20 ボーイ・ミーツ・ガール
あれから一か月。
ゾンビ事件がスバラシ会の自作自演という推測は相変わらず世論の大多数を占めていた。が、貝川は“ゾンビ能力が自分では防ぎようが無い自然発症の能力”であった事を、様々なルートを用いてネット上へとリークしていた。異能者達はこぞって件のゾンビ能力者を“憐れむべき被害者”だと訴え、ゾンビ事件が異能者全体への批判の格好の的とされている現状を、“一般層による無理解と支配階級による意識操作”だと痛烈に批判した。やがてゾンビ事件は当初の論争から外れ、そのままマジョリティとマイノリティの対立へと拡大していった。
真実がどうだったのかなんて誰も興味が無かった。それぞれが自分達の都合のいい解釈で論説を唱え、自分の立場だけが正義と見なす。対立の口実を失うぐらいなら、いっそ真実なんて分からない方がいいとすら思っていたに違いない。今までお互いに抱えていた鬱憤や不満を燃料に、対立は日に日に苛烈化していき、それに伴って貝川の呼びかけに立ち上がる全国の異能者の数も増加し、王国民の数は休息に膨れ上がっていった。
異能者は皆が十代という事もあって、抑圧された青春の爆発力は途轍もないものだった。しかも、彼らの感情は大淀の力があれば簡単に操れてしまう。全国に散らばっていた声なき叫び声は、淡風に集結する事によって本物の叫び声となり、大淀王国を強固に形作っていた。国と呼ぶには数こそ少ないものの、プリンセスに従える多種多様な能力は、どんな国にも存在しない超技術と超武力を擁している。彼らの張り上げる声の大きさは、未曾有の超国家に成り得る自覚と自信の現れでもあった。
勿論、全ての異能者が王国を認めた訳じゃない。ただただ退屈な者、反体制的な活動に憧れを抱く者、歴史が変わる瞬間に立ち会いたい者、あるいは物珍しさから淡風を訪れた者もいる。それらほんの些細なきっかけで淡風を訪れた連中も、もはや島では神にも等しい存在であるきららに感応し、あっという間に王国民へと染め上げられていくのだった。
建国完了であります、と貝川は言っていた。
建国に必要な導火線に、彼女はとっくに火を入れていたのだ。
彼女の爆弾は目に見えて爆発はしない。遅効性の毒薬のようにじわじわと日本という国を侵食し、皆がその事に気づいたときには既に手の施しようが無くなっていた。ほんの少しの事実と嘘。実に些細なきっかけでこうなってしまったのは、あるいは多かれ少なかれそうなる運命だったのだろう。しかし、その土壌を作り上げたのも貝川と考えれば、あいつにこそ神様の声が……いや、悪魔の声が聞こえているのかも知れない。とにかく、異能者達のやり場の無い怒りは王国という受け皿に落ち、彼女はきららの名の下に、その全ての利権を掻っ攫っていったのだった。
『娘であり、母であり、妻であり、そして姫である』
……これは、淡風の至る場所に貼られた大淀きららのポスターの文言だ。ポスターだけじゃない。食事毎の祈祷、言論・思想統制、宗教の禁止、無許可の集会の禁止、『きららの為の個人である』というきらら主義への教育、一般層(彼らは無能者と呼んでいるが)への反骨心の増長、異能者がいかに素晴らしい存在であるかを説く演説会等々、挙げればキリがないほどの徹底したきらら独裁の演出で、淡風はプリンセス一色に染まっている。
特に、貝川を初めとしたスバラシ会の初代メンバー、及び僕と聖子は、王国のヒエラルキーの最上部に君臨し、全国民から敬意とも羨望とも畏怖とも付かない、あるいはそれらの入り混じった異常な感情を抱かれていた。僕達の仕事は王国の運営であり、きららが唯一の存在として属官する事だ。大事な事はたった一つ、“国民に舐められない事”だ。僕達幹部が幹部然として君臨していれば、必然的にその頂点に立つきららを彼らは敬い、互いに共鳴し、国を自発的に存続させようとする。
舐められない事はそれほど難しい事じゃない。異能者の国の序列は当然“異能能力の優劣”に直結し、僕の能力のシンプルさは非常に分かりやすくみんなに伝わった。おまけに生死にすら直結した数々の実戦経験は、何にも勝る強い説得力を生んでいるようだった。でも、他人の尊敬の眼差しは三日で飽きた。中身のない権威と望まない責任。貝川の命令が無ければ、僕はいつだってこんな椅子はお譲りする。
しかし、僕も所詮は王国の部品に過ぎない。僕自身の意思なんて、王国には関係なかった。
僕はこの一ヶ月の間に、一度だけ異能者と戦った事がある。彼は異能者ながら一般層の人々に肩入れする主張の持ち主で、アンチ大淀王国の思想を胸に抱いてこの島にやって来た。王国なんかより家族や友人が大事なはずだという、稀に見る真っ当な思想の持ち主だった。彼は淡風の中心都市で『お伽話から目を覚ませ』というビラを撒いて王国解散を叫んだが、ものの数分で事案は貝川の耳に届き、たまたま近くに居た僕に彼女から『処理しろ』との命令が下された。そして僕は彼を叩きのめした。
僕に拒否権なんて無い。ただでさえ貝川は僕を信用していないのだから、もし拒んだりでもすればたちまち僕は王国の“教育機関”に送り込まれてしまうだろう。“教育機関”とは即ち、聖子の心を叩き折った例のアレだ。ビラ撒きテロの彼も“教育”を施され、今では立派な王国民となっている。“教育”は強力で、どんな人間だろうと確実に成功する。そう、確実だ。99%なんかじゃなく、あくまで100%。だってそうなるまで教育は終わらないのだから。
僕は心の底まで王国民になった訳じゃなかった。大淀きららへの信仰心は当然あるが(彼女の能力の配下にいれば、それは生理現象と同様の不可避な感情だ)、貝川に対する根深い憎しみが、きららでは無く王国という体制そのものへの反感となっていた。僕と聖子は虎視眈々と貝川の隙を伺い、王国の転覆を画策していた。が、彼女に隙は無く、王国の堅牢化は日に日に強固さを増していく。町には監視カメラを設置され、通話やメールも全て監視対象。きらら……いや、貝川の独裁は恐ろしい推進力を持って進んでおり、プリンセスでさえも彼女の鳥籠の中にいるようなものだった。きららは自分の意思で、満足に自分の部屋からさえ出られないのを僕は知っている。何よりタチの悪いのは……それが貝川にとっての正義である事だ。
“そう思うんなら、そうかもね”。
そして、貝川は“そう思って”いる。
この異常な大規模クーデターとでも言うべき建国騒ぎに、当然警察の介入は何度もあった。が、彼らが直接行動を起こした事は一度もない。自ら望んで王国に在住している淡風市民達を、無理矢理何処かへ連れ出す訳にもいかないと、手ぐすねを引いている状態だ。大淀王国を解体する方便はいくらでもあるのだろう。けれど、実際にそれが可能かどうかも分からない。相手は異能者の集団だ。超能力に対しての武力行使が、万が一にでも自分たちの想定を覆してしまうような結果になったら? 『あの子どもたちに大人は敵いませんでした』という結果が現実となってしまったら? その時こそ日本は終焉を迎えてしまう。だから日本はなかなか手を出せないし、貝川も手を出さない。膠着状態が慢性化した時こそ、王国が王国として世界に定着した時だ、と彼女は語るのだった。
王国が完成するのはもはや時間の問題だった。僕と聖子のように自我を保った内部の人間が、早急に対策を講じる必要がある。早急に……。
放課後のチャイムが鳴ると同時に席を立ち、退屈を持て余した飼い犬の様に、僕はとぼとぼと教室を出た。しょぼくれた横顔がガラスに写り、これじゃいかん、と背筋を正す。無気力は王国への反骨心の現れや不適合と見なされかねない。
古めかしい木の匂いが立ち込める校舎を歩いていると、すれ違う生徒が次々に僕に会釈した。自身を増長させる程の実績も無いのに神輿として担がれるのは、屈辱以外の何でもなかった。そもそも、彼らが見ているのは僕じゃない。大淀きららだ。彼らは僕の権力に大淀きららを見据えて、彼女の残光に会釈しているのだ。会釈が視界に入る度、せっかく伸ばした背筋が、ゆるゆると丸まっていくのを僕は感じた。
校舎の端にある階段を昇り、生徒会室という札のかかった教室の前で立ち止まる。
「失礼します」
形だけの挨拶と同時に生徒会室の扉を開くと、中には三人の男女の姿があった。古典派、紫電ノノ、そして佐渡聖子。加えて僕の四人は淡風北高の生徒会役員として“ありがたい責務”を負わされており、こうして毎日顔を合わせては、他校の生徒会を交えたオンライン通話での会議を行っている。会議は大淀王国の幹部たちによる報告会で、僕と聖子にとって一番憂鬱な時間だった。王国を賛美し、これからの発展に対して積極的な意見を述べなければ王国への忠誠心を疑われる。“教育”を免れるためにも、僕たちは笑顔で貝川のケツを舐めるようなマネをしなければならないのだった。
「よっ、
と、古典派は僕が着席するのを待たずにそう言った。
「毎日良いニュースがあるんだな」
「当たり前だろ。ここをどこだと思ってるんだ。大淀王国だぞ」
古典派はとても人当たりが良く、誰とも分け隔てなく付き合う良い奴だった。人間的には彼の事を嫌いじゃないが……根っからの王国信者であり、それを疑いもしない狂った純真さが無ければ、もう少し彼のことを好きになれた気がする。
「驚くなよ。今日はなんと……テレビ電話にきららが顔出しして下さるんだと!」
「へえ」
僕はちらりと聖子の方を見た。聖子は椅子に座って頭の後ろに手を組んだまま、ぼんやりと天井を見ていた。
「……何だよそのリアクション。もっと喜ぶとこだろ」
と、古典派は言った。僕にとってきららの顔出し……即ち、“貝川のお心遣い”が何より癪に障る事を、彼は知りもしない。
「……ああ、まあ、そうかもな。なあ、聖子」
「プリンセス万歳! 王国万歳! 貝川万歳!」
聖子はヤケクソ気味にそう叫ぶ。うるっさいのよ、クソビッチ……と隣に座っていたノノが愚痴った。
ノノについては語る程の事も無い。生徒会室に呼んでも仕方がない鷹取が、先に帰って彼女の夕飯を作っている事だろう。二人にとって王国は幸福な箱庭で、誰にも邪魔されない静謐な青春を送っているわけだ。それが退屈で、無気力な毎日だったとしても、人生なんてそんなもんだわ、と彼女は割り切っているようだった。
小型の狂犬のようだった頃のノノは何処かへ行ってしまった。静かで良いが、少しつまらないな、と僕はそう思う。
「報告会まであと五分ある。さ、同志・乖田。ぼーっと突っ立ってないでこっちに座れよ。プリンセスの動画でも見てテンション上げようぜ。俺達の忠誠心が増すごとに、王国が発展していくんだ」
僕は出来るだけ自然な笑顔を浮かべて椅子に座り、PCのモニターに映るきららのダンスを眺める。相変わらず下手くそで、同じステージで踊っている聖子の方がよっぽど良い。なのに、モニターの液晶の一粒一粒が煌めき、きららの存在がこの世のものとは思えない説得力を持ち始める。やがて、僕の脳はきらら一色に支配されてしまうのだった。この王国を何としても発展させなければならないという使命感が胸中に芽生え、貝川への憎しみすらぼんやりと薄れていく。自分の本心と虚構が奇妙に混ざり、僕という存在が希薄になっていく。ただのパーツとして使役される事への感動が、僕の生きる全ての理由へと変わっていく。
と、その瞬間、
彼女は鷹取との激戦の末、命からがら生き延びたらしいが、どこでどうしているかは全く分かっていない。目下、王国の最大の敵は日本政府では無く左右あてなだ、と貝川は口酸っぱく言っているが、もちろん僕はそんな言葉に耳を貸さない。きららの敵になったとしても、左右は僕の命の恩人であり、仲間であり、ヒーローだ。それが僕の唯一の自我だ。自我を保とうとすればするほど、本心が引き裂かれるような強い葛藤に、目眩を起こし、吐き気を催す。
いつか僕の心は大淀一色に塗りたくられ、左右あてなを憎み始めるのだろうか? この古典派の貼り付けられたような笑顔で王国への忠誠を誓い、“毎日の良いニュース”に心躍らせるのだろうか? あるいはノノのように、これが幸せだと甘受してしまう?
……恐ろしい。僕にとってそれ以上恐ろしい事は無い。
次々にチャットアプリにログインしたアカウントたちが、モニター内のポップアップに表示された。淡風内の他の高校や中学の生徒会、あるいは大学の学生自治会のアカウントだ。全部で九つの学校からこの報告会は行われるが、いつもの面々に更に大淀きららのアカウントが追加されると、古典派は「おぉー」と感動のため息を漏らした。うっとおしがった聖子が思わず苦虫を噛み潰したような顔で彼を睨む。
通話が始まり、それぞれの生徒会室がモニターに映し出されると……やがて、大淀きららのアカウントに貝川歩の姿が登場した。
「ごきげんよう、同士諸君。報告会であります。今日の私はプリンセスの王室から放送させて頂きます」
ひょい、と貝川が体を傾けると、後ろに大淀きららの姿が映る。スピーカーから俄に起こる、方々のアカウントからの歓声。
「プリンセス! プリンセスー!」
「きららー!」
「大淀きらら万歳!」
「プリンセス万歳! 王国万歳! 異能者万歳!」
きららのモニターに再び、にゅっ、と現れる貝川の姿。
「とまあ、皆さん。プリンセスが見ているからと言ってあまり浮き立つ事の無いように。報告会は報告会。いつも通り進めて頂く事が望ましい姿でありますね。じゃあ、まずは私の淡風西高から」
貝川の言葉通り、西高のアカウントが音声を発した。
「畏まりました、同志・貝川。えー、まずは例の職業適性の報告から。校内の各異能者に望まれる作業の能力適正をリスト化し、既にサーバーにて共有しております。我が校には大別すると、生産五六名、開発四〇名、医療一五名、事務三四名、サービス三七名、福祉二六名、芸術一〇名、フード一八名、美容一七名、IT二八名の候補者がおり、それぞれ学業とは別に訓練を進めている状況です。匂いを操作出来る能力者がおり、彼が調香師になるべきか、フード業界に貢献するべきか、はたまた美容か、と言った、適正業務の幅広い能力について、兼業規定の制定が急がれています」
「IT業界にどうやって異能者が貢献するんだ?」
別のアカウントからの質問。
「例えば、対象者数名の睡眠時間をある程度の期間、蓄積・消費出来る異能者がいます。リリース前の残業地獄に向けて睡眠時間を蓄積していれば、大いにチームに貢献出来る事でしょう。それに……」
「それだと、平日に消費した睡眠時間を休日に蓄積するだけの奴隷になってしまうんじゃないか!?」
「我が国の法律は日本国のそれに準拠するという大前提がありますので、そこについては問題ありません。労基も同じ、三六協定も同じです」
「その日本国でロクに守られてないものを、バカ正直に見習ってどうするんだ」
「労基に関しては無能者の生産性が低いから守られていないだけだろう。異能者は違う」
「そもそも、そう言った体への負担の大きい能力を恒常的に使用する業務体系を作り上げてしまうのは、後々大きな問題に発展しかねないですよね」
「その辺の問題は異能能力安全管理組合の範疇だ」
「まだ設置すらされていない組合に責任を丸投げして、訓練を始めるなんてどうかと思いまーす」
「丸投げでいいだろ。能力を十分に活かす事が、職業適正審査のそもそもの命題でしょうに。安全基準が確立するまで、ある程度の実地検証は不可欠だ」
「じゃあ、勝手に仕事を決められる本人の意思は? 異能者は能力を選べないんだぞ!」
「それを言っちゃ始まらんだろ! それに、持って生まれた能力はパーソナルな趣味趣向にも直結する事が統計上明らかになっており……」
「それなら尚更、本人の趣向が大事なんじゃないのか!?」
「違う。当てはめてやれば自ずとやり甲斐を見出していくっていう……」
モニター越しに交わされる激論。僕達のアカウントでは古典派が積極的に発言しており、ノノはこういった話題に全くついていけない。聖子は退屈そうにあくびをしているし、僕も頬杖をついてモニターをぼんやりと眺めているだけだった。
「……佐渡聖子。あなたはどう考えているの?」
貝川が喋ると、全員が黙る。必然的に、ボールを投げられた聖子の言葉を全員が待つ。
「何をでありますか。同志・貝川ちゃん様」
「何を、じゃないだろ! 職業適性の話だ!」
古典派が怒鳴り、聖子は露骨に嫌な視線を彼に向けた。
「……うるっせえなぁ。睡眠時間を蓄積出来る能力だっけ? 徹夜麻雀に打ってつけの能力だから、雀荘勤務にしよう。ITから一名マイナス、サービスに一名追加。漫画家でも良いかもね」
各アカウントから思わず失笑が漏れた。貝川は表情を変えず、クイッとメガネを上げる。
「大体から、労働は労働。異能者だけで国は回んない。でしょ? ガキンチョに何が出来んのよ? 何のノウハウも無く、手助けも無い。かと言って淡風の原住民や、本州……じゃない、日本国から労働者を雇用しても、特権意識を持った異能者のクズがでかいツラするのは目に見えている」
「何が言いたいんです、同志・佐渡」
淡風農業大学担当のリビジョンが尋ねる。
「言いたい事なんて別にねーわよタコスケ。聞かれたから喋ってるだけじゃん。能力を無理矢理仕事に結びつけても、きっとロクな事になんないわ。何とか能力を使ってラクして仕事をしようなんて、泥臭い生き方が嫌なだけでしょ? 結局のところ、アンタらの鼻は高く伸びすぎてるってわけ」
「泥臭い生き方を拒否してなんていませんよ。現に私は、他の能力者と協力して農業を高めようと日夜研究している。今日も我々はしいたけ栽培の新たな扉を開いたのですから」
「は? しいたけ?」
聖子は思わず、きょとん、とした。
「ええ。日に日に成果は出ています。今日はついに、通常の五割増の収穫量を記録しました」
リビジョンの言葉を聞いた瞬間、聖子は爆笑した。
モニターの向こうの視線が曇り、同じ室内でもノノと古典派の刺すような視線が聖子を貫いている。僕だけがこの凄まじい空気の行方にハラハラしていた。
「ぎゃっはーっはははは! 五割増し! ねっ? 異能者なんて言っても、精々そんなもんよ。いや、よく頑張った方だと思うよ、リビジョンは。精々が二割か三割増し、あるいは一般人と何にも変わんない。ごく一部の特殊な才能だけが、人類の新たな扉を開く事がある……かもしんない。あるいはリビジョンが本当の意味で“しいたけ栽培の新たな扉を開く”かもしんない。それは知らない。
じゃあ何をすれば良いのかって? この王国のために異能者が出来る事? そんなの決まってるじゃん。喧嘩よ! 戦争よ! アタシ達が一般人の連中より優れているのは唯一、戦闘能力だけ! 喧嘩なら絶対に負けないわ。喧嘩に負けなければ、食いっぱぐれる事も無い。淡風なんて田舎に篭ってオママゴトしてても駄目よ。侵略よ侵略! 気取って『我々異能者が労働するには』なんて御託並べてる暇があったら、いかに効率よく汐摩市を侵略するか考えた方がよっぽど生産性に溢れてるわ! 頑張れば一週間。三日で答えは出て、四日で作戦を遂行出来る。ヴァイキングがどうしてヨーロッパを侵略したか知ってる? ヨーロッパの連中よりも文明が進んでいたからよ。優秀だったわけ! 優秀な人間が、どうして劣った人間と肩を並べて対等な商売をする必要があるわけ? 優秀だと思ってるんでしょ? この世は弱肉強食よ。本性出しなさいよ、本性! 大淀王国万歳! きらら万歳! 万々歳ー! あっ」
アプリの通話が切断され、聖子のとぼけた「あっ」という声が生徒会室に響き渡る。
僕たちは呆れ返って言葉も出なかったが、古典派だけが腹に据えかねると言った様子で、じっと聖子を睨みつけていた。
それから我が淡風北高が改めて通話の機会を持ちかけられる事は無く、僕達はしぶしぶ立ち上がり、教室から出て行った。ノノが最初に出て行き、続いてすぐに僕と聖子も教室から出て行った。古典派だけがモニターから目を離さず、会議が終わって次々とログアウトしていくアカウントをぼんやりと眺めていた。僕達の呼びかけにも、ああ、とか、うん、と言った生返事しか返さず、しなびた笑顔を浮かべていた。西日に陰る彼のシルエットは実に印象的だった。可哀想という感情と、嫌な予感の、半々だ。
「……あれはまずいだろ、聖子。反乱分子扱いされるぞ」
と、僕は聖子に言った。制服を着込んだ聖子と並んで下校する事があるなんて、まるで想像もしなかった。片手をスカートのポケットに手を突っ込み、鞄を肩に引っ掛けて持つというワイルドなスタイルで、鼻歌交じりに彼女は歩いていた。言う事を言ってご機嫌なんだろう、きっと。
「されないっしょ。別に王国を悪く言ってないし。少なくとも、貝川はアタシを切ったりはしない。アタシを使うなら、あれぐらい折り込み済みってワケよ。て言うかアンタの方がよっぽど怪しいし。『ああ、まあ、そうかもな……』とか、あんな糞みたいな返事するなら、アタシを見習ってオープンにした方がいいわよ。同志・乖田くん」
「古典派がヘコんでたぞ」
「知らんがな。別にあいつがみんなの反感を買った訳じゃないんだし」
「同じ生徒会室なんだから、同罪だろ。少なくともあいつはそう思い込んでるぞ」
「じゃあお前が慰めてやれ」
「僕が言ってんのはだな……」
「だぁぁぁあぁあぁーーーっ!」
突然、聖子は発狂した。目の前で丸まっていた猫目掛けて突っ走り、仰天した獲物が身を翻すと、彼女はそこへ先回りする。凄まじいオフェンスとディフェンスの攻防がしばらく続いた後、猫は驚異的な跳躍力を見せ、塀に飛び上がり、聖子の奇怪な行動から逃れたのだった。聖子はそれでも塀をよじ登ろうとするが、手を滑らせて盛大に地面にすっ転んだ。
彼女は地面に寝転がったまま、息を切らし、額から大量の汗を吹き出している。
「……つまんない!」
と、聖子は叫んだ。
「つまんないつまんないつまんないつまんないつまんないつまんないつまんないつまんないつまんないつまんないつまんないつまんない! つまんなーいっ!」
僕は彼女に近づき手を差し伸べたが、彼女はじろりとこちらを睨み、一人でのそのそと立ち上がる。僕は伸ばした手を差し戻す他無かった。
「何このド田舎! こんなところで一生暮らせっての!? つまんないのよ!」
「都会も……汐摩もつまんないんだろ。お前にとっちゃ」
「まだマシだった!」
「汐摩に戻ったら同じことを言うクセに」
「戦争よ! 戦争しかないわ! こんなところでつまんない仕事をして、つまんない相手と結婚して、つまんない子育てをして、やがて朽ち果てて土に帰るなんてやだーーー!」
広い田んぼに響き渡る、聖子の馬鹿でかい叫び声。
詰まるところ、佐渡聖子の不満はこれに尽きるわけだ。
言う事なす事大胆な割に、肝心なところでビビリな癖に。
だから何もしないし、何も出来ない。
「……なあ聖子。もしこの島で一生暮らすとして、結婚相手は当然この狭い島に住んでる誰かになるんだよな。例えば……」
「……」
聖子は、じろり、とこちらを睨む。
「……例えば、何よ?」
「例えば俺とか」
……。
沈黙を縫うカラスの声。
聖子はぽかんと口を開けたまま、何も喋らない。
ほんの少しからかうつもりで僕は言ったし……予想では彼女の罵倒がこの後に続くはずだった。なのに、聖子は一言も喋らず、言葉の余韻は刻一刻と重みを増していく。
これじゃまるで、遠回しな告白じゃないか。
僕はもちろんそんなつもりじゃない。なのに彼女の妙な誤解が夏場の雑菌のように育まれつつあるのを感じる。そんな彼女の返答を、どこか期待している自分もいる。
……嘘から出た真、という事は?
僕だってこんな島で一生過ごすなんて、つまんないと思う。
楽しい事で溢れている都会とは違い、積極的に何かを見つけなければいけない。
でも、ほんの少し手を伸ばせば楽しい事なんていくらでもあるんじゃないか?
……それが途方もなく遠いものだと、僕達が勝手に勘違いしているだけで。
嘘から出た真、という事は?
僕は改めて自分にそう問い詰めた。
「……アタシが、アンタと結婚?」
聖子はようやく、そう口にした。
「いや、まあ、冗談……」
僕が言い終える前に、聖子はこちらに、ぴん、と中指を立てた。
「身の程を知りなさいよ! それにアタシ、裏切り者になりたくないし……」
「裏切り者って?」
聖子は失笑した。
「なんでアンタがあてなに選ばれたか、ちょっとは考えた事無いの?」
聖子は足元に転がっていた自分のカバンを拾い上げると、ニ、三回叩いて埃を払った。が、汚れなんて少しも取れていないまま、肩越しに持ち直す。
「そう言えば、考えた事なかった」
「アンタ以外にいっぱい選択肢があったのに、どうしてアンタだったのか。理由なんて限られてくるとは思わんかね?」
僕は首を横に振る。
「左右は僕の事をそんな風に思って無いよ」
「違う、アンタがそう思って無いんじゃん。あの子の事、遠い世界のお姫様か何かと思ってるんじゃないの?」
ぎくり、と僕は身を固くした。僕は左右に自分の印象を伝えた事がある。それも、お姫様なんていい表現じゃない。“左右は僕のヒーローだ”と。もし……万に一つでも、彼女の気持ちが聖子の言う通りなら、こんながっかりする事は無いだろう。
彼女はこう返事してした。
“そう思うんなら、そうかもね”と。
僕がそう思う事が、彼女を傷つける可能性があったなんて……僕は思いもよらなかった。
「でも……彼女はもう僕達のそばにいない。確認の取りようもない」
僕は言った。
「そーね。いっつもタイミングが悪いのよ。いっつも遅いの。アンタって男は」
と、聖子は言った。そう。全くその通りだ。僕は気持ちの整理のつかないまま、ほんの少しだけ頷いた。
「……まあいいわ。アタシ、スーパー寄って帰んなきゃ」
と、彼女は進行方向を九〇度変え、町の方へ振り向き、てくてくと歩き始めた。
「……あ、おい、聖子! これだけは言わせてくれ! 今日の結婚がどうとかって話……お前、変な勘違いしてんじゃないだろうな!?」
「してないしてない。してたらやだ?」
「嫌だ!」
「なっははっははは! まあ、気にすんなって。じゃね! チャオ!」
あいつに良いからかいの材料を与えてしまった。
聖子はいつにも増して爽やかな笑顔を浮かべ、こちらに手を振りながら夕闇へと消えていった。余りに爽やかな笑顔だったせいか、はたまた制服のお陰か、この瞬間だけはあいつが普通の女子高生のように見えた。いつもああならいいのにな、と僕は思った。嘘から出た真だって良いじゃないか……なんて思うのは、傲慢かもしれないけれど。
帰り道、僕は思わず顔を綻ばせてしまうのを自制できなかった。こんな王国でも楽しい事があるんだと、それが分かっただけで僕は心が浮き立ってしまうのだった。明日から聖子に新しいネタでからかわれるのだろうけれど……プリンセスに命を捧げるより、よっぽど人らしくて良い、と僕は思った。
でも、聖子が僕をからかう事はなかった。
次の日から、彼女は姿を消した。
学校に来ず、家にもおらず、まるでこの世から綺麗さっぱり居なくなったように。
いっつもタイミングが悪いのよ。いっつも遅いの。アンタって男は。
そんな彼女の言葉が残響のように胸に残ったまま……
僕は二度と聖子の姿を見ることは無かった。
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