僕はこういうのが好きなので若干つらいものの読んでいて面白いです。
差別と区別
面白い見方だと思います。
他にも同じことを思いつく人がいないとまでは言いませんが、確かにそんなものかなぁ……、と思わされました。
しかし、ひとつ思ったことがあります。
「差別」と「区別」についてですが、例えば日本のヘイトスピーチについてはどうでしょう?
日本は海に囲まれているために、民族意識が薄いと聞いたことがあるのですが、この件は一種の防衛本能ではないかと私は思います。
この件で法の上で自由の制限を受けた人はいませんが、精神的に自由を失った人は多くいるでしょう。
しかし、これを「差別」と一概に言い切るのは間違いではないのかと思うのです。
確かに、気持ち的に「かわいそう」とは思うし、実際してはならないことかもしれませんが、ヨーロッパのような地続きで国と国を明確に分ける海がない国は民族意識で国を守っています。
日本のこのヘイトピーチは自身の国の国土が他の民族(こういう言い方は唾棄すべきかもしれませんが)に侵されていると感じ、私たちの国を守らなくてはならないという意識が表れた結果ではないかと私は思います。
残念ながら、私はこの件がホロコースト同種のものでない、つまり自分たちの自尊心を満足させるがために行われたものではない、と断言することはできませんが、全く同じものだとも思えないのです。
まさに、この件は「差別」と「区別」の狭間に位置しているのではないでしょうか?
あと、本当かどうかは知りませんが「レディファースト」という言葉は男尊女卑の時代に、女性を弾除けに先に出入りさせたことからきている、と聞いたことがあるのですが本当のところは知りません……。
自由
「自由」の定義にもよると思いますが、確かに檻の中の動物がかわいそう、というのは人の勝手なのでしょうね……。
『ハリーポッター』の導入時に登場した動物園生まれヘビさんを思い出しました。
彼は故郷に帰りたがっていましたっけ……。
資本主義、社会主義
これは完全に同意ですw
稼いだお金が国に取られて再配分されるのは納得いかないです。
(僕の家は普通の家庭なので偏見はないはずです)
(かつ僕は学生で一銭も稼いでいないのでこの件に関しては僕の言葉に説得力皆無です)
北朝鮮の人は凄い……。
憲法改正
確かに米軍に戦争をさせてその陰に安住するのは間違いかも?
と思わされました。
しかし一方で今の(悪く言うならば平和ボケした)日本に米軍の代わりになる兵力を供給できるか? と考えれば無理でしょう。
ほとんどの人が兵士になりたいとは思わないと思います。
公民は中学以来していないのでうろ覚えですが、兵役を義務にすればまた憲法改正やらなんやら……、で今度は今回の数倍の反対があるような気がします。
難しいですね。
縁起でもないですが中国が実際に日本に戦争をふっかけてきて、日本各地を少しずつ攻撃するぐらいでないと日本人が「ぶっ殺す!」「鬼畜中華!」とはならないでしょう。
絶滅
絶滅危惧種が絶滅しかかっているのは彼ら? が適応できなかったからだ、というのは確かにそうかもしれません。
実際、今まで生物が通ってきた道でしょうし。
しかし、これは私の考えですが、人間は自分たちの肥大しすぎた自然への影響力を恐れるがゆえに彼らを保護しようと考えるのではないでしょうか? (まぁ、偽善というのもあるでしょうが……)
今まで、地球上に現在の人類ほど自然への影響力を持った生物はいなかったのではないでしょうか?
恐竜も木をなぎ倒したり、食べ尽くしたりすることはあっても、そこにいる生物を長距離輸送したり、ケンカ(私たちの戦争)の都合で一帯の大地を不毛の地に変えてしまうことはなかったでしょう。
毒を使って相手を倒す生物はいても、無差別に毒を振りまく生物はいなかったでしょう。
過去の生物のそれぞれの種の絶滅の危機とは、その半分以上が大規模な自然の災害がほとんどだと思います。
そして、今、人類はそれを起こすだけの力を持ってしまっている。
だからこそ、その力に怯えて、その影響をできるだけなかったことにしようとするのではないか、と私は思います。
消費欲
僕は高校生でお小遣いがないです。
周りに聞くともらってない人も半分くらいはいますね。
その分僕のもらうお年玉は周りより多いようでそれで一年を生活しています。
ただ、僕はあまり友人とお金のかかる場所に遊びに行くことがないので基本、ライトノベルか漫画にお金が消えます。
それでも、中学の頃、一度消費欲? にとりつかれたことがありました。(半分はコレクター的な欲と言えるかも)
漫画をシリーズ全巻サラで買って、某漫画誌の単行本についてくる特典をコンプしようとしたり…………。
今ではだいぶ落ち着きましたがラノベに関しては今でも金銭的なタカが外れている気がします。
消費を減らすコツ、は布教でしょうか? (オタク限定)
友人をドンドン、オタクに染めて互いに本を貸し借りしあうとか……。
争い
これは本当に難しいですよね……。
僕は戦争に対する意見が自分の中でコロコロ変わるのでなんとも言い難いのですが、今の持論を述べます。
戦争をなくすことは不可能ではないでしょうが限りなくそれに近いと思います。
そもそも争いとは個人単位から国家などの団体戦まで、そのすべてが互いの差異からくるものだと私は思います。
直接的な理由が「違い」でなくても他人との差異があるがために他から奪い、屈服させようとするのではないでしょうか?
なら「違い」をなくすか?
もちろん、言うまでもなく不可能です。
それは自分だけの世界でしかないでしょう。(比喩ではなく)
ならどうするか、ということをいろいろ、ゆる〜く考え続けた結果、私が現在時点で思う解は「われわれより高次の完璧的な存在が君臨する唯一つの世界」です。
社会主義かつ厨二チックですね。
神でも、機械でも、人でも構いませんが、誰もが従える、誰もが納得する唯ひとりの統治者の元に成る唯一の世界。
(宇宙人と戦争になるかも、とかはない方向で)
絶対に間違えない、誰も不満を抱かない、そんな統治が可能なら平和は実現するのではないでしょうか?
この「?」に任せておけばすべて上手く行く。
そういう存在に依存して、互いの「違い」などその存在の統治下では無に等しい。
宗教はその存在を崇めるもののみ(崇め方の「違い」すら生まないようこれもその存在が管理する)
「違い」による摩擦を納得させる圧倒的な存在こそが平和の実現に必要だと思います。
まぁ、難しいでしょう。
そんな都合のいい完璧な存在などいないでしょうから。
『SAO』というライトノベルに出てくるアンダーワールドの人界の統治はまさに理想ですね。
唯一の法典に逆らう機能そのものが奪われた人たちの社会。
これで統治者が完璧なら、上記のシステムの歪みによって生まれた悪を正し、永遠の理想郷を作れたでしょうに……。
(彼女は能力面は完璧でしたが、精神面がダメでしたね……)
(あくまで外部からの干渉「負荷実験」とそれによるダークテリトリーという存在は、ここでは宇宙人と同種のものとみなし無視するものとします)
SAO九巻以降の話なので本を読んだことがなかったらゴメンなさい。
他に例えを思いつきませんでした。
人生
生きた年数によって、これから生きる人生の人生全体に対する割合が変動するため、年齢による時間の体感速度の差が生まれる、というのはなるほど!
と思いました。
確かに、そうなのかもしれません。
最近、スーパープレゼンテーションである言葉を聞きました。
「人は、人生の前半に時間を富、名声、そして地位を得るために使い、
人生の後半にその富、名声、地位を使って時間を得ようとする」
というものでした。
これも面白いと思いました。
人生の時間を何に費やすか、限られた時間の過ごし方を年齢による体感速度の変化も含めて考えるべきかもしれません。
また、僕は体感速度の変化について、こうも思います。
定年退職で殆どの人が退職します。
すると急に自由な時間が増え、いろいろと考える余裕ができてしまうために残された時間のことを考えてしまうのではないでしょうか?
学校に通って部活が充実していたり、仕事に従事しているときは残された時間を考えない、考える余裕がないのではないでしょうか。
若い頃、というか50、60前くらいまでは時間の長さを気にしないので通常の長さに感じる一方、年をとって時間に余裕が生まれると残された時間を考えてしまい早く感じるのでしょう。
四次元
難しいですよね。
一次下の次元が見えるという考え方は考えたことがなかったので、新鮮でした。
四次元の時間軸ってどういうこっちゃ? と考えたことはありますが、四次元に立つと三次元が知覚できるというのは参考になりました。
参考にしてみます。
現在書いている小説に使えそうです。
さて、持論ですが次元とは、そもそも「世界」、限定するなら「物体A」が存在するとき、それをどれほどの情報で表すか? ということだと私は認識しています。
つまり、どの次元にも「物質A」は存在するが(変な言い方ですが)次元によってそれの捉え方が違うのです。(本当かは知りません)
0次元において「物質A」は点。
「物質A」を表す単位が存在しないのでいかなる方向にも伸びないが、存在はあるので点。
1次元において「物質A」は線。
「物体A」を表す単位が長さのみ。
その長さは物質によって変化します。
ここまでは我々にはイメージできますが、「物質A」がなにかはわからないでしょう。
その物質の点?
その物質の長さ?
って感じです。
二次元、平面において初めて「物質A」がなにか我々に知覚できるのでしょう。(絵をみたら「物質A」がなにかわかりますよね)
三次元、これは「かにさん論」により人には知覚できません。
しかし、イメージはできるでしょう。
「人間にがもっとも愛している次元」とも言えるかもしれません。
「物質A」を示す座標(の集合?)が三つの要素、長さ、高さ、遠近感によって細かく定義され、それによって我々はその物質を捉えます。
これを人間は視覚という二次元情報から仕入れて、頭の中で組み立てます。
そして四次元、ここからはイメージ不可、知覚もモチロン不可ですね。
時間軸、というのは聞いたことがあります。
よく「ドラえもん」のポケットの例で、「時間軸があるから好きな時間の同じ場所に物を置けるためにたくさんの道具が入るのだ」と聞きますが、僕はそこに疑問をもって、こう考えました。
物体はその次元が上がるごとにそれを示す情報が増える。
つまり、四次元は物体の「時間」さえもが定義されている世界であり、四次元での「物体A」は流れる時間の中で、ほんの一瞬(0に限りなく近い)にしか存在できなくなるのです。
時間が立つと「物質A」はもはや「物質A」とは呼べなくなり、それはそう「物質A’(ダッシュ)」とでも言うべき存在に変わってしまうのです。(この変化は時間の変化に伴って無限に起こります)
なにせ、三次元での「長さ」や「高さ」、「距離感」と同じように「時間」という物質固有の要素が変化するのですから。
しかし四次元で「物質A’」となっても、三次元においてはずっと「物質A」のままなのです。
わかりますでしょうか?
一応これが僕の四次元、というか「次元」そのものに対する持論です。
僕の持論に従うならば四次元ポケットは「そこに入った物質を四次元的観念で捉え、その時間軸を操作することにより好きな時間の三次元的な同座標にのみ存在する物質として書き換えるポケット」となります。
一応、略して四次元ポケットです(笑)。
正確には四次元的観念で捉えた物質を元の三次元的な物質に戻す機能も必要です。
これがないと必要な物質の時間軸を現在に定義して取り出した瞬間にさっきまでの現在という四次元的座標に止まってしまいますから
(三次元的約(笑) 消えてしまいますから)。
以上です。
難しいですがこれ以上長いと流石にめんどくさいので……。
(すでにめんどくさい)
因みに、ちらっと上の方にも書いてますが0次元は一般には「点」もしくは「有限個の点からなる集合」ととらえるそうです。
↑電子辞書・ブリタニカより
前者はともかく、後者は意味不明です(笑)
文明
文明の発展はいいことなのか悪いことなのか、これは人類にそれを管理する力がないとするならば確かに悪いことかもしれません。
しかし、文明の発展自体は人類が必要に迫られて進化してきた結果であり、私的には他の生物に文句を言われる筋合いはない、と思います。
悔しかったら滅ぼしてみろ! みたいな。
やられたら、やばいですが。
真面目に行きますと、文明の発展、それ自体はなんの問題もないと思います。
ただ、それを戦争などに利用してしまっている、人間に問題があるのでしょう。
戦争に勝つために、と言う気持ちが文明を発展させてきたのは事実ですが、それは生物共通の特性でしょう。
生き残るには進化するしかないですから。
人間は他の民族、国家との生存競争に勝つために、生き残るために進化していくのです。
他の生物となんら変わりません。
大きすぎる力を持ってもそれは変わらないです。
でも、それを抑えて文明の使い道を考えることは無駄だというわけではないので、しっかりと自分たちの持つ影響力の大きさを把握し、その上でどう行動するべきか考えるのが大切でしょうね。
一般論ですが。
マスゴミ
さすがに暴論か? とは思いましたが「マスゴミ」は全面的に賛成ですね。
一人の印象が悪いと団体の印象も悪くなるのは事実ですから、これは仕方ないでしょう。
擁護できません。
悪いのは個人ですが責任は団体に追求されるのです。
今回は特に。
「マスゴミ」については、
まぁ、商売ですから……。
フランスの有名なテレビ局の局長だった人の言葉で「私たちの仕事はスポンサーのCMが入りやすい状態を視聴者の頭に作り出し、それをスポンサーに売ることだ」
と言うものがあります。
要するに、真実かどうかはどうでもいいとまでは言いませんが優先順位は低いのです。
全体を伝える義務は無いのですから。
マス(大衆)メディアはその大衆がきっちりと自分から調べて自身の意見を持つきっかけにすぎないはずなのに、いつの間にか大衆はただの聴衆と化して刷り込みを受けてしまっている。
やはり、ここが問題ですね。
人間は「第一印象(先入観)」を改めるのが苦手で嫌いですし、「都合の悪いことは見ない」そういう生き物ですから、難しいでしょう。
情報が素早く伝わる、という点でマスメディアは優れていますが、正確な情報ではないかもしれない、と常に疑う大衆が受け手であってこそ初めて完成するものだと私は思います。
丁度、今、プロットを練っている話のテーマ? に似ています。
その小説の主人公は正義の味方を目指す少年ですが。
彼は言葉に固執して、一般的な「正義の味方」の本質を見失っています。
彼曰く「正義は勝者が定め、多数派が定めるものだ。そして僕は常に正義の味方である」。
正義がないとは思いません。
しかし、正義が例えば「人を救う」とかそういったニュアンスのもので固定されているわけではないと思います。
善の対義語は悪ですが、正義に対義語はありません。
あえて言うなら不義?
義を正すこと。
利害にとらわれず、自身の考えや他人のために尽くす行いですかね?
正義とは悪も善が持ちうる属性で、僕自身は勝者によって定められるものでも、多数派によって決められるものでもないとは思います。
自身の考える正義を大切にしていけばいいのではないでしょうか?
塾の先生怖いですね……。僕も絶対そこで「これが僕の正義だ!」とは言えない(笑)。
最初に書いた小説の主人公のまさよし君は僕のこういうところを反映しているのかもしれません。
先生は校内においてほとんどの場合勝者、というか権力者ですから、彼らに逆らうことはしないのが正義で、彼らの擁護をするのがまさよし君的な正義の味方な訳です。
次回も楽しみにしております
続きはまた読めたら、書こうと思います。