Girl's Junction

@hiroumiyu

第1話

「……夢乃ちゃん」


 莉紗さんがあたしを見つめてる。

 涼しげな切れ長の目で見つめられて、体が動かせない。

 次第に近づいてくる莉紗さんの顔。

 ふんわりと莉紗さんのいい匂いがして。

 そして唇が触れた。


 あたしは、生まれて初めてのキスをした。

 その相手は、数日前に会ったばかりの女の人だった。



   ◆



「あー。傘、持ってくれば良かった」


 午前中は、ちょっと雲があって、昨日と違って少しだけ涼しかった。

 雨が降るのかなって思ったけど、朝のテレビの天気予報は、夜から雨だって言ってから、大丈夫だよねって思ったのに。

 ウソつき!


 重く垂れ込めた黒い雲。

 ポツポツと強くなる雨。

 日差しがなくなって、涼しくなったのは嬉しいけど、雨まで降ってこなてもいいのに。


「どうしよう……」


 寮まで、あと一〇分ぐらいかかるし、どこかで雨宿りしなきゃって思うんだけど

 辺りを見渡しても、雨宿りできそうなところは無い。

 コンビニは通り過ぎちゃったし……って、その間にもどんどん雨が強くなってきた。

 遠くでゴロゴロって雷が聞こえる。

 ちょっと濡れるぐらいなら大丈夫かなって思ってたけど、このままじゃ寮に着く頃にはびしょびしょになっちゃう。


「えっと……あ! そうだ」


 あたしはパーカーのフードをかぶると、坂道を走って下った。

 目の前には、青葉川にかかる大きな橋。

 あの橋の下で雨宿りしよっと。


 雨で濡れて滑りやすくなってる足元に気をつけながら土手の遊歩道に下りて

 パタパタと橋の下に逃げ込んだとき、バシャバシャーってバケツをひっくり返したような雨になった。


「ま、間に合った……」


 フードを取って、緩んだリボンをほどいた。

 結んでたところが、少しクセになってる。

 指で髪を梳くと、意外と濡れてたのか、ポタポタと雫が垂れた。

 簡単に髪の毛を結いなおしてから、リュックからハンドタオルを出そうとしたとき。


「……夢乃ちゃん?」

「え?」

「ここよ」

「……あ!」


 誰? って辺りをキョロキョロしたら、ひらひらと手を振ってる莉紗さんがいた。

 でも。


「ど、どうしたんですか? そんなところで」

「え? 雨宿りしてるだけだけど」

「雨宿り? そんなところでですか?」

「だって、立ってたら疲れちゃうじゃない。だから座って本を読もうと思ったのよ。夢乃ちゃん、こっちでお喋りでもしない?」


 莉紗さんがふわっと笑いながら、あたしを手招きしてる。

 いろいろツッコミたいこともあったけど、あたしはリュックを背負い直して、セメントで固められた土手をよじ登る。

 小さいときに、こういうところで遊んだことはあったけど、まさか高校生にもなってこんなことをするなんて。

 何とか莉紗さんが座ってるところまで登ると、ハンドタオルを敷いて、隣に腰を下ろした。


「それにしても、すごい偶然ね。また会えるなんて」

「えっと……もう四度目ですね」

「実を言うとね。また会えるのかなって思ってたの」

「え!」

「だって、昨日も一昨日もここで会ったでしょ? もしかしたら、今日も会えるのかなって」

「莉紗さん……」


 目の前に、楽しそうに笑う莉紗さんの顔があった。

 色素の薄い、ふわっとした髪に涼しげな目元と整った顔。

 フリルのついた白いカットソーの上に、白の薄手のカーディガンを羽織ってて、下は黒のフレアスカート。

 ……やっぱり、キレイな人だなぁ。

 今は座ってるからあまり分からないけど、背も高いし、手足もスラッとしてるし

 出るところは出てるのに、ウエストはキュッと絞まってて……羨ましいなぁ。


「どうしたの? 夢乃ちゃん」

「あ、いえ。……えっと」


 あたしたちは、他愛の無いお喋りをして時間をつぶした。

 先輩後輩でもない、ちょっと年の離れた知り合い。

 それが莉紗さんなんだけど、実はまだ会って四日しか経ってないんだよね。



   ◆



「……何してるんだろ?」


 ハルちゃんの家で夏休みの宿題を終わらせた帰り道、あたしは川沿いの遊歩道を歩いてたんだ。

 橋が見え始めたとき、橋の真ん中辺りに、誰かが立ってるのが見えた。

 初めは気にも留めなかったんだけど、ずっとそこに立ってたから、次第に気になりだした。


 あそこで釣りをする人なんて見たこと無いし、それに何も持ってないみたい。

 ただ、橋の手すりにもたれて、何かを見てるようだった。


 ……何を見てるんだろう?

 振り返ってみたけど、川が流れてるだけだし

 その先には電車のアーチ状の鉄橋があるだけで、特に変わったものは無い。

 答えの出ないまま、その人の顔が分かる場所まで来たんだけど。


「わぁ……」


 あたしは思わず、足を止めた。

 とってもキレイな女の人だった。

 風に揺れる長い髪がキラキラしてる。

 服装もオトナっぽくて、でも、本当に大人ってワケじゃなさそうだから、大学生かな?


 そのとき、パッと閃いた。

 分かった! 美大生なんだね、きっと。

 去年来た、美術の教育実習生の人も、キレイな景色を見ると思わず足を止めちゃうって言ってたし。

 そう言えば、雰囲気も似てる気がする。


「どんな人なんだろう……!」


 ぼーっと、その人を見つめてたら、目が合った気がした。

 慌てて顔を下げる。


「……気のせいだよね」


 あたしは橋の上をチラチラと気にしながら、階段まで歩く。

 視線を感じながら、階段を上って、橋の入り口に出る。

 そして、くるっと振り向いたとき。


「え?」


 ピタッと足が止まっちゃった。

 だって、その人がこっちを見てたんだもん。

 少し困ったような、不思議そうな、そんな戸惑いの表情で、じーっとあたしを見てた。


 ……どうしよう。


 寮に帰るには橋を渡らなくちゃいけないし、でも側を通るってことは、あの人に近づくってことだし。

 だけど、早くしないと学校前の道が暗くなっちゃう。

 木がたくさんあって、街灯も少ないから、怖いんだよね。


 ……よ、よしッ!


 歩道の部分は、すれ違っても余裕があるぐらい広いから、大丈夫なはず。

 あたしはゴクッて息をのんで歩き出す。

 夕日に照らされた白い肌と、ふわふわ揺れる色素の薄い髪に、ついつい目が行っちゃう。

 涼しげな目元に、整った顔立ち。

 背もスラリと高くて、細身のパンツが似合ってた。

 そして、どういうわけか、じーっとあたしを見てる。


 ……ど、どうしよう。


 少しずつ距離が縮まってく。

 ぎゅッ、とリュックの紐を掴む。

 もう、あと三歩ぐらいで、あの人のとこに着いちゃう。

 何かいろいろ耐え切れなくて、走って通り過ぎようかなって思ったら。


「……何か、用なの?」

「ひッ。ひゃ、ひゃい!」


 あたしは金縛りにあったみたいになった。

 声も上手く出てくれない。

 背筋がゾクゾクじて、体がカタカタと震えちゃう。


 ……どうしよう? 謝れば許してくれるかな? でも、怒ってるワケじゃないみたいだし……それに何を謝るんだろう?


 いろいろ考えたけど、どうしていいか分からなくて。


「あ、あの! あたし、帰る途中なんです!」

「……は?」

「橋を渡って、その……」

「……ふっ」

「え?」

「ふふッ……あはははは」


 何で大笑いしてるのか、全く分からなかったけど、あたしは、その人をぽーっと見てた。

 こんなに大きく口を開けて笑ってるのに、キレイな人はキレイなんだな……って。


「ごめんなさい。急に笑ったりして」

「あ、いえ、別に……」

「あなたにね、にらまれた気がしたのよ」

「えッ! あ、あたし、別ににらんでなんか」

「でも、下でわたしを見上げてたと思ったら、こっちにずんずん近づいて来るんだもの。何か言われるかと思っちゃった」


 笑顔のまま、その女の人は体の向きを戻して、手すりに寄りかかった。

 あたしも隣に並んで、景色を眺める。

 アーチ状の鉄橋の向こうに、オレンジに見え始めた太陽があって、川の水がキラキラしてた。


 ……そう言えば、この人は何で、ずっとここから眺めてたんだろう?

 あたしもキレイだなって思うけど、あんなにずーっと見たことは、そんなに……あ!


「あの、もしかして、引っ越してきたんですか?」

「……何で?」

「あたしも、こっちに引っ越してきたばかりのとき、いいなって思ったんです」

「え? 何を?」

「え、この景色ですけど」

「景色?」


 女の人は不思議そうに、あたしを見て。


「わたしが、景色を見てたって思ったの?」

「えッ! 違うんですか?」

「そんなふうに見えた?」

「はい。絵を描いたり、写真を撮ったりする人なのかなって」

「……ふッ、ふふふ……」


 その女の人は、口元を押さえて笑い出した。笑顔がやっぱりキレイだった。


「そっか。そんなふうに見えたんだ」

「違うんですね……」

「そうね。あ、理由を聞いてもいい?」

「え? 理由ですか? うーん……キレイだからかなぁ」

「景色が?」

「いえ、えっと……」


 何て呼びかければいいんだろう? いろいろ考えて。


「あの、お姉さんが、キレイだったから」

「……フッ、フフフッ、あはははは」


 堪えきれなくなったのか、とうとう大きな口を開けて笑い出した。『お姉さん』がおかしかったのかなぁ。

 でも、他にいい呼び方が思いつかなかったんだもん。


「ごめん……何か、ツボに……ふふふッ」

「ご、ごめんなさい! あの、あ、あたし」

「ううん、謝らないで。別にあなたが……」


 そこまで言って、その女の人はちょっと考えてから。


「ねぇ。名前を教えてくれる? わたしは莉紗」

「えっと、夢乃です」

「夢乃ちゃんか……いい名前ね」

「あ、ありがとうございます」

「……夢乃ちゃんって、天然?」

「へ? テンネン?」

「お友達に言われない?」

「い、いえ。全く……」

「そう? それなら、わたしがツボなのね」


 そう言って、莉紗さんは目を細めて、川を眺めた。

 サーッと川の上を吹いてきた風に舞う髪の毛。

 そして、とっても楽しそうな横顔。

 よく分かんないけど、目が離せない。

 いつまでも、いつまでも眺めていたいなって。


「ん? 何か顔についてる?」

「キレイだなって……」

「……え?」


 莉紗さんが、不思議そうな顔で、あたしを見た。

 その瞬間、カーッと身体が熱くなった。恥しくなって顔を下げたんだけど。


「……何故かしら」

「え?」


 顔を上げると、莉紗さんと目があった。

 でも、さっきとは表情が違って見える。

 とっても優しい目で、あたしをじっと見てる。

 だからなのか分からないけど、あたしは莉紗さんから目をそらせなかった。


「ううん、何でもないわ。ありがとう」

「あ、いえ……」

「でも、本当にありがとう」

「……?」

「さて、帰ろうかな。ごめんね、引き止めちゃって」


 莉紗さんは、カツカツとヒールを鳴らして、あたしの横を通り過ぎて行ってしまった。

 あたしは、ふわふわ揺れる髪の毛が見えなくなるまで、ずっと莉紗さんが行ってしまった方を眺めてた。

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