この良き日に

とが きみえ

この良き日に

 大安吉日。

 テレビでは二月下旬にしては珍しく季節外れの桜が咲いたとニュースになっていた。


 「桜の花まであんたのことを祝ってくれてるみたいね」と言う母親の、のほほんとした言葉に「そうだね」と正行まさゆきが平和に答えていたのは昨日までの話。

 

 新郎新婦のご入場ですという司会者の声とともに、披露宴会場へ正行が一歩足を踏み入れた時から、それまでの正行の平和な時間は終わりを告げた。


(最悪だ……この世の終わりだ……)


 心の中で何度繰り返したところで、状況が変わることがないのは正行自身、嫌という程わかっている。

 だがこの状況下、この世の終わりだの何だのと心の中で呪文のように繰り返し唱えていないと、正行は平常心を保っておける自信がなかった。


(何なんだよこれ。俺が何をしたっていうんだ?)


 正行が一段高い席から招待客のテーブルを見渡した。

 手前のテーブルに正行の上司ら勤務先や取引先のお偉いさん方が座り、出入り口に近い後方のテーブルに正行の両親、それに姉と妹、祖父母らがいる。


 ここまではいい。問題はそれらの間にある友人席だ。


 男ばかりで華のない新郎側の友人席。それに対して新婦側、妙にきらびやかに目立つ一角がある。

 まるでそこだけスポットライトが当たっているかのようなテーブルへ、正行は恐々視線を移した。


(あい子、美紀、朋美に萌香……あ、紗季に明音もいる……って、何だこれ)


 タイプはさまざま、だがその全員が思わず二度見してしまう美人揃い。

 彼女ら皆が友達だなんて、新婦はどこのモデルか、それとも女優なのかと誰もがそう思うだろう。


 だが正行は知っている。

 上司の勧めで半分強制的に見合いをさせられ、気づいたら自分の妻となることになっていた女性はモデルでも女優でもない一般人。そして友人席に座っている彼女らとは友達付き合いはおろか、会ったこともないはずだ。


 彼女らと関係がある……いや、いろんな意味で関係があったのは正行の方だ。


 正行は女性からモテる。それはもう、嫌味なほどモテる。

 一流大学出身でモデル並のスタイル、もちろんルックスも整っている。

 学生の頃から、街を歩けば必ずといっていいほどスカウトの人に声をかけられ、綺麗なお姉さんからナンパされた回数は数えきれない。


 そう、今日のこの晴れの日に新婦側の友人席に座っている彼女たちは、みんな正行と深い関係のあった女性たちなのだ。

 言い寄られると断れない正行は、ほぼ同時期に彼女たちみんなと平等にお付き合いしていた。もちろん彼女ら本人には内緒で。


(俺……みんなとは、ちゃんと別れたぞ)


 最低だが要領はいい。月曜日は朋美、火曜日は明音といった感じで予定がブッキングしたこともない。

 さすがに今回は「上司からの命令で断りきれなかった……でも愛してるのはお前だから、本当にすまない」と、彼女らとの関係は清算したはずだ。


(――なのに、何でだ……?)


 なぜ彼女たちが、新婦の友人としてここに顔を揃えているのか。









「…………一方、新郎の多田 正行くんは○○大学を優秀な成績で卒業後、事務メーカーでお馴染みのKONNOに入社、現在は営業課のホープとして将来を期待されております」


 普段は嫌味ばかりの部長の口から正行を褒め称える言葉が続く。

 嘘ばかりの言葉に、お前そんなこと欠片も思ってなんかいないだろうと、ひとことふたこと言ってやりたいところだが、正行は今それどころではない。


 半年前のお見合いで初めて顔を合わせてから、実際に会うのがなんと今日の結婚式で三回目という、隣の席いる妻の方へ正行が顔を向けた。

 視線を感じた妻、由紀子と正行の目が合う。


「由紀子さん、これはどういうことですか」


 二人にしか聞こえない声で正行が由紀子に問いかけた。

 だが正行が尋ねても、由紀子はにっこりと微笑むだけで何も答えない。


「――――由紀子さん」

「えー……正行くんは、その名前のとおり“正しい行いをする”男でして、正直者といいますか、嘘がつけない男です」


 部長の言葉を聞いた由紀子が可笑しそうにクスリと笑った。


「由紀子さん?」

「嘘がつけないんですって。ほんと、そのとおり」

「…………あの」

「私、正行さんのことは何でも知っているの」


 由紀子の目がすっと細くなる。正行の背中に嫌な汗がひと筋流れた。


「私、お見合いをする前から正行さんのことを知っていたの――女性からとても人気があることも」

「――――え」

「だって一目惚れだったんだもの。正行さんは私の夫になる人なんだから、何でも知っておかないと」

「一目惚れ……って、由紀子さん、僕と以前会ったことがありましたか?」


 正行がそう言うと、由紀子は僅かに頬を染めて顔をうつ向けた。


「私が十七で、あなたが二十一の時。私、おじ様に用があって会社に行ったの。その日はちょうど入社試験があって……」

「は?」


 正行は今、二十七。そして由紀子の言う『おじ様』とは、正行が勤める会社の会長のことだ。


「廊下ですれ違った正行さんが本当に素敵で、一目で夢中になったわ。私、おじ様に絶対に正行さんを入社させて頂戴ってお願いしたのよ?」


 当時のことを思い出しているのか、由紀子がうっとりと酔ったような眼差しを何もない空間へ向けた。


「あの……由紀子、さん?」

「今だから言うのだけど、正行さんにはお仕事も頑張っていただきたくて、高城のおじ様だとか山崎のおじ様にお手伝いしてもらったの」


(――高城のおじ様って、もしかして高城グループのことか?)


 先月、正行は高城グループの系列会社の契約を取ってきた。

 担当者が気難しく、なかなか契約が取れないことで有名だと聞いていたが、そういえばいやにあっさりと話が進んだ。


(え……じゃあ、何だ? 俺が今の会社に入れたのも、営業成績がいつもトップなのも全部、俺の実力じゃなくて……)


 正行が隣の席へ顔を向けた。

 由紀子がにっこりと微笑む。


「私、二十五までに結婚したいと思っていたの。どうせならお友達もたくさん呼んで……でも私、ずっと正行さんのことしか見てなかったから親しいお友達があまりいなくて」


 だから正行さんと特別親しくしてた方々をお呼びしたのよ?と、由紀子が微笑みながら続ける。


「みなさんに私たちの幸せな姿を見てもらわないと。ねえ、正行さん?」


 由紀子にじっと見つめられ、急に息苦しさを感じた正行が自分の首へ手を添えた。当たり前だが正行の首元には何もない。


「正行さん?」

「や、何でもない……です」


 正行が右手で己の首を摩る。一瞬、首輪のようなものが巻かれた気がしたが正行の思い過ごしだったようだ。


「私、正行さんに出会えてよかった。これからはずっと一緒」

「…………」


 だが由紀子が微笑むたび、正行には得体の知れない何かが自身の自由を奪っていくのがわかった。







「――――お二人が出合い、生涯をともにすることになったのは、もはや運命。私はそう思っております。正行くん、由紀子さん、末永くお幸せに」


 祝辞を終えた部長が頭を下げた。

 披露宴会場をさざ波のように拍手が広がる。


 二人の門出を祝う温かな拍手の中、正行は首に手を添えたまま微動だにすることができなかった。

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