第8頁「混浴幽霊」

 うちのアパートの風呂場には、女の幽霊が住み着いている。


 一人暮らしのワンルームなので、浴室はそんなに広くない。その中で長い黒髪の女が膝を抱えて「ず~ん……」といった感じでしゃがんでいる。いわゆる体育座りの姿勢である。


「はぁ~。今日もちかれたわ~い」


 これは私の独り言である。この風呂場でうっかり居眠りをして、そのまま溺死した元『おひとりさま』の幽霊は、青白い顔をピクリともせず、だんだんと満ちていくお湯の中に裸体を浸からせた。


「ういしょ~い」


 私もまた手早く服を脱ぎ、いつものように風呂に入った。


『あの……お仕事、お疲れさま、です……』


「うん。くるしゅうないぞ」


 天井を見上げる。換気扇の中へと吸い込まれていく湯気を見上げながら、溺死した幽霊へ適当に話しかけた。


「今日もさぁ、ほんと件の新人が使えなくてさぁ~。私がいちいち指示出さなきゃ動けねーの。しかも一度言ったことは必ずと言って良いほど忘れるし。もーやっとれんわーい」


『そ、そうですか……』


「うんうん。そーなの、そーなん、そーなのよ」


 口を開けば息をするよりも軽々しく愚痴がでる。それで自分の中で社会とのバランスをとっているといるとも言えた。


『あの……幽霊と一緒にお風呂に入るとか、気持ち悪くない、ですか……?』

 

「アンタが私の話し相手になるメリットを鑑みたら悪くないわよ。霊感的なアレがあるせいで、昔から幽霊だの悪霊だのは見慣れてるしねぇ。だいたいワケあり物件って聞いてて安かったから、ここ選んだわけだし」


『……す、すみません……っ、死んでからもご迷惑おかけしてます……っ』


「気の良い人ほど早死にするのよねぇ。あっはっはっはー。――ウチの社長早く死なねーかしらマジで」


『……あ、あはははは……』


 それから念の為、鏡台に置いてある防水ケースに入ったオフダを指差した。


「ま、成仏させてほしいなら、透けてるおでこにペタッと貼ってあげるから。愚痴に付き合うのにウンザリしたら遠慮なく言って」


『……わかりました』


 その時はじめて、お風呂場で体育座りをした幽霊が、くすっと笑った気がした。



 そんな感じで毎日、家に帰ってきたら幽霊とお風呂に入った。最初は口一つ効かずに、死んだように体育座りをしているだけだったのが、段々と話を合わせたり、


『……あの、お背中流しましょうか……?』


 とか言いだした。そのうち力を蓄えたのか、現世にも影響を及ぼすようになり、家に帰ってくると勝手にお風呂がわいていた。掃除もしてないのに浴槽もちゃんと洗ったのかピカピカだった。


『お帰りなさい。お風呂にします? それともお風呂? お風呂ですよね?』


 女は気づけば執拗な風呂推し幽霊と化していて、湯船に浸かればぴったり寄り添うように肌を重ねてきた。正直なところ、若干わずらわしくなってきたので、オフダをペタリと貼り付けてやろうかと思っていた折りに、


「あのね、実は転属が決まったの」

『え?』

「そういうわけで、来月一杯でここは引き払ってお引越し予定」

『…………そうですか』

「ごめんねぇ」


 相変わらずお風呂でのんきに天井を見上げながら、やっぱり頭で考えるよりも早く口が動いていた。


「ついてくる?」

『……いいんです?』

「まぁその、ここでしれっと捨ておいたらゲスいかなーと」

『良心の痛まない人間もいましたよ。きっと今も元気に生きてるでしょうし』

「それは見る目が無かったねぇ」


 肌にしっとり吸いついた黒髪を撫でてみる。半透明の裸体、当初は青黒く変色していた肉と骨、それから深く斬り裂かれた手首の痣は消え失せて、生前の体に近い肌の色を取り戻していた。


『引っ越し先の物件は、また幽霊のいるところを探すおつもりですか?』

「どうしようかなぁ。このまま行けば一通り、家事の一切をこなしてくれる幽霊が集まるかもしれないし」

『割とダメ人間的思考じゃないですかね、それは』

「亭主関白と言って頂きたい」

『わかりました、わかりましたから、付いていってあげますからね。幽霊のいない物件を探しましょうね』


 幽霊は言った。割と独占欲が強いなぁと思ったりしつつ、結局は二人で新しい住居を探した。そして現在、


『たまには温泉も良いですねぇ。露天風呂広いです』


 やっぱり二人して、風呂に入っていた。



 完。

 

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