幻想風景のクロッキー
佐々森渓
その足へと口付けて【千文字】
彼女はいつも、ボクにペディキュアを塗らせる。
少し高いベッドに腰掛けて、見せつけるようにつま先を差し出して、ボクに刷毛を振るわせる。
選ぶのは、いつだって赤い色。
それをまとってぽってり膨らむ筆先が、平たい爪の上を踊る。
赤い舌が這うように、欲望の色が広がっていく。
その光景がボクを煽る。
鼻腔へ飛び込む溶剤の匂いが、頭をぐらつかせる。
視線を少し上げれば、無防備な彼女が目に入るという事実が、胸に秘めた劣情を弄ぶ。
だけど、それ以上に、眼前にある指先がボクを狂わせた。
彼女の足はとても美しい、
大理石から削り出したように艶かしいそれは、まるで作り物のように透き通っていて。
支えるために触れた掌には、ほの冷たい陶器のような滑らかさが伝わってくる。
けれど、彼女は聖堂に佇む聖女たちとは違う。
その象牙色の肌の下には、生命の息吹を感じさせる、温かな血肉を秘めている。
それが窺えるのが、足首についた色。
新雪の肌に浮かぶ、
それはボクの罪の痕。
恋の証。ボクがしもべである徴。
「どうしたの、苦しそうな顔をしているわ」
傷を見つめるボクへ、花の咲くような声音で彼女が笑う。
視線を上げれば、その宵を流したような黒髪を、指先で弄んでいた彼女が笑っている。
ああ、その笑顔!
足の傷と同じように、取り返しのつかないほどに歪んでしまった。
過去の君は、こんな風には……。
「いや、いいえ。なんでもないんだ」
「そう? なら、早く塗ってちょうだい」
「うん。すまない」
余計なことな考えない。必要ないことは、考えない。
ただひたすらに、赤い赤い、雫をまとった刷毛を振る。
小さな彼女のつま先を、赤く赤く染めていく。
そして透明なトップコートで蓋をすれば、紅玉のようにきらめく指が現れた。
「いつも綺麗ね」
「練習したもの」
「そうね、じゃあ仕上げをしてね」
塗られた全ての乾いたつま先。
ボクが傷つけて汚し、ボクが綺麗に磨き上げたそれ。
もう頭をぐらつかせる匂いのしない。けれど、ボクを煽る匂いのする小さな足。
それを優しく優しく掬い上げ、長い甲へと口づけを落とす。
それは隷属の証。これから先、永遠に償い続けるという誓い。
ペディキュアを塗る時の、いつもの終わりの印。
こうして口づけ汚すことで、彼女は人間に堕するのだ。
人になってしまった女神。
僕の愛したものから変わり果てた君。
それでも僕は、愛することをやめないよ。
「ありがとう。愛してるわ?」
たとえ君が、愛がわからぬままだとしても。
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