牧村亜紀子 覚醒:犠牲

 少しだけ昔の話をしよう。

 と言っても、概ね予想通りの事だと思う。

『男に乱暴されたときにオーヴァードに目覚めた』……それだけだ。

 本当にそれだけ。


 事件が起きたのは高校に入る前。受験を控えた冬。学校も終わり、部活で遅くなって真っ暗な帰り道。あたしは友達と会話をしながら家路についていた。


「聞いた? 最近行方不明者が増えているんだって?」

「えー? 私は『●●女』が出るって聞いたよ」

「ないない。ネットの怪談話見すぎ!」


 そんな会話を続けながら、暗い夜道を進む当時のあたし。学校からは通り魔が出るとかの連絡があり、部活終了後の集団下校は義務化していた。危なくなったら逃げて連絡しろ、とも。

 ――だが、そんな常識的な対応では身を守れない相手だったのだ。

 気が付くとあたしの意識は闇に落ち、次に目を覚ましたのは日のささないどこかの部屋の中だった。


 当時は知る由すらなかったのだが、ワーディングで意識を奪われた後に運ばれたのだ。

 あたしを攫ったのは、理性が溶けたオーヴァード――ジャームだ。ヒキガエルのような太った顔をした男の目は血走り、異常なほどに舌が伸びていた。動こうにもよくわからない器物で拘束され、下手に動けば突き刺すような痛みが襲い掛かってきた。


「ふひ、ふひひ。君は最後に取っておくよ」


 最後? 首をかしげるあたし。だがその意味はすぐに分かった。

 部屋の中で拘束具に捕らわれ、悶える友人。血を流し、身体があらぬ方向に曲がり、痛みとも嗚咽ともつかない声で機械的に声をあげていた。

 あたしはあらん限りの悲鳴を上げ、逃げようとした。拘束具が与える痛みも友人を助けなきゃという常識も、その時はなかった。暴力的な何かから逃げ去りたい。ただそれだけでしかなかった。

 最後、というのは友人を痛めつけている拘束具が一つしかなく、順番に痛めつけようという狂った願望を示している。その気になれば、一気に絶命させることも可能なジャームの能力。だけどそれを、相手を殺さず痛めつける為だけに使用していた。

『加虐』の衝動。それを持つジャーム。

 相手をできるだけ長く痛めつけたい。その為だけに能力を使い、その為だけにあたしは殺される。

 友人たちが一人、また一人と消えていく。それを目の当たりにしながら、しかしあたしは自分が助かる事だけを考えていた。酷い奴だと罵ってもいい。言い訳はしない。あたしはあの時確かに、友人を救おうとは思わなかった。


「痛いよ痛いよ痛いよ!」

「助けて助けて助けて!」

「亜紀子、助けて――!」


 つい数時間前まで一緒に部活してて、汗を流した友人達。彼女達の体はいとも簡単にひしゃげ、潰れ、そして命を失っていく。あたしは最後まで、それを見続けていた。

 そしてあたしの番がやってきた。

 最初は絶望で心が壊れていたけど、拘束具に固定された瞬間に突き刺すような痛みが走り、同時に恐怖が襲い掛かってきた。

 死ぬ、死んじゃう。あの子みたいに、あたしは死んじゃう!

 悲鳴を上げるあたしに、嗤い声をあげるジャーム。身動き一つできないあたしの頬を撫でる醜い手。


「ふひひ、キミは最後の一人だから、丹念に壊してあげるよ」


 それからは地獄だった。あたしはジャームの様々な欲望を叩き込まれた。

 あたしのありとあらゆる部分がジャームの欲を満たすための『道具』となった。痛みと嗤い声と嫌悪感。いっそ死ぬことで終われるのなら、狂うことで終われるのなら。それは一つの救いだったのだろう。


「ふひ、簡単には死なさないよ」


 重ねて言うが、ジャームは自分の欲を満たす為だけに能力を使う。

 それは傷ついて死にそうになるあたしに、癒しの能力を使って傷を癒すことも含まれていた。

 最初は何が何だか分からなかったが、死ねず狂えないままだという事は理解できた。ただ地獄が終わらないという事だけは、理解できた。

 死ぬ、

 イタイ、

 鋭い刺すような傷、

 流れる血、誰か助けて、

 血、流れる血、誰も助けてくれない、

 違う……助けなかったのは、あたし。だからあたしも、ここで。


「ふひひ、そろそろ限界かな? じゃあ殺してあげるね」


 死ぬ、殺される、

 終わる、やっと、

「痛いよ痛いよ痛いよ!」

「助けて助けて助けて!」

「亜紀子、助けて――!」

 耳について離れない友人の声、

 彼女達はもう声を発することはできないのに、何故?

 囁くのは、影。傍らに立つ影シャドウバディ

 あたしが死んだら、この子達も、死ぬ、

 それは、出来ない。たすけなきゃ。

 抗う力は、獣。力強く吠える魔獣本能ビーストハート

 拘束を壊す力、

 喰らいつけ、獣よ、

 奪い取れ、円環の影蛇よ!


「な、なんだよ、その影は、その腕は!?」

「あああああああああああ!」


 あたしの影がレネゲイトで作った拘束具を喰らい、破壊する。

 その後のことは、よく覚えていない。気が付けばジャームの死体が目の前にあった。体中にジャームの血を浴び、その血とレネゲイトを喰らって体が歓喜に満ちちていた。

 UGNに保護され、事件そのものはただの通り魔という事で片が付いた。レネゲイトの話など新聞やネットを探しても出てこない。

 P266やクララさんと出会ったのもその時だ。友人を救えず、申し訳ないと謝罪した二人。その時初めて、あたしは友人を見捨ててジャームを殺したのだという実感が沸いてきた。

 ――罪悪感と緊張が解けた事が重なり、あたしは大泣きした。


 あたしがジャームに対して一線を引いて行動できるようになったのは、要するにそういう経緯だ。

 あたしは彼らに対し、同情する事はあっても手加減はしない。甘い判断をすれば、命が失われるかもしれないからだ。

 そして、死んだ命はもう戻らない。それをあたしは、知ってしまったのだ。言葉ではなく、心に刻まれるように。


 ※     ※     ※


 結局のところ、自分がそうだから恵子ちゃんもジャームじゃない、と思いたいだけなのかもしれない。

 あたしがオーヴァードになった経緯と、恵子ちゃんがなった経緯は決定的に違う。あたしは追い詰められたの覚醒で、恵子ちゃんは『解放者』の手引きがある。

 だけどジャームじゃない可能性はある。恵子ちゃんの人殺しは、むしろ防衛のために仕方ないことだ。

 

 死んだ命は戻らない。

 だから最後まで抗いたい。

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