GIFT4

tir-tuk

プロローグ



 分かってる。

 そんなこと分かってる。


 呟いてから、ワタシはそっと自問した。


 ――何を?


 ワタシの小さな声にマスターがカウンターの向こうで、え? と首を傾けた。


 ――すいません。よく聴こえなかったもので。


 アンジェリーナ・ジョリーみたいに器用に動くマスターの眉が、きれいに片方だけね上げられて彼の声を代弁だいべんしていた。


 ――なんでもないんです。


 ワタシはにっこり微笑んで、カクテルグラスに口をつける。

 マスターがチョイスしたカクテルはアレクサンダー。

 ブランデーベースのカクテルで、口に含むとチョコの風味がふんわりする。

 ブランデーのやわらかな温度に強張こわばった身体がほぐされる。

 ワタシはBGMのギターの低音にゆったりと心をゆだね目を閉じた。

 このバーではジャズの他にしっとりとしたロックも流される。


 ニール・ヤング。

 ジョニ・ミッチェル。

 ジョン・フォガティ…


 ――ジャズも良いけど、こういうのもいいでしょう? 


 少しはにかみながらのマスターの選曲はどれも素敵で、ワタシが好きだというと彼は丁寧な説明と一緒に、レコードのジャケットを見せてくれた。


 ああ。好きだな、とワタシは思った。

 選曲もだけれど、好きなものを好きだというマスターの素直な人柄にかれて、ワタシはこの店を彼との待ち合わせ場所に選んだ。


 きっと彼も好きになる。

 なにより彼によく似合っていた。


 けれども初めてここを訪れた彼がマスターに伝えた選曲は、ビル・エヴァンスだった。彼はその後、ビル・エヴァンスの初期四部作とメンバーの事故死と、エヴァンスがいかにジャズの世界に貢献こうけんしたのかについて語った。


 カランと入口のドアを鳴らして彼が来る。


 「ごめん。待たせたね」


 隣のスツールに座ると彼はビールを注文した。


 「Fitzgerald?」


 N・Y暮らしが長かった彼はネイティブの発音で言った。

 目線はワタシの手元にある文庫本。

 彼を待つ時間の大半をワタシは読書にあてていた。


 「そう。フィッツジェラルドのグレートギャッツビー」


 読むのは四度目だけど。

 ワタシが言うと彼は「humm」と頷く。


 「なら。Truman Capoteの『ティファニーで朝食を』もいいよ」


 「トールマン・カポーティ?」


 「そう」


 「オードリー・ヘップバーンの?」


 「Audrey Hepburnの映画の原作者がCapoteなのさ」


 フィッツジェラルドが好きなら、きっとカポーティも好きになるよ。

 それになにより君に似合いそうだ、と彼は笑う。

 あなたがそう言うのならきっとそうね、とワタシも彼に笑い返して本をバッグにしまった。

 注文したビールがきて、彼はビールのグラスを軽くかかげる。

 ワタシもカクテルグラスでそれに応える。


 ワタシたちは乾杯した。

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