イノー

チェクメイト

1 淡風へ

 子供の頃は漫画に出てくる超能力に憧れていた。

 手から火が出たり、念じた場所に移動出来たり、あるいは超人的な肉体能力を発揮出来たりするアレだ。便利そうだったり、楽しそうだったり、何より格好良かった。

 でも歳を重ねるにつれ、人生に立ち塞がる壁という壁の殆どが、そんな超能力程度では到底破壊できないものだと気付き始める。手から火が出れば火災の度に容疑者だし、超人はオリンピックに出れないだろうし、用無しはどこにテレポートしても用無しだ。

 だから、能力を与えられた時も、正直なところ“なんて下らないんだろう”と感じた。望んでいる時は手に入らなくて、望まなくなって手に入る。超唯物的なこのご時世、ちっとも構ってもらえなくなった神様のヤケクソに、僕は……いや、僕達は巻き込まれてしまったのだ。

 とにかく、まずはその経緯を話そうと思う。

 最初の“異能能力者”がこの世に現れて約二年後、あまりにも突然に、丸っきりなんの予兆も無く、僕はその同類種となった。

 目覚まし時計のスヌーズに甘え、遅刻が目と鼻の先にまで迫った月曜日の朝。顔も洗わず朝食も摂らず、ズッコケそうになりながら家から飛び出すと、突然、自分の体が自分の物では無くなったかのように軽くなったのを感じた。いつもなら数分はかかる通りをほんの数秒で走り去り、滲む景色に混乱する間もなく、僕はそのままコンクリート塀に思いっきり激突したのだった。

 肉の内側で響く、骨の砕けた音。

 少し遅れてやってくる、気の触れそうな激痛。

 訳も分からず救急車に運ばれ、てっきり死んでしまうものかと思った。朝の景色と同じように、走馬燈までも高速で流れて行く。あの世へ直行し、三途の川も飛び越え、こちらのリクエストなんて言う暇も無く、あっと言う間に虫だのミジンコだのに生まれ変わるんだろう、なんて。

 しかし、僕はベッドの上で目を覚ました。そればかりか、三日もすると複雑骨折したはずの骨が完治し、五体満足の体が戻っていたのだ。

 医者や看護師の恐怖を押し殺した硬い表情。

 両親の引きつった笑顔。

 周囲の違和感に気づき、僕は初めて自分が異能者になった事に気づいた。


 “異能者”という呼称に、『お前達は異物だ』とでも言わんばかりの世間の本音を感じる。そして、それは決して当事者の卑屈な思い過ごしじゃ無い。

 異能者達は、一部の不届き者の犯罪や、“うっかり”起こしてしまった失敗の数々で世間に広く認知されていた。詰まるところ、恐怖、軽蔑、憎悪、あるいは差別の対象だ。発症者の全員が十代半ばの青少年ということもあり、表向きは不可思議な流行病として憐れみを持って接されていたが、それはあくまで自分達の世間体を守るための立ち振る舞いで、人々の本心、あるいは本能とでも言うべき見えない壁は予想以上に分厚かった。

 十代という若さから善悪の判断が曖昧な異能者たち(生まれて十数年の間、不幸にも何も学べなかったイタい連中、とも言うけど)は、あまりにも危険な存在だったし、彼らに対して一般市民は自衛手段など持ち得ないのだ。

 先だって、コンクリート衝突事故で歴とした異能者のレッテルを貼られた僕は、友達という友達を失った。それどころか、親戚や家族にまで“疎んじるべき厄介者”として扱われた。好奇心を持って接してくる人間もいるにはいたが、やはりどこか余所余所しく、旧知の全ての人間との関係性が変わってしまった事に変わり無かった。

 がらりと変わった日常風景。誰にも心許されない毎日。そして真っ暗闇の未来。

 孤独は辛かった。まるで真冬の海に放り込まれたみたいに、暗くて寒くて苦しくて、圧倒的に容赦が無かった。どん底に叩き落とされる、という言葉の意味を初めて知り、僕は縋るものを必死で探した。

 そんな中出会ったのが、“イノー”というSNSコミュニティだ。

 イノーは異能者同士が呼びかけ合い、互いに自らの人権を確保すべく、不届き者の監視と犯罪抑制に努めるよう情報交換に努めていた。会員は全国に点在し、コミュニティの主目的以外にも日常での生きづらさや悩み、あるいはもっととりとめの無い会話(それこそが会員達に必要なものだった)を、ネットを通じて日々行っていた。もちろん、オフラインでのミーティングも行われていて、僕も何度か自身が住んでいる汐摩市でのオフに参加したことがある。初めて参加したときは緊張したが、久々に真っ当に人との会話が出来た事に感激したのをよく覚えている。

 ほとんど唯一と言っていい人間らしい関係性に、僕は……いや、僕たちは、イノーにどっぷりと入れ込んでいったのだった。

 隠れた異能者の捜索や加入の呼びかけにより同志を増やしていく毎日。欠けた心を満たす活動の日々は、それまで味わった事の無い充実感だった。孤独だ絶望だと言っておいて手のひらを返すようだが、異能者に目覚める以前の何の不満も無い退屈な日常には、決して味わえなかった充実感である。

 孤独と疎外の人生を送る異能者達は、唯一“イノー”に携わる瞬間だけ、生きた実感を味わえる、というワケだ。

 そんなある日、僕は同じ汐摩市内に住む左右(あてら)あてなという異能者の少女と共に、淡風という離島に赴く事となった。イノー内部で生まれた異能者同志のカルト・グループが、島のどこかで毎週会合を開いているというのである。僕と左右の活動は、連中の内情調査、そして必要であれば連中に対する警告と勧告だ。


「たまにはこういう活動もいいね。旅行みたいで」

 淡風行きのフェリーのデッキ。夏休みを利用しての活動は、目的こそ緊迫したものなれど、どこか旅行めいた楽しさがあった。普段は大人しく、おしとやかな左右も、今日の笑顔はどこか晴れやかだ。

 左右は笑顔のまま船の外を眺め、美しい風景に静かにため息をついている。雲の間を縫って差し込む朝日は、海上に斑の光として揺らめき、あいにくの天気をどこか神秘的な情景に変えていた。向かい風になびく黒髪をかき分けると、彼女の白く透き通った頬がちらりと覗く。僕は盗み見てしまったようで、はっとして目を逸らした。

 恋愛感情……とまではいかない。が、一番身近な憧れの女の子。異性に対する度胸の無さが“そんな気は無いんだぞ”と言わんばかりに、僕をぶっきらぼうに振る舞わせていた。馬鹿馬鹿しいけど、いかんともし難い。大して興味の無い淡風観光の手引きをスマートフォンで眺めながら、いかにも行儀悪そうに甲板に座り込む自分が、我ながら憐れだ。

 泊まり込みによる一週間の同居生活。僕の一番の目的はイノーの仕事……と言いたいところだけど、実際のところ彼女の事ばかり気になっていた。

 くるり、と左右はこちらに顔を向ける。僕は気づいていないフリをした。

「乖田くんは、淡風は初めて?」

 そこで初めて、僕は顔を向けた。

「……まあね」

「良いところだよ。私の家は観光地からちょっと離れてるけど……」

「左右のお父さんは、今回の僕たちの目的を知ってるのかな?」

「知ってなきゃ、乖田くんはウチに泊まれないよ。両親が離婚してから、お父さんには久々に会うし……そこに急に同い年の男の子を連れて行くなんて、ねぇ」

 そりゃ、もっともだ。

「……なんか、水差すようで悪いな。父娘の久々の再会なのに」

 僕の言葉に、彼女は乾いた笑みを浮かべた。その表情はどこか物憂げだ。

「嬉しいんだけど……気まずい。離婚の一因は私にもあるし」

「左右が?」

「うん。だって、異能者だもん」

 異能者には共通の様々な辛酸が、僕たちの間に沈黙をもたらす。「考えすぎだろ」なんて言ってみたものの、それは中身の無い常套句だ。

「……私がお母さんの方について行って……なんか、お父さんを見捨てたみたいで。そりゃ、どっちかにはついて行かなきゃいけないんだけどね。私の事、お父さんがどう思ってるか……」

「愛娘に会いたくないわけ無いじゃん。だから、僕もお泊まりを許されたのさ。事情があるとは言え見ず知らずの男を連れ込むなんて、普通の父親は許さない。だろ? でも娘と再会のチャンスとあっては、背に腹を代えられないっていうかさ」

 少し考えて、左右はため息をついた。僕なりの気遣いの言葉だったが、左右は自分がずるい方法で父親に宿泊を許可させていた事に気づき、一層暗い気持ちになったらしい。首を横に振り、“こんな話、やめよっか”と言わんばかりに精一杯の笑顔を見せる。

「でも、嬉しいの。それは確かなんだ」

 と、左右は言った。

 もちろん、左右が今回の宿泊に関して、自身の打算を微塵も介入させていない事を、予め言っておく必要がある。彼女は彼女の真っ直ぐで純粋すぎる性格の代償として、謀めいた才能には一切恵まれていない。

 かと言って、彼女は決して考え無しでも脳天気などでも無かった。学校の成績は常に上位らしく、向上心や好奇心から来る知識量は、僕ら同世代とは比較にならないほど広く深かった。もちろん、それをひけらかしたりはしないし、他人が困っていれば、それとなく気づかせるような工夫をして諭してあげる。目立つような事を嫌い、他人との争い事にも興味は無く、端から見れば常にぼんやりとしていたが、それは彼女の謙虚さだとか思慮深さだとか、そういったものの副産物だと僕は思っている。

 ただし、少し気まぐれな所もあった。大人しく、それでいて芯のしっかりした彼女に頼み事をする人間はイノー内でも多いが、もし彼女が何かに熱中――例えば、読んでいる本が佳境に入っているとか、好きな映画監督の新作が公開されたとか――していれば、彼女を捉えることは誰にも不可能だった。上位ではあるものの、決して成績が安定しないのは、そういった彼女の性分が主な原因だ。

『本気でやれば、左右はもっと上に行けるんだがなあ……』

 なんて担任教師の言葉が容易に想像出来る。それを聞いた本人はと言えば、ただ困ったような笑顔を浮かべて、どこか他人事のように振る舞っているのだろうけど。

 左右とはイノーのオフ・ミーティングを通じて実際にはほんの五、六回しか会っていないが、僕が最初に感じた印象は“笑顔の可愛い女の子”だった。次に、その静謐で繊細な内面に惹かれた。それが恋愛感情にまで発展しきらないのは、ある種の神々しさに近い感情を彼女の佇まいに感じているためだ。要するに、高嶺の花、というやつだ。

 彼女との一週間の淡風滞在が決まった時、僕は嬉しさと同時に、不安も感じた。これをきっかけに左右に嫌われたら、余計という言葉では片付けきれない苦しみを味わう。異能者として深く抉られた傷を、イノー内で更に広げられるなんて、あまりにも馬鹿馬鹿しく、恐ろしい。

 そっと見ているだけでいい。ちょっと手を差し伸べて、助けてあげられればそれでいい。

 だからこその“距離感”だ。

「ねえ、乖田くん」

 左右は申し訳なさそうに、俯き加減に言った。

「実は私、乖田くんに言って無い事があるの……」

「何だよ」

「実はね、今回のイノーの活動で、どうしても一緒に行きたいっていう友達がいて……その子も、私の家に一週間一緒に泊まる事になると思うの。ちょっと変わった女の子なんだけど……何て言うか……その……ほんのちょっとだけ、変わり者なんだ」

 左右は視線を逸らし、気まずそうにそう言った。彼女が率直に物を言わない事は良くある事だった。誰かを傷つけまいと、あるいは悪く言うまいとする場合の、遠慮がちな態度だ。

 僕は別に気にする様子も無く「そうなんだ」と一言。初対面の人間と寝食を共にする事になるかもしれないが、左右と二人きりの気まずさよりは、むしろマシかもしれない。

「佐渡聖子ちゃんって言うんだけど……乖田くん、知ってる?」

「知らない」

「そっか。知らないよね。イノーに参加してるけど、あんまり発言しないし、オフには殆ど来ないし……」

「引っ込み思案なのか?」

 うーん、と人差し指をこめかみに当てて、考え込む左右。

「……全然違う、と思う」

 左右はそう言って、優しい笑顔を浮かべた。控えめなのはともかく、イマイチ要領を得ない発言はらしくない。

 ……ひょっとしてその佐渡って子は、左右がよっぽど形容に困るほど、“ちょっと変わった女の子”なのだろうか?

 ただ、目の前の左右の笑顔は、鬼が出ようと蛇が出ようと、全て許せてしまいそうな愛らしさを帯びている。こんな素敵な笑顔を作れる女の子の友達が、悪い人間なはずがない。僕はそう心の中で独りごちるのだった。

 ……今となって改めて思うが、僕は大した人生経験を詰んでいないし、そんな経験値で想像力を働かせてみるには“ちょっと変わった女の子”はあまりにも異質で、特殊過ぎるのだった。最も異質という点では、“ちょっと変わった女の子”は今後の人生に二度と現れないであろう逸材で、多少の人生経験があったとて、まだ見ぬ彼女の姿を推測する測量器にはなり得ないだろうけれども。

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