少しずつ少しずつ
「どうして貴方は、いつもそうなの!?」
「………。」
「もうっ!大っ嫌い!」
…また、彼女を怒らせてしまった。付き合って半年して・・・ふとしたタイミングで同棲が始まってから数週間。一緒に生活するのとしないのとでは、こうも違うのだろうか?喧嘩が絶えない。
『バタンッ!』
彼女はいつものように部屋に閉じ篭り、恐らく鍵も掛けてしまった。1LKの狭いマンションでそれをされてしまっては、僕の居場所はリビングしか残らない。
でも、こんな状況を楽しむ僕がいたりもする。逆にリビングを独り占め出来るのだ。その間に、僕なりに溜まったストレスを解く努力をし、それが終わったら喧嘩の理由を考えて、反省を試みる。
しかし、それも1~2時間程度の話。そこからは、彼女と仲直りする為に忙しく動かなければならない。
時計を見る。時間は既に、晩の10時を迎えていた。
(やばいな…。)
これでは、いつも通りの運びにならない。僕はリビングで楽しむ時間を返上し、急いで外に出た。花束を買わなければならないのだ。彼女の怒りが鎮まるまでに準備しなければならない。
コーヒー豆は、以前に買い残したものがあるから大丈夫だ。
近所のスーパーに向かったけれど、やっぱり既に閉店を迎えていた。
喧嘩はいつも、休日の昼過ぎに起こる。だけども今日は事情が違った。
彼女が、体調が悪いと会社を早退した。それを聞いた僕は心配になって、仮病を使って同じく早退した。だから喧嘩が、夜になってから起こってしまったのだ。
結局、花屋は見つからない。いつものスーパー以外、知る場所がないのだ。
ちなみに花自体も、彼女が求めるものは今の季節に見つからない。グリーンリリアルプと言う名の百合が好みだけど、夏にしかお目に掛かれない貴重種だ。仕方がないので、いつも赤い薔薇の花束を準備する。
自転車を漕ぐにも疲れた頃、遅くまで開いている駅前のケーキ屋を見つけた。仕方なく僕はイチゴのタルトを、ホールで購入して家に戻った。
家に戻って時計を見ると、時間は既に12時を過ぎていた。急がなければならない。
僕は購入したタルトをリビングのテーブルに置き、台所に向かった。彼女はコーヒーが好きだ。味よりも、香りが堪らないらしい。これから豆を挽かなければならないのだ。
これまでは、王道のエメラレドマウンテンを好んでいた。しかし先日、彼女がハワイで取れるコナと言う豆の方が好きだと言う事を知った。
僕は買い置きの豆を取り出し、慣れない手付きで豆を挽き始めた。
1LKの小さなマンションである。挽き始めると同時に、香りは家中に広がる。
ここからが勝負だ。そろそろ怒りが収まった彼女は今頃、意地を張り始めている。コーヒーの香りに負けて部屋から出て来るまでに、僕は全ての準備を終わらせなければならない。
『ガチャ…。』
暫くして、彼女が部屋の扉を開けた。既にリビングの出窓に陣取っている僕は、それを音で確認した。
まだ、彼女の顔を見てはならない。
「…………。」
彼女が、少し覚めてしまったコーヒーを飲み、2杯目を楽しみ始めた。家中に、もう1度コーヒーの香りが漂う。
正直、僕が苦手な匂いだ。僕が好きなのは炭酸飲料だけど、それには、部屋中に広がる香りなど存在しない。
2杯目のコーヒーを楽しみながら、どうやら彼女はタルトケーキにも手を出してくれたようだ。良かった。花束がなかった事に、腹を立ててはいないようだ。
「…………。」
怒りが収まり、コーヒーとタルトでストレスを発散させた彼女が…僕の方に近付いて来る。
でも、まだ彼女の顔を見てはいけない。目が合ってしまうと、恥かしがり屋なのか天邪鬼なのかまだ分からない彼女が、もう1度部屋に引き篭もってしまうのだ。
「…………。」
目線は合わせない。合わせられない。でも僕は横目で、そして、斜めに設置された出窓に映る彼女の姿を確認する。
ゆっくりとこちらに近付き、時には体をくの字にして僕の顔色を伺い、そしてまたゆっくりと近付いて来る彼女。
残り2歩で僕と接触する距離まで来ると、彼女は黙って背中を見せる。何も言わない。
そこで僕は出窓から腰を上げ、ゆっくりと彼女を後ろから抱き締める。そして何も言わない。
チラッと時計を見る。…深夜の1時だ。いつものように、喧嘩をしてから3時間後、僕らは仲直りを果たした。
「ねぇ…?」
「?」
暫くの間はこのまま無言で過ごすはずなのに、今日は彼女が沈黙を破った。
「イチゴのタルトを準備するなんて…気が利いてるじゃない?」
「………。」
彼女が花を好きなのは、確認済みの間違いない事実だ。しかし、花より団子だったとは…。
僕にはまだまだ、足りない点が多いようだ。
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