自鳴琴

黒井羊太

自鳴琴は微かに鳴り始める

 男は箱を開けた。

 合わせ蓋の隙間から空気が入り込み、ポンと軽い音を立てて箱は簡単に開いた。

 中からは微かに音が聞こえてくる。初めは気付かない程の音であったが、徐々に金属を弾くような、キン、コンと言う音が聞こえ始める。

 リズミカルに鳴り響く金属音。段々と音の数が増え、静かな空間を一滴ずつ満たしていく。


 男は箱を眺めた。

 何と言う事もない、只の白い箱だ。装飾は僅かも施されておらず、特徴といえるような特徴はない。大きい訳でも、小さい訳でもない。ごくありふれた箱だ。

 それを台座の上に置き、合わせ蓋を僅かに開けている。その隙間から音は漏れ出し、男の鼓膜をくすぐる。


 箱から漏れでる音の数は増し続け、リズムも種類もバラバラになっていく。低音、高音、響く音、軽い音。それらが早く脈打つように鳴ったかと思えば、ふうっと緩み、穏やかな吐息のように流れていく。それと並行して、別なタイミングで同じように早くなったり、遅くなったり。それが百、千、万、億と加速度的に増えていく。

 金属音が小波のように寄せては返す。男は静かに耳を傾け続ける。


 男がいる場所は、部屋ではない。箱と台座と、音の他には何もない場所だ。ただ暗闇が広がっていて、男の所在すらはっきりと分からない程だ。それ故、白い箱はその暗闇の中にあってぼうっと浮かび上がり、際だって悪目立ちをしている。

 

 音はやがて、幾つかの旋律に集約され、まとまりを見せ始める。『音楽』が生まれ始めているのだ。お互いの旋律を邪魔することなく流れていく音の群れ。優しい音、激しい音。冷たい音、温かい音。するすると滞りのない水の流れのように耳に流れ込んで、鼓膜を心地よく刺激する。

 旋律の数は最早膨大で、数える事など叶わぬ程であったが、不思議といずれも干渉せず、総じて美しい音楽を形成していた。

 荘厳でありながら可憐で、時にコミカルに、時にシニカルに。走りがちな所もあれば、ゆったりと流れる所もあり、その様子は一様ではなく常に変化し続けている。

 男は聞き入っていた。決して洗練されてはいない荒削りな音楽ではあったが、しかし聞く者の気持ちを揺さぶるような、そんな音楽に夢中だった。


 それが随分長い事続いた。違和感が出てきたのはいつの頃からだったか。

 ぎん、と音が混じる。錆びた金属が弾かれた時のような、耳障りな音。気のせいかとも思ったが、徐々にその数は増えていった。

 ぎん。ごん。げん。

 はっきり言って耳障りだし、不協和音の元凶と言っても良い。男が気持ちよく音楽に浸っている時にこうした音が入ってくれば、当然気分が害される。自然、男がしかつらになる回数は次第に増えていった。

 こうした音というのは、綺麗な音楽よりも異様に頭に残るものだ。美しい音楽に浸ろうとする瞬間に、ぎん。すかさずごん。げん。男のいらいらは募るばかりであった。


 とうとう我慢できなくなって、男は箱の中を覗いてみた。そして驚いた。箱の中はまるで視覚害虫のような、黒い粒々の群体が湧いていたのだ!

 それはまるで一つの生き物のようにまとまって動いていた。箱の中を行ったり来たり。見ているだけで気持ち悪くなりそうだったが、このひどい音の原因を突き止めなければ気持ちが済まない。

 背筋を走る悪寒と箱を投げ出したい衝動を抑えながらよくよく観察していると、どうも先程の考察は間違っているらしい事に気付く。黒い粒々は、幾つかの群れで分けられる。そしてそれらは増殖と衝突を繰り返していた。群体と群体がぶつかり合って……あぁ、いなくなった所に赤い染みが出来た。その赤い染みが箱の中にこびりつき、やがて錆のように浮いてきているようだった。

 これだ。この黒い粒々が原因だ。視覚害虫どころではない。害虫そのものじゃないか。

 男は箱を逆さに振るってそれを箱の外へ出そうと試みた。幾つかは飛び出ていったけども、余り効果はなさそうだった。

 諦めて箱を台座に戻すと、黒い粒々から声が聞こえた。

「神よ! 何故このような試練を!?」「助けてくれぇ……」「この世のお終いだぁ!」

 なんだこれは。

「お前達は何だ?」

 男が問いかけると、箱の中から一斉に言葉が返ってくる。数十京もの粒が一度に話すのだ、聞き取れるはずもない。

「代表者がしゃべれ!」

 男が怒鳴り、粒々は黙った。そしてその内一点の粒が話し始めた。

「我らこそこの宇宙の支配者である!この世の全ての秘密を科学で暴き尽くし、森羅万象を我が物とし、四次元、そして五次元への侵略をせし者なり!」

 黒い粒々は再び大騒ぎになる。何とか聞きとれた範囲では、

「誰だあのバカに喋らせたのは!?」「黙らせろ!」「結局相手は誰なんだ?」

とかである。

 男は溜息混じりに話し始める。

「分かった、分かった。お前らがどういう存在か、これ以上問いつめたりしない。だが一つ頼みがある。何だ、ぶつかり合い?をしているのか? これは止めてくれ。錆が付いてたまらん。私はただ静かに音楽が聴きたいだけなんだ」

 黒い粒々は、皆一様に疑問符を浮かべた。音楽?ぶつかり合い?錆?果たして彼は、一体何の事を言っているのだろうか?

「お前らがいなくなればいいんだ!」「何を!?」「やめようよ~」

 また揉め始める。またぶつかり合い、赤い染みが出来、錆が増える。あの不愉快な錆の音は増え続ける一方だった。

 男のいらいらは募る。何をどう間違えてこうなってしまったのだろう?そもそもこいつらは、一体どこから湧いたのだろう?

 その内、黒い粒々は大方こういう結論に至った。

「我々より高次の存在など居て良いはずがない!あれはきっと我々が支配すべき存在なのだ!」「そうだそうだ!」「戦争だ! 研究だ!」

 黒い粒々は、一気呵成に増殖した。

 男は呆れ果てた。自分がどんな存在なのか、どんな状況なのかも分からず、何もかも全てを分かった気になっている。自分達の知っている事が、世界の全てだと思いこんでいる。

 彼らには想像もついていないだろう。自分たちが箱の中に湧いただけの矮小な存在で、その外には膨大な世界が存在している事を。

 そしてよりにもよって『万物の創造主』たる私に戦いをふっかけようなどと考え、そして勝つ気でいる。

 何と滑稽だろう。何と呆れた、惨めな存在だろう。恐れを知らぬ、などという言葉では当てはまらない。蛮勇ではなく、愚かだ。

視覚的にも実質的にも害虫だなと気づき、男はもうこの箱を諦める事にした。

「ではこの箱は棄ててしまう事にするよ」

 男の言葉に、箱の中からは数十京もの悲鳴じみた声が聞こえる。

「助けてくれぇ!」「見捨てないでくれ!」「おお、神よ……」「これが終末か!」「やれるもんならやってみろやぁ!」

 しかし男はもうこの箱に何ら興味がなかった。

 男はそっと合わせ蓋を閉じ、その箱をどことも知れぬ暗闇へと放り投げた。そしてどこからまた新しい箱を取り出し、台座に置き、蓋を開ける。

『神』と呼ばれた男は、新しい箱の中にある『宇宙』が生み出す万物の誕生の音、生命の躍動の音を、一からまた楽しむのだった。

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自鳴琴 黒井羊太 @kurohitsuji

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