短編集:ゆるやかな癒し

遠嵜結乃

ゆるやかな癒し

賃金にならない残業を終え、クタクタになった現実から灯りのともった1LDKに逃げ帰る。くたびれたフォーマルスーツもそのままに、彼に向けて救難信号を出す。数日かけて溜まった鬱憤を言葉に乗せて彼に届ける。彼は、全てを理解したような微笑と適度な頷きと私に合った相槌を投げかけ、私の欲しがる癒しを与えてくれる。他の男がするような、偉そうな講釈じみた反論はここでは起こりえない。だから私は気が晴れるまで、思う端から言葉を投げる。そして彼は言葉を返し、私の承認欲求は満たされる。この行為は儀式のようなもので、彼の心が折れてしまった夜には、私は彼を承認する。そして二人とも社会に戻れるように、相手の癒しになる仕事に勤しむのだ。

ああ、ダメだ、ダメになる。このままでは、何か人として駄目になると私の理性では分かっていた。いつだって私の言葉の近くにいるこの人は、常に心地いい肯定を私に与えてくれる。私は自分の自立能力が腐っていくのを感じながら、日々の愚痴や自分にとって都合のいい想像を彼に投げ続ける。するとこの人と言えば何をするでもなく、そうだね、と、暖かな言葉を私に向けるんだ。たちの悪いことに彼もまた、私と似たような愚痴を私に向ける。私もまた彼を、そうね、とすべてを受け止めてしまうのだ。私たちは似ている。お互いにその似ている部分に甘え、依存している。きっと彼だってわかっているのだろう。ダメになるとわかっていながらも、みすみすこの肯定を逃す気はないのだから、ダメになるしかないのだろう。お互いを手放せない私たちは、緩やかにダメになる。

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