36.本来は有り難い「他力本願」
「8.昔とは意味が異なる言葉、近世に生まれた言葉」でも話題に挙げたように、言葉というものは日々刻々そのあり方を変化させるもの。本来の意味から大きく離れた使い方をされている言葉も少なくありません。
今回はその典型例の一つ「他力本願」という言葉を取り上げたいと思います。
さて、皆さんは「他力本願」と聞くとどんな意味を思い浮かべるでしょうか?
恐らく、多くの方は「自分の力ではなく他人の力をあてにすること」のように、ネガティブなイメージをお持ちなのではないかと思います。
私も日常会話等では、おおよそそのような意味で使っています。
しかしながら、この「他力本願」を辞書で引いてみると、実に意外な語釈が目に飛び込んできます。以下はおなじみ「デジタル大辞泉」からの引用です。
”
1 《他力(阿弥陀仏)の本願の意》仏語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉。
2 《誤用が定着したものか》俗に、自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。
”
上記のように、本来「他力本願(本願他力とも)」は『阿弥陀仏の本願によって救済されること』を表す、有り難い仏教(浄土教)の言葉なのですね。
恥ずかしながら、私も成人するまでこの本来の意味を知りませんでした。
「結局、仏様にすがるのだから『人任せ』という意味なのでは?」と思われる方もいるかもしれませんが、それも誤解であり、どちらかと言うと『阿弥陀如来の衆生を救おうという請願(願い)』の事を指すそうです。
人々が仏様に「助けてくれー!」と言っているのではなく、仏様が「人々を救おう!」としてくれている訳ですね。
人間の力の及ばぬ部分を仏の力で救うことを意味するのが、本来の「他力本願」と言ったところでしょうか?
――実際にはもう少し深いお話ですので、興味のある方は浄土真宗のお坊さんにきちんとお話を聞いて頂ければと思います。
さて、上記のように本来は実に有り難い言葉である「他力本願」ですが、実際には殆どの方が『人任せ』の意味で使っておりますので、そちらの意味で使っていても「誤用だ!」と指摘されることは無いと思われます。ですが……少々気を付けなければならない場合もあります。
十年以上前のことですが、とある企業がキャッチコピーで「他力本願」を『人任せ』の意味で使ったところ、浄土真宗の関連団体から結構なお叱りを受けたそうです。
また、石原慎太郎・元東京都知事も度々「他力本願」を悪い意味で使っていた為に、抗議を受けた事があるのだとか……。
影響力のある企業や公人が、大々的に「他力本願」を使うことは避けた方が良いのかもしれません。
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