに飛び出した。──彰、亮子というのは祖父の娘夫婦──、少女の両親の名前だ。
バルコニーへと飛び出した祖父は、──目を見開いた。
邸は小高い場所に立っているため、裸眼であっても同じ街の中にある少女の自宅はこのバルコニーから確認する事が出来る。
そして今、少女の自宅の立つ場所は赤く光って見えて。
「──車の手配を!!」
部屋に戻った祖父は使用人の男に指示を出すと、決して好ましくない事態が発生していると察して不安げにベッドの上に座っている少女を連れて、少女の自宅へと車を走らせた。
本当は最悪の事態を想定して、少女を邸に残して行くつもりだった。
けれど両親の名前が出ていた事で少女は、共に行くと強い意思を見せて。
無事でいて欲しいとの願いを胸に、自宅に向かった。
──しかし、現実は残酷だった。
着いた場所で見た光景に、二人は言葉を失った。
いつも人々の笑顔で溢れていたその場所から赤々とした炎が立ち昇り、少女の自宅を包み込んでいた。
辺りには消防車が何台も停車し、消防隊員が消火に当たっている。だが、それが間に合わない程に、炎の勢いは凄まじい。
「っ、ここの住人は!?私の娘夫婦はどうした!?」
祖父が近くにいた消防隊員に詰め寄る。
──どうか無事であって欲しい。怪我はしていても良い。けれど、どうか命だけは無事で。
「……申し訳ありませんが、炎の勢いが強すぎて、建物には近付けず……」
隊員は苦痛に満ちた表情で、
祖父は絶句した。
彼の愛する心美しい娘夫婦は、
立ち尽くす祖父の
──五時間後。漸く鎮火した自宅の、倒壊した二階部分から、二人の遺体が発見された。
後日、警察と消防の調べで出火場所が一階店舗部分からで、また全体的に灯油が撒かれた形跡があった事からこの火災が放火によるものと判明する。
警察はすぐに捜査を開始した。が、犯人は防犯カメラの位置や角度を把握していたようで、その死角を突かれて車に乗り込む瞬間しか映っておらず、しかもその車は盗難車。
時刻が深夜だった事から辺りに大した灯りはなく、はっきりとした目撃者はいなかった。
父方に肉親はいない。両親を失った少女は、祖父に引き取られた。
だが、あの日以来、少女は笑う事も、話す事もしなくなった。──まるで、人形のように。
「──しょうこ」
祖父が呼び掛けても、少女は応答しない。ただ椅子に腰掛けている。
僅かに表情を曇らせた祖父は、しかし気を取り直したように少女の前に屈み込んだ。その小さな手に、何かを握らせる。
鎖に通されたそれは、少し黒ずんだ二つの、対になった──指輪だった。
「これは、お前の両親の結婚指輪だ。きっと、両親の代わりにしょうこを護ってくれるだろう」
この大きさの異なる二つの指輪は、あの凄まじい火事の中、少女の両親が最期まで身に着け、そして唯一残った二人の形見だった。
祖父は少女の手に一度握らせた指輪を取り、それを少女の首に下げた。
指輪は、少女の胸許で小さく揺れる。
しかし、少女は表情一つ変えない。
その頬に祖父の大きな手が添えられた。
「……これから先、何年、何十年と掛かろうとも、また笑えるようになる。──必ず、な」
祖父の深い愛情に包まれ、少女は少しずつ、自分を取り戻していった。
月日を掛けて、ゆっくりと。
──そしていつからか、泣く事も、怒る事も、──笑う事も。少女は再び出来るようになった。
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