Episode.5 取引

「――やれやれ、やっとか」


 エクアとルーイット、二人の駆け出し冒険者が横たわる姿を見ながら、ラゼットは小さな声で呟いた。

 先程ラゼットが渡したのは、即効性のある睡眠薬が入った水。これから数刻程度は目を覚まさない事は、これまで同様の手口から冒険者を攫ってきたラゼット自身が一番よく分かっている。


 ちょうどその時、森の奥からあとの二人――ジェスとドットが、粗い麻でできた袋を持って姿を現した。


「おぉ、ラゼットの旦那の言ってた娘じゃねぇですか。なるほど、確かに売れそうな身体をしてるぜ」

「好事家は〈獣人族セリアン〉なんぞを抱きたがるんだから、気が知れねぇよ。いくら見た目が俺ら〈普人族ヒューマン〉に近いからって、獣じゃねぇか、こんなのは」

「こっちは獣一匹で高い金が手に入るんだ、文句を言わずにさっさと運べ」

「へいへい。っと、旦那ぁ。こっちのガキはどうするんで?」

「男のガキなんざ二束三文にしかならねぇよ。そいつは根城の牢にでも突っ込んで、予定通り俺達は国に帰る。そいつの目が覚める頃にゃ、俺達はとっくに国境を越えてるだろうよ」

「ま、そりゃそうだわ」


 ジェスがルーイットの身体を仰向けに足で転がしながら訊ねつつ、何か金になりそうな物でもないかと懐を漁り始めた。

 そこでようやく、ルーイットのつけている魔導銃に気が付いた。


「おいおい、魔導銃かよ。見ろよ、ドット。玩具で武装してるぜ、このガキ」

「くっくくくっ、なんだそりゃ! 緑小鬼ゴブリン一匹倒すのが関の山じゃねぇか?」

「違ぇねぇ。ちっ、懐漁って損した気分だぜ。旦那ぁ、こいつここで殺して捨てておきましょうや」

「バカな真似するな。殺人はギルドカードに載る。牢の中で飢えて死んでもらう方が面倒もない」


 魔物を倒した際、誰もが魔物の存在力を手に入れる。その残滓を読み取った記録がギルドカードに残るという仕組みがギルドカードにはついているのだが、それによって人を殺めたりすれば、その事実もまたカードに残る。

 仲間が近くで死んだ場合であったり、正当防衛であるかどうか。それを確認するには、どこのギルドにも常駐している査問官――特殊魔法持ちの読心系術者――の尋問に答える事で、初めて無実が証明されるのだ。

 要するに、直接的にルーイットを殺してしまおうものなら、その記録は間違いなくギルドカードに残ってしまうのである。

 冒険者カードは身分証明としても使える。わざわざそんな面倒を起こしてしまえば、査問官に殺しがバレる可能性すらあるのだ。そればかりは御免被りたい、というのがラゼットの本音だ。


「手間だが、面倒事を引き込むよりは余程マシだ。そいつも運べ」

「へいへい」


 ラゼットに言われるままルーイットを担ぎ上げ、エクアはドットに抱き上げられる形で、再び森の奥へと進んでいくのであった。






 背の高い岩に腰掛けながら脚を組み、シャーロットはトントンと自分の膝頭を指先で叩きながら仏頂面をして森の奥を見つめていた。


 ――これだから、冒険者崩れと一緒に仕事をするのは面倒なのよ。

 シャーロットが心の中で嘆息と共に吐き出したのは、そんな愚痴であった。

 冒険者は世間一般的に見ても、荒くれ者が多い。

 美味い話にはすぐに飛びつき、考えなしに罠に嵌まってみたり、根拠もなく自信を持っていたりと、要するに馬鹿が多い――というのが、シャーロットの率直な感想である。

 一流に上り詰めたシャーロットだからこそ、今回のラゼット達の欲をかいた行動は、後々面倒事を引き寄せる愚かな行為になりかねない事を十分に理解している。


「……アイツ、まだこの国にいるのかしら」


 ぼんやりと呟きながら、かつての仲間を思い出す。

 会いたいか会いたくないかと言えば当然前者――会いたい相手だ。とは言え、立場的には今は会いたくないとも言える。もしもこの状況下で出会おうものなら、まず確実に敵対する事は間違いない。なのに、淡い期待を抱いてしまっている辺り、シャーロットの心情は複雑なものであった。


 ――もし会えたら、たくさん話したい事があるのに。

 ふと湧き上がってきた、普段は誰にも見せようともしない本音に小さく首を振って、一つ嘆息。


 気持ちを切り替えたシャーロットの視線の向こうから、ちょうどラゼット達がやって来た。


 岩から飛び降り、ふわりと髪をなびかせたシャーロットは、麻袋を頭に被せられた二人の被害者を見てピクリと眉を動かした。


「二人も捕まえたの?」

「本命はドットが抱えている少女の方ですがね。そっちはどうやら、その少女と組んだ新入り冒険者だったようですよ。まだ若い男ですが、地下牢に繋いでそのまま捨て置こうかと」

「そんな真似したら死ぬわよ?」

「構いません。ギルドカード対策の為に直接手を下せないですし、死んでくれた方が面倒は少ないでしょう」


 短く「あっそ」とだけ答えたシャーロットは、心の中でラゼットのやり口に反吐が出る思いを抱きながらも、反対しようとはしなかった。

 冒険者である以上、命を落とすのは魔物による攻撃だけではなく、同じ冒険者によって故意に死に追いやられる事はままある。確かに可哀想だとは思うが、そこで誰かが助けてくれるにせよ、偶然にも幸運を掴み取って生き残れるにせよ、いずれにしてもそれは本人の運次第だ。

 地下で泣いている少女達には同じ女として何も思わないわけでもなかったが、真っ黒なズボンに靴、真っ黒なコートを着ているのは、どうやら男のようである。


 シャーロットは自分が心から認めた相手でもない限り、男には気安く話しかけられるのも、下卑た視線を向けられるのも大嫌いだ。

 男には運を売ろうとすら到底思わない。

 そんなシャーロットが、じっと担がれた少年を見つめたまま動こうとはしなかった。


「……いかがなさいました、シャーロット嬢?」

「……なんでもないわ。せっかく攫ってきたって言うんだから、そっちの男は私が買い手になってくれそうな客に紹介するわ。とりあえず、他の子とは別の所に監禁しておいてちょうだい。お金はあげるから」

「ただの男が、売れると?」

「ただの男でさえ、お金で買わないと手に入らない――そんな人もいるのよ」

「おや、それはそれは。ともあれ、お金になるというなら構いません。宜しくお願いします。もっとも、もしシャーロット嬢が買うと言うのなら、せめて私に口説く権利を与えてからにしていただきたいものですが――」

「昨日も言ったけれど、調子に乗らないことね。アンタに口説くチャンスを与えるぐらいなら、それこそそっちの子を買うわよ」


 苛立つでもなく、いっそシャーロットの態度を屈服させたいとでも願ったのか、どこか愉悦の混じる粘り気のある視線を意にも介さず、シャーロットはくるりと踵を返した。








 ◆ ◆ ◆







 


 東の方角。

 アッシアから何度も遠回りをさせられて、結局は方向を正すように運ばれた。

 目隠しされてこそいたが、歩いた時間と方向転換の回数、距離にしてアッシアまでは直線にしておよそ一刻半といったところか。

 投げ込まれた牢の壁を見つめながら、俺は改めてこの建物の位置を割り出していた。


 それにしても、古典的と言うか。

 を舐めておいたのは正解だったか。

 エクアは飴玉なんてお菓子だと思い込んでいたみたいだが、アイツにまで丸薬を食わせたところで芝居なんて到底できないだろうし、素直に眠ってもらう方が都合が良かった。


 ともあれオルトリの予想通り、お得意の毒薬――それも後遺症が出ないような深い眠りへと落とすタイプの薬を使う点と言い、ますますもって正体がハッキリしてきたな。

 ラゼットら三人も『普人族ヒューマン至上主義』に傾倒している連中だという事は、さっきのエクアに対する物言いからも窺い知れる。

 ――エクアは男ウケする身体をしている。

 ただし、それはあくまでも「種族に拘らなければ」という前提があってこそ、そう言える言葉でもある。

 このエフェルトアでは〈獣人族セリアン〉だろうが〈森人族エルフ〉だろうが、種族に関する拘りを持つヤツは少ない。別に半血種も珍しくなければ、むしろ王の側室にそれぞれの種族が迎え入れられているぐらいだからな。


 ああして〈獣人族セリアン〉を穢らわしいモノとして見るような物言いは、純粋なアルヴァノ人以外には有り得ない。

 十中八九、オルトリの読み通りアルヴァノ帝国の回し者。

 毒薬なんていう手を使いたがるのも相変わらずだな。


「――それにしても。お前が絡んでるとはな、シャル。いや、シャーロットって名乗ってるんだったか?」

「……まさかとは思ったけれど、その黒衣を見た時に嫌な予感がしたのよね。やっぱりアンタだったのね、ルー」


 身体を起こして牢の鉄格子側を見れば、そこには苦々しい表情を浮かべた桃色がかった白髪を靡かせる美女、シャーロットがこめかみに手を当てながら立っていた。


「久しぶりだな」

「えぇ、二年ぶりかしら。もっとも、今回は依頼主の関係上、敵としての対面になるわけだけど」

「アルヴァノで仕事を引き受けたのが運の尽きだったな。俺はアルヴァノの依頼は基本的に断ってるんでな。必然的にアルヴァノとは敵対する機会が多い」


 Sランクのトレジャーハンターでありながら、その美貌と絶対的な依頼成功率に定評のある凄腕。

 それがコイツ――シャルの正体だ。

 二年前、何度か依頼で手を組んだ事があったが、まさかこんな形で再会する事になるとは、さすがに俺も予想外だった。


「勘違いしないでほしいんだけれど、私はあくまでも伝令。今回の誘拐騒動には直接関わっていないわよ。捕まえるならアイツらだけにしてくれないかしら」

「悪いが、黒幕に通じてる可能性がある以上、お前を素直に見逃すつもりはねぇよ」

「鉄格子の向こう側にいるのに随分と強気な発言ね、とでも普通なら言える状況なんだけれどね……。よりにもよってそんな常識が通じる相手じゃないわね」

「別に言ってもいいと思うぜ?」

「冗談。アンタをこんな鉄格子で囲ったところで、所詮あってないような物だわ」


 確かにシャルの言う通り、こんな鉄格子程度ならすぐにでも打ち破れる。それに加えて、単純に戦闘能力で言えばシャルと俺とじゃ勝負にもならないってことぐらいシャルも理解してるはずだ。

 なのに、どうして素直にここで待ってやがるのか、それがいまいち腑に落ちない。

 理由があるとすれば――――


「ねぇ、ルー。取引しない?」

「取引だと?」

「えぇ。アンタならこの鉄格子を壊すぐらい造作も無い事ぐらい、百も承知よ。なのに私がどうして逃げずにアンタに会いに来たのか。もう見当がついているんじゃない?」

「……俺と取引するため、か?」

「えぇ、正解よ」


 ――――やはり、俺に何か直接持ち込みたい用事があったらしい。


「私はアンタの脱出と、捕まった子たちがいる場所を教えるわ。ま、そっちはついでと言えばついでね。どうせアンタの事だから、私がそんな真似をしなくてもそれぐらいはすぐにできちゃうでしょ。だから、私は幾つかの情報をアンタに売る。代金は、分かるわよね?」

「……お前を見逃せって事か」

「正解。決して悪くない取引だと思わない?」

「どうだか。俺が今、この瞬間に鉄格子越しにお前の足を撃ち抜いてからお前をふん縛っちまえば、わざわざ取引に応じなくて済むぞ」

「それは無理よ。私は私の意思でしか、他人に情報を渡さないわ」


 コイツがそういう女だって事ぐらいは俺も十分に理解している。

 例え拷問にかけられようが女の尊厳を踏み躙られようが、コイツは躊躇なく情報を持ったまま自ら死を選ぶような、そんな徹底したプロ意識を持った女だ。


「情報次第だな」

「前払いはしないわよ。でも、これだけは言えるわ」


 真剣な表情で、シャルがゆっくりと口を開いた。




「――二年前のアリア惨殺の真相に繋がる糸口」




 その言葉を聞いた瞬間、俺の身体の中の血液が沸騰したかのような熱を発して、俺は鉄格子へと一足飛びに近寄り、シャルの胸ぐらを掴んでいた。


「――答えろ。アイツを殺したのは、誰だ」

「ぐ……っ、ちょ、ちょっと落ち着きなさいって……!」


 アリアの声を聞いてハッと我に返った俺は、怒りを呑み込んでシャルの胸元からゆっくりと手を放した。小さく「悪い」と謝罪を口にしてシャルを見やると、シャルは悲痛な面持ちで俺を見つめていた。


「けほっ、はぁ、はぁっ……アンタまだアリアの事を……――ううん、ごめんなさい。なんでもないわ」


 アイツを――アリアを憶えているのは、コイツも同じだろう。

 俺とアリアが二人で組んでいた頃から、シャルとオルトリとは何度も共に手を組んだ事がある。俺達は冒険者として、謂わば仲間同士だった。

 だが、アリアの死の真相を追う為に俺は裏の世界へと飛び込み、シャルやオルトリもそれぞれの道を進んでいる。オルトリはアルヴァノ帝国に対する復讐を、シャルは相変わらずトレジャーハンターとしてではなく、情報屋としての仕事もこなしてるってところだろう。


「……さて、取引は成立ね。アンタには悪いけど、情報は後払いにさせてもらうわよ」


 そう言いながら牢の鍵を外したシャルに手招きされて、俺は地下牢を脱出した。


 同じ地下牢に繋がれたわけでもないのか、すすり泣く声や助けを求める声もここに運ばれるまでの間、一切聞こえてこなかった。

 恐らくここは、元貴族の屋敷。この罪人用の地下牢とは別に、監禁用に牢でも作っていたんだろう。ただの囚人とは一緒にできないような類の連中を繋ぐ牢を別口にこさえているのも珍しくはない。


「捕まった子達は今頃、外で魔導車に乗せられて直に出発する頃よ。下手に急襲しても女の子達を人質に取られたら面倒だわ。せめて女の子達が全員魔導車に乗せられてから事に当たった方が賢明ね」

「エクアは――俺と一緒に運ばれてきた女もそこか?」

「えぇ、一緒よ。そういえば、あの子ってアンタの正体知ってるの?」

「いや、教えていない。せいぜいそれなりに経験を積んでる冒険者ってぐらいには思われてるみたいだがな」

「呆れた。相変わらずの秘密主義ね、アンタ」

「余計なお世話だ。――とにかく、シャル。情報は後で聞かせてもらうぞ」


 短く一言を告げて、外へと向かって走り出した。





「……アンタがアリアを想っているぐらい、アンタを想ってる相手がいるって事ぐらい気付きなさいよね、……バカ」





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