勇者ハルカの決意 -優しさだけじゃ、世界は救えないの?-
遠坂 遥
勇者ハルカの決意(Episode1-1)
第1話 Starting Over
「ハルカ、どうかあなたに勇者になってもらえないでしょうか?」
「…………」
突然のことで大変申し訳ないのだけど、ただ今謎の状況に巻き込まれております……。
私の目の前には、金色の長い髪の毛を一まとめにし高い位置でヘアクリップで止めている、今まで見たこともないほどお美しい女性。歳は十代後半くらいで、服装は白のブラウスに赤いマント、そして同じく赤のミニスカートを身に纏っている。まるでファンタジー世界の住人のようなその服装に、私は思わず言葉を失っていた。
ちなみにここは私の自室で、私が放課後帰ってきて制服のままボッとしていたら、いきなり眩いばかりの光が現れ、次の瞬間には例の女性が立っていた、という状況だったりする。いや、意味が分からないと言われても困るのよ。だって、私だって今の状況が全く理解できていないんだからね……。
「あの、聞いてますか?」
「……え、はい?」
「はい? ではなく、さっきからあなたは私の話を聞いていたのかと聞いているのですが」
「えっと、一応は……」
「だったら返事くらいしてくださいよ。あ、そういえば自己紹介がまだでしたね。私の名前はセレスティア・アークライトと申します。アルカディア王国という国から参りました。以後、お見知りおきを」
セレスティアと名乗った女性は、私に対して微笑んでみせる。しかし、ちゃんと名乗られたところで私の混乱は増すばかりだ。セレスティア? 何それ? 確かに見た目からして日本人には見えないけど、日本語ガッツリ喋ってるしこの人本当に何者? ……というかそもそもアルカディアってどこ? 私は数学が一番苦手だけど、それと同じくらい地理が苦手だ。クイズに出そうな国名以外全然知らない。
「えっと、とりあえず名乗った方がいい、のかな?」
私はあんぐりした顔を彼女に向けながらも、なんとか会話をしようと試みる。でも、
「あ、大丈夫です。あなたのことはよく存じていますから」
と、あっさりと私の自己紹介は却下されてしまった。彼女は茫然自失状態の私を尻目に、ポケットからメモ帳のようなものを取り出して言った。
「あなたの名前は一ノ瀬遥(いちのせ はるか)。高校二年生の十六歳。成績は普通、運動神経も並み。特技はギターで、現在は軽音部に所属。担当はギターボーカルでその歌声は学校内では評判が良く、下級生には隠れファンがいるとのこと」
「ど、どうしてそんなことを?」
「事前のリサーチの成果です」
「リサーチって、どうして、私のことなんて……」
セレスティアは私の問いかけには答えず、またメモに視線を移した。
「現在彼氏はおらず、今までもできたことがなく、処女である」
「ちょ、ちょっとおお!?」
「落ち着いて。続きを」
私が暴れるのを片手で軽くいなし、セレスティアさんは続ける。
「最近の悩みは……胸がないこと!」
「どうして溜めた!? そしてなぜ強調した!?」
「そして……」
「流した!? ってかさっきから人のプライバシーをそんな簡単に……」
「家族構成は……」
「え……」
彼女のその言葉に、私は思わず固まった。しかし、彼女は気にせず続けた。
「現在、一人暮らし。天涯孤独の身である」
私はその時、心の中を土足で踏み荒らされたような気分になった。今にも嘔吐してしまうほどに最低で、周りのものに当たり散らしてしまいたいほどに、私の胸は抉られていた。
「父親とは、三歳の時に死別。そして、母親とは……」
「やめて!」
「……」
私の剣幕を見てか、彼女は押し黙った。そして、神妙な面持ちで私の顔を見つめた。
恐らく彼女は、私がこういう反応をすることをある程度は知っていたはずだ。知っていながら敢えて言ったのだ。よくは分からないが、この人が私の所に来た一番の要因が、私がほんの一カ月前に、病気で母を失ったから、なのだろう。
父が幼い時に亡くなってからというもの、お母さんは女手一つで私のことを育ててくれた。そのお母さんが、急に私の元からいなくなった。
――遥、あなたを独りにしてしまって、ごめんね……。
病床の母が言う。どうしてお母さんが謝るの? お母さんはいつだって私のために尽くしてくれたじゃない。謝らないといけないとしたら、それはきっと私の方だよ。
私はまだ、何も返せていない。私が高校を卒業したら、就職して、お母さんに一杯楽をさせてあげるはずだったのに。沢山美味しい物を食べさせてあげて、沢山綺麗な服を買ってあげるつもりだったのに。なのに……。
「お母さん……!」
視界が歪む。嗚咽が漏れる。そして気付いた時には、涙が堰を切ったように流れ出していた。
私は、立っていることができなくて、その場に倒れこんだ。
「ハルカ!?」
慌て切った声の彼女が、倒れ行く私の身体を受け止めた。
「お母さん、お母さん……お母さん!!」
彼女の支えで辛うじて転倒を免れたものの、私はもういない最愛の人の名前を、ただうわ言のように呟くことしかできなくなっていた。
涙が溢れる。止めたくても、止めることは叶わない。できることなら、このまま涙と共に、溶けてなくなりたかった。
「ごめんなさい、辛いことを思い出させてしまって」
気付くと、彼女が、私のことを抱きしめていた。
一カ月が経過して、少しずつ泣く頻度は少なくなっていたけれど、まだ、涙を堪え切れる日など一日もなかった。でも、泣く時はいつも独りだ。こうやって、誰かに泣き声を受け止めてもらったのは、いつ以来だろうか?
「あなたに辛いを思いをさせるために来た訳じゃないんです。あなたの心の痛みに対する認識が甘かった。本当に、すみませんでした……」
彼女は目に涙を溜めて、心の底からそう言っている様だった。彼女は赤い目のまま私に言った。
「いえ、私こそ、取り乱して、すみませんでした……」
私は、今私のために涙を流してくれている彼女を傷つけたくなくて、できる限り優しい声色で言った。すると、今度は彼女が涙を拭って言った。
「私は、あなたに力を貸してほしくて、ここまでやって来たんです」
「……私の、力を?」
「ええ。あなたはきっと、アルカディア王国、などという国の名前を聞いたことはないと思います。そうですよね?」
「そう、ですね」
「それもそのはずです。アルカディア王国は、あなたの住むこの次元とは違う次元にある国だからです」
「……違う、次元?」
私は彼女の発言に耳を疑った。確かに彼女の服装は、私たちの世界では考えづらいものだ。でもだからと言って、「違う次元」などという言葉をそう容易く受け入れることができるかといえば、答は当然ノーである。
「まさか、そんなものが、本当にある訳が……」
違う次元、所謂異世界について、私は全く聞いたことがない訳ではなかった。しかし、それは実生活において耳にした訳ではない。
私がそれを聞いたのは、ファンタジー小説を読んだことがあったからだ。そういった類の小説の中には、確かに「異世界」というジャンルがあるのだ。しかし、だからといって、それが実際に存在するかと言われても、当然のことながらいきなり信じられる訳がない。
虚構と現実の区別ぐらい私だってつく。いくら精神的に弱っているとはいっても、まだそこまで耄碌(もうろく)していない。
「確かに、いきなり信じろと言われても難しいでしょう。では、一度我々の世界をお見せすれば、信じてもらえるでしょうか?」
「お見せすればって、まさか、そのアル、カディアでしたっけ? そこに行くことができるって言うんですか?」
「ええ、そうです」
彼女の様子には、随分と自信が見える様だった。ここまではっきり言うからには、本当にその世界があるのではと、うっかり信じてしまいそうになる。
「じゃ、じゃあ、本当にその世界に連れてってもらえるなら、信じてもいいです。でも、それよりもまず、あなたに聞きたいことがあります」
「なんでしょうか?」
「どうして、私なんですか? 私なんて、別に大きな特徴もないし、精神的にも弱いし、そっちの世界に連れていく必要なんてない人材ですよ? それにさっき、あなたは私に『勇者』にならないかとおっしゃりましたよね? 勇者なんて、私には最も程遠い存在ですよ。私なんかよりも、もっと適切な人がいると思うのですが……」
しかし、私がそう言うと、彼女は大きく頭を振った。そして、今度は私の目をジッと見て言った。
「いえ、勇者はあなたでなくてはなりません。預言者が、あなたを勇者に選んだのです」
「どうしてです? 勝手なイメージで悪いんですが、物語の中じゃ勇者なんてだいたい男の人がなるものじゃないですか? 私は物語の主人公みたいに順応する自信なんて皆無ですし、それに勇者なら、戦わなければならないのでしょう? そんなこと私には絶対に……できる訳ありません」
「そのイメージに関しては、私には良く分かりません。ですが少なくとも、我々の世界で勇者が男しかいないということはありませんし、預言者によって選ばれた勇者は、我々の世界に来れば途方もない力を手に入れることができます。今のあなたに特別な力がなくとも、それは大した問題にはなりません」
「だけど……!」
「あなたでなければならない理由があるのです。魔術の才能を持つ者は他にもいます。ですが、その中でもあなたでなければならない特別な理由があるのです……」
彼女の表情は優れない。とても言いづらいことを言おうとしている、私にはそう思えてならなかった。それでも、私は尋ねずにはいられなかった。
「……特別な理由ってなんですか? 私なんかが選ばれる理由なんて……」
「選ばれた理由、それは、あなたにとって決して本意であるとは思いません……。それは、あなたの今の境遇が影響しているからです」
「境遇……?」
私の境遇、それは文字通り不幸のどん底、絶望の真っただ中にあるということに他ならなかった。父のみならず、母までもこの年齢で失う人間はそう多くはないはずだ。私は奇しくも、何万分の一のその最低の確率を引き当ててしまった。いったい、そんな境遇がどう影響すると言うのだろうか?
彼女は苦悶の表情を浮かべながら言った。
「あなたは、本当に大切な人を失いました。それはすなわち、失う痛みを誰よりも知っているということです。それは、他の才ある人間には決して得ることができないものです」
この平和な世界で、高校二年生という年齢で私の様な体験する人間はそう多くないだろう。そして、その中で勇者の適性がある人間を捜すのであれば、これほど難しいことはないかもしれない。だからこその、私というわけなのだろうか?
「今、アルカディア王国は戦いの最中にいます。ですが、勇者が痛みも知らずに人の命を奪うような人間であっては絶対に駄目なんです。乱れた世の中だからこそ、慈しみを持った勇者が必要なんです。あなたが選ばれたのは、深い悲しみを知っているからというだけではありません。あなたは元々他人の心に寄りそえる人であったと思います。そのあなたが、これほどの辛い思いをして、痛みを知った。預言者が選んだように、私も、あなたほど慈しみのある人はいないと思います。だから、どうしてもあなたにお願いしたい。痛みを知っているからこそ、あなたは誰よりも強くなれる。私はそう信じています」
そう言うと、彼女は私の前に跪いた。
「勝手なことを言っていると思います。大きなお世話なのも分かっています。ですが、無茶を承知で言います。ハルカ、アルカディア王国を……私たちを助けてください! 私たちにはあなたが必要です。どうか、どうかその慈しみの心で、私たちを救ってください!」
彼女はそうして、深々と頭を垂れたのだった。
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