僕の大切な人生費

ゆーの

僕の大切な人生費

「はあ? 全部で1092円って安すぎでしょふざけんな!」

 あまりの安さに、つい怒鳴り声を上げてしまった僕に対して、

「バカヤロー、金払ってまでガラクタ引き取ってやってるんだから文句言うな」

 全く物怖じした素振りを見せずに、おやっさんは静かにそう言った。

「……ケチ」

 おやっさんに聞こえないようにと注意を払いながら、僕はボソッと一言呟く。

「ああん!?」

 直後、おやっさんが両目をギラつかせながら片腕を振り上げ僕を睨みつけてきた。

「ああなんでもないです殴らないで!」

 僕は反射的にそう言いながら、両腕で顔を覆う。

「ったく」

 おやっさんの殺気が収まるのを感じたので、僕は両腕を下ろし恐る恐るおやっさんの方を見やった。

「おめえもなあ」

 おやっさんは椅子から立ち上がりながら、僕とおやっさんの間にあるガラクタ(僕にとってはガラクタではないんだけど)が置かれてある机を乱暴にどかし、

「こんなことしてねえで、ちったあまともに生きること考えろや、なあ?」

 苦笑いを浮かべながら、僕の頭をグシャグシャと撫でた。

「わ、わかってますってば……」

 僕はちょっとこそばゆい気持ちになって、プイっと顔を背ける。

 おやっさんの手は、ゴツくて撫で方も乱暴で、正直撫でられて気持ちの良いものではないが、でもどこか温かみがある。僕の小さかった頃から全然変わってない。

「あと、いつまでも子供扱いしないでくださいっ」

 僕のいつもの反論も、

「へっ、俺にとっちゃあお前は一生ガキだよガキ」

 おやっさんにはこうやって同じセリフで一蹴されてしまう。

「もうっ……いいから早く1092円くださいよ」

「へいへい」

 おやっさんは呆れながらそう言うと、撫でていた手を引っ込め、ポケットに突っ込みジャラジャラと音を立てながら小銭と千円札を取り出した。

「ほいよ」

 手渡された現金を見て、僕は少し笑みを零した。

「これで明日までは大丈夫かな」

 僕は椅子から立ち上がり、

「ありがとうございました、また来ますね」

 おやっさんに頭を下げ、店を後にしようと踵を返す。

「おう、待てやガキ」

 僕が店の戸を開け、外に出ようしたときに、おやっさんから声が飛んできた。

 振り返ると、おやっさんは何か小さなものを、こちらに向けてヒョイっと投げているところだった。

 慌てて僕はそちらに向き直り、投げられたものを両手でキャッチする。

「これでなんか美味いもんでも食って帰れや」

 そんなおやっさんの声を聞きながら、僕は手のひらに乗ったそれを確認した。

 500円玉だった。

 これじゃたいしたもの食えないよ、とか心の中で思いながらも、僕は精一杯の感謝の気持ちを込めて、もう一度おやっさんに深く頭を下げる。

「ありがとうございます!」

「おめえも早く……自分の生き方、見つけられるといいなあ」

 顔を上げて見たおやっさんの表情は、どこか憂いを帯びている様に感じた。

「そのうち出世払いで倍返しっすよ」

 そう言い残して僕は店を後にした。



(生き方……かあ)

 店を出て河川敷を歩いていた僕は、おやっさんに言われた言葉を思い出し、ポケットから免許証を取り出してみる。

『推定本人額 120円』

「はあ……やっす」

 世の中金が全て、とはよく言ったものだ。

 この国では、人の価値がそのままお金になっている。まあ要するに、その人の社会貢献とかそんな感じので、その人個人の値段を国が勝手に決めているのだ。

 値段は大体、身分証明書とかに明記されている。んで、僕の値段は120円。

 自分でも笑っちゃうくらいに安い金額だ。僕の価値はそんなものなのか……。まあ今まで何もやってこなかったから仕方ないけどね。

 ちなみに僕は幼い頃、両親に売られた。ローンの支払いができないとかそんなちっぽけな理由で。

 人身売買とかでよく他の国には批判されてるけど、政府が公認してるんだからしょうがない。そういう商売もあるくらいだし。

 今でこそこんな値段を付けられている僕だが、幼少期は相当な額で取り引きされたらしい。

 なんでも幼い子供は将来、商品価値が上がる可能性があると見なされて、高値が付けられるのだという。

 それでその莫大な金額で僕を買ったのは、老い先短いお金持ちの老夫婦だった。

 老後に二人じゃ寂しいから、とかそんな理由で子供を欲しがっていたんだって。言うなればペット感覚だよね。

 それでも僕は何不自由無く育った。おじいさんもおばあさんも僕を可愛がってくれたし、なんたって富豪の家だったので、なんでも好きなものを与えてくれた。でもその生活も長続きはしなかったんだ。

 僕が10歳の時に、おじいさんが亡くなって、翌年におばあさんも亡くなってしまった。

 売られた時点で元の親との関係は一切無くなってしまっていたし、おじいさん達の親族も、殆どがいなくなっていたので、誰も頼れる人がいない状況だった。11歳の少年にはあまりにも過酷な運命だ。

 天涯孤独となった僕は、ただただ毎日おじいさん達が残してくれた家に篭って、これまたおじいさん達が残してくれた遺産を食いつぶしていた。

 そんな僕に救いの手を差し伸べてくれたのが、さっき僕がガラクタ(何度も言うが僕にとってはガラクタではない)を売りに行った質屋の店主、おやっさんだ。

 おやっさんはおじいさんの昔馴染みだったらしく、僕が独りになってからというもの、とてもよく面倒を見てくれた。

 独りでも生きていけるようにと、家事全般や社会の仕組みから、友達のいない僕にキャッチボールとか色んな遊びまで教えてくれた。

 おやっさんには感謝してもしきれない、本当の父親のような存在だ。

 だから今でも面倒見てくれるんだけど、ちょっと甘えすぎているというのは自分でも分かってる。

 早く自立しないと……。そんな焦りからか、就職活動は全部空振り。今はおやっさんに半分養ってもらってる様な形で、ガラクタならぬ質に入れられる物を売って生活している。あ、おじいさんの遺産は17歳の時にパチスロで全部溶かした。ハマると一瞬でお金無くなるよね、あれ。良く出来てるよ。

 まあ、そんな感じで現在の僕に至る訳だ。

(なーんか売れるもん落ちてねーかなあ)

 そんなことを考えながら、河川敷をキョロキョロしながら歩いていると、ふと芳しい食べ物の匂いが川の近くからしてきた。

「なんか美味いもんでも落ちてんのかな」

 とりあえず匂いのした方へ向かってみる。するとそこには、

「! ご馳走じゃないか!」

 なんと、僕の顔くらいある大きな肉まんが、丸々一個ほかほか湯気を上げながら転がっていた。

 僕は高揚感からか自然とスキップしながら肉まんへと一直線に足を運ぶ。

「わーい! 夕食代浮いたー! 後でパチ屋行こーっと」

 肉まんを手に取った僕は、嬉しさのあまりそんなことを口走っていた。傍から見たらただのクズだが、それもパチスロ中毒貧乏人の性、仕方ないのである。

「冷めないうちに食べるかー、いっただっきまー」

 僕が肉まんを半分に割って片方を口に入れる、その時だった。

「あ、あの!」

 後方から幼い声が聞こえた。

「ん?」

 僕に声かけているのだろうか。とりあえず振り返ってみる。

「それ……ちょっとだけ分けてもらえませんか……?」

 見ると、そこには一人の男の子が立っていた。年は5、6歳くらいだろうか、ボロボロのジャージにボサボサの髪、僕が言うのもなんだが、この肉まんより安そうな感じの少年だ。

 なにはともあれ少年の指す『それ』が、肉まんなのかどうか聞いてみる。

「それって、肉まん?」

「はぃ……」

 震えた声でそう答えた少年。なるほど、お腹が空いてるのか。

「120円でいいよ」

 即答。正直、子供に容赦してる余裕は今の僕にはない。

「えっと、あの……お金もってないです……」

「そっか。じゃあね、バイバイ」

 金が無い奴に用は無い。僕は向きを変えスタスタと少年の横を通り過ぎ、帰路に着こうとする。

「う、うぅぅ……! ひっく、ひっく!」

 背後で少年のすすり泣く声が聞こえた。ううん、これじゃまるで僕が泣かせたみたいじゃないか。

「もう! 帰ったらお母さんが夜ご飯作って待ってるでしょ! これは僕の肉まんなの!」

 どうも子供の泣き声には弱いんだよなあ。立ち止まり、少年に社会のルールを教えるべく、少々強めの口調で叱る。

「……ママなんて、いないよ……」

「え?」

 さっきまで泣いていたとは思えない程の落ち着いた声で、少年は言った。

(こ、これは地雷踏んだか?)

 とりあえず一旦謝っておこう。僕も両親に捨てられた身、母親がいない辛さは分かる。

「ご、ごめん、そういうつもりじゃなかったんだけど……」

 なんか気まずい雰囲気になってしまった。どうしたものか。あっ、そうだ。

「でも、パパはいるでしょ? 心配してると思うよ? ね? おうち帰ろうか」

「パパは……やだ、怖い……」

「そ、そっか」

 流石に父親はいるだろうと思ったんだけど……。さらに悪い方向へ転がってしまった気がする。

「……」

「……」

 俯く少年を見下ろしながら、僕は必死に次に発するべき言葉を模索した。が、何もでてこない。ダメだダメだ、このまま黙っていたら、日が暮れるまでこうしていることになるだろう。

(子供の相手って、ホント苦手)

 ああ、どうしよ。早くしないと折角のホカホカ肉まんが冷めてしまう。何とか上手い逃げ口実はないものか。と、僕が思考をグルグル回転させているときだった。

 グウゥゥ。

 腹の虫が鳴った。僕のではない、少年のだ。

「そ、そんなにお腹空いてるならさ――」

「じゃ、じゃあ……!」

 流石に今の腹の音で憐れみを感じて、少しだけ分けてやる気になった僕の言葉を、少年の力強い声が遮る。

「僕のこと買って! それで、肉まん代にしてください!」

「君を……買う?」

 それってつまり、自分を売るってことだよな? 要するに、僕はお金が手に入るってことだよな!?

 瞬時に僕の目の色が円マークに変わる。

「君、いくら?」

「わかんないけど、お兄ちゃんよりは高いと思う!」

 ブチッと、血管が切れる音がした。まさか、まだママのおっぱいしゃぶってんじゃねえかってくらいのクソガキに、それ以下と言われる日が来るとは。いやはや驚いた。子供って純粋で時に残酷だね、いやマジで。

 一発ぶん殴ってやろうかと拳を握り締めた僕だが、今はそんなことをしている場合では、断じてない。金だ、金が目の前にあるのだ。傷を付けたら、商品価値が下がってしまう。

「ちょっと待って、今計算するから」

 そう言って僕は少年から目を逸らし、数学検定8級の脳みそをフル稼働させた。

 こいつを引き取ったとして、今すぐ売ってもそこまで金にならないんじゃないか? とりあえずあの汚いジャージとボサボサの髪をなんとかして……いやダメだ、服を買う金も美容室に行かせる金も僕は持ち合わせていない。だったら数年育てて様子を見て……待て待て、こんなダメ人間が子育てなんてしたら、僕以上のとんでもないクズ人間が出来上がってしまう。今の僕は明後日の食費もままならない身、そう、今すぐ金が欲しいのだ。この年齢の子ならまだ高く売れるはず、下手な賭けして失敗するより、さっさと換金したほうがいい。

「よし! 交渉成立だ!」

 僕はガシッと少年の肩を両手で掴んだ。

「今日から君は僕のもの! そしてこの肉まんは君のものだ!」

「本当? ありがとうお兄ちゃん!」

 少年が瞳をキラキラと輝かせて、満面の笑みを浮かべる。

 これは僕史上、初めての人助けかもしれない。人の為に心動かすって、いい事だなあ。

「まあ立って食べるのもなんだし、向こうで座って食べよ」

「うん!」

 僕は少年の手を繋ぎ、河川敷に設けられた古臭い長椅子まで移動した。

「はい、これ」

 そして二人で腰掛けた後、持っていた肉まんを少年に手渡す。

「ありがとう! いただきます!」

 少年は手にした肉まんを、勢いよく食べ始めた。余程お腹が空いていたのだろう。

「おいおい、そんな慌てるなって」

 苦笑いを浮かべながら、少年を見つめる僕。なんだかこうしていると、幼い頃のおやっさんとの日常を思い出す。


『また僕の苦手な人参はいってるー!』

『文句言わずに食えクソガキ』


 おやっさんは僕の苦手な野菜ばかり料理に入れてきたっけ。全部食べるまで家に帰してくれなかったし、全くもって頑固な子育て方だった。

 でもそのおかげで今まで生きてこられたんだから、文句は言えないけどね。

「あ、そうだ」

 ふと僕は、一つ重要なことを少年から聞き忘れていたことに気が付いた。

「君、名前はなんて言うの?」

 いつまでも君とか少年って呼ぶのはどうかと思うしね。名前くらい聞いておかないと。

「なつき! ママが付けてくれた、大切な名前なんだ!」

 少年――なつきは、口をモグモグさせながらも、はっきりとした口調で、そう答えた。

「そっか、なつきか」

 今時親に付けて貰った名前を大切にしているなんて、珍しい子だ。きっと母親が大好きだったんだろう。……今はもういないって言ってたけど。

 正直、自分も実の母親は好きだった……気がする。幼少期の記憶なので曖昧なところが多いが、随分と可愛がってもらってたと思う。

 一緒に買い物に行って、よくお菓子を買って貰ったりしていた。遊園地にもいっぱい連れて行ってもらった。子煩悩な、心優しい母親だった。

 そんなことを思い出していると、ちょっとだけ僕も……。

「じゃあ、これからも大切にしないとな。なつき」

 子供を愛でたい気持ちになり、なつきの頭を優しく撫でた。

「うん! えへへ……」

 頭を撫でられながら照れくさそうに笑うなつきを見ていたら、ほんの少し、ほんの少しだけ、この子を手放すのを惜しく感じてしまった。

 子供の泣き声にも弱いが、どうやら笑顔にも弱かったらしい。我ながら情に流されやすいタイプだと、しみじみ思う。

 でも背に腹は変えられない。世の中結局、お金なのだ。というわけでやっぱり売る。

 売ると言っても、おやっさんの質屋に持っていくだけだ。大丈夫、おやっさんなら悪いようにはしないだろう。僕はお金が手に入る、なつきはお腹いっぱい。良い事づくめじゃないか。

「よーし、なつき。それ食べ終わったら、行くぞ」

「行くって、どこへ?」

 なつきが不思議そうに首を傾げる。

「なつきの新しい、船出の場所さ」



「おやっさーん! また引き取ってもらいたいもんあるんすけ――」

「だから! この保険証渡せばいい話じゃねえか!」

 おやっさんの店に入るや否や、店の奥から男の怒声が聞こえてきた。

 先客だろうか、にしても随分気性の荒い人だなあ。

「なつき、ちょっとここで待ってて」

「う、うん……」

 僕はなつきに店先で待つよう言い、店の奥へと進む。

「現物がねえんじゃなあ、買い取れねえもんは買い取れねえよ」

「ッチ、頑固なオヤジだ」

 奥へ進むと、そこには椅子に座り腕組みしているおやっさんと、机を隔てて、見慣れない男が椅子から立ち上がり、おやっさんを睨みつけている姿が確認できた。

 三十代くらいだろうか、見慣れない男はサングラスをかけ、腰まであるであろう長髪をヘアゴムで一束に纏めている、いかにもホストのような見た目をした人だった。

「おう、ガキ。来てたのか」

 おやっさんが僕の存在に気付き、視線をこちらへと移す。

「ああ? んだこのガキ」

 ホスト男がギロリと睨みつけてきた。サングラス越しからでも分かる鋭い眼差しに、僕は一瞬ビクッと肩を震わせた。

「今大人同士の話し合いしてんだよっ、ガキはすっこんでろ!」

 うう、なんだこの人。すげえ怖い。これは一旦退散したほうがいいかも。

「おうおう、うちの常連に喧嘩売るたあいい度胸じゃねえか」

 今度はおやっさんがホスト男を睨みつけた。そうだ、おやっさんがいるんだから、こんな奴怖くもなんともないじゃないか。

「ああ!? 関係ねえだろ! 俺は客だぞ客!」

 机にバンッと拳を落とし、怒鳴り散らすホスト男。どんだけキレてんだ、カルシウム足りてないんじゃないのか。

「おめえとの交渉は不成立だ、客でもなんでもねえ。早いとこ店から出てけ」

 そう言うとおやっさんは椅子から立ち上がり、ホスト男を無視して僕の方へと近づいてくる。

「っざけやがって!」

 堪忍袋の緒が切れたのか、ホスト男は目の前の机を蹴り飛ばした。

「おいオヤジ、あんま馬鹿にしてっとぶっ殺すぞ」

 もの凄い剣幕でホスト男はおやっさんに迫る。だがおやっさんは全く動じた様子も見せずに、

「早く帰れっつってんのが分かんねえのか、若造が」

 怒気の篭った声でホスト男を威嚇した。

 その時だった。

「ねえお兄ちゃん、大丈夫?」

 店先にいたはずのなつきが、いつの間にか僕のすぐ傍で心配そうな声を上げていた。

「あっ、なつき! ダメじゃないか店先にいないと」

 僕は慌ててなつきを元の場所に戻そうと、手を握り店を出ようとする。こんな危ない大人の姿なんて、子供には見せられない。だが、一歩遅かった。

「ああ? あああ!?」

 ホスト男がなつきに反応したのだ。まさか子供に八つ当たりするつもりか、そう心配した僕だが、その予想は半分当たっていて、半分違っていた。

「てめえ! 今まで何処ほっつき歩いてやがった!?」

「え? えっ……パ――」

 なつきの言葉を遮り、ホスト男が急になつきの胸ぐらを掴み、そして、


 ガンッ!


 なつきの顔を、思いっきり殴った。

 力強く握っていた僕の手も解け、勢いよく後ろへ吹き飛ぶなつき。

「あ、あぐ……」

 店先まで飛ばされたなつきは、仰向けになったまま動かない。

 一瞬何が起こったのか分からなかった。なにこれ……、え? え?

「へへ、オヤジ。現物、連れてきたぜ」

 ホスト男がなつきを指差し、残忍な笑みを浮かべる。そこで僕は我に帰った。

「なつき!」

 すぐさまなつきに駆け寄り、体を抱き起こす。

「大丈夫か!? 大丈夫か!?」

「う、うぅぐ……」

 なつきは僕の腕の中でぐったりとしていて、呼吸もまともにできていない。

「これで文句ねえだろ? 早くあれを引き取ってくれや」

 見ると、ホスト男がこちらを指差しながら、おやっさんに話しかけていた。なにを言ってるんだ? こいつは。

「それが、おめえの言ってた息子か?」

 おやっさんはこの状況にさほど驚きもしていない様子で、そう言った。え、息……子?

 じゃあこいつが、なつきを殴ったこいつが、なつきの父親?

「ああ、文句ねえよなあ?」

 ホスト男は歪んだ微笑を顔に刻み、早く金をくれと言わんばかりに、片手をおやっさんに差し出した。

「ほう、商品に傷つけるたあ、随分と商売下手なやつだ」

 おやっさんの声は、まるで嵐の前触れのような、不気味な静けさを纏っていた。ホスト男へと近づくその足音さえ、よく聞こえてくる。

 そして、ホスト男の目の前まで来たおやっさんは、

「クソガキが……!」

 ガンッ! と頭突きを一つ、ホスト男にぶちかました。

 たまらずホスト男が後ろへよろける。

「帰れ! てめえみたいやつとは取り引きできねえ! さっさと出てけ!」

 おやっさんの顔は、僕が今まで見たことないくらいの怒りの表情を表していた。

「ってえ! てめえなにすん――」

「あ?」

 おやっさんの怒気の篭った声が、ホスト男の言葉を遮る。

「う……」

 流石に今ので怯んだのか、ホスト男は言葉を詰まらせた。

「ッチ! 帰りゃあいいんだろ! こんな店二度と来ねえ!」

 そう言うと、僕となつきの方へと向きを変え、こちらへ向かって歩いてきた。

「……どけ、ガキ。俺のもんに気安く触ってんじゃねえ」

 僕の前まで来ると、ホスト男は視線を僕へと向けてくる。

 俺のもん? なつきをこんな目に合わせて、何を言ってるんだこいつは……!

 正直怖い。でも今の僕は、怒りの感情のほうが勝っている。

「……ふざけんな」

「あ?」

 だが僕の口から飛び出してきたのは、意外な言葉だった。

「なつきは僕が買い取ったんだ! なつきは僕のものだ!」

 正直、自分でもどうかと思う。こんな時にお金の話をするなんて。

「ああ? てめえ何言って――ッチ、またかよ」

 ホスト男は言葉の途中で何かを思い出したかのような素振りを見せ、目線を僕からなつきへと移す。

「おい! お前また勝手に自分を売ろうとしやがったな!?」

 なつきに向かって怒鳴り声を上げるホスト男。なつきはビクっと肩を震わせて一言小さく呟いた。

「ごめんなさい……」

「何のためにここまで育てたと思ってるんだ!」

 そう言うとホスト男は、僕を無理矢理なつきから引き離し、なつきを抱き上げ店を後にしようとする。

「ま、待て!」

 あんなやつになつきは渡せない。僕は立ち上がり、ホスト男を追いかけようとした。

「やめとけ」

 が、おやっさんが僕の肩を掴み、行かせまいとする。

「ちょっ、離して! 離してよ!」

 必死に振りほどこうとするが、おやっさんの力の前では全く無意味だった。

 そのまま、ホスト男となつきは店から姿を消した。

「……なんで」

 僕は振り返り、おやっさんに怒りの矛先を向ける。

「なんで止めたんだよ!」

「……おめえの怪我するとこなんざ、見たくなかったからよお」

 おやっさんは俯き加減にそう答えた。そんなの自分でも分かってる。あのまま突っ込んでいれば、間違いなく返り討ちにされていただろう。でも、それでも、僕はあいつになつきを預けて置く訳にはいかないと思っていた。

「じゃあ、おやっさんがなつきを買い取ってやればよかったじゃないか! あんなやつのところじゃ、絶対なつきは幸せになれない!」

 僕は思っていることを全部吐き出した。随分と身勝手な言い分だ。結局はおやっさんに頼っているだけじゃないか。

「……なあ」

 おやっさんは、急に真剣な眼差しで僕に語りかけてきた。

「酷なこと聞くかもしれねえけどよ、お前は自分が売られたとき、どんな気持ちだった?」

「っ!」

 随分と長い間おやっさんに世話になっているが、そんなこと聞かれたことは一度もない。おやっさんも、僕のことを思って聞かなかったんだと思う。

「……別に」

 僕は、できる限り感情を押し殺し、そう答えた。

「……そうか」

 そう言うと、おやっさんは店の奥へ向かおうと体を半回転させ、僕に背を向ける。

(僕は……どうだったんだろう)

 ふと、幼い頃の記憶が脳裏に蘇った。優しかった母、無愛想だった父、幼いながらも感じた、微かな温もり。

「寂しかった……」

 僕の口から衝いて出た言葉は、予想外なものだった。

「怖かった、苦しかった、これからどうなっちゃうんだろうって、すっごい不安だった」

 何を言っているんだろう、僕は。そんなこと、今まで一度も感じたことなかったのに、なんでこんなこと口にしてるんだろう。

 ツーッと、何かが頬を伝わるのを感じた。気付くと僕は涙を流していたらしい。

(なんで、泣いてんのかな、売られたことなんて、どうってことないと思っていたはずなのに)

「おじいちゃん達は優しかったけど……でも、でも、売られたときのことは、本当に……」

 その後の言葉は殆ど声にならず、僕はヒックヒックと泣き続けていた。

「なあ」

 おやっさんの声が聞こえる。涙で見えないけど、声の遠さで僕から背を向けたままなのはわかった。

「人はなあ、金じゃねえんだよ」

 僕は両手で涙を拭き、おやっさんの方に目を向ける。すると、すでにそこにはおやっさんの姿はなく、店の奥に姿を消した後だった。

 僕は真っ赤に腫れた両目を気にしながらも、店を後にし帰路に着いた。



「相変わらず一人で住むには大きすぎる屋敷だ……」

 おじいさんが残してくれた屋敷の前まで帰ってきた僕は、そんなことを一人で呟き、屋敷の中へと入る。

 それから僕は晩飯も食べずに、すぐ部屋へ戻りベッドへとダイブした。

「……」

 ベッドで仰向けになり、今日あったことを思い返す。

『なんのためにここまで育てたと思ってるんだ!』

 なつきの父親が言っていた言葉だ。

 あいつは、最初からなつきを売る為に育てたのだろうか。もしかしたら僕の両親も……。

『人はなあ、金じゃねえんだよ』

 それから、おやっさんの言っていた事も思い出した。

「人は金じゃない……か」

 大きな部屋の中で、一人復唱してみる。

「……うん」

 僕は一つ大きな決心をし、そのまま深い眠りに着いた。



「さーてと、今日も金集めだー」

 僕の朝は早い。朝4時には起き、金目の物を集めるべく近所を練り歩く。

「なんか落ちてないかなー」

 最初は河川敷だ。大体ここには、壊れて使えなくなった自転車やその他諸々売ればお金になりそうな物が落ちている。でも今日の目的はそれだけではない。

 とりあえず川の近くまで行ってみる。すると、

「! なつき! なつきじゃないか!」

 川の近くで一人座っている少年が目に入った。ボロボロのジャージ、ボサボサの髪、間違いない。

「? あっ、おにいちゃん!」

 こちらに気付いたなつきは、僕の方へと駆け寄ってきた。まさかこんな早く見つかるとは思わなかった。そう、僕の本当の目的はなつきを探し当てることだったんだ。

 僕の目の前まで来たなつきは、開口一番、涙目になりながら申し訳なさそうにこう言った。

「ごめんね……僕のこと、売ることできなくて」

 そんなことどうでもいい。

「んなことより、昨日の怪我は大丈夫なのか? 痛かっただろ?」

「だいじょぶ、ちょっと腫れただけ」

 えへへと笑いながら頬を摩るなつきだが、手の甲越しでも腫れ具合が酷いことがわかる。

 ……やっぱりあいつはダメだ、なつきの父親に相応しくない。僕はとりあえず何でこんな早朝に河川敷にいるのか聞いてみた。

「それにしても、こんな朝早くにこんなとこいて大丈夫なのか? あいつ……パパは?」

 なつきは『パパ』という言葉に少し顔を曇らせたが、しっかりとした口調でちゃんと答えてくれた。

「んとね、この辺はほかのくみのかんかつだから、うかつにでいりできないんだって。そう言ってた」

「そ、そか」

 あいつ、ヤクザだったのか。そんな感じはしてたけど。

 でもそれなら、もしかしたら都合がいいかもしれない。

「じゃあなつき、あっちの方も他の組の管轄か?」

 そう言って僕は自分の家のある方向を指差す。

「うん、あっちも近づけないって言ってたよ」

「なるほど……」

 よし、いいぞ。これなら大丈夫だな。

「ちょっとおにいちゃんについて来てくれないか? そんな遠くないから」

「? うん、いいよ」

 なつきの承諾を得て、僕はなつきを自分の家まで案内した。



「わあ! ここがおにいちゃんち!?」

「大きいだろ?」

 なつきと一緒に家の前まで戻ってきた僕は、屋敷の大きさに驚くなつきに、自慢げにそう言ってみせた。

 そして僕はなつきの今後を左右する、重大なことを告げようと口を開く。

「なあ、なつき。これからこの家で、一緒に住まないか?」

「え?」

 これは僕が昨日ベッドの中で決意したことだ。勿論、なつきの同意が必要だけど。

「それって、おにいちゃんと一緒に生活するってこと?」

「そうだ。どうだ? 嫌か?」

 なつきは首を横にブンブン振り、

「ううん、全然嫌じゃないよ!」

 そう言ってくれた。

「でも……」

 なつきが言わんとしていることは分かっていた。だから僕から言うことにする。

「大丈夫、あいつが来ても絶対守ってやるから。なつきに痛い思いはさせない」

「そうじゃなくって!」

 なつきが口にした言葉は、意外なものだった。

「おにいちゃんが怪我しちゃうかもしれないから……」

 そうか、僕のことを心配してくれたのか。ちょっと嬉しいな。

「だーいじょうぶだよ」

 僕はしゃがみ込み、なつきと目線を合わせる。

「おにいちゃん、体だけは丈夫だからさ」

 そして、なつきの頭をグシャグシャと撫でた。

「じゃ、じゃあ……、いい……の?」

 なつきは照れくさそうにしながらも、喜びを隠せないというような表情でそう言った。

「もちろん! なつきがいいならだけどさ」

「うん! うん! おにいちゃんとこ、行く!」

 それからなつきは僕から離れて、両手をうんと伸ばして、

「僕ね、大きくなったらおにいちゃんみたいなすごーい人になって、絶対恩返しするからね!」

 ピョンピョン跳ねながら、嬉しいことを言ってくれた。

「そっか、ありがとな」

 僕は立ち上がり、目を細くしなつきを見やる。

 この子が大人になったら、どんな大人になるんだろう。少なくとも僕みたいなダメ人間にはしないようにしないと。

「それでね、すっごい値段付けられて、それで僕売って、おにいちゃんを大金持ちにしてあげるからね!」

「おう、楽しみにしてるからな」

 そんなことを言いつつも、僕は絶対この子を売るもんかと、心に決めていた。

 だって、無邪気にはしゃいでいるこの子が、僕がやっと見つけた、僕の、僕だけの、自分の生き方なのだから。

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