Episode 02 Other Side -麻子- 前編
「よっ……と」
ワタシは二本の支柱によって持ち上げられているバーを飛び越えて、その先に設置されているクッションに背中から着地する。
バーの高さはワタシの身長と同じくらいであるが、触れることなく飛び越えることができる。
「はぁ……」
ため息を一度ついてから、起き上がってクッションの縁に腰を掛ける。
この場所はワタシが通っている高校のグラウンドの端っこ。
陸上競技用のゾーンであり、わざわざ走り高跳びをするために体育倉庫から引っ張りだして用意した。
陸上部に所属していて、得意競技は走り高跳びだ。今日は土曜日で天気は晴れ。絶好の部活日和であるが、部員は誰もいない。
それどころか、部外者である人々がグラウンドやちょっと遠くに見える校舎や体育館を行ったり来たりしている。
何事もない土曜日であれば、野球部やサッカー部がグラウンドを占拠し、端っこでは我々陸上部が練習をしているはずの時間だ。
しかし、ワタシ以外に部活動っぽいことをしている者は誰もいない。
それもそのはずだ。
原因は数日前に発生した【獣化病の始まり】(ファーストインパクト)。それと【獣化病】だ。名前はいつの間にやらつけられていて、テレビのニュースでは今もなおその話題で持ちきりだ。最近では専門家っぽい人が引っ張りだこみたいだが、なんとなく胡散臭さを感じる男性だった気がする。
人間を動物の姿に変えてしまう現状は、東京の渋谷を中心に広がっていき、隣の県であるここにも影響が出始めている。
それは【獣化病】によって大型の動物に変化した場合だ。家が倒壊し、そこで暮らすことが困難になった人たちが、この高校を避難所として生活をしているのだ。
その影響で学校は休校、部活動も停止。
ただワタシは顧問の先生に無理を言って、じゃまにならないようにこうして練習を行っている。身体を動かしていないとどうにも落ち着かない性分なのだ。
体操着の背中を撫でるポニーテールを整えて、近寄ってくる人影に気がつく。
二人がこちらにやってきていて、ワタシは手を大きく振る。
「タマちゃん! 紗栄センセ!」
一人は高校の制服を着たこじんまりとした女の子で、もう一人は長身の髪が長めの女性。白い長袖のカーディガンにベージュ色のパンツを身に着けている。
「マコ先輩! 飛ぶところ見てました! びっくりです!」
「おおー、見られちゃったかー。恥ずかしいけど、嬉しいなぁ」
と、目の前までやってきたタマちゃんの頭をワッシャワッシャと撫でる。首元辺りの長さで切りそろえられている髪が揺れる。
彼女が三森珠紀(みもりたまき)ちゃん。陸上部の後輩で短距離走を得意としている。身長はワタシの胸くらいと小柄で、性格もおとなしい。タマちゃんという愛称でワタシは呼んでいる。
「紗栄(さえ)センセは付き添いです?」
「まあ、そういうことだね。【獣化病】が心配だし、万が一があったら困るからね」
歯を見せて微笑む紗栄センセ。
「まあ、どうせどこの学校も休みだし、家でゆっくり寝ていたいってのはあるけどねー」
「あれ、センセの学校に行かなくて良いんですか?」
「それどころじゃないっしょ。連絡なんて来やしない」
ワタシより頭一つ分身長が高い。タマちゃんのお姉さんであり、陸上部のOBでもある。高校の養護教諭――保健室の先生をしているため、センセと呼んでいる。まあ、この高校の先生ではないんだけど、OBということでしばしば顔を見せてくれる。
ただ、休みの日は寝てるかネットゲーム三昧らしく、出来ることなら毎日そんな生活をしたいっていうのがセンセの口癖である。
ちなみに、ワタシは日野江麻子(ひのえまこ)だ。
「多分、今日もマコ先輩がいると思ったので」
「だからって、制服じゃなくても良かったんじゃない? どうせ休校だし、気にする人もいないだろうし」
「んー、やっぱり自分の通ってる高校に来るときくらいは制服じゃないとって思ったので……」
「まあ、真面目なこと。やっぱりタマちゃんは可愛いなぁ」
「や、頭を撫でるのは、やめてください」
「ごめんごめん。タマちゃんが可愛くてさぁ」
とタマちゃんいじりはここまでにしておこうか。
「それで、マコ先輩」
「ん、どした?」
上目遣いで、聞くのをためらうような表情。まあ、聞きたいことはなんとなく察しがついた。
「フーカ先輩とはやっぱり、連絡が取れてないですか?」
「フーカかぁ……」
日向風香。ワタシの親友であり、陸上部のマネージャーをしている子だ。マネージャーと言いながらその正体はただの写真部で、いつも陸上部の活動風景をカメラに納めていた。
それだけあって、部員の体調の異変にはすぐ気がついてアドバイスをしていたし、彼女自身足が早かったので、短距離走なり長距離走なりレギュラーをもぎ取れるくらいの能力があったように見えた。
そんなフーカであるが、【獣化病の始まり】の日から連絡が一切取れていないのだ。携帯電話で通話とメールと繰り返し試みたが、反応が一切なかったのだ。
だから学校に来ていればひょっこり顔を出すんじゃないかという期待を込めてワタシはここまで足を運んでいるというのもある。タマちゃんもきっとそうだろう。タマちゃんの家もどこか壊れて住めないということは無いと聞いている。
「ここまで連絡が取れないと心配になるよなぁ」
「そうですね……」
ワタシは顔を空に向ける。空は青くて雲はほとんど無い。
フーカは今、どこにいて、何をしているのだろうか。
【獣化病の始まり】の前はワタシとフーカ、タマちゃんの三人でいつも集まっていたし、休日もしばしば遊びに行くこともあった。だからこそ、まるで穴が空いてしまったかのように感じるのだ。
「じゃあ、さ」
と、黙っていると、紗栄センセが口を開いた。
「とりあえず、家まで行ってみれば?」
「え? そっか! 待ってるばっかりじゃなくて、迎えに行っちゃえば良いんですね」
なんて簡単なこと、思いつかなかったのだろう。
連絡がつかなきゃ、どうなっているのか見に行けばいいんだ。
「たしか、ここからだったら歩いていける距離だったよね。バスとかは止まってるから……」
「そうですね。ちょっと遠いですが、歩いていけるはずです」
バスに乗れば直ぐなのだが、バスや電車といった公共交通機関は運転手が【獣化病】を引き起こし大きな事故が起きることを防ぐために運休しているのだ。
実際【獣化病の始まり】の時は電車やバスが盛大に事故を起こしたというのを聞いている。
「ってことで、マコとタマで行ってきな」
「あれ、センセは?」
「私は面倒だから待ってるよ」
とそう言いながら胸ポケットに入っていたであろうタバコを取り出していた。
「センセ、禁煙してたんじゃないんですか?」
「んー、そうなんだけど急に吸いたくなってねぇ……一本だけ、一本だけ、ね」
「そっすか……じゃあ、様子見てきますか、ね、タマちゃん」
「はい! ありがとう、おねえちゃん」
「おうおう、様子見てきてついでに報告よろしく」
と、いうことで一先ずはフーカがどうなってんのかを知るために、フーカの住んでいるだろうマンションへと足を運ぶのだ。
「フーカ先輩のマンションって、この辺でしょうか?」
「んー、この辺りの気がするんだけどな……」
高校から歩くこと三十分ほど、紗栄センセから転送してもらった地図を受け取る限りこの近くにマンションがあるはずなんだけどな。
正直、地図を見て目的地に行くのはあまり得意でない。こういう時はフーカに頼りっぱなしだったからな……。
「もう少し地図を読めるようになているべきだったか……」
「お役に立てずにごめんなさい」
「いやいや……これからはフーカに頼りきるのはやめようか」
「はい」
それだけであればよかったのだが、通れない道が結構あったりして迂回している内に道がわからなくなってしまったというのもある。
【獣化病】によって変化した人が家を破壊したことで周辺が立入禁止になったり、言葉にしにくい処理で通行することができない場所もあった。
「こうして見知らぬところを歩くと、【獣化病】がどれだけ被害を出し始めてるっていうのがわかっちゃうね」
「そう、ですね」
横をトコトコと効果音を出しそうな歩調でついてくるタマちゃん。顔をうつむかせて、ぼそっと返答をくれる。時折、首筋をかいたり、額の汗を拭ったりするしぐさがかわいらしい。
「にしても、暑いよね」
「え、あ、先輩もそう思いますか?」
「?」
「あ、いえ、なんでもないです」
ん? どういうことだ?
歩いて暑いし、季節もジメジメしている季節なんだけど、まるでタマちゃんだけが暑いって感じてたみたいなそんな言い方だったよね。
「タマちゃん、なんか心配事でもあるの?」
「ふぇ? そ、そんなこと……ないですけど」
うおう、怪しぞ。
「まあ良いけど、何かあったら紗栄センセかワタシに相談しなよー」
「…………はい」
まあ、言い難いことならこれ以上言及することはあるまい。
さて、手に持つ携帯電話を何回回転させただろうか。辿りつけないぞ!
「辿りつけないな……」
もしかして、ワタシたちって方向音痴だったか。
マンションっぽい建物も周りに見えないしな。
「……あの」
と、タマちゃんが立ち止まる。
「ん、どったの?」
青ざめた表情で真っ直ぐ前を指差すタマちゃんにワタシもそっちの方に、視線……お?
気がついてしまった。
何度通ったかわからないでっかい駐車場。
なんでこんなとこに駐車場あんのかなぁって思ったらそうじゃないんだ。
その先、崩れた家かと思ったら違う。
そこにマンションがあったはずだったんだ。
携帯電話を見れば、そうかここだったんだ。
「じゃあ、ここにフーカがいるわけないんじゃん……」
だって、二階建ての家より小さくなってる瓦礫の山じゃん、場所によっては一階部分も潰れてるし、そこは黒くてベタッとしてそうな物体が付着してるし、なんか臭う……気がするし。
「じゃあ、さ。フーカはどこ行っちゃったんだろ」
ワタシが崩れ落ちそうだった。
てっきりバスが動いてないから学校まで行けなかったんだとばっかり思っていた。そうじゃなかった。
じゃあ、この近くの避難所か?
いや……だってさ。
携帯のメールを確認する。
【獣化病の始まり】の日にはさ、『とりあえず、明日は学校に行くね』なんて返信きてたんだよ。母親と連絡が取れないって。そのメールは夕方、フーカが家にいただろう時間。
その後か――。
「マコ先輩」
「え、あ、タマちゃん?」
「そういえば、あの日、ラジオ番組を聞いた人が一斉に【獣化病】で動物になったって話、ありましたよね」
「……あ」
そんな話、あったな。【獣化病の始まり】の次の日、ニュースでも放送してたっけ。
ラジオ番組を聞いていた人が一斉に動物になった。そして、大型の動物になってしまった人によって家が倒壊。場合によっては、本人や周辺にいた人の命が失われる通報もあったって。
だからこその立ち入り禁止の場所。
「……少なくとも、フーカはここにいないんだな。きっと」
「そうだと、思います」
「で、フーカは約束を絶対に守る子だった」
「そうなると、何かしらの理由で行けなくなった。もしくは、連絡が取れなくなってしまった」
ということか。
――ブルル……。
およ、携帯が震えてる。着信?
「紗栄センセだ」
「おねえちゃん?」
ワタシは頷きつつ、通話ボタンを押す。
「もしもし、どうしました?」
なんだから、騒がしい? ざわざわと嫌な騒音だ。
『あんさ、エライことが起きてる。報告ついでに早めに戻ってきてくれる?』
焦ってるような、面倒くさいことが起きたようなそんな早口な口調。
「どうしたんです?」
開いてる手で、戻ることをタマちゃんにジャスチャ送りながら、早足で歩く。
戻るだけならそう時間はかかるまい。
で、紗栄センセの返答は、
――【獣化病】起こしてる人が出た。
「――は?」
それって……避難場所でってことか。
【獣化病】って、渋谷にいた人や、ラジオ番組を聞いていた人にだけ起きるものじゃないっていうの?
それを聞いた瞬間、ワタシの足が加速する。
ワタシの胸が一瞬痛んだ。【獣化病】が自分に起きるのだとしたら、平静でいられるのだろうか、と。
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