塔の中で医者は笑う

ぽこぺん

第1話

 それは何時から建っていたのか。

 天にまで聳える塔。頂点すら見えないそれは不思議な魔力を帯び、虫を誘う花々の様に人を集めた。

 塔の中は人外魔境。広大な迷宮に魔物が蠢き、頂上を目指す者に牙を向けて拒む。まるで何かを守るように。

 それが意味を成すように塔の中には幾数の財宝が眠っていた。金銀宝石、宝剣や魔剣。古に忘れられた魔導書や禁書の類。まさに一攫千金の代物ばかり。

 そして、塔の散策が進むに連れて明かされていく謎。それはとある階の壁に書かれた一文の発見に始まった。

 

『この塔を踏破せし者に我の謁見を許す。

 幾多の死地を超え、幾万の死体を築いて登れ。英知を絞り、体力の限界を超えて、天空へ駆け上がれ。

 この塔の頂で全ての財を持って、我は待つ。

 名は魔王。この塔の創造者にして支配者なり』


 この一文を知ってか知らぬか、人々は財を求めて今日も塔を登る。

 明日の暮らしの為、己が為、居るかも解らぬ魔王討伐の為。

              ◇

【第一層 緑林大迷宮 五階】

 塔の中だと言うのに生い茂る木々や草。ぬかるむ土。おまけに屋内だと言うのにスコールが降る。この塔は可笑しな事ばかり起こる。

 何らかの魔術なのか、はたまた集団的幻術か。どちらにしろ途方もない技術である。

「ニコル。もっと木陰に入らないと濡れるぞ」

 仲間のチャッグが心配そうに声を掛けてくる。

「ああ、そうだな」

「全く勘弁してよね、雨なんて。火も起こせないじゃない」

 木陰の奥で縮こまるリーナが不満気な表情でぼやく。

「そもそも塔内で雨てって何よ! 空には雲まで浮かんで、太陽も月も昇る。本当にここが塔かも疑いたくもなるわ」

「まあまあ、お陰で時間や日数が解りやすくて助かるじゃないか」

 外と塔内の空は同調しているらしく、ほぼ同じ星の動きをする。

 確か今日で探索5日目か。そろそろリーナの愚図り出す頃だな。

「あーもう嫌だ。街に戻って湯浴みしたいし、保存食も食べ飽きた」

「確かに。リーナじゃないが、そろそろ街に戻って酒飲みてーな」

 それに同意してかチャッグも愚痴る。

 まあ、二人の意見に同意する訳ではないが、食糧も少なくなってきたし、そろそろ降りる頃合いか。

「そうだな、目標の稼ぎは果たしたし、準備した物もの大分消費したから、今回はこの辺りで戻るとするか」

「流石はニコル。話が分かるリーダーで助かるぜ」

「ただし、薬師に頼まれた解毒草を見つけてからな。スコールが上がったら探索して、さっさと降りるとしよう」

「了解よ。薬草探しなんて楽勝よね」

「この階の魔物も大分楽に狩れるようになってきたからな。そろそろ次の階層を目指してみるのも悪くないんじゃないか、ニコル?」

「そうだな。だが、大きな問題がある」

「なんだよ、問題って?」

「五日も過ぎるとリーナが帰りたいとぐずる」

「ははっ! 確かにそれは大問題だな」

「ちょっと、それじゃあ私が我儘みたい言い方じゃない!」

「違うのか? そう言えば今日は五日目じゃなかったかな?」

 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべてチャッグがリーナの顔を覗き見る。

「わ、私だって上を目指す冒険者の一人ですもの。一週間や二週間の野営生活くらい大したこと無いんだからね!」

 とムキになってリーナが言う。

「それなら次の探索は倍の日数を掛けて、第二層辺りまで足を伸ばしてみるか。なあ、チャッグ?」

「悪くないねー。リーナもやる気みたいだし、これを期に狩場を増やすのは賛成だ」

「えっ? ちょっと、二人とも本気なの?」

「さあね。とりあえず、上の階に向かう話は街に戻ってからにしよう」

 雨脚が弱くなってくる。スコールが通り過ぎたようだな。

「直に雨が上がる。移動する準備だ。南西にある薬草の発生源に向かうぞ」

「あいよ、さっさと済ませて切り上げようぜ」

「了解。ねえ、さっきの話は冗談よね?」


 塔の内部が可笑しな事が起きるなら、塔にあるものも不思議なものばかりである。

 ここにあるものが全て地上にはない、何らかの進化を遂げたものだらけ。未知で溢れている。

 故に多くの冒険者はこれを持ち帰り、地上にいる学者や医者に売るだけで大金を得る事が出来る。

 が、それも過去の話。中層までの生態系はこの二百年余りで解明された。

 今では街の薬師に薬の材料を頼まれ日銭を稼ぐ程度。塔を登る冒険者としては幾らでも金がある方が良い。それに彼等が作る薬も必要不可欠だ。

「大体こんなものか」

 革袋にパンパンになるまで詰めた石化を解くための解毒草。これだけ有れば依頼主も文句もないだろ。

「そろそろ引き上げるぞ。リーナ、チャッグ」

「はーい。あーあーローブの裾が泥だらけになっちゃった。早く着替えたい」

「全くリーナは文句が多いな。ちなみに顔にも泥が跳ねてるぞ」

「えっ、嘘?」

 急いで顔をハンカチで拭く。

「しかし、よくこんなに穴場を見つけたな。誰も手を付けてない薬草の発生源がまだあるとはな」

「ああ、この前の探索の時に見つけたんだ。この浅い階層でもまだ手付かずの場所が有るなんて珍しいから覚えていたんだ」

 この第一階層は殆ど人の手が回り財宝も採掘も皆無。薬草類も再生が早いが効力の薄いものが数か月に生える程度。

「これなら上の階に行かなくてもそれなりの稼ぎになるだろう。石化の解毒草なんて中層まで行かないと見つからない代物だからな」

「そうだな。わざわざ危険な場所に行かなくても済むのは助かるな」

「これから偶には依頼を受けてお邪魔しよう。採りすぎると直ぐに無くなるからな」

「だな。じゃあ、早速浮いたお金で酒を飲みに行くとしますか」

「おいおい。浮いた分は上に行く準備に使うんだろう」

「ケチ臭い事言うなよ。こんだけの解毒草だ、少しくらい遊行費に使っても良いだろう」

「ったく、調子の良い事を。まあ偶には美味い物をたらふく食うのも悪くないか」

「よっしゃ決まり! 街に降りたら宴会だぜ!」

「・・・・・・」

「如何したリーナ? さっきから黙って」

 見れば先ほどから何かを気にしているのか辺りを見回していた。

「ちょっと、気になることがあって」

「気になる事?」

「うん。さっき見慣れない獣の足跡があって」

「獣の足跡?」

「こーんなに大きな鳥の足跡」

 そう言って両腕を目一杯広げて見せる。

「何を大げさな。ビックダックの足跡がさっきの雨で広がっただけじゃないのか?」

 ビックダックはこの階ではポピュラーな鳥型の魔物だ。二メートル程の超えたアヒルだが巨大なものとなると5メートルを超す個体も居ると聞くが。

「そんなじゃないの。水掻きの跡は無かったし、足跡には水が溜まってなかった。あれは雨が止んだ後に来たものだよ」

「って事はまだこの近くにその魔物が潜んでいる可能性があるのか?」

 正体不明の巨大な魔物の存在がそうさせたのか、妙な緊張感が走り、皆口を閉ざして息を呑んだ。

 湿気の混じった嫌に纏わりつく風が枝葉を揺らす。その音の中に微かに聞こえる草を掻き分けて土を踏む音。

「居るな」

 チャッグが剣に手を伸ばす。

「どうするのニコル? 戦うの?」

 リーナが不安そうな表情で杖を握る。

「いや。ここは逃げよう」

 余りにも相手の情報が無さ過ぎる。戦うには危険だ。

「僕が殿を務める。リーナとチャックは援護しながら後退してくれ」

「はいよ」

「了解」

 5メートル先、森の陰に何が蠢く。どうやら相手もこっちを見つけたらしい。

 敵に背を向けない様にゆっくりと後ずさりする。

 息を吸うのも躊躇う位の緊迫感。雨でぬかるむ地面を確実に下がっていく。

「―――あっ」

 それは一瞬の気の途切れだった。

 木の根に足を取られたリーナが声を上げて転んでしまう。

 それを僕が横を向いて見てしまった。

 それを魔物は見逃さなかった。

『ゴガァァァァッ!』

 森の木々で蠢いていた影が飛び出してくる。

 薄ぐ汚れた白い羽に覆われた身体。真っ赤な鶏冠と巨大な嘴を持った頭部。そして、尾は蛇の頭を付けた魔物。

【コカトリス】

 その姿と名を知らぬ冒険者は居ないと言う、余りにも有名で余りにも凶暴な怪鳥の魔物。

「走れぇーっ!」

 その姿を確認した瞬間に僕は叫んだ。

 チャックは転んだリーナの腕を無理矢理引きずり走り出す。

 僕は非常時用の魔物除けの香袋をコカトリスに向け投げ付ける。運よく頭部付近に当たり、足を止める事が出来た。

 その隙に僕も走り出す。

 アレとは対峙してはいけない。今の僕達にはとても勝ち目がない。

 だって、コカトリスはこの第一層の区域主エリアマスターじゃないか。

 区域主。所謂、この【緑林大迷宮】を統べる一番強い魔物、ボスの様な存在。本来ならもっと高い階。それこそ中層辺りを縄張りにする魔物なのに、何でこんな浅い階層に現れるんだ!?

「どうするんだニコル! コカトリスの相手なんて想像してないぞ!」

「そんなのは解っている! とにかく逃げるんだ!」

 森の中を全力でひたすら走る。息を切らしながら、枝木を払い、草を掻き分け、当てもなく奥へ奥へと逃げる。

 だが、コカトリスは追いかける。まるで狩りを楽しむように執拗に追い回し、力尽きるのを待つ様に。

「もう…苦し」

 リーナの足が次第に遅くなる。

「足を止めるなリーナ! 殺されるぞ!」

 それを見てチャッグがリーナの身体を押して走る。

「だって、もう息が、続かなぃ」

 このまま逃げてもらちがあかない。下手をすると全滅するかもしれない。

 ここが限界か。

「チャッグ、リーナ。上手く逃げてくれよ」

 二人には聞こえない様に静かに呟き、踵を返して向かってくるコカトリスへと走る。

『ゴガェェェェ!』

「うおぉぉぉぉぉっ!」

 突進してくるコカトリスの喉元をめがけて、渾身の力で剣を振るう。

 だが、そんな攻撃はコカトリスは物ともしなかった。

 振るった剣は容易に折れてしまい、コカトリスの突進を浴びせられる。

 宙高く投げ飛ばされる中、仲間に襲おうとするコカトリスが一瞬見え、そこで意識が途絶えてしまった。

 

 意識が戻ると夜空が目に入った。

 それと同時に全身に走る激痛。息を吸う度に身を裂かれるような、炎に焼かれるような苦痛が走る。

「が、がはっ!」

 咳をすると口の中が血の味で充満する。そして猛烈な吐き気がこみ上げる。

「おっ、やっと起きたか」

 聞きなれない女性の声がした。

「ああ、寝たままで構わない。というか無理に動いて傷を開かれても困る」

 夜空の見ていた目に見知らぬ顔が映る。

 特徴的な切れ長の目に楕円の眼鏡を掛けた中性的な顔立ち。細い眉を寄せて、不機嫌そうな表情で僕を見下ろしている。長い髪が今にも顔に触れそうだ。

「気分はどうだ」

「………」

「おーい聞こえるかー」

「ここは、地獄か?」

「さあ? 行ったことはないから知らんな」

 そういうと口に火のついたタバコを加えた。

「てか、聞こえてるなら返事を返せ。私は気分はどうだと聞いてるんだ」

「最悪だ」

「だろうな」

 分かり切った答えに分かり切った返事がくる。

「右脇腹裂傷に全身打撲。肋骨三本と左足を骨折。下手すると内臓に損傷があるやもしれない。そんな状態で木の枝に引っかかっていたもんだから死体だと思ったが、まさか息があったとはな」

「じゃあ、僕は」

「生きている。地獄でなくて悪かったな」

 そういうと何か緑色の液体が入った注射器を見せられる。

「回復剤だ。打つぞ」

 右腕に針が刺さり、液体が注がれると身体に走っていた激痛が和らいでく。

「これで少しは楽になるだろう」

「他の二人は、仲間は無事なのか?」

「二人? 木に引っかかってたのはお前だけだ」

「そんなはずは、うぐっ!」

 いきなり身体を起こした所為か、凄まじい激痛が全身を掛けめくり気を失いかける。

「馬鹿か。無理に動かすと傷が開く」

「仲間二人魔物に襲われたんだ! 僕はその足止めをしたんだが、吹き飛ばされ気絶して…」

「はぁ? だが近くにはそんな奴も死体も無かった。無事に逃げたんじゃないか?」

「それなら良いのですが、あの状況で助かったとは思えない」

「そうか。悪いと思ったが、気を失っている間に荷物と冒険者登録書を調べさせてもらった。第二級冒険者がこんなところで全滅では正直向いてないぞ?」

「そんなのは解っている。けど、まさか、こんな浅い階層に出くわすとは思わなかったんだ。コカトリスに」

「なに? 今、何と言った?」

「僕たちはコカトリスに襲われたんだ。緑林大迷宮の区域主【コカトリス】に」

「中層付近ではなく、この下層にコカトリスが出現したのか?」

 驚きの声を上げる女性らしき人。

「中層で何かあったか、もしくは区域主に異変でも起きたか。どの道、一度確かめる必要がありそうだな」

 ぶつぶつと独り言を呟いている。

「その話が真実なら仲間はまだ助かるかもしれない」

「本当か!?」

「ああ、確率は高い。コカトリスが出現した場所を詳しく教えてくれないか」

「僕も行く。あそこは入り組んだ獣道を進むから、案内無しでは迷ってしまう」

「その身体では無理だ。お前は今すぐ塔を降りろ」

「仲間を見捨てて降りれる訳がない。自分の命に代えても仲間は救わなければならないんだ。僕はパーティーのリーダーだから」

「・・・解った、案内を頼もう。ただじ、私の前で命を無駄にするようなことは許さないからな。せっかく助けた命を大事に扱え」

「了解した。心得ておく。そういえば、まだ名前もお礼もしていなかったな。僕はニコル・サヴァン。この度は危ないところを助けてくれてありがとう」

「気にするな。怪我を治すのが私の仕事だからな」

 そういうと立ち上がったその人。

 白衣を纏い、大きな茶色のトラベルバックを持った長身の女性とおぼしき人。

「ディアス・ケイト、見てのとおり医者だ」


 この塔にはいくつもの噂が存在する。

 頂点に君臨する魔王に始まり、死者を蘇らせる禁法や金を創る秘術があるとか、にわかに信じ難いものが多い。

 そんな中、実しやかに囁く噂がある。曰く、死にそうな冒険者の前に現れる白衣の医者。たちまち怪我を治してくれるが代償として魂を縛られ、死後その冒険者は不死者として塔の中を彷徨い続けると言うが。

「はっ? 馬鹿か、治療代は後でちゃんと貰うぞ」

 そこはかとなく噂のことを聞いたら一刀両断された。

「そもそも魂なんて言う不確定なものを代償に貰ったって金にはならんし、腹も膨れん。こっちも慈善活動でやっている訳じゃないんだよ」

 全くもってその通りだ。

「そうですよね。助けて貰ったんだ、必ずこの恩はお返しします」

「無論だ。お前には生きて塔を降りて借りを返すんだ」

 とても不機嫌そうに僕を見て言うディアズ女医。

「やれやれ。街へ必要な薬を仕入れようと降りてきたが、下階も下階で面倒な事になっているな」

「街へ降りると言うと、ディアスさんは塔にでも住んでいる様な言い方ですね」

「ああ、そうだ。中層と上層の間にある場所辺りを拠点にしている。あそこが一番撤退率が高いからな。よく怪我人が来る」

 中層と上層の間って、あそこは第一線の冒険者でも進むのは至難と言われる場所。そこに住むなんて、この人は何者なんだ?

「己が技量を見間違い、みすみす魔物に蹴散らされるならそこで死ねばいいのだが、生憎と生きている人間を救わんといけないのが医者の性でな。人を生かさないと私も飢え死ぬ」

 とても医者とは思えない言葉に少々引く。

「そろそろ話に聞いたポイント近くだが、そんな広場に通じる様な道は無さそうだが?」

 ここは木々に囲まれて一本道の場所。

「この木と木の間に人が一人ほど通れる程の獣道があるんです」

 木々が並ぶ僅かな間に見える道。その奥に自分が見つけた秘密の場所がある。

「分かった。お前はここで待機していろ」

「そんな僕も…」

「怪我人は足手まといだ。それに万が一、いや億が一に私が帰って来なかったら、お前は街のギルドに行ってコカトリスの討伐依頼を出して来い。これ以上、初心者の冒険者の被害は食い止めないといけないからな」

「そうですが…」

「案ずるな。一時間以内に戻らないようなら塔を降りろ。いいな?」

「分かりました」

 その返事を聞くと軽く頷き、獣道に入ってディアス女医。

 その姿を確認しようと覗いた時には、もう森の奥へと消えていた。


                  ◇


 【コカトリス】。第一層緑林大迷宮一九階を縄張りにする区域主。

 鶏の身体と蛇頭を有した怪鳥。非常に獰猛であり、目に入る生物は威嚇し襲う。

 その爪は鋭利な刃と変わりなく、発達した筋肉を持つ足で繰り出される一撃は並みの鎧や盾では無意味。また羽で被われてるが皮膚は爬虫類特有の楔の様な鱗が有り、剣などの攻撃は有効ではない。

 しかし、それより厄介なのが保有する『毒』である。蛇特有の神経系の毒と捕獲用の石化の毒を持つ。奴は獲物を保存する。腐らせないよう、生きたまま石にする。

 爪、嘴、尾。この三点から分泌される毒液は皮膚に触れると表面が石化するが、これは脅威でない。問題は体内に入った場合。毒は血液を回り末端から筋肉・骨を石に変えていく。そして肉体の40%が石に変わった時、血行不良による心臓停止及び脳の酸欠で絶命する。

 私がニコルを助けたのは三時間前。その周りにまだ新しい血が散っていたから少なくとも襲われて四時間前後。まだ望みは有る。

 獣道を歩くこと10分。開けた草原地帯へと出る。

 まるで部屋のように木々で囲まれたフロアの真ん中。そこにこんな浅い階では似つかわしくない主の姿があった。

 死臭を漂わせながら、暗闇の視界の中でもしっかりと把握できる位に血に濡れて。

「い、いやぁ…」

 その近くでは四肢を石にされた泣きじゃくる女が一人。どうやら、こっちが保存食だったらしい。

「まあ、そうなるよな。腹減ってんだから一人は直ぐに食うよな」

 どうやら食事中だったらしい。男の方は内臓を食い荒らされている。誰がどう見ても死んでいる。

「やれやれ。気分が悪いな、ったく」

 力み過ぎてタバコを噛み切ってしまう。

「ああ、せっかくのタバコも不味くなる臭いだ。不愉快だ、不愉快極まりない」

『グルルゥ…』

 食べるのを止め、私の方を睨んている。

「お前も食事を邪魔されて機嫌を損ねたか」

 ポケットに入っているタバコを取り出し口に咥える。

『グガァー!』

 コカトリスがこちらに向かって走りだす。

『ゴガァァァァァッ!』

「もういい、消えろ。目障りだ」

 タバコに火を付けた刹那、突進してきたコカトリスに巨大な火柱が沸き上がる。

『ゴッ…?!』

 離れている私の肌も焦げそうな位の灼熱の炎は、コカトリスの羽を焼き、鱗を炭に変え、肉を焦がす。

「灰に成れ。第一階層の区域主程度の雑魚が、私に触れられる訳ないだろう」

 タバコの煙を吐くと炎がおさまり、灰に成ったコカトリスが風に乗って消えていく。

「さて、本題に入るか。そこのお前はリーナ・セインズだな」

「ひっ!」

 明らかに恐怖の表情を向けている。

 まあ無理もないか。自分たちが太刀打ちできない相手を一瞬にして葬ってしまったのが目の前に居るんだから怯えるか。

「大丈夫だ、取って食う真似はしない。私はニコルに頼まれて助けに来た医者だ」

「お…いしゃ?」

「安心しろ。もう大丈夫だ」

「そ、う。もう、大丈夫なの・・・」

 そういうと気を失ってしまった。余程、緊迫していたのだろうな。疲れが一気にきたのだろう。

「はぁー。やれやれ、これだから駆け出しの冒険者は世話が焼ける。よいっしょ、って重っ!」

 リーナを抱えてフロアを去る。


 【緑林大迷宮 三階キャンプポイント】

 一先ず魔物が少なく寄り付かない場所まで降りてきた。ここなら邪魔もされず治療に専念できる。

「さてと、ボチボチ始まるか」

 石化した患者の対処。毒液が皮膚に張り付いての場合は石化した皮膚の切除と縫合で済むが、体内に入り筋肉や血管まで石化したとなると簡単には済まない。

「一番手っ取り早いのは石化部分を切ってしまうのが良いんだがな」

「いや、流石にそれは勘弁してやってくれないか」

「なんだ? お前は今に死にそうな人間が居るのにそんな悠長なことを言うのか? 命が助かるなら手足なんて安い代償だろう」

「そうですが…」

「が、しかしだ。こんな野外で切除手術なんてしたら、感染症にかかってしまい、どの道死んでしまうだろう」

 だから今回は非常に面倒だが薬での治療をする。

「おい、確かあのフロアから石化の解毒草を持ってきたな。それを寄越せ」

「あっ、ああ」

 革袋一杯に詰まった解毒草を渡される。これだけあれば十分な量を作れるだろう。

 鍋に水を張り、湯を沸かす。解毒草は擦ってなるべく繊維を壊してペースト状にする。

「しかし、何であんな場所にコカトリスが現れたんでしょうか。未だに見当がつきません」

「きっと、あそこで解毒草を食べる為に来たんだろう」

「えっ? 何でコカトリスがわざわざ解毒草を食べるんですか?」

「あれの八割は鶏の構造と変わりない。故に蛇の尾から生成される毒には耐性が無いんだ。だから定期的に石化の解毒草を食べて、毒を中和しないと自ら石化して死ぬんだよ」

「そうだったのですか。初めて聞きました。けど、尚更この階まで降りてくる理由がない。石化の解毒草なら中層の方が多いと聞きます」

「最近、上から降りてくる奴らが乱獲してるんだろうな。小遣い稼ぎに。お陰でコカトリスの縄張り辺りには殆ど生えていないのだる。だから、こんな場所まで探しに来たんだろう」

 湯の中に解毒草と回復力を高めるためにポーションを一瓶。後はこれをよく過熱して、冷ましてろ過したら完成だ。

「別にお前達のやることには文句はない。だが、そうやって奴ら魔物の住んでいた環境を荒らし、怒りを買うのは自業自得だからな」

 出来た薬を注射器に注ぎ、まだ石化してない動脈部分に注射する。

「出来合いで作った即席の解毒剤だが体内にある毒素は中和するだろ。これ以上、肉体が石になることはない。後は街の医者に見せて治療を受けさせろ。私が今出来るのここまでだ」

 一仕事が終わったのでタバコに火をつける。気が付けばすっかり明け方だな。

「ありがとうございます、ディアス先生。私を助けてくれたばかりか、仲間も救っていただき感謝の念が尽きません」

「医者として当然なことをしたまでだ。それに全て救った訳ではない」

「そうですね。だけど、冒険者は皆この塔を登ると決めた時、ここが死に場所になるというのは承知しています。彼もそれは心得ていたはずですから」

「急いできたから何も出来なかった。傷が癒えたら弔いに行ってやれよ」

「分かっています」

 深刻そうな表情でニコルは返事を返す。

 さて、一服を終えて後味の悪い話も済んだ。

 ここからは私のビジネスの話に移るか。

「傷心しているところを悪いんだが、そろそろ治療の代金の話をしよう」

「えっ?」

「えっ? じゃない。先も言ったが、私は医者で患者を治して生計をたてている。代金を請求するのは当然の要求だ」

「そうですよね。もちろん、払わせていただきます」

「でだ。今回はこれだけ請求させてもらう」

 先程、ニコルが寝ている間に書いた請求書を渡す。

「…えっ!? ちょ、この金額は」

「消費した包帯や消毒液や縫合に使った糸など道具代。体力と治癒を高める為に使った回復剤。そして、私が労働したということの人件費。他諸々で二十万だ。後、そっちで寝ている彼女の分の請求書も渡しておくぞ」

「薬の代金と注射器一本の道具代で十万!」

「そっちは解毒草を分けたから材料費はサービスしてある。それで二人合わせて三十万だ」

「ちょっと待ってください! これは幾ら何でも高すぎませんか! 確かに命を救っていただきましたが、これでは暴利過ぎます。街ならこの十分の一もかからないですよ!」

「そうだ。これが『普通の街医者』に掛かったら高くはならない。それはギルドで入っている保険が適用されるからだ」

 冒険者は塔に登る際にギルドと言う組織に加盟する。そこで塔での戦利品を預け換金したり、時にはギルドからの依頼で魔物討伐や素材を集めたりして金銭を得る。

 そして、その際に発行される冒険者登録票には、怪我が多い冒険者の為に保険が付けられる。換金や報酬を受け取る際に何パーセントか引かれるが、その代わりに街で治療する時には割引が付くようになる。

「それは街の専門病院の話であって、塔の中にいる私には適応外だ。だから治療代は全額払ってもらうぞ」

「ですが、それでも高過ぎます! そもそもポーションが一瓶一万なんて、相場の二十倍の値段じゃないですか! こんなの詐欺ですよ!」

「ここは状況も環境も違う。魔物蠢く死地の最中で、持てる数が限られている道具を、それも自分の生命にも掛かっている薬を分けているのだ。街で大量生産され、協会が定めた薬とは価値が違う」

「ですが、そんな高額な料金は払えないです」

「案ずるな。お前達が所属するギルドの方に請求明細と契約書を送っておく」

「契約書?」

「お前達がギルドで換金及び報酬を受け取る際に、その金額の10から20%を引いて、私が契約している金庫に振り込まれるようにする契約書だ。一括ではないだけ良心的だろ」

「ふざけないでください。そんな契約を結ぶと思っているんですか」

「この契約書は医師が正式に発行できる公的なものだ。登録番号も書いてあるのから知らぬフリもできないぞ」

「そんな、余りにも強引なやり方だ」

「助けられた冒険者は皆そう言うよ。せっかく助けた恩を仇で返そうとする。私に言わせれば、命を三十万で買ったと思ったら安い買い物だと思うが」

「確かに助けて貰ったことは感謝している。だが、我々にも生活があるんだ。そんな金額払っていては生活できない」

「だからだ。こんな危険な目にあっても、まだ冒険者として稼ごうとする。何らならギルドに支払いを肩代わりしてもらって、お前達は冒険者を辞めて真面目に働いて借金を返すと言う選択も出来るんだ。

 よく考えろ。装備を整え、道具や薬を揃え、食糧を抱え、魔物に襲われながらも塔を登って、あるかも分からない財宝を求めるより、地道に働いた方が長く食っていける。僅かな好奇心と馬鹿げた野心で人生を短くするより、ささやかな幸せを育て長く生きる方が良いだろう」

「そ、そうだが」

「まあ、最終的に決めるのはお前達だ。私は金を払ってくれれば文句はない。個人的にはまだ冒険者で居てくれると良いんだがな」

「なんでですか」

「私に助けられた冒険者は稼ごうと必死になる。だが、それで無理をして高い階層へ行き、手強い魔物に挑んで怪我をする。そして私が見つけて治す。まるでイタチごっこのようだろう。お陰で私の懐は潤う」

 普段は笑わない顔が緩み、嬉しそうに耳元で囁いてやる。

「貴方は悪魔か」

「よく言われる」

 荷物をまとめ、またタバコに火をつける。

「じゃあな。私は先に街へ行く。お前達は体力が回復してから降りてこいよ。ここで死なれては困るからな」

 私はそう言い残して、その場を去った。


                  ◇


 その後、回復したリーナはと僕は塔を降りると言うパーティに同行させてもらい、無事に街へと帰ることが出来た。

 そして直ぐに病院へ行き、リーナの手足の治療へ向かった。

 医師曰く、早い処置が良かったのか命に別状はなく、体内にある毒も完全に消えていたらしい。四肢の石化も長期の治療が必要だが元に戻るという。

「良かった。これでもし手足の切断なんてことになったら、どうしようかと思ったよ」

「そうね。この手も元に戻れるのね」

 病室のベッドの上で横になるリーナ。石になった手をまじまじと見ながら涙を流す。

「ごめんよ、リーナ。こんなことになるなんて」

「気にしないで。何時かこうなることは覚悟していたから」

「それでなんだけど話があるんだ」

「何?」 

「これから君が治るまで、面倒を見させてほしいんだ。治療代も生活も責任を持って面倒をみるよ」

「私の事より、自分の事を先にしないとダメでしょう。二十万も返すんだからもっと頑張って塔に登らないと」

「いや、僕は冒険者を辞める」

「そんな…どうしたのよ、急に」

「今回の件で良く分かったよ。僕は冒険者に向いていない」

「そんなことないわよ。ここまで頑張ってきたのに諦めてしまうの?」

「仲間を一人失って分かった。僕の判断一つで全てが崩れていく恐怖。強大な敵と対峙した時のあの怖さ。僕はそのことを考えると、手が震えるんだ」

 剣を握ると思う。目の前に忽然と現れた巨大な相手に僕は足が竦み、剣を振るうことは出来ないだろう。

「だから、これからは街で地道に働くよ。お金はギルドが肩代わりしてくれるって。君の分も払うつもりだから安心して」

 そう言うと彼女は一瞬、息を詰まらせたような表情をしたが、すぐに緩めて優しく微笑んでくれた。

「ニコルがそう決めたなら仕方ない。じゃあ私も足を洗って、早くこの手足を治して、二人で借金を返していこう」

「そんな、これ以上リーナに負担を掛けさせるようなことは…」

「何を言ってるの。負担を分担するのがパーティでしょ? 一人で全部背負うなんて許さないんだからね」

 そういって笑ってくれる彼女を見て、僕はどれだけ救われたか。

 これがディアス女医が言って幸せなんだろうな。こんなに心が穏やかになったのは久しぶりの事だ。

「それに私も怖いの。塔に登るが。眠りにつくとあの時の夢を見るの。コカトリスが動けない私の目の前でチャックが食べられていく姿。その時の飛び散った血の暖かさと臭いも感じるの」

 話していくうちにみるみる顔を青くしていく。

「でも本当に怖かったのは、その助けてくれたっていう医者」

「ディアスさんのことか? なんであの人が怖いんだ?」

「だって、私達が敵わなかった相手を一瞬で倒してしまったんだもの。燃え盛る炎の中から見えた彼女の姿はまるで悪魔に見えて、とても怖かったわ」

 確かにそうだ。僕が実際に見た訳ではないが、彼女は区域主を一撃で倒したんだ。医者としての腕だけではなく、冒険者としても実力がある。

 後日、ギルドの人に話を聞くとディアスと言う医者は冒険者の間では有名な人物らしい。

 まるで血の臭いでも嗅ぎ付けたかのように、怪我人の前に現れて、治療しては高い治療費を要求する。

 付いた通り名が【白衣を着た悪魔ホワイトデビル】。一度出会ったら最後、死ぬまで金を搾り取られる。どんな魔物よりも厄介な存在と言う話だった。

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塔の中で医者は笑う ぽこぺん @pokopen_sa10

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