ノイズキャンセル・シンドローム

乙島紅

第1話 鈴太のヘッドホン


--ジリリリリリ……ジリリリリリ……


--ジリリリリリ……


「……あぁぁぁぁもうっ!」



 僕はベッドから飛び起き、隣接する大学生の姉の部屋を思い切り開けた。年頃の娘の部屋? そんなの知るか。


「起きないなら目覚ましかけんなクソ姉貴!」


 布団の中でもぞもぞと寝返りをうつ姉に代わって、耳障りな音を立てる目覚まし時計を思い切り叩いた。目覚まし時計は飼い主に叱られた犬のようにしゅんとして黙る。


「んー……今日は早起きして、朝活するつもり……」


 その台詞せりふ、何回目だよ。姉はそう言いかけている途中で枕に突っ伏し、二度寝に入った。


 子供部屋のある上階の物音に気付いたのか、一階の台所にいる母さんが二階に向かって声をかけてきた。


鈴太れいたー、もう起きてるの? 早く起きたんなら家事手伝いなさい」


--クソ、誰のせいで早く起きたと。


 僕は仕方なく学校の制服に着替えると、部屋を出る。……いけない、大事なものを忘れていた。部屋に戻り持ってきたのは、昨日買ったばかりのヘッドホン。レザーのような高級感のあるイヤーパッドを見て、思わず笑みがこぼれる。ノイズキャンセリングができて、店内で一番音質の良かったものを選んだ。お年玉や小遣いでコツコツ貯めていた貯金はゼロになったけど、ようやく念願が叶ったのだ。僕はヘッドホンを首にかけて、一階へと降りた。


「おはよう」


 スーツを着た父さんは新聞から顔を上げずにそう言った。なんだ、僕より早起きしてるじゃないか。なんで母さんは父さんには家事をやらせないんだろう。


 リビングのテレビには、毎朝同じ8chのニュース番組が映っている。女子アナの爽やかな黄色のトップスが目に入って、そっと目を背ける。


 僕はこの番組に出ている女子アナが嫌いだ。なぜならインディーズ時代から推していた駆け出しのロックバンドのボーカル・SAKUと不倫なんかしたから。関係を肯定するならまだよかった。しかしこの女子アナは徹底的に否定し、事態をもみ消しにかかった。週刊誌でさえも男の方が強引に迫ったなんて書いたせいで、バンドは活動休止になってしまった。もう何ヶ月か前のすでに風化した話だが、僕は未だに納得いっていない。


『今朝のニュースです。SNSのTubotterで無差別殺害予告と思われる書き込みがあったことについて、警視庁は……』


 リモコンを持ってチャンネルを変えようとすると、台所で弁当を詰めている母さんからブーイングが来た。


「変えないでよー。あとちょっとで占いコーナーなのに」


 知るかよ。僕はヘッドホンをつけ、ノイズキャンセル機能をオンにした。選曲は現在活動休止中のロックバンドの代表曲、『理不尽ガール』。


「こら鈴太! ご飯の時くらい音楽聞くのやめなさい!」


 横目に見えたTV画面でうお座は12位。僕は舌打ちして席を立った。



***



 突然ヘッドホンを奪われ、僕ははっと我にかえる。


「ひどいなー。どんだけ話しかけても無視なんだもん。なにこれ、新しく買ったの?」


 むっと頬を膨らませて僕のヘッドホンを手に取っているのは、同じクラスの吉原はつ


「返せよ」


「やーだー。返したら鈴太が話聞いてくれないもん」


 お前の話なんか聞きたくないからヘッドホンつけてたんだよ、と心の中で突っ込む。しかし吉原はそんなこちらの思いを悟れるような女子じゃない。こういう手合いはさっさと用事を済ませて追い払うに限る。


「じゃあ何、話って」


 不機嫌であることを隠さないトーンだったが、吉原はぱぁっと嬉しそうに顔を輝かせた。


「ちょっとこの問題教えてほしくて。鈴太、数学得意でしょ?」


 吉原に見せられたテキストの問題を見て僕ははっとする。円と三角形が重なり合う複雑な図形問題。そうだ、昨日課題として出されていたが、買い物に夢中で解くのを忘れていたのだ。だがこの程度であれば、時間をかければ解ける。


「これはAとBで中心角が同じだから……」


 さらさらと解をノートに書いていくと、吉原が猫じゃらしを追う猫のように僕のシャープペンシルの動きを追う。頭に乗った巨大な茶髪のおだんごが揺れる。最後まで解き終えると、彼女はクラス中に聞こえるような大きい声で言った。


「鈴太すごーい! 数学博士! お礼に昨日ゲーセンで取ったこの子をあげる」


 周囲を見ると、クラスの皆がニヤニヤと薄ら笑いを浮かべてこちらを見ている。オーケー、お前らが考えてることを当ててやろうか。地味でメガネで文化系でいつも一人でいる僕と、チアリーダーをやってて、スカート丈は常に膝上で、髪も性格も無駄に明るくて、男女共に友達が多い吉原が釣り合わないって言いたいんだろう。こんなギャル、僕の方から願い下げだってのに。だからこそ僕はあのボーカリストの無罪を主張したいのだ。


 吉原は自分のスクールバッグにつけていたキーホルダーを外し、僕に押しつけてきた。最近女子高生たちの間で流行っているという、ゆるキャラ--目つきは悪く、造形も丸みがなくて、全国ゆるキャラ協会的なものがあるとすれば一度ゆるキャラというものの定義を見直した方がいいと提言したいくらいだ--のぬいぐるみだ。僕からしたら不細工なニワトリにしか見えないぬいぐるみは、吉原が腹部を押すと「コケーッ」とざらざらした機械音で鳴いた。


「……別にいらない。気持ちだけで十分」


「えー、せっかくあげようと思ったのに。ねぇ、そういえば今朝さ、Tubotterであのバンドの人のことまた話題になってたよ。鈴太好きだったでしょ? ほら、あの女子アナと不倫したっていうボーカルの」


「その話、どうでもいい」


 僕はヘッドホンをつけ、ノイズキャンセル機能をオンにした。選曲は現役高校生のガールズバンドの新曲、『学校なんてなけりゃいいのに』。


 吉原がまた僕のヘッドホンに手を伸ばしてくるのを避けるように、僕は教室を後にした。吉原が口を尖らせながら後を追ってくる。ついてくんな、トイレだよ。入れ違いで数学教師が教室にやってきて、黒板に何やら書いていたがよく読めなかった。



***



 僕は帰宅部だ。だが課外活動ならすでに充実している。学校帰りに渋谷に寄って、CDショップで新譜を漁るのだ。家に帰れば動画サイトでインディーズバンドの演奏をいくつもチェックして、好みのバンドがないか探す。


 そろそろiPodの充電が切れる。帰りの電車の分は残しておかなければいけない。なぜなら電車は騒音の魔窟だからだ。CDショップのエレベーターの中でiPodの再生を一時停止にした。同じエレベーターに乗り合わせた他校の男子生徒二人が、携帯を見ながら「これやばくね」「渋谷じゃん」「TATSUYAなう、って呟いたら女子から心配リプ来たわ」「まじかよせこいな」と話している。ちらりと見えた画面はSNSだ。お前ら、CDを探しに来たんじゃないのか。僕は少し聖地を汚された気がした。


 しかしそんな気分は行きつけのインディーズフロアに着いた途端に吹っ飛んだ。偶然店内で流れていた弾き語りの曲が、僕の愛するCメジャーブルース。思わず店員にアーティスト名を聞いた。まだ売り出しはじめたばかりのシンガーソングライターなんだそうだ。完全にチェックしそびれていた。これだからインディーズの発掘はやめられない。


 CDショップを出て、向かうはスクランブル交差点。僕はこの場所が大嫌いだ。大勢の人々が携帯を見ながら闊歩かっぽしていて、全く興味のひかれないアイドルのPVが爆音で響いている。そして飛び交う人々の薄っぺらい話し声。


「ハチ公人多すぎ」

「女子の高収入アルバイトは」

「ねぇー今日どこで飲む?」

「Tubotterやばくね」

「やばいやばい」

「お姉さん一人ですか?」

「いえー、違います。人を待ってるの」


 つい聞き覚えのある声がして、僕は辺りを見回し……すぐさま後悔した。


--げ、吉原。


 交差点の向かい側に、明るいおだんご頭の女子高生がいた。スクールバッグにはあのデカいゆるキャラのぬいぐるみがついていて目立っている。くそ、話しかけられたら面倒だ。僕はヘッドホンをつけ、ノイズキャンセル機能をオンにした。選曲は先ほど買ったばかりのシンガーソングライターの曲、『Goodbye People』。


 吉原は僕に気づいたようだ。何やら僕に向かって叫んでいる。何度も何度も。まるで部活でチアをやっているときみたいに必死な顔で。恥ずかしいからやめろよ。どうせ聞こえてないんだから。僕はそっとうつむいて、気づかないふりをした。






--突如、身体の左側を思いっきり殴られたような衝撃。





 痛い……いや、何が起こった?


 周囲の人々は殺虫剤をかけられたアリのように秩序を乱していて。


 朦朧もうろうとする意識の中で僕は事態を把握しようと五感を研ぎ澄ませたが、聞こえるのはアコースティックギターのカッティングとハイトーンな男性ボーカルの声だけだった。




***



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