第4話
HARD BOILED SWING CLUB 第4話
その日、ジャッキーは会場となる大きなテントで空中ブランコの練習をすることにした。
ジャッキーはルルを連れて、そのテントに歩いていった。
中に入ると動物達や団員達がそれぞれに曲芸の練習をしている。
それぞれが熱心に、そして黙々と練習に励んでいる。
そんな団員達や動物達の様子を見ながらジャッキーは会場の正面に目をやった。
円状に作られたステージには赤と青のストライプサテンの垂れ幕が大きく架かっている。
ステージの両端に天井まで伸びている梯子がついた大きな柱が2本あった。
ジャッキーはその柱の天辺を見上げた。
2つの柱の上には人が1~2人乗れるような部分が板で作られていて、ブランコもすでに用意されていた。
(思ったよりも高いな・・・)
ジャッキーがそう思って振り返ると、ルルもジャッキーと同じように柱の上を見上げていた。
その表情は強ばり、緊張しているように見えた。
それを見たジャッキーは近くにいた団員達に指示し、大きなネットを用意するように言った。
団員達はテントの裏に行って、4人がかりで漁業で使うような縄のネットを運んできた。
ジャッキーはそれを柱の両端に設置するように団員達に指示した。
団員達は左右の大きな柱にネットの端が何重にも撒きつけ、次第にネットは宙に浮いて大きなハンモックのようになっていった。
もし空中から誤って落下したとしても、この大きなネットが命を守ってくれる。
・・・しばらくしてネットの設置が終わった。
「大丈夫だから」
ジャッキーは怯えていたルルにそう言った。
ルルは強ばりながらも安堵の表情を見せて頷いた。
ジャッキーは右の柱についている梯子を使って上まで登るようにに指示した。
ジャッキーは左の柱に歩いていき、ゆっくりと梯子に足をかけた。
「ギシッ・・・ギシ・・・」
上っていくと梯子の木の軋む音がする。
ジャッキーは向かえのルルが登っている柱に目を向けた。
ルルはジャッキーが思っていたよりも怯えてはいないようで、梯子をジャッキーよりも早く登っていた。
それを確認したジャッキーは安心して自分の梯子を登りつづけた。
柱の上には人が乗れるくらいの大きさでに木で作られた円状の大きな板が設置されていた。
そこまで登ったジャッキーはその板の上に乗った。
板は無数の釘で打付けてあるので、大人のジャッキーが乗っても安定していた。
ジャッキーは柱に巻きつけてあった命綱を自分の腰のベルトに固く結びつけた。
向かえの柱にいるルルにも大きくジェスチャーして、命綱を付けるように指示した。
ルルも大きな板の上に乗って、柱に巻きつけてある命綱を自分のベルトに結びつけた。
命綱があったことでルルは安心してる様子だった。
・・・柱の下では「何が始まるんだ?」と団員達が集まりだし、柱に登ったジャッキーとルルを見上げていた。
団員達を尻目にジャッキーは手を大きく上げ、ルルに「いつものように!」と指示を出した。
ルルはブランコに掴まり、ジャッキーの方を見ている。
息を止め、ジャッキーが大きく上げた手を振り下ろした。
同時に、ルルは滑り出すようにブランコで宙を飛んだ。
ジャッキーもタイミングを計り、勢いをつけてブランコで宙に飛んだ。
ジャッキーとルルは目で合図し合い、タイミングを見計らってブランコの手を離した。
ジャッキーはルルの、ルルはジャッキーのブランコに飛び移った。
その2人の姿は背筋、腕、足などが直線に伸びている凛とした美しさがあった。
ジャッキーはそのままルルのいた右の柱の板に、ルルはジャッキーがいた左の柱の板に飛び乗った。
一度目の空中ブランコは成功した。
柱の下に集まっていた団員達の「おぉ・・」という感嘆の呟きがジャッキーには聞こえていた。
ジャッキーは安堵の溜息をつき、一度目で成功したことを素直に喜んでいた。
向かえ側にいるルルが満面の笑みを浮かべているのがジャッキーには見えた。
「もう一度!」
ジャッキーはルルに向かって、手を上げた。
ジャッキーとルルはそれから日が暮れるまで、何度も空中ブランコの練習を重ねた・・・。
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・・・サーカス「THE SOFT PARADE」公演の前日の朝。
ジャッキーは目覚めてはいるが、まだ自分のテントの中の簡易ベッドの上だった。
ジャッキーはこの2日間、徹底的にルルと空中ブランコの練習に明け暮れていて激しい筋肉痛と疲れでなかなかベッドから起きれないでいる。
(ルルは頑張ってくれた・・・)
ジャッキーは枕元の小さなキャビネットに目をやった。
そこにはルルからもらったブラウンメタリックの包みのキャンディーが大事に飾られていた。
ジャッキーはこのキャンディーを簡単に食べることはできなかった。
このキャンディーがルルとの大事な絆のような気がしていたからだ。
突然、
「パシィィ!」
テントの外でルルの悲鳴と鞭の音、そして団長の怒号が聞こえた。
ジャッキーはベッドから飛び起きると、急いでテントの外に出た。
外ではうずくまるルルに、団長が何度も鞭を打っていた。
「何で言うことを聞けないんだ!お前は!」
鬼のような形相で団長はルルに向かって鞭を打ちながら、そう言った。
「大事なお客様なんだ、言われる通りやれ!」
両手で頭を押さえ、うずくまるルルを団長は茶色い編み上げのブーツで蹴飛ばした。
ルルは転がり、また背中を丸くしてうずくまった。
泥だらけで赤黒い鞭の跡が無数にあるルルのその姿は、まるで捨てられて傷ついた子猫のようだった。
(大事なお客様・・・?)
ジャッキーは団長の言った言葉の意味が分からずその言葉を反復したが、それよりも心の中にルルに鞭打つ団長に対して憎悪のような感情が沸々と生まれていることに動揺していた。
心の奥底から湧いてくるこの感情はジャッキーには生まれて初めてのものだった。
(やめろ!)
ジャッキーは激しい衝動に駆られていた。
憎悪を込めて見つめるジャッキーの視線に気づいた団長は、ジャッキーを無視しクルッと背を向けてゆっくりと自分のテントに戻って歩いていった。
ジャッキーはうずくまっているルルの側に走った。
「・・・大丈夫かい?」
ジャッキーはルルにどう声をかけていいのか分からなかった。
「・・・・・」
ルルは泣き声を殺し、うずくまりながら震えてる。
何度も話しかけても、ルルは黙ったままだった。
ジャッキーはルルに話しかけることさえできなくなり、うずくまるルルの側で立ち尽くした。
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その日、ジャッキーはルルとの空中ブランコの練習を中止することにした。
ジャッキーは考えていた。
利益主義で冷酷に自分達に鞭を打つ団長、見てみぬ振りをする団員達、奴隷のような生活、見世物としての自分・・・・そしてうずくまる泥だらけのルル。
( うんざりだ )
ジャッキーは自分の生まれ育った環境に初めて否定をしはじめた。
それを考えると冷たい汗が額から流れ落ち、体中が小刻みに震えた。
・・・気がついた時にはこの「THE SOFT PARADE」で生まれ育ったジャッキーは、今まで何も考えず耐えて生きてきた。
団長を親だと思い、鞭を打たれても、殴られても (ここで生きるしかない) と思い込んできた。
しかし、ジャッキーは朝のルルへの鞭を打つ団長の姿を思い出すと自分の中から激しい怒りが込み上げてくる自分の気持ちを誤魔化すことはできなかった。
ジャッキーは団長を憎みはじめた自分の心に恐怖を感じていた。
(あの人を憎むなんて・・俺は何て恐ろしいことを!)
ジャッキーは我に返ろうと頭をブルブルと振った。
目を開けると、そこにはルルがジャッキーにくれたブラウンメタリックの包みのキャンディーがあった。
一生懸命、ブランコに乗るルルの姿、恥ずかしがるような笑顔でキャンディーをくれたルルの姿、泥だらけでうずくまるルルの姿がジャッキーの頭の中に交互に浮かんでいた。
(・・・・逃げよう。ルルを連れて、ここから逃げだすんだ)
ジャッキーはそう考えた。
そしてジャッキーは自分はどんな事になろうが構わないとまで思った。
その感情を抑えきれずに椅子から立ち上がったジャッキーは自分のテントを出た。
そして、ルルのいるテントに向かった。
団長や団員達は会場のあるテントで明日の準備をしているので、周辺には誰もいなかった。
ルルのテントの前でジャッキーは一瞬、立ち止まった。
いつもの無表情、無感情の自分になろうと呼吸を整え、平静を装った。
「入るよ」
ジャッキーはそう言ってルルのテントの中に入った。
そこには簡易ベッドの上でシーツに包まっているルルがいた。
ジャッキーの声と物音に気がついたのか、ルルはシーツの中から顔を出した。
ルルは突然、ジャッキーが来たことに驚いたがすぐに気を取り直した。
「あの・・・今、起きます」
ルルはジャッキーの顔を見た途端、そう呟いた。
「いや・・・今日は中止だ。」
ジャッキーは落ち着いた口調でルルにそう言った。
「・・・・・」
ルルは何も答えずにジャッキーの顔を見つめている。
しばらく沈黙が続いた・・・。
「逃げないか?」
ジャッキーは思いつめた心を吐き出すようにルルにそう言った。
「えっ!?」
ルルは聞き直すようにジャッキーの顔をマジマジと見た。
「明日、初日が終わったらここから逃げるんだ」
ジャッキーはルルの顔を見つめながら、真顔でそう言った。
「逃げる?明日?・・・」
ルルは不安げに呟いた。
「明日、公演が終わったらここを出て、真っ直ぐ行くと67ストリートの看板がある。そこに「HARD BOILED SWING CLUB」というスカルマークの看板のお店があるから、そこで待ち合わせよう」
ジャッキーは強い口調でルルにそう言った。
「・・・・・」
ルルは少し考えているようだった。
「逃げよう。・・もう鞭を打たれるのは嫌だろ?」
ジャッキーはルルの目を見ながら、そう言った。
ルルは目を伏せて考え、何度も自分に言い聞かすように頷きはじめた。
「うん」
ルルは静かに返事をした。
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