Episode.6 『黒の断罪者』

「――エクア、起きて、エクア……!」


 訴えかける親友の声に、エクアはゆっくりと目を開けた。

 ガタゴトと揺れる、格子越しに見える狭い空。周りには手枷と足枷を嵌められた少女達が、絶望に染まった様子で――しかし涙を堪えて唇を噛んでいたりと、只事ではない事が窺い知れた。


「メ、ル……? メル! 良かった、ずっと捜して……――!」

「バカ……! あたしの事なんて気にしなくて良かったのに、どうしてエクアまで捕まっちゃうのよ……!」

「え……?」


 エクアに告げられたのは、ラゼットら三人組によって自分達は毒を盛られ、そのままこうして今に至っているのだという、エクアにとってみれば予想だにしていなかった事実であった。


「る、ルーイットさんは……? あの人は?」

「あんたと一緒に運ばれてきたっていう男の子のこと? アイツらが話しているのをちらっと聞いただけだけど、もう一人の女に連れて行かれたみたいよ」

「……そんな……」


 思わず口を覆おうとして、今更ながらに気がつく。細く白い腕には、無骨な鉄で作られた手枷がしっかり嵌められているという現実に。

 ジャラジャラと重い音を奏でた手枷から伸びる鎖は、どうやら他の者達の腕と連結されているようであった。


「屋敷を出て、まだそんなに時間が経ってないわ。でも、このままじゃ……」

「ど、どこに向かってるの?」

「アルヴァノよ。私達は、あの国で奴隷として売られるみたい」

「……アルヴァノ……? そ、んな……!」


 獣人族セリアンであり奴隷であった過去を持つ二人は、アルヴァノ帝国が地獄そのものであるという事ぐらいは何度も耳にしてきている。アルヴァノ帝国では『普人族至上主義』が今もなお色濃く残っている。奴隷で、ましてや獣人族では最低限の権利どころか、家畜と同列のように扱われるという国だ。


「ど、どうすればいいの、メル……!」

「この手枷も足枷も、全然外れてくれないわ……。エフェルトア内なら助けだって来てくれるかもしれないけれど、アッシアはアルヴァノ帝国に近い。このままじゃ、数刻と経たない内に国境を越えられちゃう」

「に、逃げなきゃ……!」

「――大事な商品を、そう簡単に逃がしたりはしませんよ」


 唐突に聞こえてきた声に、荷台に詰められるように乗っていた少女達が一様に振り向いた。御者席から繋がる狭い窓は同じく格子が嵌められており、その先ではラゼットが僅かに目を丸くしてエクアを見つめていた。


「あの薬を飲んで、もう目が覚めるとは。毒物に慣れているのかな?」

「……あたしもエクアも、元は奴隷よ。ちょっとやそっとの毒程度なら効かない程度には、色々なものを食べさせられてきたわ」


 エフェルトア王国とて、奴隷はあくまでも奴隷だ。主人の毒味をするような仕事もあるため、奴隷商人のもとでは弱い毒を煽りながら耐性を培うように教育を施される。

 幸い、エクアとメルはそういった世界とは無縁な買い手によって買われ、幸福な日々を過ごしてきたものだが、まさか主人ではなく自分達を狙って毒を盛られるような事態に陥るとは思ってもみなかった、というのが本音であった。


 得心が行ったのか、ラゼットも「なるほど」と呟くと、相変わらずの微笑を湛えたままメルを見つめた。


「元奴隷と言うのなら、そう悲観する事はないでしょう。また奴隷に戻るだけの事ですよ」

「フザけないで! アルヴァノはあたし達を家畜としてしか見ていないじゃない! この国とは違う!」

「フ――アッハハハハッ! 家畜として? それはそれは……――」


 ラゼットの笑みが消え去り、冷たく剣呑な光を宿してメルへと向けられた。


「冗談にしては言葉が過ぎる。貴様らは家畜以下でしかない。正直、家畜の方がまだ幾分かは生産性があるというものだ。所詮は亜人、の分際で自惚れるなよ」

「……ッ!」

「貴様らが私達の為にできる事と言えば、せいぜい惨たらしく、哀れに殺され、その様を見て楽しませる程度だ。もっとも、貴様らのような獣を抱きたがる物好きもいるが、そんなものは娼婦を相手にはできないような特殊な趣味を楽しみたい、狂った連中だ。行き着く末路は死んだ方がマシと思うような地獄か、あるいは貴様ら自身もまた狂ってそれを受け入れるか。――いずれにせよ、地獄は地獄、何も変わらない」


 微笑を湛えていた、優しげな青年といったラゼットの本性が露呈する。荷台の中ではシャーロットの一言によっていざという時の為に泣かないようにと気丈に振る舞っていた少女達が、次々と崩折れるようにすすり泣き始める。

 メルもまた、思わず絶望に言葉を失って俯いた。


 そんな中だった。

 エクアの耳がピクピクと動き、勢い良く顔をあげて虚空を見つめた。


 再びピクピクと動いたかと思えば、エクアは小さく、柔らかく微笑んだ。


「――大丈夫だよ、メル」

「……エクア……?」

「私達はまだ、希望を捨てる必要なんてない」


 ――ほら、聞こえてこない?

 自らの頭頂部にある耳をピクピクと動かしながら、エクアは微笑んだ。


「やっぱり、私が思っていた通りだった。あの人がいれば、私達は大丈夫なんだよ」

「エクア、何を……?」

「みんな、捕まって――!」


 エクアの声と共に、魔導車が烈光に包まれながら激しく横転した。




 運転席の斜め上空辺りから突如として空から襲いかかった、青一色の光の矢。

 左右三対の前輪の足元を狙い定めたかのようなそれは、車体を持ち上げ、滑らせるように転ばせる為の一撃である事は誰の目にも明らかであった。

 運転を担当していたドットが身体を起こすと、ちょうどその時、眼前に誰かが降り立つように着地して姿を見せた。


「――ッ、テメェは……ッ!」


 右手に持ち、ドットらへと向けられた魔導銃の先端に残る、魔導銃特有の射撃後の魔法陣の残滓が薄れていく姿から見ても、魔導車を撃ったのは眼前に佇む男――ルーイットである事は明白であった。


「動くな。下手に動けば、身体がそのまま吹き飛ぶと思え」

「――……んだと……?」


 だが、ドットも起き上がって姿を見せたジェスも、魔導銃というものを知っているからこそ、違和感を覚えずにはいられなかった。

 先述された通り、魔導銃と言えばあくまでも子供の玩具のような代物であり、その力はたかが知れている。属性の魔法にも劣る魔力弾を撃つ程度であり、当たったとしてもせいぜい痣ができる程度が関の山だ。


 ――なら、さっきの一撃は一体なんだ?

 困惑を噛み殺しつつ、しかしただの魔導銃ではないであろう事を悟った二人は、今更ながらにルーイットをただの駆け出し冒険者であると侮ろうとはしていなかった。


「大人しく投降しろ。事件の解決こそ頼まれちゃいるが、お前らの命まで保証するようには言われてないんでな」


 ルーイットが突き出す銃口の先に集まり始める、可視化した魔力の奔流。一切の容赦もなく、一瞬の躊躇もなく撃ち抜くであろう覚悟のある鋭い目線を前に、ドットとジェスは思わず口を噤んだ。


 しかし――その沈黙はただの絶望からではなかった。


 地を這うように肉薄してきた、不可視の一撃がルーイットを捉えようとしたその瞬間、僅かな違和感からそれを察知したルーイットが後方へと高く飛び上がれば、刹那、ルーイットの立っていた地面が巨大な剣によって横薙ぎに斬りつけられたかのように、大地が抉れた。


「――ヘェ……。僕の一撃を避けるとはね。さっきの一撃と言い、今の言葉と言い、やっぱりキミはただの駆け出し冒険者じゃなく、冒険者ギルドの回し者だったという訳か」


 薄ら寒さすら思わせるような笑みを浮かべながら、右手に剣を携えたラゼットが姿を現した。


「残念だったな。お得意の毒も奇襲も、そんな手は目に見えている」

「それはそれは、なかなか自信があるみたいだね」


 軽口で答えてこそみせるが、ラゼットは内心では驚愕していた。

 誰もが油断しかねないタイミングで放たれた、死角から襲いかかる不可視の一撃を避けてみせたのだ。

 ドットやジェスの態度も決してルーイットに警戒心を抱かせるような不自然な仕草は見て取れなかった。考えられるのは、シャーロットを通じて情報が漏れたという可能性。

 だが、ルーイットとシャーロットの間柄を知らないラゼットは、ちらりとその可能性も脳裏を過ぎったものの、いっそこの実力に気付かなかったシャーロットが、一瞬の隙を突いて殺された方がよほど可能性としては高いと判断した。


 ――なるほど、B級程度では手を出せないと判断したか。

 冒険者ギルドが先日こちらに放った冒険者は、恐らくはB級程度の実力はあったであろう。しかしラゼットには、「その程度」と皮肉もなく称する事ができるだけの下地があった。


 何せラゼットは、今でこそ確かにD級までランクを落としてこそいるが、それはかつてより何度も起こった、依頼者との衝突やギルドとのいざこざにより、信用を失ったが故に落ちた境遇。その強さを推し量るには、ギルドランクなどは一切アテにはならない。

 実力だけならば、そう遠くない内にSランクにまで登り詰められるであろう若き天才。それが、かつて周囲がラゼットに対して抱いていた評価である。

 当然、そうして持て囃したのはただの世辞ではなかった。

 ラゼットの実力はラゼットを知るSランクの冒険者達も認めるに値すると首を縦に振る程である。


 正面に対峙するルーイットを、A級か、はたまたS級マイナスに入った冒険者だろうと評価を上方修正した上で、ラゼットはじっとルーイットを見つめた。


「正直に言えば、驚きもしたけれどね。でも、別にこれで打つ手がなくなったって訳じゃないんだ。キミは投降しろと言ったけど、それは逆だよ。この状況で尻尾を巻いて逃げるべきなのは、むしろキミの方だ」


 腰を下ろし、剣の切っ先をルーイットへと向け、自らの身体を弓に番えた矢のように力を溜め、虚空を貫くように放たれた突き。

 明らかに届かない間合いを前に、それでも一切の躊躇もなく放たれた突きの切っ先を見ていたルーイットがふっと首を傾けると、風が突き破るように襲いかかり、ルーイットの黒い髪の数本をはらはらと斬り裂いた。


 驚愕したのは、ドットとジェス、そして突きを放ったラゼット本人であった。


 そんな中、ルーイットが静かに口を開いた。


「――風の特殊属性持ち、だな。斬撃、刺突に魔法を乗せて不可視の一撃を繰り出すんじゃ、間合いなんてあってないようなものだろうな」

「な……ッ!?」

「――だが、所詮は子供騙しのトリックだ。その程度の種を隠し持ってるヤツは、じゃ掃いて捨てるほどいる」

「……ッ、種が割れたところで、キミ程度の実力じゃ僕には勝てないッ!」


 たったの二発で、奥の手とも云える技の正体を見極められた。

 その衝撃に焦燥を感じたのか、ラゼットが連撃を繰り出す。四方八方へと振り抜かれた連撃によって、風の刃が次々と襲いかかる。


 これまで対峙した相手にこの魔剣技の正体を知られた事はある。だが、そんな相手でさえ、ラゼットは屠ってきた。

 いくら一発を見切ったところで連撃ともなれば逃げ道は失われる。

 それを実践できる程の実力は、確かにいずれはS級にも届くであろう剣技と魔法の精密性を持っているというのも頷けるものであった。


 ――――しかし、所詮はS級へと届くかどうか。

 ルーイットが一度瞬きすると、黒い瞳に鮮やかな青い魔法陣が浮かび上がる。


 不可視であった斬撃も、剣の動きと連動するかのように放たれる。

 ルーイットの視界の中では、時間が止まったかのようにゆっくりと、ラゼットが懇切丁寧に解説でもしているかのように剣を振るっているようにさえ見えていた。


 斬撃と斬撃の隙間を縫うように身体を動かし、たったの数歩だけルーイットが動けば、ラゼットの斬撃は大地と虚空を斬り裂くだけに留まり、ルーイットの黒い外套も、髪の一本ですら斬り裂く事もできずに、ただただそよぐ風のように吹き抜けた。

 ただ向かい風の中を歩いてきたとでも言わんばかりにルーイットは黒髪を靡かせながら、呆れとも取れるようなため息を一つ零した。


 驚愕に目を剥いたラゼットが、後退る。


「……ま、さか……、今放った全ての斬撃を、全て読んだとでも、言うつもりなのか……?」

「さっきも言っただろうが。――お前の手は全て、んだよ」

「あ、有り得ない、だろ……――ッ! ……そ、その目の魔法陣……――いや、嘘だ、それこそ有り得ない……! 〈人造魔眼保有者〉は十五年前に全て狩り尽くされたはずじゃ……!」


 遡る事、二十年程前に始まった研究。

 先天的な才能によってのみ発現する魔法を宿した眼――魔眼の力をどうにか後天的に発動させる事はできないかと、当時の魔法国アグラ――現帝国領――が行っていたとされる研究。

 しかし、結果は散々なものに終わった。

 研究所内で人造魔眼の実験対象となっていた被験者が、一斉に武力蜂起し、研究所を壊滅し、そのまま国内へと逃亡。善悪の区別すらつかない被験者達の中には村を襲い、要人を殺した者まで出た。

 それが、魔法国アグラの終末の引き金となった。

 当時から勢力を伸ばしつつあったアルヴァノによって結果的に横槍を入れられる形となり、人造魔眼保有者の討伐の代わりに、魔法国アグラはアルヴァノ帝国の傘下に加わる事となったのだ。

 先天性魔眼と人造魔眼の大きな違いは、先天性魔眼は魔法陣を幻視させると言われており、人造魔眼は誰の目にも明らかなほど、くっきりと魔法陣が浮かび上がる。


 ――――それはまさに、今なおルーイットの目に浮かび上がっている魔法陣のように。


「――オオオォォォッ!」


 唖然と佇むラゼットを守るように、裂帛の気合を伴って隙を窺っていたジェスが両手に持った短剣を振り抜き、ルーイットへと奇襲を仕掛けるも、その攻撃は後方へと飛び退いたルーイットにあっさりと躱された。

 しかしジェスは、その回避にニヤリと口角を上げた。

 相手はラゼットの攻撃すら避けるような化物だ。後方へとわざと逃げ道を作るよう、素早く仕掛けた連撃は、あくまでも囮である。本命は先程から密かに詠唱を開始していたドットの魔法の方にあった。狙い通り後方へと下がったルーイットへ、ドットが放った炎の矢が幾つも飛来し、襲いかかる。


 だが、ルーイットは驚愕に顔を歪ませすらしなかった。


 懐から銃を抜き去ると、初弾を身体を捻って避けてみせ、迫り来る二本目の炎の矢を魔導銃で撃ち抜きながらくるりと横に回り、さらに反対の手に持っていた魔導銃の銃身で三発目の炎の矢を殴りつけて消し去る。さらに後方へと飛びながら四発目を避け、五、六、七と両手の魔導銃で撃ち抜いてみせると、そのまま宙返りして着地――両手の銃口をラゼットとジェス、そして離れた位置にいるドットへと向けた。


「……は、はは……、なん、だよ、そりゃ……」


 思わず乾いた笑いを漏らしながら呟いたドットの声は、妙にその場に鮮明に響き渡っていた。


 涼しい顔をしながら一連の動作を、刹那の間に全ての魔法の弾道すら見切ってやりこなしてみせる。とてつもない速度で動いた訳ではないが、一瞬の判断の過ちで命を落としかねない状況で、あのような対処の仕方をする者はまずいない。

 体内の魔力をそのまま弾丸にするしか能がないはずの魔導銃からは、魔導車一台をあっさりと横転させる程の威力の一撃と、魔法を相殺させる程の連射を可能にし、どんな攻撃すらも全てを見切り、さながら描かれた台本をなぞるかのように涼しい顔をして対処してみせる。


 黒い髪に黒い瞳、誂えたかのような真っ黒な黒衣を身に纏う。

 その姿に、今更ながらにラゼットが何かに気が付いたかのように呟いた。


「……『黒の断罪者』……」


 エフェルトア王国でまことしやかに囁かれる、一人の冒険者。

 冒険者ギルドの切り札――『黒』。


 冒険者が黒い服を着るのも、さして珍しくはない。

 だが、黒い髪に黒い瞳、そして黒衣の、正しく黒一色とでも言うべき目の前の男こそ、ただのお伽話だと一笑に付していた存在。目の前で銃口を向けてくるこの男を指した表現という意味では、紛れも無く『黒』がお似合いだとラゼットは乾いた笑みを浮かべた。

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