百合世界
岸辺
1. 夢から覚めたら
私は女の子が好きです。
「女の子」が好き、というよりも、「佐々木 ユキホ」のことが好きなのです。
小学生の頃から、背の順で整列するといつも一番前になる小さくて華奢な体。透き通るように肌が白くて、プールの授業ではその肌が太陽や男子生徒の視線に曝されることに胸を痛めてしまう。亜麻色のくせ毛は毛先にパーマがあたったようでとても可愛いのに、雨の日は髪がまとまらないと文句を言いながらひとつに束ねている。そのときに見える横顔のあごのライン。色素が薄くてじっと見つめられると吸い込まれそうな茶色の瞳。
ユキホの全部が、全部私のものになればいいのに。
「神田。神田マナミ!」
「っ、はい!」
「なんだ、窓の外ばっかり見て。UFOでも飛んでいたか?」
現代文の教師の面白くもない言葉に、教室中がドッと笑いにつつまれた。
「次の章を音読しなさい。」
「…」
「どうした。よそ見ばっかりしてるからわからなくなるんだ。46ページの第2章だぞ。」
「はい、すみません。」
周りのクラスメートがくすくすと小さく笑う声に、私は自分の秘密が暴かれたようで恥ずかしくて、声をつまらせながらなんとか音読をする。
最後の一行を読み終わり、ホッと息をつくと、窓側の席に座るユキホが肩越しに視線を送っていた。目が合うとニッコリとほほ笑んでくれる。
手を振りたい気持ちをぐっとこらえて笑い返す。
もちろん、先生が言うように、UFOや飛行機を探して窓を見ていたんじゃない。
ユキホの後ろ姿を見ていたのだ。ユキホから2つ隣の列の一番後ろに座る私の席からは、ユキホの背中がよく見えた。
視線はいつも気づけばユキホの方へ向けられている。
現代文の授業は、特別退屈なのか、ユキホはシャープペンのペン先をクルクルと回しては外し、外しては回して付けてを繰り返していた。
すると、ユキホの手が滑り、外されたシャープペンのペン先が、ユキホの机の上から転げ落ちた。コロコロと鈍く光りを受けながら転がり、とうとう私の足先に当たった。こつん、と。
ユキホは自分の足元を探す仕草をしたけど、見当たらないと分かると諦めたように違うシャープペンを筆箱から出した。
足元のペン先を拾うと、金属の部分がじんわりとぬくい。
そういうところに気が付くことが、なんだか変態くさいと思いながら、私はしばらくペン先を手のひらの上にのせていた。
現代文の授業は、終了のチャイムがなってから3分ほど延長して終了した。5分の中休みの後にある15分の帰りのホームルームは、担任のブッチョ(ヤブキケンスケという名前だが、真顔が仏頂面なのでそのあだ名で呼ばれている)が教室に入ると同時に始まり、高校卒業後の進路相談のプリントや、夏休みの学内講習のお知らせのプリントを大量に配って終わった。
もらったばかりのプリントをそのままに、私はシャープペンのペン先をもってユキホの机に向かった。
「ユキホー、またペン先落としたでしょ。」
「え!なんでマナミがもってんの!?ありがと~!」
「私の足元に転がってきたんだよ。」
「ウッソ!運命じゃーん。」
差し出したペン先を受け取ると、空になった私の手をユキホがぎゅっと握った。柔らかい手の感触にドキドキしているのを感づかれないように「あ、そういえば進路相談のプリント書いた?」とユキホの手をほどいて先ほど配られたプリントを手に取る。
「さっきもらったとこなのに書いてるわけないじゃん。」
マナミはしっかりしてそうで抜けてるよね~、とユキホは笑う。
「昔からマナミってよそ見してて怒られること多いよね。」
「まぁ、集中力がないから…」
嘘です。
それは貴女を好きな年数分の嘘です。
「そのくせ、勉強はできるんだからうらやましいよ~。やっぱり大学進学するの?」
「うーん、特別やりたいこともないし、無難にそうなるかな。」
「そっかー、マナミがそうするなら、私も大学行こうかなぁ。」
ユキホは隣に立つ私の腰に手をまわして、体重を預けてきた。こうされると、ユキホは甘え上手だと、憎らしく思う。
「ちょっと暑いー。」
「まだ5月だから大丈夫。」
「夏になってもするくせに。」
「マナミ、夏でもいい匂いがするもん。」
私のおなかに鼻をうずめてクンクンと嗅ぐふりをするので、頭を軽くたたく。
「変態!」
「いーじゃん。」
「…ユキホはミルクみたいな匂いするよね。」
「うっそ、赤ちゃんじゃん!」
「おててもプニプニだもんね。」
「うるさーい!私もマナミみたいに大人っぽくなりたいー。」
「はいはい。」
ユキホの頭を軽くなでる。ふわふわの髪が手に心地いい。ユキホは私のストレートの黒髪をうらやましいと言うけど、ユキホのフワフワの髪の方が、私は女の子らしくて好きだ。
「でも、本当に私も進学しようかなぁ。」
「じゃあ…夏休みは一緒に予備校行こうか。」
「行く!マナミとだったら行く。」
断られたら嫌だな、という不安を打ち消すようにユキホは顔を上げてニッコリと歯を見せて笑った。
こういう無防備な笑顔を、夏休みも独占したい。という願いが、チクリと胸を刺した。
「じゃあ、帰ろっか!」
「ユキホ、合唱部の練習は?」
「合唱部の担当ってブッチョじゃん。今日は進路の話を親としてこい、ってことで3年は練習ないのー。」
「へぇ、ブッチョもいいとこあるね。」
「顔は怖いのにね。」
「学校の夏期講習とったら、夏休みもブッチョの顔見なきゃなんないし、やだね。」
「イケメンだったらよかったのにね。」
ふふ、とイタズラっぽくユキホが笑う。
その笑顔に暖かい気持ちになって、私はこの子が好きなんだな、と思い知らされる。
次の日、ユキホは元気がなかった。
なにを言っても上の空で、違うことに心を奪われているようだった。
心配は的中し、いまユキホは保健室で寝ている。4限目の体育のバレーボールの試合中に、ボールがユキホの頭を直撃して、そのまま保健室へ連れられて行ったのだ。昼休みになると、急いで着替えをすませて、購買でパンとジュースを買って保健室へ向かった。
保健室の扉を開けると、保険医はいなくて、3つ並んだベッドの、一番窓際のベッドのカーテンが閉められていた。私は、そっとカーテンの中をのぞく。ベッドに横たわったユキホが物憂げに窓の外を眺めていた。
「ユキホ。」
「マナミ…。」
「大丈夫?ほら、お見舞い。」
ユキホの好きな紙パックのオレンジジュースをほっぺたにあてる。
「ひゃっ。つめたい。」
「パンもあるけど、食べる?」
「んー、食欲ない。」
「そっか…。」
ユキホは、掛け布団を鼻まですっぽりかぶった。
「マナミ。」
「んー?」
「マナミとずっと一緒にいたいなぁ。」
「うん、ね。」
くぐもったユキホの声に胸がはねた。
ユキホの「ずっと一緒にいたい」という言葉が、「晩ご飯はハンバーグがいいな」とか「夏休みはディズニーランドに行きたい」程度の意味合いしか含んでいないって、分かってるくせに淡い期待を抱いてしまう。
もしかしたらユキホも私と同じ気持ちでいてくれるのかもしれない。
そんなはずはないのに。
「なんか、弱ってるね。」
「う~ん。あのね…すっごく言いづらいこと、言っていい?」
「ん、いいよ。」
ユキホは、布団から大きな瞳を出して、私をじっと見つめる。
寝不足のせいか、ほんのり赤くうるんだ瞳が、私の心拍数を上げる。
そんな風にされたら、変な期待をしてしまうから、やめて。
「実はね…」
「うん。」
「予備校の夏期講習、受けられないんだ。」
「えっ。」
見事に期待は空ぶったようだ。
期待、と呼べるほどのものじゃないけど。
「なんだ、そんなこと。」
「そんなことじゃないよ!」
拍子抜けした私の言葉に、ユキホは反発した。
「マナミに言うの、すっごく勇気いったのに!」
ユキホは掛け布団を頭まですっぽりかぶった。
「ごめん。ごめんって。そんなことで、私は怒らないから、大丈夫。」
布団越しにユキホの頭をなでる。
些細なことなのに、私に気を使って朝から悩んでいたユキホへの愛しさが込みあがる。
「お父さんとお母さんに反対されたんだ?」
「うん…。学校の夏期講習があるでしょって。」
「そっか。」
「マナミは頭がいいから予備校に行くだけで、私には学校の夏期講習で十分だ!って言われた…。」
たしかに、志望校のレベル次第では予備校に行く必要もないかもしれない。
「じゃあ、私も学校の夏期講習受けようかな。」
「え!?いいの…?」
「もちろん、予備校にも通うかもしれないけど。学校の夏期講習で足りない分を補う感じで。」
「マナミぃ~!」
ユキホが体を起こして私に抱き着く。その勢いのまま、ベッドに2人で倒れこんだ。
「マナミ大好き!結婚したい!」
「バーカっ」
ユキホの体がぎゅっと私に密着する。あったかくてふわふわで気持ちいいのに、私は心臓の音を聞かれないか不安だった。ユキホの頭がちょうど私の胸にあたる。同性の友達に抱き着かれて、ドキドキしてるなんて、知られたくない。
そのうち、ユキホは規則的に呼吸をはじめた。
やっぱり昨日あまり眠れなかったんだろう。
ユキホを起こさないように息をひそめた。
「佐々木ー。いるかー?」
保健室の扉がガラッと開く。足音はベッドの前で止まり、しまったままの白いカーテンの隙間からニュッと例の仏頂面がのぞいた。
「ん、何やってんだ?お前ら。」
ベッドで抱き合う私たちを、担任のブッチョが怪訝な顔で見下ろす。
ブッチョは英語の教師なのに、体育の教師みたいに、いつもジャージにスリッパだ。ガタイがいいから、余計に英語の教師には見えない。
「食後の昼寝でーす。」
ユキホを起こしたくない私は、ユキホをかばうようにして適当に答えると、ブッチョは頭をカリカリとかいてため息をついた。
「なんだ、佐々木の様子を見に来たのに、元気そうだな。」
「見ての通り元気ですよ。」
「神田の心配はしてない。」
「はぁ?心配してくださいよ。」
ブッチョはカッカッと竹を割ったような特徴的な笑い声を出して、大柄な体をゆすって保健室を出た。
やっと出て行った…。
ユキホはまだ寝てるかな、とふと、腕の中のユキホを見ると、長い髪からのぞく白い耳が真っ赤に染まっていた。
思えば、英語の授業だけは、シャープペンを解体せず、じっと教壇を見つめていた気がする。
これは悪い夢なのかもしれない。
ずっとずっと、悪い夢を見ているのかもしれない。
目を覚ますと、佐々木ユキホを好きな私は存在しなくて、私はユキホの大切な親友で、私はユキホの一挙一動に胸を焦がすことはなくて、ユキホの姿を目で追うこともなくて、ユキホに罪悪感も抱かずに自然に触れることができる普通の女の子になっているかもしれない。
キーンコーンカーンコーン―…
チャイムの音で目が覚めた。
いつの間にか眠っていたらしい。
保健室は薄暗く、窓からは、オレンジ色の夕日が差し込んでいる。
廊下からは、生徒たちの声が聞こえる。
ぼんやりした頭のまま、目をこすると、腕の中にユキホがいないことに気づいた。
このまま、すべて、夢であってほしい。
顔を手で覆うと、目の端が、濡れていた。
「起きた?」
その声に体を起こす。
ユキホが立っている。
「気持ちよさそうに寝てたから、先生に寝かせてあげてくださいってお願いしちゃった。」
ユキホは、何事もなかったように、笑っている。
「起こしてくれたらよかったのに。」
「うん。」
ユキホは、寝起きの私を気遣っているのか、それ以上は何も言わない。
グラウンドからは、部活中の運動部の掛け声がこだまして聞こえてくる。
部屋をつつむのは、夕日の薄い日差しだけで、そのオレンジ色に浮かぶユキホを、私はただずっと眺めていたくなる。だんだんと日が沈み、部屋が暗くなると、そのままユキホも闇に溶けていなくなってしまいそうだ。
「電気、つけようか。」
「やだ。つけないで。」
離れようとするユキホの体を引き寄せる。ユキホのお腹にしがみつくように抱き着いた。
「寝ぼけてるの?」
「うん。そうだよ。」
ユキホは、私の頭を優しくなでた。いつも私がユキホにするみたいに。
「マナミ、ごめんね。」
私は、返事をしなかった。
そのごめんねの意味を、知ろうとは思わなかったから。
きっと、その意味を知ったら、私は夢から覚めてしまう。
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