5 地人と翼人

「起きろっ!」


 タウは耳もとで発せられた高い声に眠りを破られた。起きようと動きかけて、その身が鉛のように重い事に気付く。目を瞑ったまま、心臓は激しく鼓動した。


 もしかしたら、地に来た影響かもしれない! 


 助けを求めるように咽から声を絞り出す。


「ファイ……動けない……」

「あったりまえじゃない。私が乗ってるんだもん」


 ぱちっと目を開けると、イクロの意地悪そうな笑顔が目の前にある。


「イぃ……!」

「さ、起きなさいよ。町に行くんでしょ」

「じゃあどいてよっ」

「はいはいはい」


 おどけたように立ちあがると、イクロは鼻歌を歌い出した。タウはため息をつきながら立ちあがり、ふと思い出す。


「イクロ……機嫌がいいね……」

「そう?」


 今にも歌い出しそうなイクロに、タウはほっとした笑みを洩らした。


「えっと、『マチ』? マチって何?」

「だって、地人を見に行くんでしょ? ファイがそう言ってたわよ。 地人が集まってるところを、そう言うんだって」


 ファイという名前を出して、少しだけイクロは眉をひそめた。が、気を取り直したようにまた鼻歌を歌い出す。


「そういえば、ファイは」

「水を汲みに。不便よね、地人は。食べなくちゃ生きていけないんだもん」

「僕たちもそうだよ」

「馬鹿ねっ。毎日毎日食べなくちゃならない地人と一緒にしないでよ!」


 イクロはそう言ってタウに近づいてくると、タウの被っていた毛布を拾い、タウにつき付けた。


「ちゃんと片付けて」

「……」


 タウはそれを受け取ると、丁寧にたたみだした。腕を組んで手伝おうともせずにイクロがそれを見下ろす。鼻歌を歌わずに、静かに見下ろしていた。


「ねぇ、タウ」

「んー?」

「どうして、地人なんか見に行くの?」


 タウにはイクロの表情は見えなかった。けど、その声の響きから少しだけ不満そうなことがよくわかる。


「どうしてって……知りたいからだよ」

「地人を?」

「だって、ヨバルスの泣く原因、本当のことわからないじゃないか」


 たたみ終えて、タウは顔を上げた。イクロの真剣な顔を前にして、少しだけ目を見開いた。


「本当に、ヨバルスが泣く原因が地人たちのせいだとしても」

「そうに決まってるじゃない」

「待って、ちゃんと聞いてよ!」


 イクロは文句を言いかけて、それでも口をつぐんだ。それを見てからタウが言う。


「地人には地人の理由があるかもしれないんだよ。どうするにしても、それを知りたいんだよ」


「んで? 地人がそれ相応の理由でヨバルスを泣かせてて、私たちがどんどん死んじゃっても、タウはにこにこして我慢するのね」


「ちがうよ」

「違わないわよ」


「イクロは決めつけすぎだよ! 僕たちは何も知らなさすぎなんだよ。 まずはヨバルスの泣く原因を知らないと。それを見つけないと……」


「じゃあ、ヨバルスの一枝を探しましょうよ」


「それでも、地人に聞かないと……」


「……タウは……。ここが好きなのね」


 急に声の高さが下がったイクロの声に、タウはぎょっとした。さっきまでの機嫌のよさが嘘のように、イクロは少し泣きそうで、怒っている目でタウを見る。


「ファイみたいに、ここに惹かれてるんだ。だから、地人に会いたいって言うんだ」

「違うよ、イクロ。僕は……」


 イクロの顔は、ほとんど泣きそうだった。


「タウも、行っちゃうんだ」

「イクロ、違う……」


 大粒の涙が、イクロの睫毛に引っかかる。タウはあたふたとしてしまった。イクロの涙には慣れてない。


「僕は空が好きだから。ヨバルスが好きだから。だから、大丈夫だよ」


 ファイが地に求めているものも気にはなるけど。睫毛に引っかかった涙に、そろそろと手を伸ばし触れると、それはすぅっとイクロの頬を伝って落ちた。


 いつも強気なイクロがすごく頼り無く見えて、タウはどきどきした。無意識に、その涙の流れた跡に……その頬に唇を近づける。


「どこにも、行かないよ」


 柔かな曲線を描いた頬に唇をつけると、イクロが驚いたように目を見開いた。


「タウ?」

「っぁ……。ご、ごめん!」


 飛びずさり、顔を真っ赤にするタウをイクロはしばらく見つめていたが、弾けるように笑い出した。ので、タウはますます顔を赤らめてしまう。


「イクロ!」


 少し腹立たしくなってきた。


「ごめん、ごめん。何もそんなに謝らなくても……」


 と、イクロが近づいてきて、タウの両手を握り締めた。向かい合って両手を繋ぎ、しばらくぶらぶらと揺らしているのを見つめながら、イクロは小さく呟いた。


 小さすぎて解らなかったけど、タウにはちゃんと伝わっていた。それは小さな頃からの儀式みたいなものだったから。


「お前達、本当に恥ずかしいな……」


 戸口から声をかけられて、二人はぱっと手を離した。ファイが優しい目でこちらを見て、口元に笑みを浮かべている。


「いつから居たの?」


 どきどきしながら、タウはそう聞く。水瓶を持って、窯に近づいていくファイを目で追いながら。ファイは笑いながら、言った。


「内緒」

「気になるじゃないか」

「まだその仲直りの仕方してるんだな……」


 懐かしそうなファイの呟きに、タウとイクロは顔を見合わせた。イクロがふんっと顔を反らす。


「関係ないでしょ」


「気付いただろ? イクロ」


 ファイはそう言うと、水を窯にかけてこちらを振り向いた。


「何をよ」

「……お前の今の、だよ」


 意味深にそう言うと、ファイは小さなパンを戸棚から取り出した。かちかちに硬いそれを、窯の近くの余熱で温める。


「町に行く前に、一つだけ言っておきたいことがある」


 ファイは自ら話題を変え、少しだけ厳しい口調でそう言った。


「この外套を着て、ちゃんと頭を隠してくれ。ヨバルズシアだと知られたら大事だからな。ヨバルズシアを崇める奴も居るが、悪の使いだと思う奴もいる。余計な混乱は招きたくない」


 ファイはそう言い、イクロを見た。


「それから、絶対に歌を歌うな」

「どうしてよ」


「空では風が伝えて良い響きと悪い響きを知ってた。だから、お前の歌は皆が聞いても平気だったんだ。

 ここの風はそんなことどうでもいいと思う力さえないんだ。ただ風として存在するだけだ。おまえが歌うとな、全てが伝わる」


「どういうこと?」


「とにかく、歌うな。もし、歌って……それが地人に災いをもたらすようなら」


 ファイはその目に一層強い光を浮かべた。


「俺はお前を、殺さないといけなくなるからな」

「ファイ!」


 イクロが身体を強張らせ、タウが非難の声を上げた。


「俺は、地人になったんだよ。タウ。

 最終的には、地人を選ぶ。ここで食べたり眠れたりするってことは、そうやって生きることを選んだってことなんだ。

 自分の意思でそれを選んだんだ」


 タウは眉をひそめた。すごくファイが遠くなった気がした。


 イクロを殺さないといけなくなると言いきったファイが……。


「それが、ファイの欲しかったもの?」


 ファイは無言で顔をそらした。そうして、部屋には湯の沸きはじめた音だけが響いていた。


「最低」


 イクロがぽつりと呟いた。


「本当に、あんたは地人だわ。『殺す』ことを躊躇しない。地人だわ」


「イクロ」


 タウがたしなめるように呼ぶと、ファイは少しだけ笑った。


「そうだ。イクロ」


 タウが忙しなく視線を二人の間で行き来させた。


「俺はもう、ヨバルズシアじゃない」


 そう言って静かにお茶を器に注ぎ出した。


「守りたいものが、変わったんだ」


 イクロはファイを睨みつけたまま、無言だった。歌を歌わない……歌えない。


 それがイクロにとってどういうことか、まだタウにはよくわからなかった。







 馬と言う生き物にタウは始めて乗った。前にイクロが座り、タウは手綱を握り締めてあたふたと操作する。コツはすぐに掴めた。それを見てファイがうれしそうに目を細めたのをタウは見逃さなかった。


 空に居たころ、タウに風と仲良くなる方法を教えたのはファイだった。もちろんイクロも一緒に。ファイは滅多に褒めてくれなかったけど、タウやイクロが上手に風に乗せてもらえるようになったとき、うれしそうに目を細めた。その表情を見るのがタウは大好きだった。


 最初、イクロはファイの馬に乗る予定だったけど、イクロがすごく嫌がったから、こうしてタウと同じ馬に乗っている。イクロはあれから無言だった。鬣に手を置いて、その自分の手をじっと見つめたまま動かない。


 タウは小さくため息をついた。


 ファイとイクロ。ファイと僕。

 こんなに距離が離れてしまった。

『殺す』の一言で、こんなに……。


 地人は、そういうの平気なんだろうか?


 ファイは想像してみようとした。自分が仲間を殺す……。想像して首を振った。


 ありえない。

 どうしてそんなことが地人には出来るんだろうか?


 道中、ずっと無言だった。タウもファイに何を話しかけたらいいかわからないし、ファイもそんなタウとイクロに何も話しかけようとしなかった。


 ただ、ファイが身につけている鎧がカチャカチャと音を立てている。嫌な音だと、タウは思った。


 町をいくつも通りぬければ、ラグ王国の首都につくという。美しい湖の湖畔にある綺麗な町だとファイはうれしそうに言った。


『竜たちの領域』を抜けて、最初についた町でタウたちは休息をした。賑やかな場所……市と言って食べるものや着るものを売っているところの近くで、ファイは馬から降りた。


 売るということ買うということが、タウにはあまりよくわからなかった。自分たちの着ている服や持っているものは、誰かが作ってくれたものだったりする。


 お金というものがどんなものなのか、ファイに聞くとファイはちょっと難しそうな顔をした。


「まぁ、物と物の交換をやりやすくするための、ものかな」


 そう言ってファイは財布を取りだし、食料を買ってくると言って、二人を置いて人ごみに入っていく。


 くれぐれもここを動くなということと、あまり目立つ事をするなと言って。


 目立つ事をするなと言っても、誰もタウやイクロを気にかけないようだった。目の前を足早に通りすぎる人々。また、口々にする言葉が重なって、喧騒を生んでいた。


 二人は馬を下り、タウは馬の傍に立ち、イクロは近くに座り込んでいた。


「うるさいわね」


 膝を抱えて座りこみ、地面を見つめていたイクロはそう呟いた。


「そうだねぇ。賑やかだね」

「なんでこんなに居るのかしら」


 タウとイクロは翼を見せないように、頭巾を深くかぶっていた。イクロは頭巾の上から自分の頭を抑えこむ。


「なんで、私たちは少なくなって行くのに。地人はこんなにいるのかしら」


 不満をこめてそう呟くイクロを、タウは見下ろしていた。イクロは胸に手を当てて、何かをぎゅっと握り締めた。


(ヨバルスの一枝……)


 それが入った小袋を握り締めているのだろう。イクロは、すくっと立ち上がると、それを怪訝そうに見つめるタウに真剣な顔で言った。


「歌いたいわ」

「イクロ……! 駄目だよ」

「どうしてよ。私、駄目だわ。なんだか思いが溢れてきて、歌わないと、どこか行ってしまうんだから」


 タウはイクロの二の腕を掴んだ。


「駄目だよ。イクロ。ファイが言ってただろう?」

「……タウはわからないのよ。……『歌姫』って一体何なのか」


 強い瞳の光に気圧されてしまう。イクロは大きく目を見開いてタウを見つめた。


「物言わぬ風だって、本当は……」


 思いつめたような呟きに、タウは眉を寄せる。イクロはすぅっと息を吸いこむ。


「だっ……」


 タウはそれを止めようとした。けど、イクロは声にしてしまった。

 歌を。


 






 そんな響きの歌を、タウは聞いた事がなかった。イクロの口から朗々と流れるその響きを、タウは放心したように聞いていた。


 そして、違和感を感じて我に返って、周りを見まわす。


 音が。ざわついていたそれが、ぴたりと止んでいた。


 回りにいた沢山の人々が、立ち止まり、動きを止めていたのだ。果物を手に持ち、お金と交換しかけている地人も、子供をあやしながら物を覗きこんでいる地人も、その子供も。


 口を開けたまま、けどその口からは音を洩らさずに、みなが不思議そうに立ち尽くしていた。


(涙?)


 タウは全ての人々の目に光るそれを認めた。


 その目からは涙が零れ落ちていた。

 皆、自分が泣いていることに戸惑っているようだ。


(イクロ!)


 イクロの歌のせいだとしか思えなかった。


「イクロ」


 人々はその場に座りこんだり、自分の目に掌をやったりして泣いている。静かに涙をこぼしている。


 その止まってしまった人々の動きを、掻い潜るようにしてファイが駆け寄って来た。


 イクロはそんなファイを睨みつけるように見つめながら、歌を止めようとしない。


「イクロ」


 タウはもう1度呼んだ。ファイの険しい表情に怖気ついているのは自分だけで、イクロは挑むように見つめている。ファイは二人の前で立ち止まり、イクロを一瞥した。怒鳴られるかと方をすくめたタウだったが、ファイは急いで近くの柱に結び付けていた馬の手綱を解いて、片方をタウに投げた。


「乗れ。離れるぞ。イクロ、歌を止めて早く乗るんだ!」 


 イクロはそれに逆らうように歌いつづけた。ファイはイクロに近寄り、険しい表情のまま彼女を抱き上げて、自分の馬に乗せた。


「何するの! 触らないで、よ!」

「タウ! 早くしろ。気付かれたいのか!」


 タウはあたふたと二人を見て、急いで馬に飛び乗った。それ以上何も言わずに馬を走らせるファイの後に続くように、タウも馬を走らせた。


 何度も何度も落ちそうになりながら、その町から遠く遠く離れるところまで、一気に駆けて行った。


 ファイが本当にイクロを殺さないように願いながら。


 





「歌ったら……どうするって俺は言った?」


 遠く離れたところで、ファイは馬を徐々に減速させた。道を外れ、少し森の中に入ったところで降り立つ。


 木に馬の手綱を括りつけるときも、ファイはイクロの腕を掴んだままだった。


「痛いわよ! 離してよ! はなして!!」

「どうするって、言った? 覚えているだろう」


 淡々と問うファイをイクロはキッと睨みあげる。


「殺すんなら殺せばいいわ! 殺しなさいよ! もう翼人ではないって証明したらいいんだわ!!」


 イクロはファイの冷たい目に噛みつくように叫んだ。ファイはそんなイクロの目を見つめていたが、しばらくして大きく溜息をつく。


「……歌姫を同行させた意味は、そういうことだって思っていいのか」


 タウは戸惑ったようにファイを見上げる。イクロはファイを睨みつけたまま動かない。


「そういうことか? タウ」


 タウにファイはそう問いかけた。抑揚の無い声に、静かな怒りを感じ取りながらタウはそっと聞き返す。


「そういうことって?」

「あんなことになるなんて、私だって思わなかったわよ。タウのせいじゃないし、ましてやルズカル様のせいでもないわ」


 イクロはそう言って、ファイの視線を自分に戻す。


「私は風の思いを歌っただけ。そうしないと、風が通り過ぎるたびに、私の中で弾けそうになるのよ!」

「歌姫って……そうなの?」


 タウがそう言うと、イクロは小さく頷いた。


「歌姫は、風の思いを歌うのよ。ここの風は何も言わない分、思いが強すぎるの」

「みんなが泣き出したのは」


 タウが自分の中に何かを思い巡らしながら、そう言ってイクロを見つめた。


「風が悲しいって思ってるから?」

「そうじゃないの?」

「ファイは、知ってたの? そういうことが起こるかもしれないって。だから、イクロに歌うなっていったの」


 ファイはしばらく何の反応もせずに、イクロを見つめたままだったが、ふいと視線を外すと頷いた。そして、前髪をかき上げる。


「そうだ」

「イクロを……殺すの?」

「……殺さない。泣いただけだったからな」

「どうしたら、殺すはずだったの」


 タウはそう聞いた。その答えはわかっていたけど。


「地人がイクロの歌で死んじゃったら?」


 イクロが肩を微かに震わせたけど、その顔は無表情なままだった。


「ってことは、地上の風が……そう思っているかもしれないって……ファイは」

「タウ、シータ姫に会わないか」


 ファイは答えずに、そう聞いた。ファイが敢えて答えなかった事に、イクロも何も言わなかった。


「シータ姫……」


 タウはファイを見上げた。


「会ってどうするの」

「会ってみて、それだけでいいだろう。彼女は、ヨバルスの一枝の継承者だ」

「ヨバルスの一枝の……継承?」

「そして、それが争いの種なんだ」


 ファイはそう言うと、小さく笑った。

 そうやって笑って、ファイは大きく息をつく。


「今日はここで、休もう」


 いつもなら文句を言うイクロが無言のままであったことが、いつもと違う何かを感じさせる。タウはただ頷いた。頷いて……地人のことを考えてみた。

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