月は水面に、垂れ柳

雨後の筍

現実的合わせ鏡の錯視

【ロールシャッハ】

【揺れる天秤】

【焦がれた日々】

 

 

 

 あなたたちはいつの日も二人で一人だった。そう、思っていたのに。

 

 

 

 だからだろうか、私はあなたたちを分けて考えたことはなかったし、あなたたちを同列視していたのかもしれない。

 いや、本当は心の奥底ではきちんと見分けがついていたのかもしれない。だって、結局私が惹かれたのはあなたの方なのだから。

 私は確かに不誠実な女であったし、あなたたち二人はどちらもとても魅力的だった。その姿に焦がれぬ女はいなかったでしょう。実際にあなたたちが学校でどれだけ人気を集めていたか、あなたたちは実感していたのかもしれないけれど、本当の熱狂は肌に感じていなかったんだわ。

 だから、私なんかをそうやって簡単に懐に入れてしまえるのよ。

 私は確かに猫のようにあなたたちの棲家に居着いたわ。でも、それだってそこが一番居心地がいい場所だったからよ。自分の家にいるくらいなら他の女の子にどんなに陰口を叩かれたってあなたたちのところにいた方がよっぽど気が晴れた。

 私が憂鬱な気分をなんとかしたくて訪れれば、あなたたちはいつでも陽気に歌を歌い、タップダンスを踊っては階下の住人に怒られていたわね。

 それがどんなに私の心の闇を払ってくれていたか! やっぱりあなたたちはいろいろなことを楽観視しすぎていて、それも見落としていたのでしょうね。

 そう、これは当然の結末だったのよ。あなたたちは男で私は女。確かに友達として最高に楽しい時をいくらも過ごしてきたわ。でも、男と女に真の友情は存在しない。そこにあるのは結局のところ醜い独占欲と狂った愛憎だけなのだわ。

 

「だからね、あなたには権利があるのよ」

「何の権利さ」

「この揺れる天秤に錘を乗せて片方に傾けてしまうことの、よ」

「それは兄貴の領分だろうさ。俺はつまるところ主体性もない流されるままの情けない男だよ。そんなことくらい君が一番理解していることだろうに」

「そんな主体性のない男が見せてくれたほんの少しの男気にころっと落ちてしまったチョロい女を笑いなさい。彼ではダメなのよ」

 

 俺たちはいつだって二人で一人だ。

 でもその表現は正確ではない。本当の事を言うならば、うちの兄貴が一人で二人だ。

 俺は常に兄貴の陰に隠れてきた。兄貴が決めたことはなんだって肯定してきたし、俺が率先してやったことなどほとんど記憶にない。

 俺だって人間ではあるし、まだまだ子どもだからわがままを言わないというわけではない。だから、多少は俺が兄貴を引っ張ったこともあるだろう。でも、基本的にはすべては兄貴が決めていた。俺はその金魚のフンであり、腰巾着だった。

 兄貴からすれば鬱陶しかったのかもしれない。でも、俺たちはあいにくと親無しの兄弟二人で生きていくしかない運命だった。その麗しき兄弟愛に従って兄貴は俺を庇護し続けてくれたのかもしれない。なにせ、どんな厄介事だって問題だって常に兄貴が矢面に立っていたのだから、兄貴が抱えていた負担はいかばかりだったのか。

 そう、なればこそ、俺がここで彼女を受け入れることは許されない。たとえ、彼女のその瞳に見える焦がれた感情の事を想っても、俺のこの燻る熱情を慮っても。

 兄貴がやっと見つけだした光なのだ。それを、よりによって俺が邪魔するわけにはいかない。ここまでの人生で俺は兄貴におんぶに抱っこだった。だったなら、ここらで一つ兄貴に報いがあったとしても許されるのではないだろうか。

 ここ最近の兄貴の様子を見ていれば、兄貴の心情など手に取るようにわかる。たとえ兄貴だって所詮は双子なのだから、俺たちは似た者同士だ。

 ただ数分兄貴の方が生まれるのが早かったから兄貴分をやってきてくれていたが、これが逆だったならば、必死ながらに俺が何とかしていただろうことはなんとなくわかる。

 なればこそ、俺が彼女に惚れたように、兄貴が彼女に惚れないわけがないのだ。

 兄貴は今までの人生すべてを俺に捧げ、常に俺を優先してくれていた。だから、だからこそ、彼女には俺ではなく兄貴を好きになってもらいたかった。こう思ってしまうのは傲慢なのだろうか。選ばれたからこその葛藤。

 この感情を兄貴が持ったならば、俺は潔く兄貴に譲ることができるだろう。それは、兄貴にも言えてしまうことだ。

 つまり、彼女の想いを兄貴が知ってしまったならば、兄貴のようやく掴んだ光は消え去ってしまうのだ。兄貴自身の手で消し去られてしまうのだ。

 それだけは認められない。

 確かに彼女に惚れられて誇らしい。兄貴に自慢だってしてやりたい。なにせ俺の、そして兄貴の好きになった女だ。いい女でないわけがない。そんな彼女に惚れられて、こうやって想いを告げられて、それでいい気にならないとしたらそれこそ嘘だ。

 俺は今傲慢にも上から兄貴のことを考えている。今まで支えられるばかりのお荷物でしかなかったというのに!

 

「ロールシャッハ。ロールシャッハテストって知ってるか?」

「ええ、確か左右対称に描かれた紋様を見て回答し、その回答をもとに精神判断を行うテスト方法だったわよね。それが今なんだというの?」

「俺たちは合わせ鏡だ。あたかも鏡を中心に生まれてきたんじゃないかってくらい生き写しだし、表面的な事を除けば内面だって似たり寄ったりなんだ」

 

 俺は歩く。部屋で眠りについている兄貴を起こすために。ゆっくりと、ゆっくりとその扉に近づいていく。

 ここで彼を起こさなければ、俺たちは幸せになれるのだろう。

 だが、それは本当の幸福なのだろうか? 俺の人生は兄貴あってのものだった。ここで兄貴が不幸のどん底に落ちたとして、俺はそれを笑って眺めていられるのだろうか。自分だけの幸福は真の幸福とは俺にはどうにも思えないのだった。

 

「だから、こうしよう。今から俺と兄貴が二人で並んで三回部屋から出てくる。毎回服は替える。当ててみせろ。お前が好きだと言ってみせた男を。お前が三回とも同じ方を当てることができたなら、その男への愛は本物なのだろうよ」

「なに、よそれ。あなたは馬鹿にしているの? 私があなたたちとどれだけの年月を過ごしてきたかわかっているの? さすがにあなたたちがどんなに似ていたって区別できないわけがないじゃない! 茶番だわ」

「これはロールシャッハテストなんだよ。俺も兄貴も似通っているし、なにかのきっかけがあればひっくり返ってたって誰も気づけない。この広い世界で俺たちを俺たちだと認識できるのはお前だけなんだ。わかってくれ。これは、俺たちが俺たちでなくなるために重要なことなんだよ。きっと、兄貴も話せばわかってくれるはずさ。いや、わかるだろう。何よりも誰よりも俺よりも光を求めたのは兄貴なんだから」

 

 コンコン、とドンドン、と扉をたたく。

 後ろの彼女は言葉を吐く寸前で飲み込んだのだろう。髪の毛がざんざらと空に揺れている。

 返事を待つことなく入った部屋の中では、眠っていたはずの兄貴が憂鬱な瞳でこちらを見ている。聞いていたのだろう。いや、半ばそう直感していた。きっと兄貴は起きているに違いないと。

 

「ああ、なんとなくこんな日が来るような気がしていたんだ。彼女と出会った時からだ」

「彼女と出会ってから兄貴は変わったよね。自分を偽らなくなった。どんどん正直になっていった」

「そして、お前はどんどん俺に対する遠慮というものを覚えてきたな。それが、俺に対する配慮でありながらどれだけ俺を傷つけたのか。いや、それがわかった上で他にどうしようもなかったんだろう? お前は不器用だからな」

 

 寂しげに笑う。自分と瓜二つの、俺の半身がその引き裂かれる痛みを耐えて俺に微笑みかける。

 

「焦がれていたんだ。俺はいつか兄貴から自立しなきゃいけなかった」

「ああ、焦がれていたとも。俺に光が、お前に支えが出来る日のことを」

 

 話を聞いていたからにはこのあと何が起きるのかも兄貴は理解している。

 これはロールシャッハテストなのだ。彼女が俺たちをどういう目で見ていたのか。俺たちは彼女をどういう目で見ていたのか。すべてが白日のもとに晒される。

 

「この焦がれた日々に決着を付けよう」

「俺たちはいつまでも俺たちではいられない」

「袂を分かつ時が来ると知っていた」

「それが今だと言うならば」

「まぁ、それが俺たちにとっては相応しい門出なのだろうよ」

 

 寝巻きから着替えた兄貴と、兄貴の服を借りた俺。きっとこんな誤魔化しでは彼女は騙されてくれない。

 なぜならば、彼女こそが俺たちをこの世で一番よく見てくれている女なのだから。

 だから、これは答えの決まった問いなのだ。

 ただ、俺たちが納得したいだけ。

 子どものままの俺の、最後のわがまま。

 そして、兄貴として振舞うことのできる、彼の最後の機会なのだ。

 

 

 

 俺たちはいつの日も二人で一人だった。いつまでも、そうであれたならよかったのに。

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